1.北の地(♪)
「ふぇ……っくしょぃ!」
震えと共に全身に鳥肌が立つ。
厚着をしているとは言え、思わず両腕で自分の身を抱き締めていた。
「大丈夫か? カノン」
後ろからの気遣わしげな声に私は苦笑しながら振り返る。
「うん、どうにか。セリーンは?」
「私は鍛えているからな、平気だ」
そう言うセリーンも流石にいつもの露出度の高い格好ではなく、私と同じく先日立ち寄った街で購入した防寒服を着こんでいる。
――フェルクレールトを発ってから5日。
今、目の前には白い世界が広がっていた。
空一面を覆う厚い雪雲の下、真っ白な布を掛けられたような山々。
その間を縫うようにして私たちを乗せたビアンカが悠々と飛んでいく。
どこまでも続くその白い風景はまさに絶景だったが、想像以上の寒さに景色を楽しんでいる余裕なんてなかった。
おそらくそろそろ目的地に到着するはず……いや、一刻も早く到着して欲しかった。と。
「おい、そろそろエレヴァートだろう」
急に、セリーンがそんな大きな声を上げた。その視線は私の前にいるラグに向けられていた。
“エレヴァート”とはストレッタのある国の名。
ランフォルセに比べるととても小さな国で、しかしストレッタの名のお蔭で今このレヴールで一番の権力を持った国。
この山脈を抜けた先がそのエレヴァートらしいのだけれど……。
セリーンが更に声を張り上げる。
「ストレッタの前にどこか街に降りてゆっくり休まないか」
その意見に私はうんうんと大きく頷いた。大賛成だ。
問題のストレッタに行く前に、今はとにかく早く暖かい場所で休みたかった。
出来る限り早く進みたいというラグの意向により、この5日間寝るとき以外はほとんど空の上。
それも、ちゃんとした宿のベッドで寝られたのは一度だけでその他の日は野宿。
地上に降りるときはビアンカの隠れられる場所が必要になるため、そのそばにある街というとどうしても限られてしまい、食事もその宿に泊まった一度以外満足には取れていなかった。
それでも最初の3日はまだ良かったのだ。辛かったのは昨日の夜。この山脈から吹き下りてくる風のせいで防寒服を着ていたとは言え眠りに入るまでしばらくの間震えが止まらなかった。
お蔭で今日朝起きてからなんとなく身体の調子が悪い。くしゃみもさっきので何度目だろうか。
ラグはやはりこの寒さに慣れているのか、街で購入した防寒服も私達に比べ大分薄いもので、どんなに冷たい風が吹いても顔色一つ変えていなかった。
と、なかなか返ってこない答えに痺れを切らしたのか、大分苛ついたような低い声でセリーンは続けた。
「おい、聞いているのか? 貴様は慣れているかもしれんが、このままでは」
「お前達はノーヴァで待機していてもらう」
「……ノーヴァ、だと?」
その声にはっきりと怒気がこもる。
「私たちはエレヴァートには入らないということか」
「そういうことだ」
「え、どういうこと?」
「……ノーヴァは国境の町」
話についていけない私にセリーンが低いトーンのまま説明してくれた。
「ランフォルセとエレヴァートを分かつこの広大なソレネィユ山脈にあり、どちらの国にも属さない独立した町。それがノーヴァだ」
「えっと……じゃあ、ラグだけエレヴァートに入って、私たちはそこで待ってろってこと?」
「そうだ」
「聞いていないぞ」
「言ってないからな。つーか誰が一緒に行くなんて言った。なんのために戻ってきたと思ってんだ。銀のセイレーンはオレが始末したって報告しに行くのに、お前達がいたんじゃめちゃくちゃ怪しまれるじゃねーか」
