8.主従
ツェリウス殿下――そう呼ばれた金髪の彼は、やはり機嫌悪そうにそっぽを向いている。
そんな彼を片膝をついたまま見上げ、クラヴィスさんは続けた。
「さぁ、私と共に国へ戻りましょう」
「僕は戻らない。決めたんだ。一生ここにいるって」
「皆、貴方様の帰りを待っています」
「……あいつらが待っているのは、僕じゃない」
低い声で答える彼。
表情はわからなかったが、その拳は強く握られていた。しかし、
「デュックス様も、とても心配しておられます」
その言葉に彼の肩がびくりと強張った。
「――そうか」
唐突にアルさんが声を上げた。
「ツェリウス殿下、そんでデュックス……」
二つの名を酷く驚いた様子で繰り返すアルさん。そして。
「クレドヴァロールの二人の王子だ」
(――王子、様!?)
驚き過ぎで声が出なかった。
ツェリが金髪の彼だったことにも驚いたのに、その上彼が王子様!?
この世界で金髪の人は希少な存在で、その大抵が高貴な人だとラグから聞いて知ってはいたけれど……。
「はい。このお方は我がクレドヴァロール王国の第一王子であらせられる、ツェリウス殿下です」
私たちの反応に気付いたクラヴィスさんが微笑を浮かべ誇らしげに教えてくれた。
――改めて私は金髪の彼、ツェリウス王子を見る。
今はドナ達と同じ質素な服を着ているけれど、正装した姿はきっと絵本に登場するような、まさに“王子様”だろう。
その少し偉そうな態度も、王子様だと言うならわかる気がした。
なぜ彼はここにいるのだろう。
ドナは、彼が王子様だと知っているのだろうか……。と、
「はい。これ、もう返すな」
ドナが落ち着いた声で言った。
見ると彼女は首に掛かっていた笛を彼の前に差し出していた。
返すということは、笛は元はツェリウス王子のものだったということだろうか。
だが彼はそれをドナの方へと押しやった。
「これは、ドナにあげたものだ」
「でも、お前にとって大事なもんなんだろ」
「だから! ……だから、ドナに持っていて欲しいんだよ」
泣きそうな声で言って、しかし彼はそこでくるりとドナに背を向けた。
そして、ツェリウス王子は初めてクラヴィスさんをまっすぐに見据えた。
「僕は帰らない。ここで一生ドナ達を守ると決めたんだ」
「そういうわけには参りません。先ほども申しましたが、皆、貴方様の帰りを待っているのです」
子供を諭すような優しい口調で、クラヴィスさんは応える。だが。
「――っ、待っているのは僕じゃない! 僕のこの髪だろう!?」
王子は自分の長い金髪を鷲掴みにして怒鳴る。
「こんな髪が、あるから……」
続けて悔しげに呟いた王子は、先程ドナが落としたナイフを手に取った。
その行動を不思議そうに見つめるドナ。
完全に蚊帳の外な私やアルさんもそんな彼をただ見ていることしかできなかった。
「殿下、何を……!」
唯一慌てて立ち上がり駆け出そうとしたのはクラヴィスさん。だがやはり間に合わなかった。
王子はドナの目の前で束ねた金髪の根元にナイフを入れ、ためらう様子無くざっくりと切り取ってしまった。
クラヴィスさんは絶句したようにその場に立ちつくす。
ツェリウス王子はそんな彼に金髪の束を差し出し言った。
「これを城に持って帰って。僕は……ツェリウスは死んだって伝えてくれよ」
「――お、お前何してんだよ!」
青い顔をしたドナが彼の手からナイフを奪い取る。
だが王子はクラヴィスさんを強く見据えたまま続けた。
「僕が死んだとわかれば喜ぶ者が大勢いるだろ。ほら、持って行けよ」
手に持っていた自分の髪の束を王子はぞんざいに放り投げた。我に返った様子でそれを受け取るクラヴィスさん。
――どういうことだろう。
王子様が亡くなるということは普通国にとって一大事のはず。
(喜ぶ人が大勢いるだなんて)
でももしそれが本当なら、ツェリウス王子が帰りたくないと言う気持ちもわかるけれど……。
手の中の金髪の束を見下ろすクラヴィスさん。その表情はここからではわからない。
そんな彼を見てツェリウス王子はふっと唇の端を上げた。
「そんなものに振り回されて、バカみたいだよな」
口元は笑っているのに、その声は泣いた後のように掠れていて。
それを誤魔化すかの様に王子は強気な口調で続けた。
「でもこれでデュックスが王になれば国も安泰だ。クラヴィス、お前ももう僕に振り回されずに済むぞ。良かったな」
……気になることだらけだったが、ドナでさえ口を出せないこの状況で完全な部外者である私が入っていけるわけがなかった。――そう思った矢先。
