12.追憶の中の歌
セリーンとクラヴィスさんが剣を収めるのを横目に私はラグ達の元へ向かう。
――ラグのことが気になった。
先ほど風の中で受けた傷も心配だけれど、未だ彼が俯いている理由。
おそらくは先ほどルルデュールに言われた“悪魔の仔”、そして“レーネ”という言葉が原因だろう。
「ラグ平気? さっきの傷……」
近づき見ると、やはり服がところどころ破れ肌が出ている部分には出血が見られた。
ブゥも頭から落ちそうになりながらそんな相棒を心配そうに見下ろしている。
「平気平気!」
そう明るく答えてくれたのはラグではなくアルさんだ。
「こんな傷自分で治せるもんな~って、今はそうもいかないのか、俺が癒してやろうか?」
「ごめんなさい!」
二人に向かい私は深く頭を下げる。
「カノンちゃん?」
「私さっき、やめて、なんて……」
――ただ見たくなかっただけだ。
ラグがあの暗殺者にとどめを刺すところを見たくなくて、そんな自分の勝手であの場にいた皆を再び危険に晒してしまった。
もしかしたらあの時私のせいで誰かが更に傷ついていたかもしれない。――最悪、命を落としていたかもしれない。
少なくとも、ラグが今俯いているのは私のせいだ。
「いやいや、あんときカノンちゃんが止めてなかったらサカードが止めに入っただろうし。そしたら逆にコイツがやられてたかもしんないし、カノンちゃんが気にすることはなーんも無いんだぜ!」
アルさんが笑顔で言ってくれる。
「でも、」
やはりラグが気になって顔を上げ、気付く。
彼の額にいつも巻かれている布が無かった。おそらくそれも先ほどの戦いで切れてしまったのだろう。――そこまで考えて、私は目を見開く。
そういえばこれまで見たことが無かった彼の額に、見覚えのある紋様が描かれていた。
「そ、それ……」
紋様から視線をずらし、ラグの冷たい瞳とぶつかりドキリとする。
「あの野郎に付けられた印だ」
それでもラグは低く答えてくれた。
――やはり見間違えじゃない。その紋様はエルネストさんの額にあるものと同じものだ。
ふいと視線が外される。何も返せなかった。
これまで、朝も昼も夜もずっと一緒にいたのに、全く気付かなかった。
彼の額にはいつも布が巻かれていたから。――そう、今考えれば不自然なくらいに。
と、そのときだった。
「お兄ちゃーん!」
突然上がった可愛らしい声に驚き視線を向けると、モリスちゃんとその後ろに兄のトム君がこちらに走って来る。
先ほどまであんなに泣いていたモリスちゃんが満面の笑みでラグの前に立った。――もう、ラグのことは怖くないのだろうか。
「はい、これモリスのあげる! 髪紐切れちゃったんでしょ?」
ラグに小さな手が差し出される。
「モリスたちを守ってくれてありがとう!」
その無邪気な笑顔を見て胸があたたかくなる。
でもラグの反応が無い。
彼は遠くを見るような目でモリスちゃんを見つめていた。
「ラグ?」
「あ? あぁ」
私が声を掛けて初めて気付いたようにラグはその髪紐を受け取った。
自分の髪紐ですぐに髪を束ね始めたラグを見て、モリスちゃんが満足げに笑う。
「お兄ちゃん、とってもとってもカッコ良かったよ!」
「あれー、モリスちゃん俺は? 俺はカッコ良く無かった?」
自分を指差し笑顔で訊くアルさん。
「お兄ちゃんもカッコ良かったけど、モリスはこっちのお兄ちゃんの方が好きー!」
「お、おれは兄ちゃんの方がカッコ良かったと思う!」
慌てたようにモリスちゃんの後ろにいたトム君がフォローに入る。
「男に言われてもなー。ちぇー、俺も超頑張ったのになー」
そんなアルさんに苦笑したときだった。
「一体、何がどうなっている。こ、ここはどこだ!」
男の声にハッとして振り返る。
すっかりその存在を忘れていた、自警団の団長が目を覚ましていた。
モリスちゃんがびくりと身をすくませ、ラグの後ろに隠れる。
「あの術士は……! き、傷が無くなっている?」
混乱しているようだ。負ったはずの傷が消え、目を覚ませば山の中。無理もない……。
とりあえず元気そうでほっとするも、この状況をどう説明したらいいだろう。
ドナ達の一件も未解決のままだ。
「あの術士はもう去った」
一番近くにいたセリーンが短く声を掛けるのが聞こえた。
「そんで、傷を治したのは俺ね。あんたかなり危なかったんだぜ~」
アルさんが手を上げ彼に向け大声で言う。
「ここはアタシ達、ノービス一家の家だ」
そして次にそう続けたのはツリーハウスから降りてきたドナだ。
改めて、彼に事情を説明する気なのだろうか。――だが。
「ノービス! そうか。ここに……ここにノービスがいるのか!?」
ラルガがツリーハウスを見上げ急にこれまでとは違う、妙にはしゃいだような上ずった声を上げた。
そういえば彼は山の中に住むセイレーンのことを知っている様子だった。
驚いた顔のドナ。
「ノービスばあちゃんを、知ってるのか?」
「あ、あぁ」
我に返ったように咳払いひとつしてから彼は続ける。
「昔の……古い友人だ」
(友人?)
