21.自覚
そうか。
私、ラグが好きなんだ。
森に囲まれた街道を進みながら、見慣れたその背中を見つめる。
なんだか胸のあたりがじんわりとあたたかい。
……いつからだろう。
でも気づいてしまえば、彼の何気ない一言で涙が出てきた理由も、胸がいっぱいになる理由も我ながらすごく単純でわかりやすくて。
ひょっとして自分では気づいていなかっただけで周りからはバレバレだったのだろうか。
(だからよく皆から誤解されてたのかな……うわ、だとしたら私恥ずかし過ぎる)
両手で頬に触れるとほんのりと熱を帯びていて、今ラグの他に誰もいなくて良かったと思った。
(でも、じゃあもしかして、ラグにもバレバレだった……?)
いやいやと頭を振る。
きっと、多分、彼にはバレていないはずだ。
なんとなくだけれど、彼は私の気持ちを知ったら距離をとるような気がした。
離れるな、なんて絶対に言わないような気がした。
でも、よりによって今、このタイミングで気づいてしまうなんて。
(もうすぐお別れかもしれないのに……)
喉の奥の方がきゅっと苦しくなる。
……もしかしたら、これまで無意識のうちに好きになってしまわないよう自分の心を守っていたのかもしれない。
だって私はこの世界の人間ではない。帰らなくてはならない。
気づいてしまったら。認めてしまったら。
この先自分が辛くなるのは目に見えているのだから。
でももう自覚してしまった。もう自分の気持ちに嘘はつけない。後戻りはできない。
(なら、せめて――)
ここにいられる間は彼のために出来ることをしたい。彼の役に立ちたい。
ラグのそばにいたい。
あとどのくらいこの世界にいられるかは、わからないけれど……。
「もう街に入る」
「え!?」
急に声がかかってびっくりする。
彼がこちらを振り返った。
「いいな、オレの名前は絶対に出すなよ」
目が合って、それだけでどきりと胸が跳ねる。
「う、うん! わかってるよ!?」
お蔭で声が思いっきりひっくり返ってしまった。
と、私の態度がおかしいことに気付いたのだろう。
訝しげに眉根を寄せて彼は足を止めた。
「お前、」
「な、なに?」
彼がこちらに戻ってくる。
青い瞳が私をじっと見つめて、それからその大きな手が伸びてきて私の頬に触れた。
(ひぇっ!?)
心臓が、飛び出るかと思った。
「日にやられたか?」
「え!?」
「顔が赤い」
ぎくりとする。
彼の手が離れていって、私はぶんぶんと頭を振った。
「だ、大丈夫! なにも問題ないデス!」
この気持ちを知られるわけにはいかない。絶対に。
(だから、これ以上赤くなるな!)
なのに、そう思えば思うほど顔が……彼に触れられた頬が熱い。
これまでは同じように触れられても驚きはしてもこんなふうにはならなかった。自分の気持ちに気づいた途端こんなにも意識してしまうなんて。
――そうだ、これまでにも私は彼に抱き上げられたり、抱き締められたこともあって。
それを思い出したらもうダメだった。顔の火照りは治まるどころか全身に広がっていく。
やっぱり、こんな気持ちには気づかなければ良かったかもしれない……!
「……心配か?」
「え?」
彼がぽつりと言った。
「オレと街に入るのは、やっぱり怖いか」
「――ち、違うの!」
その瞳がわずかに翳ったのを見て、私は慌てて否定する。
一番不安なはずのラグにそんな心配をさせてしまうなんて……!
自分を引っ叩きたくなった。
「ごめん、ほんのちょっとだけ緊張してるだけだから、本当に大丈夫」
精一杯の笑顔で答える。
「……なら、いいが」
「うん! ラグこそ、平気?」
思い切って訊くと、彼は少し瞳を大きくしてからゆっくりと街の方に視線を向けた。
「思っていたよりは平気だ。……まさか、もう一度ここへ来るとは思ってなかったけどな」
「そう、だよね……」
でもそれを聞いて少しほっとする。
ルルデュールと戦ったときや、グリスノートたちの前でこの場所の話をしたときに比べると今の彼の表情はとても穏やかだ。
「……お前がいるからかもな」
「え?」
とてもとても小さな声だった。
でも確かにそう聞こえて、彼はそのまま前に向き直った。
「行くぞ」
「……っ、うん!」
嬉しい。
すごく嬉しい!