「なるほどなー。王位継承のいざこざってとこか」
あっけらかんと言ったのはアルさんだ。私はびっくりしてそんな彼を見る。
「そーいやクレドヴァロールの王サマの容体が芳しくないって聞いたよーな気がしたな」
「そ、そうなんですか?」
お蔭で私もやっと声を出すことが出来たけれど。
――ラグと一緒にいるとその愛想の無さでよくハラハラさせられるが、その先輩であるアルさんも別の意味でハラハラしてしまう。
「あぁ、そうさ」
そう答えたのは意外にもツェリウス王子だった。
「でも僕は王位なんて継ぎたくない。だからこうして身を引いたってのに」
王子はクラヴィスさんを横目で見ながら嘲るような笑みを浮かべた。
「一応“第一王子”なんて言われてるけどさ、僕は国にとって忌むべき存在なんだ」
(忌むべき存在……?)
アルさんも怪訝そうに眉を寄せた。
「殿下!」
クラヴィスさんが制止に入るが、王子はそのまま私たちに向けて続けた。
「僕は国王が正妃を娶る前に踊り子と作った子なのさ」
ドナが驚いたように王子を見上げた。
「なのに、その僕に王の証であるこの金の髪が受け継がれてしまった。それに、この呪いもね」
呪い。
そこだけぴんと来た。おそらくは先ほどのモンスターの姿が、彼の呪われた姿。
「母さんは必死に僕を隠していたけど、結局見つかってしまった。無理やりに引き離されて、僕は第一王子に仕立て上げられた。……古い考えに囚われてる者がいるせいでホントいい迷惑だよね」
軽い調子の言葉の中にも怒りが満ちていて――。
「それで王が病気になったら案の定城の中は真っ二つさ。もー煩くてしょうがなくってさ、だから僕は城を抜け出した。このときばかりはこの呪いが役に立ったよ。このことを知っているのは極限られた者だけだからね」
そして王子はもう一度クラヴィスさんに向かい強い口調で言った。
「折角こうして自由になれたんだ。僕は絶対に帰らない」
――誰も、何も言えなかった。
一番近くにいるドナもショックを隠しきれない様子でただ王子を見つめている。――彼女はどこまで知っていたのだろう。
しばらくの沈黙の後。
「そこまで、お嫌なのですか」
手の中の髪を見つめたままクラヴィスさんが感情を押し殺したような低い声で言った。
「あぁ」
迷うことなくツェリウス王子は即答する。
「あの国も、城も、王も、じいさんたちも大嫌いだ」
「そう、ですか……」
――なんだか、クラヴィスさんが気の毒に思えてきた。
きっと必死に王子を捜してやっとここに辿りつけたというのに。
確かにツェリウス王子の生い立ちも可哀想ではあるけれど……。
「わかったなら、早く」
「ですが、貴方様がここに残れば彼女らを危険な目に合わせることになります」
突然の不穏な言葉に、ツェリウス王子は眉根を寄せた。
「どういうことだ」
クラヴィスさんがゆっくりと顔を上げる。
「殿下が考えているほど、殿下の存在は軽くないということです」
その表情は、先ほどまでの優しい彼のものではなくなっていた。
「デュックス派の者達が暗殺者を放ちました。無論、殿下を確実に亡き者にするためです」
「!」
王子の顔色が変わる。
「殿下だけではありません。おそらくは殿下と関わりを持った者たち全てを消そうとするはず」
はっとした様子で王子は傍らにいるドナを見た。
クラヴィスさんは事務的な口調で続ける。
「私がこうして見つけられたのですから、その者が此処に辿り着くのも時間の問題でしょう。殿下が居る限りこの場は危険だということです」
思わず私は辺りを見回していた。ひょっとしたらもうその暗殺者は此処に辿り着いていてこの闇の中に潜んでいるかもしれないのだ。
ドナも同じことを思ったのだろう。
「あ、アタシ、あいつら見てくる……!」
そう言いツリーハウスのある大樹の方へ駆け出した。
王子はそんなドナを追おうとして踏みとどまり、クラヴィスさんを振り返った。
「ぼ、僕が皆を守るさ。暗殺者なんて、いくらでも追い払ってやる!」
言葉は勇ましかったが、その声音は明らかに動揺していた。
確かにあの変身した姿で応戦すれば不可能ではないかもしれない。
しかし今自警団に狙われているこの状況で、更に暗殺者からも怯えながら暮らさなくてはならないのは精神的にキツい気がした。
特にまだ小さなモリスちゃんやトム君たちが平気でいられるはずがない。
(王子だって、そんなことわかっているはずだよね……?)
