40.奇跡の力
「おーいラグ、起きろ~~」
アルさんはラグの傍らにしゃがみ込んでその肩を揺すったり頬を軽く叩いたりする。でもラグはぴくりとも反応しない。
「な? 何しても起きねぇんだコイツ。これってやっぱカノンちゃんの歌、なんだよな?」
「は、はい」
頷いて私もラグの元へ行かなければと思うのに、足が動かない。
「セリーンはすぐに起きたんだけどなぁ」
「多分、カノンの一番近くにいたからじゃないかな」
そう答えたのはエルネストさんだった。
「それか……いや、彼は僕が起こそう」
「え?」
エルネストさんは一度ふっとその姿を消すと、次の瞬間ラグのすぐ前に現れてアルさんが目を丸くした。
彼はラグの額に指をあて、囁くように言う。
「ラグ、もう起きる時間だよ」
皆固唾をのんでそれを見守り、その頭に乗ったブゥも心配そうに相棒を見下ろしていた。
間もなくして、微かにその眉が動いたのがわかった。
「う……」
「ラグ!」
小さく呻いたラグからエルネストさんが離れて、アルさんがもう一度その肩を揺する。
ゆっくりとその青い瞳が開いていき、ブゥが嬉しそうにその頭上で一回転した。
「アル……?」
ぼんやりと彼がアルさんの名を呼ぶ。アルさんがほっと息を吐いて。
「なんでお前が……ここは……?」
頭を押さえながら視線を巡らせて、その瞳がエルネストさんを捉えて大きく見開かれた。
「て、めぇ……っ!」
すぐに起き上がった彼は目の前で微笑むエルネストさんに向かっていつものように怒声を上げた。
「とっととオレの呪いを」
「呪いは今、解いてあげたよ」
「――は?」
怒った顔が固まる。
「なに!?」
そしてセリーンが顔色を変えた。
「ちょっと待て、聞いていないぞ! 解呪にはカノンの歌が必要なのではなかったのか!?」
そんな悲鳴が響く中、ラグは狐につままれたような顔で額に巻いた布を取った。アルさんが笑顔で頷く。
「あぁ。印もちゃんと無くなってる」
「わ、私は信じないぞ、あの子にもう会えないなど絶対に信じないからな!!」
「うるせぇ! てめぇは黙ってろ!!」
ショックを受けている様子のセリーンに、ラグがいつものように怒鳴って。
「僕が解かなくても、真実を知ればきっともうあの姿に戻ることはなかっただろうけどね」
「真実?」
訝し気にエルネストさんを見たラグの肩をアルさんがぽんぽんと叩く。
「まぁ、詳しくはまた後でな。それよりラグ、カノンちゃんがお前のためにすっげぇ頑張ってくれたんだ」
「カノン?」
「あぁ、お前の呪いもカノンちゃんが解いてくれたようなもんなんだぞ」
「……誰だ」
「は?」
今度はアルさんの笑顔が固まる。
「――だ、だから、カノンちゃんが……」
そうしてアルさんが私を指差して、その深い青が私を見た。
でも、彼は眉間に皴を寄せ不審そうな顔をするだけで。
「知らねぇ。誰だ」
「!?」
皆が驚愕する中、私はひとり小さく笑った。
「それより、ここは何なんだ。オレは、一体……」
再び頭を押さえたラグに、アルさんが引きつった笑顔で言う。
「お前、何言ってんだ……まだ寝ぼけてんのか?」
と、そこへすさまじい形相で詰め寄ったのはセリーンだった。
「貴様、一体なんのつもりだ」
「はぁ?」
胸倉を掴まれたラグが彼女を柄悪く睨みつけて。
「カノンは、貴様のために」
「セリーン、違うの!」
私は慌てて叫ぶ。
「私の歌のせいなんだ」
「!?」
セリーンが瞳を大きくしてその手を緩め、ラグは舌打ちをしながらそれを払った。
私は苦笑しながら続ける。
「さっき、マルテラさんたちに歌ってるとこ見られちゃって、それで記憶を消す歌を歌ったんだよね。そのときに、うっかり近くにいたラグの記憶も一緒に消しちゃったんだと思う。だから、ラグは何も悪くないの」
「……本当に、うっかりかい?」
エルネストさんが全て見透かしたような目で私を見ていてどきりとする。
