7.宰相
大きな扉の向こうは、先ほどの城門の中とは比べ物にならないほどに美しかった。
まさに豪華絢爛。外観と同じく白を基調とした壁や柱、高い天井に至るまで金の装飾が施されなんだか目がチカチカした。
でも庭園を見たときのような感嘆の声は出ない。
私たちが、いや、ツェリウス王子が一歩足を踏み入れた途端、宮殿内は吐息を漏らすことすら躊躇われるほどの緊張感に包まれた。
入口近くにいたメイドさんらしき女性たちが王子の姿を見つけ慌てたように脇に避け深く頭を下げていく。
奥へと進みながら、とにかく自分が場違い過ぎてひたすら恐縮するしかなかった。
そんな中デュックス王子の明るい声だけが救いだった。
「フィー、兄さまの連れてきたお医者さま凄いんだぞ! ね、兄さま!」
「そうなのですか。それは頼もしい」
はしゃぐように言う王子に、フィーと呼ばれた彼――フィグラリースさんが穏やかに微笑む。
先ほどクラヴィスさんが私たちを医師とその助手だと紹介してくれ、彼はラグたちに剣を向けたことを丁寧に謝ってくれた。
その後彼は控えていた女性の一人に何かを伝え、その女性は焦るようにしてどこかへ走って行った。
おそらくは王様や王妃様にツェリウス王子の帰りを伝えに行ったのだろう。
フィグラリースさんはこの国の騎士でありデュックス王子の従者なのだそう。
同じ従者だからだろうか、雰囲気がクラヴィスさんに似ている。歳もそう変わらなそうだ。
細身の剣を腰に携え、やはり白を基調としたきっちりとした服装。
騎士であるこの二人が並んで馬に跨った姿を想像すると絵になるなぁと思った。
「フィグラリース。陛下の容体は?」
クラヴィスさんが訊くと、フィグラリースさんは重い顔つきで首を振った。
「ここ数日はベッドから起き上がることもままならないご様子で……」
「そうか……」
「……」
王子は何も言わない。
「他の医師たちは?」
「控えの間に」
(そこに、フォルゲンさんが……)
と、デュックス王子がその後を続けた。
「毎日交代で色んなお医者さまが父さまを診ているんだ。でも父さま、なかなか良くならなくて……。でも、先ほどの力があればきっと父さまの病も治りますよね!」
ぎくりとする。
フィグラリースさんに術士だと知られてしまって大丈夫だろうか。
「先ほどの力というのは?」
案の定フィグラリースさんが尋ねるとデュックス王子は目を輝かせた。
「さっき、」
「デュックス!」
だが急に強く名を呼ばれ、彼はびっくりしたようにお兄さんを見上げた。
「先ほどのことはまだ皆には内緒だ。驚いてしまうだろうからな」
「あ、そうですよね。わかりました!」
素直に頷き自分の口を両手で塞ぐデュックス王子。
お兄さんと秘密を共有出来たのが逆に嬉しかったようで、口を押えたまま王子はクスクスと笑った。
フィグラリースさんは少し首を傾げたがそれ以上は訊かなかった。
「そうだ、兄さま。どこの地でこの者たちを見つけたのです?」
「パケム島だ」
「パケム島、あの海がとても美しいという……。やはり美しかったですか?」
「あぁ。とても」
島でのことを思い出したのか、少し表情を和らげたお兄さんを見てデュックス王子は更に嬉しそうに笑った。
「僕もいつか行ってみたいです!」
「そうだな。いつか……」
言いかけ、その視線が何かを捉え王子は足を止めた。その先には。
「これはツェリウス殿下! よくぞご無事で……!」
歓声を上げて足早に近づいて来たのは初老の男性。
円筒形の帽子を被り、上質そうな長衣を纏ったその格好から使用人や騎士とも違う、もっと高貴な人なのだとわかった。
クラヴィスさんとフィグラリースさんまでが脇に避け頭を下げるのを見て、私も慌ててそれに倣う。ラグ、アルさん、セリーンも同様にした。
「じいさま!」
デュックス王子が声を上げる。
(――ってことは、この人が例の、暗殺者を送り込んだ張本人!?)