ドナから視線を外し言う彼を見て、なぜだが直感で“違う”と思った。
「友人? ばあちゃんの……?」
ドナの声が微かに震えた。
「あぁ。……お前さんは、その、ノービスの娘、いや、孫なのか?」
ドナがゆっくりと首を振る。
「アタシは小さい頃にこの山でばあちゃんに拾われたんだ。ノービス一家はみんな同じようにばあちゃんに拾われた親無しだ」
子供だけの家。――予想できたこととは言え、ドナの口からはっきりと親無しと聞いてちくりと胸が痛んだ。
「そうか。ノービスは、ノービスは元気なのか?」
「死んだよ。ひと月前に」
ドナの言葉にラルガの目が大きく見開かれる。
「……そうか」
掠れるような小さな声を出し、ラルガは視線を落とした。
「それだけかよ」
(ドナ?)
見ると、彼女が強く強く拳を握っていた。
「友人なら、なんでばあちゃんのそばにいてあげなかったんだ」
「…………」
ラルガは下を向いたまま答えない。
「ばあちゃんはアタシと会う前、何十年もずっとこの山で一人で暮らしてたって言ってたぞ。セイレーンだからって」
以前聞いた、セイレーンの話を思い出す。
歌が不吉とされたこの世界で、歌を使う術士は普通には暮らしていけないと。
(ノービスさんも、その一人……)
「友人? 友達だったって言うなら、なんでばあちゃんを一人にしたんだ!」
徐々に大きくなっていくドナの声。
「なんで最期まで一度も、ばあちゃんに会いに来てくれなかったんだよ……っ」
ドナは泣いていた。
そんな彼女にツェリが静かに寄り添う。
「――儂はあの頃、まだ何も出来ん子供だったんだ……」
懺悔するように俯いたまま、ラルガは絞り出すような声で話し始めた。
「立ち入ってはならないと言われていたこの山の中で儂はノービスと出逢い、儂は彼女の“歌”にすっかり魅了されてしまった。それから毎日のように儂は彼女と逢い、その歌を聴いた。だがその事がばれ、もう山には行くなと言われ……ノービスを守るためには、その言葉に従うしかなかった」
「そんなの! 大人になってから会いに来ることは出来たはずだろ!?」
「儂にもわからないんだ!」
急に声を大きくしたラルガに、ラグにくっついていたモリスちゃんがびくりと震えた。
「このことを思い出したのはつい最近なんだ。なぜか儂はずっと、何十年もの間ノービスのことを忘れていた……」
「なんだよそれ!!」
「まぁまぁ。ドナちゃん」
そう話に割り入ったのはアルさんだ。
「なぁおっちゃん、ノービスさんのこと思い出したのって、ひと月くらい前なんじゃないか?」
「あ、あぁ。大体そのくらいだ」
(ひと月……)
心の中で反芻する。一ヶ月前というと、丁度――。
「あっ」
私はその共通点に気が付き小さく声を上げていた。
アルさんがそんな私を見て頷く。
「そ。そりゃあきっと、ノービスさんの仕業だ」
「え?」
ドナとラルガが同時に顔を上げた。
「ノービスさんはセイレーンだったんだろ? きっと忘れさせたんだ、歌導術で自分のことを。おそらく、あんたのためにな」
「ノービスが……?」
その声が震える。
「セイレーンならそのくらい出来たはずだ。そんで、亡くなると同時にその術が解け、あんたは全て思い出した」
もうノービスさんは亡くなっていて、真実を確かめることは出来ないけれど。
(だとしたら、なんて切ない……)
ドナも言葉を失っていた。
「この男は必死にこの場所を守ろうとしていた」
そう話し始めたのは意外にもセリーンだった。
「あの暗殺者にこの場所を訊かれ、詰所に火を付けられどんなに己が傷付いても、口を割らなかった」
「それで、死にかけてたってわけか」
アルさんが溜息まじりに続ける。
と、ラルガがゆっくりとドナを見上げた。
「教えてくれ。ノービスは……、ノービスはいつも歌っていたか?」
「……あぁ。ばあちゃんは、いつもアタシらに歌ってくれてた」
「ばあちゃんのお歌、モリス大好きだったよ!」
さっきまでラグの後ろに隠れていたモリスちゃんがいつの間にか前に出て、ラルガに可愛らしい笑顔を向けていた。
「いろーんなお歌を歌ってくれたの! モリス達、ノービスばあちゃんのこと大好きだったよ!」
「そうか……」
満足そうに言って、ラルガはもう一度頭を垂れた。
――ひょっとしたら泣いていたのかもしれない。
昔の友人……いや、おそらくは彼にとって、もっと大きな存在であったのだろう女性を悼み、涙を流していたのかもしれない。