――そう。ここ数日色々と考え、銀のセイレーンはラグが始末したことにするのが一番都合良いということになった。
そうすればラグもストレッタでの立場が悪くならないし、ランフォルセの疑いもおそらくは晴れる。
何より銀のセイレーンがいなくなったことにすれば、私もこれ以上追われずに済むのだ。
「何もストレッタまでついて行くとは言っていない」
「エレヴァートは小さな国だ。めんどくせぇことにオレは大抵の場所で顔が知れちまってんだよ。オレがいなきゃお前らはエレヴァートに入れない。だからノーヴァで待機してろって言ってんだ。休みたいんだろ。そこで思う存分ゆっくり休んでりゃいいじゃねーか」
そっけないその言い方に背後の空気が更に不穏なものになった。
セリーンはまだ踏み入れたことのないエレヴァートの地を楽しみにしていたのだ。――主に食べ物を。
エレヴァートへの入国審査は厳しいらしく、誰でもが簡単に入れるわけでないらしい。
(ラグはひょっとして顔パスなのかな)
でも、私は少しほっとしていた。これまで聞いた話でストレッタにはどうしても怖いイメージがあったし、何よりゆっくり休めると聞いて心底嬉しかった。
私は二人が更なる言い合いを始める前にと会話に入る。
「でも、ゆっくりってどのくらいで戻ってこられるの? ビアンカで行くの?」
「や、下手にこいつで近づくと誰に見られるかわからねぇからな、歩いていく。5日もありゃ戻れるだろう」
(ってことは5日間ゆっくり出来るんだ! 思う存分ゆっくりし――)
「ふぇ、くしょぃっ!」
気が緩んだせいかまた大きなくしゃみが出てしまった。と、呆れたようなラグの声が返ってくる。
「お前のくしゃみ、オヤジ臭ぇな」
「しょ、しょうがないじゃん! 出ちゃうんだもん!!」
かーっと顔が熱くなる。
そう言われたのは確かに初めてではなかった。
でもこればっかりはしょうがない。可愛いくしゃみには憧れるけれど、変えようとしてすぐに変えられるものでもない。おそらくは物心付いたときから私はこのくしゃみなのだから。
「本当にデリカシーの無い男だ。気にすることは無いぞ、カノン。案外そいつのくしゃみはとてつもなく可愛らしいものかもしれんぞ」
「アホか」
と、ラグが足元を見下ろしながら続けた。
「……そろそろだな。おい、もう少し行くと町が見えてくるはずだ。その近くに降りてくれ」
ビアンカに話しかけるラグ。これまでも地上に降りる際は一番頭部に近いラグが彼女に声を掛けていた。
ビアンカはライゼちゃんの言う通りこちらの言うことをちゃんと理解してくれていた。
ちなみに彼女はこれまで何も口にしていなかった。必要ないとライゼちゃんに言われてはいたけれど、元々あまり食事を摂らないのか、それとも私たちの気付かないうちに何かを食べているのか、私たちにはわからなかった。
彼女もここ数日ずっと飛びっぱなしで、きっと相当に疲れているに違いない。
「ビアンカ、もう少し頑張って」
背中を撫でながら言った、次の瞬間。
身体がふわり宙に浮いた。
「へ?」
私の小さな疑問の声と二人の焦ったような声とが重なる。
視界がずれ、その浮遊感はすぐに落下感へと変わる。
そのとき腰を強く押さえつけられ、セリーンが私の背中に覆いかぶさってきた。
「大丈夫か!?」
耳の奥が痛い。顔面を襲ってくる凄まじい風のせいで目を開けていられない。
何が起きたのか、いや起きているのか状況が全くわからなかった。
「――なっ、なに、が」
「わからない、ビアンカがいきなり急降下を始めた。とにかくしっかり掴まっているんだ!」
耳元で聞こえたセリーンの大声に、私は無我夢中でビアンカの身体にしがみついた。