確か名前は、プラーヌス。
まさかこんなに早く会うことになるとは思わなかった。
「心配していたのですよ、急に発たれるものですから。いやこれで陛下も安心されましょう」
白い眉を下げ優しい声音で言うプラーヌス。一見、暗殺なんて考える人には思えない。
だがツェリウス王子の目はとても冷たい。やはり彼もこの人を疑っているのだろうか。
と、プラーヌスと視線が合ってしまい私は慌てて目を伏せた。
「この者たちは?」
「僕が見つけてきた優秀な医師とその助手たちだ」
ツェリウス王子がはっきりと答える。
するとプラーヌスはおおと再び歓声を上げ私たちの方に体を向けた。
「お医者様は……」
「あ、はい。私です」
アルさんが少し慌てた様子で顔を上げる。流石の彼も緊張しているみたいだ。
そんな彼に一礼しプラーヌスは言う。
「私はこの国の宰相を任されておりますプラーヌスと申します。お医者様の名はなんと」
「デイヴィスっていうんだよね!」
本人より先に答えたのはデュックス王子。
プラーヌスはそんな王子に優しく微笑みかけてからもう一度アルさんを見た。
「殿下が選ばれたお医者様ならば信頼できましょう。デイヴィス殿、何卒、陛下を頼みましたぞ」
「はい。私に出来るだけのことはさせていただくつもりで」
「大丈夫だよ、じいさま! デイヴィスは凄いんだ。ね、兄さま!」
そしてまた先ほどのように口を押さえデュックス王子は楽しげに笑う。
プラーヌスはそれを見て満足げに頷くと少しぎこちない笑みを浮かべるアルさんに言った。
「期待していますぞ」
――どうなることかと思ったが、一先ず何事もなくこの場は終われそうだ。
(なんか普通にいい人っぽいし)
暗殺者を差し向けた張本人というのはドゥルスさんから聞いたあくまで推測の話。クラヴィスさんの噂のように誤解かもしれない。そう思い、少し肩の力を抜く。
と、プラーヌスがツェリウス王子に向き直り、そこで気付いたように言った。
「おや殿下、髪を切ってしまわれたのですか」
「あぁ。道中邪魔になったのでな」
自分の髪を横目で見ながら、しれっと答える王子。
「そうでしたか……。しかし金の髪はこの国の王の証し。どうぞ大切になさってください」
瞬間どきりとする。
王子はそれには答えず表情も変えない。
プラーヌスはしかし特にそれで気分を害した様子なく続けた。
「いやそれにしても良かった。皆で御身を案じておりましたが、クラヴィスの申す通りお医者様を探すために城を出られたのですね」
無言で王子が視線を上げる。
プラーヌスは元々糸のような目を更に細めた。
「余りに急だったもので、よもや殿下が王位を放棄されたのでは……などと言う者も出る始末。杞憂に終わりこのプラーヌスほっといたしました」
口調は実に穏やかだった。
だが、その場の空気が一気に張りつめたのがわかった。
それまでにこにことしていたデュックス王子もそれを感じ取ったのか戸惑うように二人を見上げた。
「それでは、わたくしめはこれにて。皆に殿下の無事を知らせなければ。ささ、殿下は一刻も早く陛下の元へ」
言って道を開けるプラーヌス。
――このぴりぴりとした空気を嘲笑うかのようだった。
ツェリウス王子が、小さく鼻を鳴らした。
「残念だったな」
「は?」
一瞬、呆けたような顔をしたプラーヌスにツェリウス王子は堂々と告げる。
「プラーヌス。僕は必ず、この国の王になる」
プラーヌスの眉が跳ね上がるのを見た。
王子はその横をすり抜け先に進んでいく。
私たちも慌てて一礼しその後を追った。
デュックス王子がこちらについて来ながら、プラーヌスのまだ動かない背中を不安げにちらちらと振り返っていた。
