41.銀のセイレーンの歌
最初の曲目は、港町ルバートで歌った平和を願う歌。
歌い始めた途端、不思議なことが起きた。
まぶたの裏に、まるで映画のスクリーンのようにあの街の風景が広がった。
私は風になった気分でその街並みを通り抜けていく。
すると道行くたくさんの人々が驚いた顔で私を振り返った。私の歌声がちゃんと届いているのだ。
あのときとは違い誰も逃げたりしなかった。皆足を止め、私の歌に聴き入ってくれているようだった。
歌は不吉なものなんかじゃない、素晴らしいものなのだと気づいて……思い出してほしくて、私は歌った。
次は、フェルクレールトの皆で作ったあの遊び歌だ。
風景が切り替わる。そこは鬱蒼とした森の中。あのムっとした暑さを肌で感じた気がした。
特徴的なテントが見えてきて、そこから慌てたように出てきたのは白髪の少女。
その赤い瞳と目が合う。彼女、ライゼちゃんが嬉しそうに微笑んで私に大きく手を振ってくれる。
続いてラウトくんとヴィルトさん、そしてブライトくんが集まって来て、みんな一緒にあの歌を歌ってくれた。
そのまま私は村の方へと飛んでいく。農園で作業をしていた皆が驚いたように顔を上げて、子供たちが興奮したように顔を見合わせて大きく口を開く。
フェルクレールトの大地に再びあの大合唱が響くのを、私は風になって聴いていた。
次は友達に会いたくて、私はあの歌を歌う。
風景が再び切り替わり、海にぽっかりと浮かぶ長細い島が見えた。パケム島だ。
緑のある方へと下りていくとあのツリーハウスが見えてきて、その下、畑にいたノービス一家の皆が一斉にこちらを見上げた。
この世界で出来た友達、ドナが今にも泣いてしまいそうな笑顔で手を振るものだから、私も少し泣きそうになってしまった。
そして彼女は隣にいたモリスちゃんと一緒にくるくる楽しそうに踊り出す。
トムくん、アドリーくんとリビィくんもそんなふたりに手拍子をおくりながら一緒に歌ってくれた。
次は笛で奏でられたあの綺麗な愛のメロディー。歌詞はつけずにラララで歌う。
まぶたの裏に映ったのは王宮内の一室。そこで書き物をしていたらしいツェリウス王子と傍に控えていたクラヴィスさんが顔を上げて、そこに勢いよく入ってきたのはデュックス殿下とフィグラリースさんだった。
王子は首にかけていたあの笛を手に取って、私の歌に合わせてそのメロディーを奏で始める。
デュックス殿下が身体を揺らしながら得意げに歌ってくれて、クラヴィスさんとフィグラリースさんもふたりに言われちょっと恥ずかしそうに歌ってくれた。
次の曲目を歌い始めると、目の前に紺碧の大海が広がった。アヴェイラのために作ったあの歌だ。
帆船が二隻並んでいるのが見えてきて、甲板に皆が集まってきた。
リディ、コードさん、フィルくん、一緒に船旅をした皆がこちらに大きく手を振ってくれて、隣の船ではアヴェイラがあの美声で気持ち良く歌い始める。
彼女に名指しされたリディとフィルくんも顔を赤くしながら一緒に歌いだして、それを見ていた仲間たちも肩を組んで身体を揺らし荒々しい声で合唱してくれた。
船上は再び海という大劇場の舞台となった。
最後に歌いたかった曲がある。
私は一度目を開けて、エルネストさんを見上げる。
彼がそれに気づいて目を瞬いた。
風が歌い、草木が躍る
波が歌い、月の橋がかかる
ここは楽園
エルネストさんがその双眸を大きくして、それから幸せそうに微笑む。
彼の作曲ノートにあった“楽園”という曲。ずっと歌ってみたかったのだ。
鳥が歌い 綿毛が舞う
人が歌い、愛を紡ぐ
ここが楽園
ブゥとグレイスがそれぞれの相棒から飛び立って、湖の上を踊るように舞い始める。
グレイスの鳴き声が高く響き渡り目を閉じると、そこは再び森の中だった。きっとレーネの森だ。
深く森の中へ入っていくと、ふわふわとたくさんの綿毛が舞っている場所を見つけた。ブゥの仲間たちだ……!
ブゥは最後の生き残りなどではなかった。ちゃんと、ここでこうして命を繋いでいたのだ。
――ラグ、見えてる……?