だがクラヴィスさんの次の言葉でその強がりも崩れることになる。
「――ただの暗殺者だったなら、殿下お一人でどうにか出来たかもしれません」
眉を寄せた王子にクラヴィスさんは厳しい声音で言った。
「近頃、デュックス派の者がユビルスと連絡を密にしているそうです」
「!!」
ツェリウス王子と、なぜか私の隣にいるアルさんまでもが息を呑んだ。
「あの、ユビルスって?」
私は小声でアルさんに訊く。
「え? あぁ、術士の養成機関」
「え!?」
「クレドヴァロールと同じ大陸にあってな。まぁ、うちほどじゃないが、こっちじゃかなり有名なはずだ」
――ってことは、その暗殺者って術士ってこと……!?
もしその者がラグやアルさんほどの力を持った術士だとしたら、いくら王子でもひとたまりもないだろう。
「ならどうすればいいんだ!!」
王子が叫んだ。
「城に戻ったって、どうせ命を狙われるってことだろう!?」
その声ははっきりと震えていた。
当然だろう。誰だって自分よりも圧倒的に力を持った者から命を狙われていると知ったら怖いに決まっている。
「城に戻りさえすれば、あちらも目立ったことは出来ないはずです」
「そんなの……っ!」
と、そこで王子は急に私たちの方を見た。
「お前ら、そういえば空から降りてきたな。まさか、お前らが」
「え?」
「は?」
私たちは同時に声を上げていた。
「お前らが暗殺者なのか……!?」
王子が警戒の色を露わにして焦る。
「いや、俺達は」
「彼らは違いますよ、殿下」
そう否定したのはなぜかクラヴィスさんだった。彼はアルさんの方を向き微笑みを浮かべた。
「そうですよね。アルディートさん」
「あれ? 俺の名前、言ったっけか」
「貴方は、あのストレッタの術士ですね」
「え」
意表を突かれたアルさんが短く声を上げた。
王子も酷く驚いた顔。
「先ほどの風に乗る術。あの術が扱えるのは術士の中でも数少ないと聞きます。そして、昼間貴方方と同行していた青い瞳の彼、聞き間違えでなければ貴方はラグと呼んでいた」
アルさんの表情から「ヤベ」という心の声が聞こえた気がした。
「そして彼は“街を消す”そう言いました」
穏やかだか確信に満ちた声音でクラヴィスさんは続けた。
「彼はあのラグ・エヴァンスではないですか? そして、アルと呼ばれている貴方は、彼を育て上げたと言われるアルディート・デイヴィス教師。……そうですね?」
ラグの名が有名であることは知っていたけれど、初めて聞くアルさんのフルネームも同じように知られていたことに驚き、私は傍らの彼を見上げた。
彼は参ったなという顔でその額を掻き、
「あー、コレまたあいつに怒られちまうな」
私を横目で見下ろし、そう苦笑した。
「――そして、」
その声に視線を戻しギクリとする。クラヴィスさんがなぜか私の方を見つめていた。
「貴女は先ほどセイレーンだと言っていましたが」
マズイ……!