「だったら! 歌でまた記憶を取り戻すことだって出来るだろう? なぁ、カノンちゃん」
ぎこちない笑顔で言ったアルさんに、私は首を横に振る。
「いいんです、このままで。私はもうこの世界からいなくなるし、ラグに私の記憶はいらないかなって」
「そんなこと……」
「私、最後の最後までラグに迷惑かけちゃったので、申し訳なくて……だから、本当にこのままでいいんです」
「モンスターたちが街に押し寄せたのは、君のせいではないよ」
「え?」
エルネストさんが優しく微笑んでいた。
「彼らに人間の伝説なんて関係ないからね。ただおそらく、力ある者たちがここに集まってくるのを感じ取って7年前の悲劇を思い出したのだろうね。だから、君が気に病む必要はない」
――私のせいじゃない。
それを聞いて、少しだけ胸のつかえが下りたように思えた。
私がひとつの要因であることは間違いないけれど、それでも、その言葉に救われた気がした。
「ありがとうございます。少し気持ちが軽くなりました」
ラグも、7年前の真実を知って、同じように少しでも気持ちが軽くなればいいと思った。
ドカっと鈍い音がしたのはそのときだった。
振り向くとラグが頬を押さえよろめいていて、その前でグリスノートが握った拳を震わせていた。ブゥとグレイスが驚いたように彼らの上を旋回していて。
「――ってぇな、何すんだ!」
「これでも思い出さねぇかよ」
「グリスノート!?」
慌てて駆け寄るが、グリスノートはこちらを振り返りもせず怒りに歪んだ顔で続けた。
「カノンを、このまま行かせちまっていいのかよ!」
「だから、なんのことだよ!!」
「ラグ!」
殴り返そうとしたその手をアルさんが止める。
グリスノートが大きく舌打ちをして。
「その程度だったのかよ……見損なったぜ、クソが!!」
吐き捨てるように言って彼はラグから離れていった。
(なんで……?)
私の歌のせいだと言っているのに、グリスノートがなぜそんなにも怒るのかわからなくて呆然としていると、ラグと目が合った。
しかしそれはすぐに逸らされて、ズキリと胸が痛む。
(――でも、これでいいんだ)
私は一度目を閉じてから笑顔を作ってエルネストさんの方を見た。
「あとは、エルネストさんをそこから助け出すだけですね。私に出来ますか?」
そういう約束だった。
私が帰るための楽譜をくれる代わりに、助け出して欲しいと。
でも、エルネストさんは笑顔で首を横に振った。
「え?」
「僕はもういいんだ」
「いいって……?」
訊くと彼は水晶柱の中で眠る自分の身体を見つめた。
「今そこから出ても、僕の居場所はもうどこにもない。きっと僕の存在は皆を困らせてしまうだけだからね」
「そんな……!」
「それに、この場所にこの身体があるとまた良くないことが起こるかもしれない。だから僕はこのまま消えることにするよ」
「そんなのダメです!」
私が大きく首を振って叫ぶと、エルネストさんはくすりと笑った。
「大丈夫。僕はこういう存在だからね、身体は消えてしまっても意識はこうしてずっとこの世界に残る。あぁ、あの楽譜もちゃんと消しておくから安心して」
あの楽譜……例の恐ろしい曲のことだろう。
「――ただ、その前にひとつだけ君にお願いがあるんだ」
「お願い?」
「もう一度、この世界が歌で溢れるところを見てみたい。この場所で歌えば、世界中のみんなにその歌声と想いは届くはずだから」
エルネストさんが綺麗な笑顔で言う。
「だからカノン、歌ってくれないかい?」
私はこみ上げてくるものをぐっと堪えて、頷く。
「やってみます」
歌うことなら私にもできる。それだけが、この世界で私に与えられた唯一の奇跡の力だから。
それに、私も見てみたい。
このレヴールが歌で溢れるところを。
私は胸元で祈るように手を組み、すぅと息を吸い込んだ。