「ま、これで盗みの一件はちゃらでいいよな、おっちゃん。まさか昔の友人の家族を捕まえたりなんてしねぇよな」
「あぁ、うちの若い連中や店主は儂が説得しよう。ただ、」
視線がツェリへ移る。
「そのモンスターは……」
――そうだ。彼はまだツェリをドナ達を守るモンスターだと思っている。
自警団の団長であるラルガさんは当初ラグにモンスターを倒しその証拠を持ってくるようにと頼んでいた。
でも。
「ダメだ! ツェリは絶対に渡さないぞ!」
ドナがツェリの前で庇うように両手を広げた。
「しかし、街の者は皆そのモンスターに怯えているのだ。安全だというなら、それを証明せねば皆納得せんだろう」
確かに街の人たちにとったらツェリの存在は脅威だ。
倒したと言うならその証拠を、安全だと言うならその姿を実際に見ないことには山に凶暴なモンスターが棲みついているという不安は消えないだろう。
でもツェリを、王子の仮の姿をそんなに多くの人の目にさらしてしまって大丈夫なのだろうか。
(実は王子様でした、なんて言えるわけがないし。でもラルガさんにくらいは……)
ちらりとクラヴィスさんに視線を送るが堅く口を閉ざしていて、彼がラルガさんにも言う気はないのだとわかった。
「ツェリ?」
ドナの小さな声に見るとツェリが彼女から離れていく。
皆の視線が集中する中ツェリは茂みの中に入り、幹の太い立派な木の前で立ち止まった。そして。
――ドンっ!
なんと自分の頭……いや、その鋭い角をその木に思い切りぶつけ始めたではないか。
「ツェリ!!」
「何をしているのです!?」
ドナと、流石にクラヴィスさんも止めようとツェリの元へと急ぐ。
その間も何度も何度もツェリは太い幹に角を打ち付け、ついにそれは根元からぽっきりと折れてしまった。
(だ、大丈夫なの!?)
だが皆が見守る中ツェリは特に痛がる様子もなく、その落ちた自分の角を口に咥え茂みから出てきた。
「そーいうことか!」
アルさんがツェリに駆け寄りその角を受け取る。
「なぁおっちゃん、これ。この角がモンスターを倒したって証拠になるだろ」
そして彼は立派な角を空へと掲げた。
その後ろでドナがツェリの身体を強く強く抱き締めていた。
その後、アルさんがラルガさんを街へ送っていくことになった。
街の人達へモンスターを倒したと言う話をするとして、術士であるアルさんがいた方が何かと説得力がある。
(あの時、アルさんが術で火を消しているとこ見てる人結構いたし……)
と、そこでハッとする。
「そうだ、火事はおさまったのかな!?」
山に向かうときに上空から見た赤々とした炎を思い出す。
あれから優に一時間は経っているはずだ。
「多分、その辺りはサカードがうまくやってると思うけどな。もしまだ燃えてるようなら俺がなんとかしてくるわ」
そう言い残し、アルさんはラルガさんを連れ空へと飛び上がった。
彼らの姿が見えなくなった、丁度そのときだった。
「おい、モリス!?」
トム君の慌てた声に驚き見ると、ラグが倒れかけたモリスちゃんを支えていた。
「どうしたんだ!」
ドナが慌てた様子でツェリとこちらへやってくる。でも。
「寝てるだけだ」
ラグが溜息交じりに言って、その小さな身体を軽々抱き上げた。
「きっと疲れちゃったんだね」
言うとセリーンもモリスちゃんを見ながら「そうだな」と言った。
「私たちもあのタレメガネが戻ってくるまで休むとするか。……しかし腹が減ったな」
「そういえば……」
私もお腹を押さえる。
お昼に食べたきり何も口にしていないのだった。と、
「簡単なもんしかないけど、何か食べるか?」
ドナのその言葉に私たちは顔を輝かせた。
「じゃあ上に来てくれよ。――あ、悪い」
そう言いドナは笑顔でラグに両手を差し出した。
「モリスに先に言われちまったけど、アタシ達を守ってくれてありがとな」
「…………」
例によって彼は何も答えずにモリスを彼女に預けた。
「あ、ちょっと待ってろ。薬持ってくる」
彼の全身の傷を見たドナはモリスを抱えながら足早にツリーハウスの方へと向かった。
ドナは彼が“ラグ・エヴァンス”だともう知っているはず。それでも何も変わらない彼女にほっと安堵する。
「傷、本当に大丈夫なの?」
私は彼に訊く。
額に布が無い彼はやはり違和感があった。
まるで別人に話しかけているような、そんな気さえしてくる。
それだけ彼がずっと布を巻いていたということだ。
(それだけ、隠しておきたかったってこと……?)