「くっ、このまま地面に激突する気か!?」
「カノン、歌え!!」
そのとき聞こえてきたまさかの命令に私は有らん限りの大声で答える。
「無理ーーーー!!」
「くそ! ――すまない、少し力を貸してくれ」
この場に似合わない優しげな声音が強風と共に耳に届く。
「風を此処に……!!」
途端、再び胃が持ち上げられるような浮遊感が全身を襲った。
ラグの術で落下が止まったのだとわかり恐る恐る目を開ければすでに目の前に雪を被った木々が迫っていて、着地の衝撃に備え私はまた強くビアンカに抱きつきぎゅっと目を瞑った。
木々をなぎ倒していく派手な音の後、思ったよりも静かにビアンカは地上に着地した。
一拍置いて、3人の安堵の溜息が重なる。
まだドキドキと心臓が煩い。手足が震えて、すぐには起き上がれそうになかった。
着地の時の衝撃が少なかったのは、一面に広がる積雪のためとわかった。
直前まで足跡一つなかっただろうその真っ白な雪面の上にビアンカによって倒された木々の枝が無残に散らばっている。
背中のぬくもりがすっと消えて、セリーンが離れたのがわかった。――あのとき彼女が身体を押さえてくれていなかったら、私は確実にひとり空中に投げ出されていただろう。
お礼を言おうとそのままの体勢で振り返ったが、それよりも早く前方から高い悲鳴が上がった。
「重いわアホ! 圧し掛かるんじゃねーー!!」
「怖かっただろう、もう安心だからな!」
見ると、小さなラグの体の上につい今し方私にしていたようにセリーンが覆いかぶさっていた。
思いっきりバタつく小さな足がここから見え、私はいつものようにひとりこっそり苦笑しつつ、そういえばポケットの中で寝ているはずのブゥは潰れていないだろうかと少し心配になった。と、
「カノン! お前が歌っていれば術を使わないで済んだんだ!」
私も怒鳴られてしまった。
顔は見えないけれど、きっと真っ赤になって怒っているのだろう。
「でも、あの状況じゃ」
「どんなときにでも使えるようにしておけ! わかったな!!」
「いや、カノン。無理して歌わなくていいんだぞ。その方がこの子に会えるしな♪」
「てめぇは黙ってろ!」
「しかし、一体どうしたというのだビアンカは」
「知らねぇよ! いいからとっとと離れろー!」
「いやだ」
そうきっぱりと告げながらセリーンはひょいとラグの身体を抱き上げ、ビアンカから飛び降りた。そのまま暴れるラグを後ろからしっかり抱きしめ雪の上を難なく進んでいく。
そしてビアンカの目元まで行き足を止めた。
「ビアンカ。おい、大丈夫なのか? ……うーん、やはり意識が無いようだな。気を失っているのか? まさか、死んだわけではあるまいな」
「うそ……!」
私も流石に焦ってずるずるとビアンカの身体を伝うようにして雪の上に降り立った。
こんなに積もった雪の上を歩くのは中学で行ったスキー教室以来で、こんな状況でなければはしゃいでいたかもしれないが、今はビアンカが心配だ。
ライゼちゃんから預かった、フェルクレールトにとって神聖な存在であるビアンカ。そんな彼女に何かあったら大ごとだ。
私は雪に足を取られながらも急いでセリーンの隣へ並んだ。
ビアンカはしっかりと目を瞑り、声を掛けても、ラグがどんなに騒いでも、やはりぴくりとも動かない。
「息は一応しているみたいだな」
顏の正面に回り込んだセリーンが、ラグを抱えていない方の手をビアンカの鼻の前に差し出していた。
「じゃあ、眠ってるってこと? ……あ。」
そのときふいに頭に浮かんだ言葉があった。
「もしかして、冬眠?」
「冬眠だぁ!?」
ラグが甲高い声を上げた。
