3.オレンジ色の少女
そのまま足早に街を出たラグ。
引っ張られている私はずっと駆け足でなければならず、山道に入った頃には完全に息が上がっていた。額からとめどなく汗が流れ落ちてくる。
強く掴まれている腕は痛みを通り越しすでに痺れ始めていた。
あれから一度も振り返らず、一度も口を開いてくれないラグの背中を私はずっと見つめ続けていた。
――街を消す。彼の口から出た恐ろしい言葉。
彼は昔実際にひとつの街を一瞬で滅ぼしたという。そしてそのことが彼を“悪魔の仔”として有名にした。
でもこの一ヶ月一緒にいて、彼をそんな恐ろしい人だと思ったことは一度も無かった。
確かに怖いと思ったことは何度もある。
(でも、違う)
彼は簡単にそんなことが出来るような人ではない。……そう、思いたかった。
「ラグ」
勇気を出して小さく呼んでみるがやはり返事は無い。これまでも何度か声をかけているのだが、完全に無視されていた。
「ラグってば」
「…………」
「腕、痛いよ!」
流石にキツくなって声を荒げるとピタとその足が止まった。振り返った彼が私を見て、その視線が腕に移動する。そこでやっと気付いたように彼はぱっと手を離してくれた。
「……悪ぃ」
謝ってくれたことに少し驚きつつ私は腕を摩りながら首を横に振る。
だが再び、それでも先ほどよりは速度を落として進み始めた彼に私は言う。
「ねぇ、さっきの……嘘、だよね?」
「何がだ」
「何が、って……」
こちらを見ずに言われて言葉に詰まってしまった。しかし、
「ああでも言わないと、あいつら絶対について来るだろうが」
そう、いつもの調子で答えてくれた。
(ってことは、本気じゃなかったってこと、だよね?)
――良かった。私は心底ほっとした。
額の汗を拭って小走りで彼の横に並ぶ。道幅はかなり狭まっていたが、二人並んで歩くにはまだ少し余裕があった。
「なんでついて来て欲しくなかったの? アルさん凄いショック受けてたよ、さっき」
出会ったばかりのクラヴィスさんと解呪を阻止すると常に言っているセリーンは解る。だがなぜ力になってくれそうなアルさんまで止めたのだろうか。
「……めんどくせぇ」
「え?」
そう言ったきり、彼はそれ以上続けようとはしなかった。
理由を言うのが面倒なのか、それともアルさんが面倒という意味なのか私には解りかね、仕方なく話題を変えることにした。
「本当にエルネストさんなのかな」
「さぁな」
「さぁなって……」
「あの野郎が菓子泥棒如きに捕まるようなタマか?」
「……で、でも、じゃあなんでそんなに急いでるの?」
「金髪なのは確かなようだからな。別人だったとしても何か情報が手に入る可能性は高い。まぁ、本人に越したことはねぇが」
「金髪ってだけで?」
どうも解らなくて私は訊く。するとラグも同じような顔で私を見てきた。
「何言ってんだ、金髪なんてそうは……あぁ、お前の世界じゃ珍しくねぇってことか」
ラグのその言い方に私は驚く。
「え、金髪ってそんなに珍しいの?」
「この世界じゃ金髪の人間は希少でその大抵が高貴な存在だ。国によっては金髪ってだけで王になれたりする」
「王に!? ……そっか、だからあんなに噂になってたんだ」
あの雑貨屋の主人も、どこかの貴族のおぼっちゃんかもしれないと言っていた。クラヴィスさんもその人物に興味があると言っていたではないか。
「ん? ってことは、エルネストさんって高貴な人かもしれないってこと!? それこそ王様とか!」
「さぁな。俺の知る限りじゃそんな名前の王はいねぇが」
ラグがさも嫌そうに言う。逆に私は妙に興奮していた。
(だってエルネストさんが王様!? なんてぴったりなんだろう!)
