30.鉱山の責任者
アジルさんが訪れるまでの間、私たちは詰所の外で待つことにした。
見回りがてら外に出ているからその間少しでも休んでおけとセリーンに言われたパシオさんは目を丸くし、それから少し恥ずかしそうに頭を下げていた。
「大方、指輪目的の男女という体で街に入ったのだろうが、あそこで拒否したら逆に怪しまれるだろう」
詰め所を出て少し歩くと、前を行くセリーンが呆れたふうに口を開いた。
「あの場にいたのがパシオだけで助かったな」
「……」
隣を歩くラグをちらり横目で見上げるとなんともバツの悪い顔をしていた。
確かにあの場に他のメンバー……特にマルテラさんがいたらきっともっとおかしな雰囲気になっていただろう。
でも受け取ろうとしなかったラグの気持ちもわかるから私は何も言えなかった。
「そら」
「え?」
いきなり横から視界に入ってきたものに私は目を見開く。
先ほど見た指輪の入った小箱。それをラグがこちらに差し出していた。
「お前が持ってないと怪しまれんだろ」
いつも以上にぶっきらぼうな言い方。
震えそうになる手でそれを受け取って、見た目よりも重みのあるその小箱をじっと見つめる。
「ありがとう」
思わず出てしまったお礼の言葉に、案の定ラグは声を荒げた。
「い、言っとくが、それは」
「わかってるよ!」
ラグの言葉を遮って私は笑顔で振り向く。
「だって綺麗だったから、すごく嬉しい!」
――わかっている。
《誓い》とか《永遠の愛》とか、そんな意味は全くないってことくらいちゃんとわかっている。
ただ、理由はなんであれ、ラグから指輪をもらったという事実が嬉しかったのだ。
「……そうかよ」
ラグは少し呆れたふうにそう短く息を吐いた。
「つけてみたらどうだ?」
「え?」
セリーンが足を止めこちらを振り向いた。
「サイズが合わなかったら職人の元へ行かなくてはならないだろう」
「あ、そっか」
パシオさんがそう言っていたことを思い出す。
ずっとこのまま大事に仕舞っておきたい気持ちもあったけれど。
「じゃあ、つけてみようかな」
小箱の蓋をパカっと開けて、中の指輪を取り出す。
日に当たったその青い石は更に輝いて見えて、なんだかドキドキした。
(えっと……)
「普通は左手の薬指だな」
「そ、そうなんだ」
セリーンに言われ、そこは向こうの世界と共通なんだとちょっと恥ずかしくなりながらも左手の薬指にはめてみる。
「うん。ぴったりみたい」
言いながらその手を空にかざしてみる。
彼の瞳を思わせる深い青がキラキラと光を反射して夢のように綺麗だった。
「いいじゃないか」
「うん、やっぱり綺麗」
少しの間その輝きを楽しんでから私はもう一度ラグの方を見た。
「本当にありがとう。大事にするね」
「あ、あぁ」
ラグはその同じ青を少し見開いてすぐにそっぽを向いてしまったけれど、私の顔はしばらく緩みっぱなしだった。
アジルさんが詰所を訪れたのはそれから間もなくのことだった。
その時間に合わせマルテラさんや他の団員たちも一斉に詰所に集まってきた。
アジルさんは帽子を目深に被った50代程のがっしりとした体格の男性で、特にその手はとても大きくごつごつとしていてそこだけ見ても流石鉱山の責任者という貫禄があった。
でも帽子から覗く眼がぎょろりと鋭く、少し怖い印象を受けた。
(この人にセイレーンの秘境のこと訊くのかぁ……)
知らず、ごくりと喉が鳴ってしまっていた。
アジルさんが坑道図を広げ、早々に話し合いが始まった。
セリーンもそれに参加したが私とラグは少し離れた場所からそんな彼らを見つめていた。
「ではあの穴がもし坑道内に繋がっているとしたら、このあたりということですね」
「繋がっているとしたらな」
パシオさんの確認にアジルさんが溜息交じりに低く答える。
先ほどから聞いていると、どうやらアジルさんは坑道内の調査に乗り気ではないようだった。
「この印の先には何があるんだ?」
そう訊いたのはセリーンだ。何か気になる印でもあったのだろうか。
「この先は地盤が脆いのでな。何十年も前から立ち入り禁止だ」
セリーンは少し考えた後で続けた。
「ではこの先がモンスターたちの巣窟になっている可能性もあるわけだな」
「間違って誰かが入ってしまわんようにここは固く閉ざしてある。もし巣窟になっていたとしてもモンスターどもがこちら側に入ってくることも出来ん。無論、ここの責任者として誰であろうとこの先に行くことは許さん」
有無を言わさない口調に、セリーンもそれ以上は何も言わなかった。
「……では、この穴から内部を調査するのも」
「命の保証は出来ん。やめておくんだな」