「や、わかんないけど……ほら、蛇って確か寒いと冬眠しちゃうし。ビアンカは蛇じゃないけど、似てるしさ」
「あの神導術士はそんなこと一言も」
「――そうか。ビアンカはこれまでこんな寒い地に来たことはなかったはずだ。ビアンカ自身もきっと知らなかったのはないか? だとしたらライゼ達も知らなくて当然だ」
「そうそう! そうだよきっと!」
セリーンの冷静な言葉に私は何度も相槌を打つ。
まだ冬眠と決まったわけではないが、そうである可能性が高くなり少しほっとする。
「でもこのままじゃまずいよね。いつ起きるんだろ。暖かくなるのを待ってるわけにもいかないし……ライゼちゃん絶対心配するよね」
「そうだな、それに私たちもこれからどうする。お前はここがどのあたりかわかるか?」
セリーンは抱きかかえたラグに緩みまくった顔を近づけ訊いた。
「やーめーろ!! ったく、さっき落ちている最中、町が見えた気がした。多分、少し下りて行けばノーヴァへの街道に出るはずだ」
「そうか。では一度町へ入りビアンカのことを考えるとしよう。やはりこう寒いと頭が回らん。それに腹が満たされれば良い案も浮かぶはずだ」
「結局飯かよ」
「ははっ、ふぇ……っくしょぃ!」
またもくしゃみをした私を見て、セリーンが眉を顰める。
「カノンもこのままでは本当に風邪をひいてしまうぞ。とにかく町へ向かうとしよう」
「わかったから、いい加減降ろしやがれ!!」
「いやだ」
ノーヴァに着いたのは、それから一時間ほど後のことだった。
その町は、まるで城壁のような厚い壁に四方を囲まれていた。
セリーン曰く、今はどちらの国にも属さない独立した町として確立しているノーヴァだが、昔はそのときの戦況によってその都度エレヴァートとランフォルセどちらかの占領下におかれるというなんとも酷い歴史を辿ってきたらしい。
この壁はそんな歴史から解放されるため、昔のノーヴァ人が築きあげたもの。
二国が平和条約を結んで久しい今では、両国を行き来する旅人の絶好の中継点として栄えているのだそうだ。
今雪にこんもりと埋もれたその壁を見ても当時の物々しさは全く感じられなくて、寧ろ、
(ちょっと可愛いかも)
そんなことを思いつつ入り口の門を抜けると、道なりに同じく雪に埋もれた白い家々が立ち並んでいた。
暖炉があるのかそのほとんどの家から煙が立ち昇り、更にそろそろお昼時なこともあって良い香りがあちこちから漂ってきて、からっぽの胃がこれでもかと刺激された。
人通りはまばらで、雪のせいもあってかひっそりとした町という印象を受けた。
「また降り出してきたな」
そんなセリーンの声に天を仰ぐと、丁度ひとつ雪が舞い降りてきて私の頬の上で溶けていった。
――あ、マズイ。そう思った時にはすでに遅く、
「はっくしょぃ!」
またしても盛大にくしゃみが出てしまった。
「カノン、本当に平気か?」
心配そうに声を掛けてくれるセリーン。その腕にはまだしっかりと小さなラグを抱きしめている。
抵抗するのに疲れたのか、ラグは先ほどからピクリとも動かずに下を向いていた。
きっとそろそろ元の身体に戻るはずだ。おそらくその時を大人しく待つことにしたのだろう。
「う、うん。でも早く家の中に入りたいなぁって。ラグも急に大きくなったらまずいし」
「そうだな。早速宿をとることにしよう。食堂も一緒のところがいいが、どこか近くで……」
そう言いながらあたりを見回すセリーン。
視線が外れたところで私は震えが止まらない自分の体を抱きしめた。
身体が本格的におかしかった。とても寒いのに、体の芯がとても熱い。
(やだなぁ、もしかして熱出てきた……?)