「術で治せばいいものを」
セリーンがぼそっと言うとラグはぴくりと眉を上げ、彼女を見た。
「もしまたあいつらが来たら、お前らだけでどうにか出来んのかよ」
「…………」
さすがのセリーンも黙ってしまった。
――そうだ。アルさんはもう平気だと言っていたけれど、任務を遂行出来なかった彼らが絶対に戻ってこないとは言い切れない。
もしそうなったら、アルさんが居ない今、ラグしか術士である彼らに対抗出来うる人物はいないのだ。
「さっきのサカードって人、アルさんの知り合いって言ってたけどラグも知ってるの?」
「オレは知らねぇ」
「そう……」
声しかわからなかったけれど、戦うことにならなくて良かったと改めて思う。
あの恐ろしいルルデュールの先生なのだ。更に恐ろしい力を持っているに決まっている。
「あのルルデュールと言ったか、あれも貴様と同じなのか?」
続いてセリーンが訊ねた。
「あ?」
「あの姿でもう20歳過ぎていると言っていただろう」
「そうだ、私もそれ気になってたの。でも術は何度も使えてたし……」
セリーンに便乗して私も訊く。今の彼にあの暗殺者の話をするのは少し気が引けたけれど。
ラグは不機嫌そうに眉を寄せ、それでも答えてくれた。
「あのガキ、オレを見て笑ってやがったからな。同じってことは無ぇだろ。あれがはったりじゃねぇなら、そういう術士なのかもな」
「そういう?」
ラグが私を見る。
「神導術士が短命で、その代わり普通の術士には無い稀な力を持っているってのは知ってるだろ」
頭にライゼちゃんの笑顔が浮かび私は頷く。
「その逆で、人の何倍も長く生きる術士がいるって話だ」
「何倍も?」
驚く。ライゼちゃんのことを知った時はその運命にショックを受けたけれど、これはまた違う驚きだ。
しかしあの少年の子供らしからぬ表情を思い返すと、妙に納得出来た。
「それで実年齢より若く見えるわけか。羨ましい」
セリーンが難しい顔でそんなことを言い、かくんと肩の力が抜ける。
確かに長生きしたいとは思うけれど……。
ラグも呆れたように溜息をつき、そのままツリーハウスを見上げた。
「ところで、例の王子さまとは一体いつになったら話の続きが出来るんだろうな」
私はツェリの方を見る。彼はそこがいつもの定位置なのだろう、大樹の前に大人しく座っていた。
そしてその傍らには彼を護るようにクラヴィスさんが立っている。
「しょうがないよ。ここにいる間はあの姿の方が安全だろうし」
「あ?」
「それより平気だったのかな、あの角。痛くないのかな。戻ったら角があった場所どうなっちゃうんだろうね」
あの紋様が消えたりするのだろうか。
角はまた生えてくるのだろうか。
ツェリを見ながらそんなことを考えていると。
「カノン、何を言っているんだ?」
「え?」
セリーンの声に視線を戻す。二人が同じような表情で私を見下ろしていた。
「誰が今モンスターの話をしてんだ」
「ちょっ、失礼だよ!」
私はツェリとクラヴィスさんの方を横目で見ながら慌てて小声で窘める。
確かに今はモンスターの姿だけれど、一国の王子様である彼本人の前でモンスター呼ばわりは失礼過ぎる。
でも幸い彼らには聞こえていなかったようで、私はほっと胸を撫で下ろしつつ小声で続けた。
「ほら、ツェリの角無くなっちゃったでしょ? 今は平気そうだけど、元に戻った時はどうなんだろうって気になって」
「元に戻った時?」
「元に、とはどういうことだ?」
同時に眉根を寄せた二人に私は戸惑う。
ラグの頭に乗ったブゥまでが私を不思議そうに見下ろしていて。
何かが噛み合っていない。
その理由に気付いたのは、その数秒後だった。
「――あぁっ!」
私の上げた大声に皆の視線が集まる。
(そうだ! ラグとセリーンは、ツェリが王子様だって知らないんだった!!)




