28.レーネの悲劇
「……正直言うと、出会ったばっかりの頃は少し怖かったよ。いつも怒ってるし」
ぴくりと彼の眉が跳ねて慌てる。
「で、でも、ブゥと同じで、離れたいと思ったことは一度もないよ!」
彼が怒るのは、大抵いつも私を心配してくれているときだと今ならわかるから。
心を落ち着かせて続ける。
「前にも言ったけど、ラグがいてくれて本当に良かったと思ってる」
うっかり気持ちまでこぼしてしまいそうで、慎重に言葉を選びながら答えていく。
「ラグがいなかったら私この世界で途方に暮れていたと思うし、だから一緒にいてくれて本当に感謝してるんだ」
するとラグは照れてしまったのだろうか、「そうか……」と小さく呟いて視線を逸らした。
そんないつもの彼を見て、少しほっとする。
「……逆に、ラグは私を見離そうと思ったことはないの?」
「は?」
思い切って訊いてみると、ラグはもう一度私を見上げた。
「ほら、私ラグの足引っ張ることばっかりして……きっと、イライラしただろうなって」
ラグはきっともっと早く旅を進めたかったはずなのだ。
ドキドキしながら答えを待つと、彼は溜息を吐いて目を伏せた。
「あぁ、そうだな。人の言うことまるで聞きやしねぇし」
――あ、やっぱり否定しないんだ。と、少し傷つく。
(まぁ、そうだよね。わかってたけど……)
「離れるなって言ってんのに勝手な行動をとる。なのに、来るなと言うとついて来る。なんなんだこいつはと何度も思ったな」
「うっ……」
その通りなのでなにも言えないでいると。
「……だが、」
そこで彼は一旦言葉を切った。
「今は、お前がいて良かったと……思って、いる……」
小さく、途切れ途切れに紡がれたその言葉に、私は目を見開いていく。
“今は、お前がいて良かったと思っている”
確かにそう聞こえた。
聞き間違えでないことは、夜目でもわかるほどに赤くなった彼の顔を見れば明らかで。
それに釣られるようにして私の顔もみるみる赤くなっていくのがわかった。
(どうしよう、嬉しい……っ)
こんな時だと言うのにまた涙が出そうになって、誤魔化すために必死に次の言葉を探す。――そんなときだった。
「!」
ガタっとラグが椅子から立ち上がってびっくりする。
でも背後の開けっ放しにしていた窓から複数の人の声と足音が聞こえてきて慌てて振り返る。
きっと、モンスターに気付いて人が集まってきたのだ。
窓からそっと通りを見下ろすと自警団の制服を着た人たちが数人、モンスターの死骸を取り囲んで何か話し込んでいた。その中にマルテラさんとパシオさんの姿を見つける。
(こんな夜中までお仕事してるんだ……)
と、マルテラさんがふいにこちらを見上げてばっちり目が合ってしまった。
今さら隠れることも出来ず、でも何と声をかけていいかわからずに固まっていると。
「あ、セリーンさん!」
そんなパシオさんの声にその視線は外れた。
セリーンが通りの向こうから姿を現して、無事な姿にほっとする。
彼女は宿の前まで歩いてくるとパシオさんたちに話しかけた。
「粗方片づけたと思うぞ」
「ありがとうございます! すみません、気づくのが遅くなってしまって」
「あちこちに死骸が転がっている。確か13匹だ。悪いが後始末を頼んでいいか」
「勿論です。何から何まで本当にありがとうございます。この報酬も明日」
「いや、これは私が勝手にしたことだ。気にしないでくれ」
「あ、ありがとうございます」
セリーンは首を振って彼らに背を向けた。そのときだ。
「ちょっと待って。あなただけ?」
マルテラさんがそうセリーンに訊ねた。
「そうだが?」
セリーンが振り返り短く答える。
「……そう。ごめんなさい、なんでもないの。本当にありがとうございました」
マルテラさんはそうして頭を下げると、パシオさん達と共に通りの向こうへと駆けて行った。
セリーンがこちらに戻ってくるのを見て静かに窓を閉めると、背後で大きなため息が聞こえた。
「完全に疑われてるな」
「うん……」
今のは、ラグは一緒じゃないのかという意味だったのだろう。
「でもマルテラさん、ラグのこと他の仲間には言ってないみたいだね」
「どうだろうな」
すると間もなくして足音が近づいてきてセリーンが部屋に入ってきた。
「ありがとうセリーン。大丈夫だった? 怪我とかない?」
「あぁ、何も問題ない」
そう言うと、彼女は部屋を出ていこうとしたラグにすれ違いざま話しかけた。
「あのマルテラという女性と昔何があった?」
(――え?)