町に入って途端に気が緩んでしまったのかもしれない。
私は背筋を伸ばしもう一度気を引き締めた。
あと少しの辛抱だ。もう少し頑張ればゆっくり休めるのだから。
私は前を進むセリーンの背中を見ながら小刻みに震える足を叱咤した。と。
「やぁ、お嬢さん方。ノーヴァは初めて?」
そんな明るい声に視線を移すと、笑顔でこちらに近寄ってくる男の人がいた。
メガネを掛けたその人が私達の前で立ち止まると、ゲっという小さな呻き声が聞こえた。
「ん、どうした? 急におかしな声を出して」
セリーンは足を止めることなく、その人を完全に無視するかたちでラグを見下ろした。
これまで黙りこくっていたラグが少しでも反応したことが嬉しいのだろう。
残った私は慌てて男の人の質問に答える。
「あ、はい。今宿を探してて」
するとその人は満足げに、にっと笑った。
セリーンと同じ歳くらいだろうか。素敵なオトナの男性という感じなのに、その笑顔はまるで子供のように無邪気で、思わずこちらも釣られて笑顔になってしまっていた。
その端正な顔には昔に負ったものなのだろう痛々しい大きな切り傷があって、でもそれがかえってまた彼の男らしさを上げているように思えた。
「そっか! じゃあ俺がオススメの宿を教えてあげるよ。あぁ、俺はアルディートってんだ。よろしくな、可愛いお嬢さん!」
「結構だ」
ばっさりと言ったのは、いつの間にか私の真横に戻ってきていたセリーン。
その目は冷たく据わっていて、アルディートと名乗ったその人も一瞬驚いたように目を丸くした。
セリーンは行くぞと低く言い、ラグを抱えていない方の手で私の腕を引いた。
「え、でも宿を教えてくれるって……」
「そうそう、美味いと評判の食堂付き宿なんてどうですか?」
「結構だ。自分たちで探す」
少し後ろをついて来るアルディートさんにまたもきっぱりと言うセリーン。
小さなラグを抱きしめながらこんなに不機嫌そうなセリーンを見るのは初めてだった。
ちなみにラグは相変わらず下を向いたままだ。
(食堂付きなんて今探している宿にぴったりなのに)
でもちらりと見たアルディートさんは気分を害されたふうでもなく、寧ろ先ほどよりもなんだか楽しそうに後をついて来る。
「あ、じゃあさ、そのちびっこも楽しめそうな宿なんてどう?」
「誰がちびっこだ!!」
突然そう怒鳴ったのはラグ。でもすぐに、しまったという顔をして再び下を向いてしまった。
アルディートさんはそんなラグの態度にも特に気にする様子は無く、
「悪ぃ悪ぃ! もうお兄ちゃんだよなぁ。な、君もどうせなら楽しい宿の方がいいだろ?」
そうセリーンの横からラグの顔を覗きこみ笑顔で続けた。
しかしラグはもう何も言わず、ただじっと俯いている。
(ラグ?)
そこで私はやっとラグがおかしいことに気付いた。
よく見ると顔色が悪く、こんなに寒いのにその肌がうっすら汗ばんでいるように見える。
もしかしたら単に抵抗に疲れたからではなく、私と同じように具合が悪いのではと急に心配になった。
アルディートさんは更にラグに話しかける。
「ところで君はこの美人なお姉さんの弟くんかな? まさか子供ってことは……って、あれ? 君どっかで会ったことないか?」
「いい加減にしろ! 私たちだけでなくこの子にまで声をかけるとは、大の男が恥を知れ!!」
とうとう声を荒げ足を止めたセリーン。私から離れた手が剣の柄に掛かり慌てる。
でもアルディートさんの視線はなぜかラグを凝視したまま。それが更にセリーンの怒りを煽って。
「何をじっと見つめている! この子には指一本触れさせんぞ!」
「いや、その子……」
もしかしたらアルディートさんもラグの様子がおかしいことに気付いたのかもしれない。
そう思った私はいよいよ青ざめた顔のラグに声を掛けた。
「ラグ、大丈夫?」
「ラグだって!?」
途端大声を上げたアルディートさんに私はぎょっとする。
「そうだよな! やっぱラグだよな、絶対に見たことあると思ったんだよ! その顔、俺が忘れるわけねぇもんなぁ!」
ラグを指差し興奮したように早口で捲し立てるアルディートさん。
その顔は紅潮して、なんだかとっても嬉しそうで、――でも、一瞬その動きと笑顔が固まり、
「……てか、なんで小さいんだ?」
そう、酷く冷静な声で言ったのだった。
(知り合い?)