歩き始めた彼について行きながら、私はどうしてもにやけてしまう顔を両手で挟むようにして押さえていた。
――甲高い悲鳴が聞こえてきたのは、そんなときだった。
「なに?」
その悲鳴はひとりのものではなかった。複数聞こえてくる悲鳴に緊張が走る。
(街の方から?)
ラグがこちらを振り返った。
「走れるか?」
「う、うん!」
頷くと手が差し出されて驚く。
その大きな手を握ると、彼は私の手をしっかりと握り返してくれた。そして私たちは走り出した。
――こんなときだというのにドキドキした。
森が徐々に開けて木々の代わりに木組みの家々が道の両側に並んだ。もうここはレーネの街中なのだ。
悲鳴の元は間もなく見つかった。
(モンスター!?)
初めて見る狼に似た毛むくじゃらのモンスターの群れに人々が襲われていたのだ。中には武器を手に応戦している人たちもいて。
ラグが走りながら小さく舌打ちをするのが聞こえた。
「危ない!」
モンスターに家の壁に追い詰められ抱き合って震えている女性と小さな子供が目に入って思わず叫ぶ。
「ここで待ってろ」
「え?」
握られていた手が離れ、その手は腰のナイフを抜いた。ラグはそのままモンスターの方へと一直線に駆けていく。
今にもその二人――おそらくは親子に飛びかかろうとしていたモンスターは向かってくるラグに気付いたのだろう、すぐにこちらに標的を変えてきた。
牙をむき出しにして飛びかかってきたモンスターをラグは寸でのところでかわしその横っ腹をナイフで切り上げた。ドッとそのモンスターは横に倒れ痙攣した後に動かなくなった。
まずは一匹。しかし他のモンスターは倒れた仲間を見て怖気づいたのだろうか、ラグからじりじりと後退りするとそのまま一斉に森の方へ走り去ってしまった。
ラグがナイフについた血を払って仕舞うのを見て私は彼に駆け寄る。
「大丈夫?」
「ありがとうございました!」
私の声に女性の声が重なった。先ほどの親子が座り込んだままラグの方を見上げていた。
「うわあああ……!」
お母さんに抱きついていた2、3歳ほどの可愛らしい女の子が急に大きな声で泣き始めた。きっと緊張が切れたのだろう。
でもそこでハっとする。その子の腕に引っかいたような大きな切り傷があり血が流れていた。先ほどのモンスターにやられたのだろうか。
お母さんはその子を強く抱きしめながら涙声で続ける。
「本当にありがとうございます……! お蔭で私もこの子も助かりました!」
「いやぁ良かった!」
「ありがとうな、兄ちゃん!」
そんな男の人の声で気付く。いつの間にか周りに人だかりが出来ていた。
ラグは返事をしようとはしない。
代わりに私が何か言わなければと口を開けた時だ。
「みんなー! 大丈夫だったーー!?」
大きな声が聞こえてきて周囲にいた人たちは皆そちらを振り返った。
「マルテラー!」
「こっちは大丈夫だ! 皆無事だぞー!」
こちらに走ってくるのは動きやすい傭兵のような格好をした女性だった。その手には細身の剣が握られている。
「マルテラ……?」
そのときラグが小さく呟いた気がした。
はぁはぁと息を切らして走ってきた女性は倒れたモンスターを見てからこちらに視線を向けた。大人っぽい綺麗な女性だ。
「この兄ちゃんがやってくれたんだ! 他の奴らは逃げて行ったぜ」
先ほどの男性がそう言うと彼女はラグの方を見た。
「そうだったの。ありがとう! 私はこの街で自警団の副長をしているマルテラよ」
そうして笑顔で手を差し出した彼女を、ラグが酷く驚いたように凝視していることに気付く。
(ラグ……?)
その口が微かに動く。
「マルテラ……きみ、生きていたのか」
「え?」
マルテラと呼ばれた女性はそんなラグの言葉に首を傾げて、でもそれから彼と同じように大きくその目を見開いた。
「まさか、貴方……」
見つめ合うふたりを見て、胸がざわついた。