ラグがぴたりと足を止める。
「向こうは貴様に相当思うところがありそうだが?」
「……彼女だけじゃない。あの頃の住人は皆、オレに思うところがあるだろう」
そんなふたりの会話にハラハラする。
セリーンは腕を組み、ラグの背に向かって続けた。
「そもそも、貴様らはなぜこの街を狙ったんだ」
その問いにラグが勢いよくこちらを振り返った。
「違う! オレはただ……っ」
でもラグはそこで我に返ったように目を大きくして、それからふいと視線を外してしまった。
「ただ、助けたかった……だけだ」
なんとか聞こえたその低く小さな声に、胸がざわつく。
(助けたかった……?)
「私も今まで旅をしていて色々な噂を耳にしてきたが、この街が何か恐ろしい武器を作ろうとしていたという話は本当なのか?」
「え?」
思わず声が出ていた。
――恐ろしい、武器?
昼間、自警団の詰所で見たたくさんの武器を思い出す。
少しの沈黙のあと、ラグが口を開いた。
「少なくともオレは、そう聞かされていた。……だから、調査に行くと」
「そして、それが事実だったわけか」
「……燃やせと言われた。それが戦争の終結を早めることになるからと」
アルさんから聞いた話を思い出す。
戦争を終わらせるために、彼が張り切ってその任務に就いたと――。
「オレは術を使って……気づいたら、街も、森も、すべて……火に包まれていた」
絞り出したような声だった。
完全に俯いてしまった彼の姿が、呪いで小さくなった彼の姿と重なって見えた。
当時12歳だった彼の心を考えると喉の奥が締め付けられるように痛くて、何も言葉が出てこなかった。
それから何年もずっと、彼はその辛く重い過去を背負って生きてきたのだ。
「……そうか。すまない。辛いことを訊いた」
セリーンがそう謝罪した。
ラグは無言で私たちに背を向けるとドアに手をかけた。
「少しでも眠っておけ」
「……」
それに対しての返答はなく、ドアはぱたりと閉じられた。
セリーンが重苦しい溜息を吐く。
「てっきり、いつものようにはぐらかされると思ったが……流石に参っているみたいだな」
私は頷く。
「モンスターがここに集まって来たのも、ブゥが怯えているのも、ラグ全部自分のせいだって思いこんでて……。でも、マルテラさんは今の話知ってるのかな」
この街がなにか恐ろしい武器を作ろうとしていたこと。
そして、ラグが当時なんのためにこの街を訪れたのか……その純粋な思いを。
「私が聞いた話では、この街の住人たちは当時その武器を作るために奴隷のように働かされていたそうだ」
「じゃあ、マルテラさんも」
防具を外していきながら、セリーンが頷いた。
「あぁ。先ほど奴が言った“助けたかった”というのは、マルテラのことだったのかもしれないな」
つきりと、喉の奥に先ほどとは違う小さな痛みが走る。
ベッドに腰掛けセリーンは続けた。
「明日、例の男の元へは私たちだけで行った方が良さそうだな」
「そう、だね」
あんな状態のラグと昔からの住人だという男性を会わせられない。
「……恐ろしい武器って、どんな武器だったんだろう」
「さぁな。想像も出来ん」
言いながらセリーンはベッドに仰向けになった。
「なんか怖いね。……今はもう、作ってないんだよね?」
「だと思いたいがな。さぁ、もう一度寝るぞ。夜明けまでまだ時間がある」
ずっと立ちっぱなしだった私は言われてゆっくりとベッドに横になった。……全く眠れそうになかったけれど。
それでも目を閉じると、マルテラさんと出会ったときのことが頭に浮かんだ。
――マルテラ。きみ、生きていたのか。
そうマルテラさんに話しかけたラグ。
(あのとき、きっとラグすごく嬉しかったんだよね)
自分のせいで亡くなったと思っていた彼女が……助けたかった人が目の前に現れて、本当はすごく、すごく嬉しかったはずだ。
なのに、そんな彼女にあんなにも露骨に疑われて……。
(ラグ……)
胸の辺りがどうしようもなく苦しくて、やっぱり眠れそうになかった。