そう思うと同時、ラグにぎっと睨まれる。
おそらく私が名前を呼んでしまったことに怒っているのだろう。
でもまさか知り合いがいるなんて思わなくて、そう言おうとして、でもすぐに此処がストレッタの近くだということを思い出す。
やはり、まずかっただろうか……。
ラグがその呪いを酷く嫌悪していることを考えたら、知り合いにそれを内緒にしていたとしてもおかしくなくて。
――急に罪悪感でいっぱいになる。
「なんだ、この子を知っているのか?」
セリーンがそれでもラグを放さずに、アルディートさんに訊ねた。
ラグの知り合いとわかって逆に興味が沸いたのか、その声から怒りの感情が消えていた。
「あぁ、知ってるも何も。こいつを育てたのは俺みたいなもんでな」
「誰が! 適当なこと言ってんじゃねぇぞアル! って違う! お、オレはラグなんて名前じゃ」
「アル」という愛称呼びに、余程の仲なのが窺えたけれども、それでもまだ白を切ろうとするラグ。
ひょっとして、このアルディートさんもストレッタの術士なのだろうか。
(先輩とか、そんな感じ?)
だとしたら、私の中の“ストレッタの魔導術士”のイメージがガラリと変わることになる。
気さくで明るいお兄ちゃんという感じのアルディートさん。ラグとはまるで逆の印象だ。
だがセリーンは私とは違う箇所が聞き捨てならなかったようで……、
「育てただと!? なんて羨ましい……私など、少しの時間しか会えないというのに……!」
そう、悔しげに腕の中のラグを一段と強く抱きしめていた。
「なんなら、こいつの昔話でも語りながらお茶でもいかがですか?」
「おいこら、人の話を聞け! オレはお前なんか知らねぇって言ってんだよ! おい変態女、こんなヤツほっといて早く宿を取るんじゃねーのか!」
「てりゃ」
そんな掛け声と共に、突然ラグの頭にチョップが入る。
「いってぇ!!」
「あ、何をする! 可哀想ではないか!」
「はは、大丈夫ですよこんくらい。な、ラグ。……お前なぁ、こんな美人の姉ちゃんに向かって変態女とはなんだ、変態女とは」
そう軽く叱るように言って、アルディートさんはラグの目線に合わせるように腰を屈めた。
「ってかお前さっきからなんだその羨まし過ぎる状況。旅してる間にそんなおいしい術覚えたのか?」
「違うわ!」
「違うのか? なんだよ、教えてもらおうと思ったのに」
「あ~~っ、だから、オレはラグじゃねーって言ってんだろーが!!」
ラグがそう声を張り上げた瞬間だった。それが合図だったかのように彼の身体が急成長し、元の大きさに戻ってしまった。
間髪入れずに手を離すセリーン。
目の前でその光景を見てしまったアルディートさんは一度その目を大きくしてから、
「よ、ラグ。久しぶりだな!」
嬉しそうな笑顔でラグの頭を乱暴に撫でた。
流石に言い逃れ出来なくなったラグは最初小刻みに身体を震わせながらされるがままになっていたけれど、すぐにその手を邪険に払い除け私の方に視線を向けた。
その顔ははっきりと怒っていて、私はびくりと肩を竦める。
「お前が足を止めなけりゃ、ばれずに済んだんだ!」
その少し理不尽な気がする怒りに、いつもだったら何かしら言い返せていたかもしれない。
でも今の私にはそれが出来なくて、朦朧とする頭でとにかく謝らなければと口を開く。
「ごめんなさ……」
出したはずの自分の声が酷く遠く聞こえた。
そして、急速に身体が自分のもので無くなっていく感覚。
(あ、やば――)
「カノン!?」
そんなセリーンの大きな声とラグの驚いたような顔を最後に、私の意識は途切れた。