王冠を頭に乗せた彼がすぐに脳裏に浮かび、その彼がにっこりと微笑んでくれた。
危うく顔が緩みそうになったが、すぐにいけないと我に返る。
「でも、もし本当にそうだったらきっとその国じゃ物凄い騒ぎになってるはずだよね」
「普通はな。隠してる可能性もある」
「そっかぁ……」
結局、謎な人には変わりないということだ。
ラグの言うとおりこれから行く先に本人が居ることを願うしかない。――と、そこで私は気付く。
「あれ? ちょっと待って、ここって」
山の中はどこも同じような風景だったが、この場所には確かに覚えがあった。ここは、つい数時間前に例のモンスターに遭遇した場所ではないか。
「あのオヤジの話と、モンスターの出た場所とを考えるに、おそらく賊の根城はあのデカ蛇がいる辺りだ」
「えぇ!? じゃあ、ビアンカもしかしたら」
「見つかってる可能性は高いな」
私は青くなってすぐに駆け出した。が、またもラグに腕を掴まれ危うく後ろに転んでしまうところだった。
ラグは今度はすぐに手を離してくれ、呆れたふうに言う。
「お前が急いだってどうにもならねぇよ」
「でも、あのモンスターに襲われでもしたら!」
ラグが苦戦したジャガーに似たモンスター。あんなのに襲われたら身体の大きなビアンカだってただでは済まないだろう。
「あのデカ蛇に普通のモンスターは近寄れねぇ。あれはそういう存在だ」
これから向かう先を見上げながらラグが言う。
そういえばライゼちゃんもそんなようなことを言っていた気がする。
「でも、」
「まぁ、身の危険を感じて勝手に飛んで帰ってる可能性はあるが」
「ビアンカはそんなことしないよ!」
私はそう強く言って再び駆け出した。――ビアンカがそんな無責任なことをするとは思えない。なんにしても彼女の無事な姿を見ないことには安心出来なかった。
ラグは今度は止めなかったがすぐに私を追い抜き、私がどうにかついて行ける速度で山道を登り始めた。
「ビアンカ!!」
私が呼ぶと、彼女はゆっくりと頭をもたげこちらを見た。どっと安堵感が押し寄せる。
「良かった、無事だったんだね!」
そのままの勢いで駆け寄りその首と思われる部分を強く抱きしめる。勿論腕は回らなかったが。
すると彼女の赤い瞳がすっと細まった。ひょっとして微笑んでくれたのだろうか。嬉しくなって私はもう一度その硬く冷たい皮膚を抱きしめた。
「あのねビアンカ、悪いんだけど、どこか別の場所に移動してもらっていい? ここ危ない場所だったんだ」
「いや、その必要はねぇ」
「え?」
ラグのその声に振り返ろうとしたときだ。
「それはお前らのモノか」
その声と共に誰もいないはずの方向からガサリと茂みを踏みしめる音が聞こえ心臓が飛び上がった。
急いでそちらを向くと、そこには私と同い年くらいの女の子が立っていた。
オレンジに近い明るい髪を二つに結い、街の人達と同じ南国風の涼しげな格好をした彼女を見て、私は緊張を解いた。
一瞬例の賊かと思ったのだが違うようだ。
ただこちらを強く警戒しているのがわかって焦る。それはそうだ。こんなに大きなモンスターと一緒にいる私たちを警戒しない方がおかしい。
「ごめんなさい! びっくりさせてしまって。彼女見た目怖いけど全然怖くないんだ」
ビアンカの首筋を撫でながら笑顔で言うと、その子は片眉を上げ私とラグとを交互に見つめた。私は更に続ける。
「えっと、この辺誰もいないと思ってて……、す、すぐに移動するから!」
「――なんだ、アタシ達を捕まえに来たんじゃないのか」
「え?」
と、丁度そのとき彼女が首から提げているものに目が留まった。それはオカリナに似た“楽器”に見えた。
「違う、お前達に訊きたいことがあって来た」
ラグが不躾に言う。
(お前“達”って……)
彼女の他に人は見当たらない。だが、今彼女も“アタシ達”という言い方をした。ということは――。
案の定彼女は警戒を強めた様子でラグを睨んだ。
「訊きたいこと?」
「あぁ」
「……そんなことを言って、やっぱりアタシ達を捕まえに来たんだろう!」
拳を強く握りそう怒鳴ると、彼女は胸の辺りに掛かっていたその楽器のようなものを素早く手にしその突起を口に含んだ。
ピイィィー!