そういえば先ほどドナとの会話の中で大声でセイレーンだと公言してしまった。
「え、えっと、私は」
アルさんがストレッタの術士だとわかってしまった今、私が銀のセイレーンだということは絶対にバレてはいけない。
「あぁ、この子はストレッタとは無関係だぜ」
アルさんが私の肩にポンと手を乗せ、助け舟を出してくれた。
「ただ捜してる奴が偶然同じだったんで、今は一緒に行動してるけどな。それにセイレーンっつっても、残念ながらストレッタに入れるレベルじゃあ無いしな」
「そ、そうなんです。本当に恥ずかしいくらい下手で……」
「そうですか……。いえ、ただ殿下を捜している間に良からぬ噂を耳にしまして」
顔が引きつりそうになるのを必死にこらえる。――ま、まさか。
「あの銀のセイレーンがランフォルセに現れたそうですよ」
「――ぎ、銀のセイレーンがですか!?」
私は思わず大声を出していた。
「本当なら大変じゃないですか!」
「ホントだな。それマジな話なのか?」
アルさんも私の猿芝居に乗ってくれた。
「あくまで噂ですから、私にも真偽はわかりません」
「そうですよね……。ただの噂だといいなぁ」
わざと怯えるように顔を伏せる。――今、酷い顔をしている自覚があった。と、
「そうですね。私もそう信じたいです」
そう言いクラヴィスさんの視線がようやく私から外れた。
私が内心激しくホッとしていると彼は再びアルさんに顔を向けた。
「アルディートさん。貴方を世界有数の術士と見込んでお願いします。私達が城に戻るまでの間、ツェリウス殿下を護衛していただけませんか?」
「ちょっと待てよ!」
アルさんが返事をするより早く王子が声を上げた。
「僕はまだ帰るなんて言ってないぞ!」
……失礼だけれど、もはや意地を張っているようにしか見えなかった。
彼の気持ちもわかる。
城に戻れば彼の決意が全部無意味になってしまう。
それに此処には――。
「帰れよ!!」
突然、鋭い怒声が頭上から降って来た。
振り仰ぐとツリーハウスの窓からドナが顔をのぞかせていた。
驚く王子に向かって彼女は言う。
「その人はお前を迎えに来てくれたんだろ? いい加減子供みたいに駄々こねるのやめろよ!」
「ぼ、僕は」
「それに王様が病気だって? お前にとっては親父だろ? アタシはな、親不孝もんが大っ嫌いなんだよ!!」
「ドナ……」
王子の声が急に情けないものに変わった。
大嫌いと言われたことが余程ショックだったのだろう。
しかしドナの厳しい言葉はそれで終わらなかった。
皆が見守る中、ドナは一呼吸置き王子に告げる。
「これ以上お前がいると迷惑なんだ」
「――っ!」
はっきりとした拒絶の言葉に、王子は今度こそ言葉を失った。
「アタシはともかく、モリス達をもう恐がらせないでやってくれよ」
それは哀願に近かった。
王子はゆっくりと視線を落とし、力なく俯いてしまった。
「殿下」
そんな王子にクラヴィスさんは優しく声を掛ける。
「帰りましょう。それが彼女を守ることにもなります」
王子は何も答えない。
クラヴィスさんは続けてアルさんの方を見た。
「アルディートさん。先ほどのお話、引き受けてくださいますか?」
「え? あ~……」
アルさんが困ったように唸る。
「いや、なんつーか、俺の意思はともかくアイツは絶対に断るよな」
同意を求められ私は小さく頷く。
「はい、多分……」
彼のすこぶる嫌そうな顔がありありと頭に浮かんだ。
「あ、でもカノンちゃんが頼めば聞いてくれっかな」
「そ、そんな、私が頼んだって」
――また余計なことに首を突っ込みやがって!
そう怒鳴られるに決まっている。
例え行き先は同じでも、彼にとって呪いを解くこと以外、全て「余計なこと」なのだと思うから。
しかしそこで思い出す。
「あ! でもラグ、あの時王子に言われた呪いのことすごく気にしてて、もしかしたらそれを教えるって言えば――」
ひょっとしたら、引き受けてくれるかもしれない……!