パシオさんをはじめ皆が難しい顔になる中、アジルさんは続けた。
「昨夜も言った通り、鉱山の方は何も問題ない。だから調査も必要ない。何か異変があれば伝えに来る。それでいいな」
一方的にそこまで言うとアジルさんはさっさと坑道図を仕舞い、そのまま詰所を出て行ってしまう。
誰もそれを引き留めることはせず、私は慌てて外まで追いかけその背中に声をかけた。
「あ、あの!」
こちらを振り返った彼がぎょろりとした眼で私を見た。
「なんだ」
「す、すみません、あの、ちょっとおかしなことを訊くんですが」
そう前置きをして、勇気を出して訊ねる。
「このレーネで、歌やセイレーンの噂って聞いたことないですか?」
瞬間、その双眸が大きく見開かれるのを見た。――だが。
「そんな噂、聞いたこともないな」
その眼を隠すかのように帽子を深くかぶり直し素っ気なく答えると彼はすぐに背を向け鉱山の聳える方へと歩いて行ってしまった。
「やはりダメだったか?」
セリーンの声がして振り向くと、彼女とラグが詰所前でこちらを見ていた。
私はふたりに駆け寄って小声で言う。
「何か知ってそうだった」
「!?」
一瞬見せたあの表情は間違いなく“動揺”だった。
知っていて、でも隠しているのだとしたら……。
私はもう一度振り返り、彼の小さくなった後ろ姿を見つめた。
「あれは暗に俺たちに鉱山に立ち入るなってことだよなぁ」
詰所の中からそんな溜息交じりの声が聞こえてきた。
中を覗くとパシオさんとマルテラさん以外の団員たちは皆疲れ切った様子で椅子に力なく腰かけカウンターに突っ伏してしまっている人もいた。
「だから言ったでしょ。暗にも何も、そういうことよ」
マルテラさんも腕を組み重い溜息を吐いた。
「昔から、鉱山で働く男たちはああいう気質なのよ。俺たちには俺たちのやり方がある。手出しも口出しもするなってね」
「……仕方ない。今日はもう一度例の穴の方へ行ってみるか」
「でも、あそこから入るのは本当に危険だと思うわ」
パシオさんが言葉を詰まらせたときだった。
「あ、あのさ」
そう言いにくそうに口を開いたのは、昨日は見なかった気がする青年だった。
「俺、昨日グストの町で聞いたんだけどな、今この近くにあのラグ・エヴァンスが来てるらしいんだ」
「!?」
途端、その場にいた皆の顔色が変わり息が止まるかと思った。
「なんでも野盗まがいなことをしていて、本物かどうかは怪しいらしいんだが」
それを聞いて、ほっと胸を撫でおろすと同時にまたあの野盗たちのことだと怒りがわいてくる。
その青年は神妙な顔つきで続ける。
「でももしそれが本物だとしたらよ、モンスターたちの狂暴化はそれが関係しているんじゃないか……?」
「違います!」
思わずそう叫んでしまっていた。
皆の視線がこちらに集中して、その中には勿論マルテラさんの目もあって、顔が真っ赤になるのがわかったけれど私は必死に続ける。
「わ、私たちこの街に来る前に、丁度その人に襲われて」
「え!? 大丈夫だったのかい?」
驚いたパシオさんに大きく頷く。
「全っ然大丈夫でした。ほんと、びっくりするくらい弱くて、あれは本当にただの野盗です。自分はラグ・エヴァンスだって嘘ついて威張ってるだけの」
「いや、だがいくらなんでもタイミングが合いすぎないか?」
「だよなぁ」
「ラグ・エヴァンスって今いくつくらいだ? 当時まだ子供だったんだろう?」
「なら今は20歳かそこらか?」
どんどん話がマズい方向へと進んでいく。
すぐ後ろにラグ本人がいるのに。
(どうしよう、このままじゃ……)
「ラグ・エヴァンスがモンスターたちを操っているとでも言うの? 流石に現実的じゃない気がするわ」
そのとき、肩を竦め言ったのはマルテラさんだった。意外な助け舟に驚く。
「だが奴は魔導術士だろう。そのくらい出来るかもしれないじゃないか」
否定された青年がそう返すが、マルテラさんは冷静に続けた。
「じゃあ、なんのためにこの街を襲わせてるの? 今更、彼に何のメリットもない気がするけれど」
「それは、そうだけどよ……」
「まぁまぁ」
そんなふたりの間に入ったのはパシオさんだった。
「一応ラグ・エヴァンスのことは頭に置いておこう。確かにこのタイミングは気になるし、彼女の言う通りただの野盗かもしれない。だが余計な不安を煽らないように、このことはくれぐれも他の者には」
「それより、私はやはり先ほどの立ち入り禁止の先が気になる」
パシオさんの話を遮ったのは私の隣に立ったセリーンだ。
「お前たち自警団が手を出せないというなら、私が個人的に調査するが構わないか?」