その楽器から高く澄んだ音が辺りに響き渡る。その音には聞き覚えがあった。
(あの時聞こえた笛の音……!!)
「ラグ、この子!」
「あぁ。賊の一人だろ」
平然と言うラグ。彼は最初からわかっていたようだ。
「で、でも、こんな子が!?」
てっきりあの偽ラグの一味のような荒っぽい、いかにも野党な連中を想像していた私は思わずそう口に出してしまっていた。
すると彼女は楽器を口から離しきっと私を睨み見た。
「こんなって何だ! バカにしてんのか!?」
憤慨したように怒鳴った彼女に私は慌てる。
「ち、違うの! バカになんて」
「それにな、アタシらは賊なんかじゃない!」
続けてそう言い放った彼女に私はえっと声を上げる。――どういうことだろう。
戸惑いながらラグを見ると、彼は彼女に冷たく言った。
「菓子泥棒だろ?」
「……っ!」
途端、彼女はぐっと押し黙り悔しげに唇を噛んだ。しかし今度は否定しない。
(賊じゃないけど、お菓子を盗んだことは事実ってこと?)
顔を真っ赤にしてラグを睨み見ている彼女は、やはり悪い子には見えなかった。
私はきっとまたどこからか現れるだろうモンスターにビクビクしながらも言う。
「あのね、私たち本当に貴方達をどうにかしようと思って来たわけじゃないの。私たち金髪の男の人を捜してて」
「金髪?」
私のその言葉に彼女が反応した。その表情が怒りから驚きに変わったのを見ながら私は続ける。
「貴方達のところに金髪の男の人がいるって聞いて、だから確かめに来ただけなの!」
「もしかしてお前ら――」
そう彼女が何か言いかけた時だ。彼女の後ろから突如大きな影が飛び出した。
彼女を護るように前に立ちはだかったそれは、あの時のモンスターに間違いなかった。
「なんで、普通のモンスターは近寄れないんじゃないの!?」
私は思わずもう一度ビアンカに抱きつき叫んでいた。
ビアンカは特に動じることもなく静かにモンスターを見下ろしていたが、モンスターの方は自分よりも大きなビアンカにたじろぐどころか今にも飛びかかって来そうな体勢で喉を鳴らしこちらを威嚇している。
「こいつが普通じゃねぇってことだろ」
ラグが舌打ちしながら腰からナイフを抜く。ということはまたしても術を使う気はないということだ。
(セリーンはいないのに)
そんな疑問が頭を過った時だ。
「カノン、歌え!」
「えぇ!?」
まさか指名されるとは思っていなかった私は思わず確認するように自分を指差していた。
「こいつらを眠らせろ!」
「で、でも」
自信はあった。歌うのはフィエール相手に子守唄を歌った時以来となるが、ハミングでも今目の前にいるモンスターよりも身体の大きなアレキサンダーが足をもつれさせたのだ。
しかし金髪の男の人のことを訊くのではないのだろうか。
それにお菓子泥棒と言えど人前だ。まずいのではないだろうか。案の定彼女はこちらの会話を聞き目を見開いている。
「早くしろ!」
ラグの苛ついたような怒鳴り声に応えるようにモンスターが鋭い咆哮を上げた。私が慌てて息を吸った、そのときだ。
「ツェリ、ちょっと待って!」
上がったその声に私は歌声と共に吐き出そうとしていた息を止めた。
同時にモンスターも威嚇の体勢を止め不思議そうに彼女を見上げた。――ツェリとはモンスターの名前だろうか。
彼女は私を見ながらゆっくりとモンスターの前に出た。その表情に先ほどまでの硬さは無い。
なぜか私の方に近寄ってくる彼女にごくりと喉が鳴る。無意識のうちにビアンカのうろこを強く掴んでいると、まだナイフを手にしたラグが前に出てくれた。
「話を聞く気になったのか?」
「今お前“歌”って言ったな」
ラグが言葉に詰まったのがわかった。
「……だったらなんだ」
すると、彼女はラグではなく私の方を見てはっきりと言った。
「お前、もしかしてセイレーンなのか?」
焦る。