久しぶりの歌にはしゃぐように可愛らしく舞う姿は“天使”そのもので。
そこへどこからか小鳥の群れがやってきて、美しく澄んだ声で歌い始めた。
幻想的なその風景は、まさに“楽園”と呼ぶにふさわしかった。
「ありがとう、カノン」
エルネストさんの優しい声が響いて、次に目を開けた時にはもう彼の姿はどこにもなかった。
でも彼はきっとこの世界のどこかにいるのだとわかるから、悲しくはない。
――あとは、私が帰る歌を歌うだけだ。
振り向くと、皆なぜか涙を浮かべていて、ただラグだけはいつもの仏頂面でつい笑いそうになってしまった。
「歌ってすげぇな。こんな綺麗なもんがこれまで不吉とされてたなんてなぁ」
「だろ!? やっぱ歌は最高だよな!」
赤くなった目を擦っていたアルさんに、グリスノートが自慢げに言う。
「カノン、本当にこれでいいのか……?」
気遣うように首を傾げたのはセリーンだ。
「うん。エルネストさんもきっと満足してくれたと思うんだ」
「そうではない!」
その怒ったような顔を見て、あぁと小さく笑う。
彼女は私のラグへの気持ちを知っている。だからきっと、全部見抜かれているのだろう。
と、そこで思い出す。
「セリーン。これ、あとで返してもらっていいかな」
私は薬指から指輪を外す。彼からもらった、彼と同じ色の石がついた指輪。
「持っていたら見るたびに思い出しちゃいそうで」
あははと苦笑しながら手渡すと、セリーンは私を優しく抱きしめてくれた。
「お前は、本当に……っ」
彼女が泣いているのが伝わってきて、こちらもまた泣けてきてしまった。
その背中に手を回してお礼を言う。
「セリーン、ありがとう。セリーンがいてくれて本当に良かった。ずっと守ってくれて本当にありがとう」
「私こそだ。カノンとの旅は刺激的でとても楽しかったぞ。お前のことは可愛い妹だと思っているからな」
そんな彼女にこっそり耳打ちする。
「ねぇ、セリーン。アルさんのこと、少しは考えてあげてね」
「愛しの子にも会えなくなってしまったんだぞ。しばらく別の男のことなど考えられん」
そんな相変わらずの彼女に、悪いと思いつつもつい笑ってしまった。
と、そこへグリスノートが改まった様子で進み出てぎくりとする。
「やっぱ俺の嫁はカノン、お前しかいねぇ。この間の返事、改めて聞かせてくれ」
「ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げると、グリスノートはがっくりと頭を垂れた。
「……でも、ありがとう。気持ちはすごく嬉しかった」
彼は初めてこんな私のことを好きと言ってくれた人だ。
でも、この世界が歌で溢れたら、もっと彼にふさわしい人が近くにいることに気づくはずだから。
「リディとアヴェイラによろしくね」
「なんでアヴェイラの奴まで……」
「アヴェイラの歌、凄かったでしょ? あんな綺麗な歌声、なかなか聞けないんだから」
「……まぁな」
そう言って顔を上げた彼の肩をアルさんが同情するようにぽんぽんと叩く。
そしてアルさんは私に優しい笑顔を向けた。
「ラグのこと、本当にありがとな」
私は首を振る。
「ほんとはこんなの嫌だけどさ、カノンちゃんが決めたことなんだもんな」
「はい」
「あぁ~、俺もっといっぱいカノンちゃんの歌聴きたかったなぁ」
本気で悔しそうなアルさんに私は小さな声で言う。
「今度はアルさんが歌ってください」
「俺が?」
「花束と一緒に愛の歌を贈るなんて、どうですか?」
するとアルさんは目をキラキラと輝かせてビシっと親指を立ててみせた。
――そして、私は最後にラグの方を見つめる。
彼も私の方を見てくれていた。
本当はもっと傍に行きたかったけれど、これ以上近づいたら決心も精一杯の笑顔も全部崩れてしまいそうで、私はこの場でお礼を言うことにした。
「ラグ、今までありがとう。ラグがいなかったら、私絶対ここまで来れなかったと思う。いつも助けてくれて本当にありがとう」
彼がいたから、この何もわからない異世界でなんとか生きてこられた。
彼と一緒にこの世界を旅して、辛いことも勿論あったけれど、たくさんの出会いがあって、元いた世界では経験できない、たくさんのものを見て、知ることが出来た。
彼がいたから、この世界がこんなにも愛おしく思える。
そのときブゥが私の方に飛んできて、目の前でくるんと一回転した。
「ブゥも、ありがとう。ラグのこと、これからもよろしくね」
ブゥは任せてというようにその鼻をぶっと鳴らしてから再び相棒の元へと戻っていく。
もう一度ラグと目が合って、私は頭を下げる。
「最後まで勝手なことして、ごめんなさい」
きっと彼は今、私のせいでひとり混乱の中にいるはずだ。
――あのとき、私は無意識のうちに願ってしまったのだろう。忘れて欲しいと。
そうすればこの胸の痛みが少しは和らぐはずだと思ってしまったのだ。
(でも、これでいいんだ)
彼からのさよならの言葉は聞きたくない。きっと耐えられない。
どうしようもなく寂しいけれど、こうして笑顔でさよなら出来る。
あのラグが視線を逸らさずにずっと私を見てくれていて、それでもう十分だと思った。
――さぁ、これで最後だ。
最高の笑顔で彼にさよならしよう。
声が震えてしまいそうになるのを必死で抑えながら私は言葉を紡いでいく。
「さようなら。あなたのことは一生忘れない」
忘れられていても、それでも。
「大好き」
彼の深い青が大きく見開かれるのを見てから、私はあの歌を口ずさむ。
元いた世界へ、自分の本当の居場所へ帰るための歌を――。
歌い終えてゆっくりと目を開けると、風景が一変していた。
そこはとても見慣れた部屋。自分のベッド、使い慣れた机、そしてピアノ。全部、以前と変わらないままの私の部屋だ。
帰ってきたのだと実感して、きっと、ほっとしたからだろう。
ぼろぼろと止め処なく涙がこぼれてくる。
「言うつもり、なかったんだけどなぁ」
我ながらなんてズルいのだろう。
答えなんか聞きたくなくて、ただ自分の気持ちだけぶつけて帰ってきてしまった。
彼からしたら記憶にない子からいきなり「大好き」なんて言われて。
彼の困った顔が浮かんで、泣きながら笑ってしまった。
……本当はもっと彼の色んな顔が見てみたかった。
怒った顔も、照れた顔も、笑った顔も、もっともっと、傍で見ていたかった。
「好きだったなぁ」
ひとり呟いて、私はまた泣いた。
――こうして、私の長いようで短い異世界の旅は幕を閉じたのだった。
最終章 了
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