「よろしかったのですか?」
クラヴィスさんが小声で訊くと王子は飄々と答えた。
「何がだ。僕はあいつの望み通りに宣言してやっただけだ」
クラヴィスさんが苦笑する。と。
「デュックス」
「はい」
呼ばれてデュックス王子が見上げると、ツェリウス王子はにっこりと笑っていた。
「王の元へ急ぐとしよう」
「はい!」
デュックス王子は頬を紅潮させ嬉しそうに返事した。
「ぶっはああ!」
部屋の扉が閉まり足音が遠ざかったところでアルさんが大げさに溜め息を吐いた。
「何ださっきの! 俺胃に穴が開くかと思ったわー!」
そして金の刺繍が施された大きなソファにどかっと座り込む。
「うわーこれからしばらくの間この中で生活してくのか俺。きっつー」
大股開いてぐったりと背もたれに身を預けた彼に苦笑してから私もはぁと息を吐いた。
ここは控えの間。
つい今しがたクラヴィスさんに、少しの間この部屋でお待ちくださいと言われ、私たち4人はここに通された。
宮殿の3階にあるこの部屋は王の寝室のすぐ近くにあり、他の医師たちもこの並びにある別の控えの間にいるのだそう。
控えの間と言っても広さは学校の教室ほどあり、室内に置かれたソファやテーブル、飾られた絵画や花瓶などどれも高価そうなものばかり。
極一般的な日本の家庭で育った私はどうにもリラックス出来そうになかった。
と、奥にある大きな窓から先ほどの庭園が見えて、一先ず外の空気を吸おうとそちらへ向かう。
「庭園も見事だったが、中も流石だな」
セリーンも室内を見回しながらしきりに感心している。
「うん。でもちょっと綺麗過ぎて緊張しちゃう。ここ、開けちゃっていいよね」
私は一応確認してから窓を開け放ち、ほのかに花の香りのする外気を思い切り吸い込んだ。
そこは半円形に突き出たバルコニーになっていて、可愛い丸テーブルと椅子が置かれていた。
眼下に広がる庭園はやっぱり素敵で、ここで紅茶でも飲めたら優雅な気分に浸れそうだ。
と、噴水が目に入り、先ほどあの近くで転んでしまったデュックス王子を思い出す。
「でもデュックス王子様可愛かったね。ここで唯一の癒しって感じ」
室内を振り返りながら言うと、鼻で笑われた。――ラグだ。
彼はアルさんの向かいに置かれた一人掛けのソファに腰かけていた。
「どうだかな。あれで実は王位を狙ってるかもしれねーぞ」
思わずむっとして言い返す。
「それは無いでしょ。あんなにお兄ちゃん大好きなのに」
「そう見せかけてるだけかもしんねーだろ」
「あんな歳でそんなこと出来るわけ」
「あの王子はもうすぐ8歳と言っていたか?」
セリーンがいつの間にか隣で庭園を眺めていた。
「うん、言ってた。あんなに小さいとは思わなかったよね」
「そうか、8歳であのくらいか。愛しの子は一体いくつなのだろうな」
そのなんとも切ない声音にカクンと肩の力が抜ける。
同時にラグの舌打ちと、更にはアルさんの長い溜息とが重なり私は苦笑した。
(でもやっといつもの皆って感じ)
と、そこでハっと思い出す。
「そうだ。アルさんに言わなきゃいけないことがあるんです!」
「ほえ?」
首だけ起こしたアルさんに駆け寄ろうとして、私は念のため開けたばかりの窓をそっと閉めた。
――王子たちがいない今がチャンスだ。
アルさんの隣に腰かけ、私は声を潜めて話し始める。
「どうやら、さっきのプラーヌスって人が例の暗殺者を送り込んだ張本人らしいんです」
「あー。なんかそんな感じだったな」
「え?」
「いや、あの王子の態度見てりゃーなぁ」
アルさんは溜め息交じりにもう一度背もたれに寄りかかった。
「ハハ、ですよね……。それともう一つ、これは多分誤解だと思うんですが……」