銀のセイレーンだということがばれてはまずいことは私にもわかっている。
でも彼女は今銀のセイレーンではなく、「セイレーン」と言った。
セイレーン――歌を使うという術士。
現在では“銀のセイレーン”の伝説のせいでほとんど居ないようなものだと以前ラグが言っていた。歌が不吉とされたこの世界で歌を使う術士が普通に暮らしていけるわけがないと。
それなのに、私を見る彼女の目は恐れや嫌悪では無く、なぜか期待に満ちているように見えた。
「そうなんだろ? だってさっきこいつ“眠らせろ”って、歌でアタシ達を眠らせろって言ったもんな!」
「え、えっと」
完全に聞こえていたらしくラグを指差しながら彼女は言う。
私が答えに窮しているとラグが苛ついた声を上げた。
「答えるのはこっちの質問に答えてからだ」
「なんだ?」
途端ぱっと視線を移した彼女に驚いたのかラグは一拍置いてから続けた。
「お前らのところに金髪の男がいるだろう。そいつに会わせろ。話がしたい」
「あぁ……やっぱり、そうか」
彼女は視線を落とし胸元の笛をぎゅっと握った。――その表情はなんだかとても悲しげだ。
それから彼女は自分の中で何かを決心したように再びしっかりと顔を上げた。
「わかった。……でもその前に」
彼女の視線が私の方に戻ってくる。
「お前がホントにセイレーンなら、頼みがあるんだ」
「頼み?」
私が繰り返すと彼女は神妙な顔で頷いた。
「歌って欲しいんだ。子守唄を」
私は目を見開く。
「“眠らせろ”って、子守唄のことなんだろ?」
「……子守唄を、知っているの?」
声が震えてしまった。
すると彼女は初めて笑顔を見せてくれた。
「やっぱり、お前もセイレーンなんだな」
「お前も?」
驚いたように声を上げたのはラグだ。すると彼女は嬉しそうに続けた。
「あぁ。うちのばあちゃんがセイレーンだったんだ」
「あなたのおばあちゃんが!?」
私はそれまでずっと触れていたビアンカから手を離した。
「アタシのっていうか、血は繋がってないけどな。アタシたち皆のばあちゃんなんだ」
余程そのおばあちゃんが好きなのだろう、そう話す彼女の顔はとても誇らしげに見えた。
――自分がおばあちゃん子だからだろうか、やはり悪い子ではないと思った。
私はラグの前に出てまっすぐ彼女に向き合った。
「おい」
「おばあちゃんに、会えるかな?」
ラグの声を遮って私は彼女に訊く。セイレーンだというその人と話がしたいと思った。
でも、急に彼女の顔が悲しげに歪んだ。
「死んだ。ひと月前に」
「! ……そうだったんだ。ごめんなさい」
慌てて謝ると彼女は静かに首を横に振り、もう一度私を見た。
「歌ってくれるか? 仲間で、ここ最近ずっと眠れてない奴がいるんだ」
「眠れてない?」
「あぁ。5歳の女の子なんだけどな」
「5歳?」
驚いた。仲間というからてっきり彼女よりもずっと年上の人なのかと思ったのだ。
「ずっと眠れてないって、どのくらい?」
「もう一週間になる。……自警団の奴らが来てからだからな」
声に低く怒気が含まれた。と、後ろから呆れたようなため息が聞こえてきた。
「お前らがガキの集団っては本当らしいな」
「ガキって言うな! アタシはもう大人だ」
彼女が憤慨したように怒鳴る。
――ラグは、彼女達が子どもだけの集団であるとあの自警団の人から聞いていたのだろうか。
そんな彼女たちを護っているというモンスターは、今もすぐ後ろで心配そうに彼女を見上げている。
ラグが面倒そうに続けた。
「んなこたどうだっていい。さっさとお前らの根城に案内しろ。そのガキ眠らせりゃいいんだろ」
「! 歌ってくれるのか?」
彼女が再び私に期待の眼差しを向ける。――答えは決まっている。
「うん。精一杯歌うよ!」
「ありがとう! アタシはドナ。お前は?」
「私は華音。よろしくね!」
笑顔で言うと、彼女――ドナもとびきりの笑顔を返してくれた。