そう前置きしてから、私はクラヴィスさんのことを話した。
するとアルさんもそれには驚いたようで。
「クラヴィスが? ……そっか。ま、カノンちゃんの言う通り誤解だとは思うけど、わかった。一応頭に入れとくわ」
そう言ってくれてホっとする。
「でもこんな情報誰から……って、あぁー!」
急に大きな声を上げアルさんはガバっと起き上がった。
「ひょっとしてあれか!? 例のセリーンの昔の男!」
「誰が昔の男と言った。昔世話になった男だ」
剣呑な目つきで訂正するセリーン。
「セリーンがそんなふうに言っちゃう時点で俺にとっちゃ似たようなもんなんだってー。うわーショックだー」
またしてもがっくりと背もたれに仰向けになったアルさんに見兼ねて私は小声でフォローする。
「大丈夫ですよ。ドゥルスさんて言うんですがアルさんくらいの歳の子供が二人いるような人ですし」
「そうなのか? ……いや、でも恋愛に歳は関係ないし」
「や、本当に大丈夫だと……。あ、明日ドゥルスさんお城に来るって言ってたので会えばわかりますよきっと」
「来るって!? なんで!」
「あ、騎士なんだそうです。クラヴィスさんの上司でもあるみたいで、それで色々教えてくれて」
「わーセリーン好きそー! 会いたくねぇー!」
ついには顔を覆ってしまったアルさん。
フォローのつもりが追い打ちをかけてしまったようだ。
「ダメだぁ~。これ完全にティコ不足だ~。誰か俺にティコを……早くティコを俺にくれぇ~」
「あ、ティコラトールでしたっけ。ティコの飲み物。楽しみですね!」
笑顔で言うも、あぁ~というなんとも気の抜けた声が返ってくるだけで、そんな彼をラグが心底呆れたような目で見ていた。
……なんだか私も甘いものが欲しくなってきた。
(ティコラトールかぁ。きっとココアみたいな、甘くて美味しい飲み物なんだろうなぁ)
想像したら生唾が出てきてしまい慌てて呑み込む。
「私は料理が楽しみだ。宮廷料理だぞ。期待せざるを得んな」
珍しくワクワクしている様子のセリーン。
確かに宮廷料理と聞くと豪勢な料理がテーブルいっぱいに並ぶイメージだ。
「うん、私も楽しみになってきた!」
と、盛大なため息。アルさんではなく、今度はラグだ。
「お前ら、目的を忘れんなよ。オレは、」
「わーってるよ。呪いを解く方法だろ?」
仰向けのままアルさんが答える。
「俺だってなんかしら手がかり見つけてくれねーと困るんだ」
「万が一方法が見つかったとしても、断固阻止させてもらうがな」
そう言ったのは勿論セリーン。
ぎろりとそんな彼女を睨み上げるラグに苦笑していると、ふと気づいたようにアルさんが身体を起こした。
「そういやお前、本当に良い方法が見つかったらどうすんだ?」
(あ)
それは先ほど森の中で考えかけたことだ。
ラグは即答する。
「決まってんだろ。すぐにでもその方法でこの呪いを解く」
「だから阻止すると」
「てめぇは黙ってろ!」
とうとう怒鳴ったラグに、アルさんはなんだか言い辛そうに続けた。
「いや、そうなると、もう例の金髪兄ちゃんを探す必要はないわけだろ?」
どきりと胸が鳴る。
イラついた様子で答えるラグ。
「そりゃあな。呪いが解けりゃあんな野郎に用はねーんだ」
私の胸は更にざわついた。
当然の答えだ。呪いが解けてしまえば、彼がエルネストさんに会いに行く理由は無くなる。
アルさんがちらりと私を見た。
「じゃぁ、カノンちゃんはどうすんだ?」
驚いたような青い瞳とぶつかる。
でもそれはすぐにそらされて。
「……知らねーよ」
その短い一言に、一瞬目の前が真っ暗になった気がした。




