17.ふたりきり
(気まずい……)
ゆったりと流れる川のほとりを私はラグの背中を見ながら歩いていた。
アピアチェーレの港町を出たときにはまだ低かった太陽が、今がほぼ真上にある。
向かう先には黒い山々が連なり、辺りはなんとものどかな田園風景が広がっていた。
レーネの街はあの山のふもとに位置していて、この川沿いをずっと行けば辿り着くのだそうだ。そして目的地である森はその周囲に広がっていたらしい。
日差しはぽかぽかとあたたかいし川から吹いてくる風は心地よくて、ずっと歩き通しでもそれほど苦ではなかった。――けれど。
(気まずいなぁ)
これからレーネまで約三日間、それまでラグとふたりきり。(ブゥは寝ているし)
レーネに着く前に訊いておきたいことはたくさんあったけれど、全部彼の逆鱗に触れそうで下手に話しかけられずにいた。
(セリーンがいたらなぁ)
そう考えたのはこれで何度目だろう。彼女がこの場にいればラグに訊きにくいこともこっそりと訊くことが出来たのに。
(それに……)
ラグの背中をじっと見つめる。
――想い合っている。
アヴェイラのあの言葉がずっと頭にちらついて、気まずいのはそのせいもあった。
(私が、ラグを好き……?)
確かに彼はいつも無愛想だけど強くて頼りになるし、これまで何度も助けてもらっていて、口は悪いけれどなんだかんだと優しいのも知っている。でも……。
そこまで考えて私はぶんぶんと頭を振る。
(だから違うってば! 私は帰るんだから、好きじゃないし好きになったりもしない! ……それに、やっぱりラグが私を、なんてありえないよ)
フィルくんから聞いた話も、こうして一緒にいるとやっぱり信じられなくて。
(カノンにこれ以上近づくな、なんてほんとに言ったのかな?)
ぐぅ、とお腹が鳴ってしまったのはそんなときだった。
はぁと重い溜息が聞こえて、やっぱり聞こえてしまったかと顔が熱くなる。
「次の街まであと少しだ。それまで我慢しろ」
「う、うん、頑張る」
そう答えながら、でもやっと会話が出来たと少し嬉しくなった。
このまま何か話をと話題を探していると、ラグがもう一度口を開いた。
「あの女海賊の船では、ちゃんと食わせてもらってたんだよな?」
「うん、食べてたよ。アヴェイラが運んでくれて。ブルーの船よりはシンプルだったけど」
やっぱりブルーの船にはリディがいてくれて良かったよね、そう続けようとして、ハっとする。
(そうだ。リディ、ラグのことが好きなんだった)
真っ赤になった彼女の顔が浮かんで、私とラグが想い合っているなんて少しでも考えてしまったことに罪悪感を覚える。
(やっぱりありえない!)
私はもう一度頭を振ってから、思いきって訊くことにした。
「ラグはさ、呪いが解けたらどうするの?」
「は?」
案の定不機嫌そうな声が返って来たが、足を止めこっちを向いてくれたのをいいことに私はそのまま早口で続けた。
「ブルーの皆に報告に行かないのかなって。ほら、フィルくんとか、ラグのこと大好きだったしあのままお別れになっちゃって寂しがってるだろうなって思って」
するとその眉間に思いっきり皴が寄ってしまった。
「別に、報告なんてする必要ないだろ」
「でも船に乗っている間皆にはすごくお世話になったし、お別れの挨拶くらいは」
「必要ない」
そう冷たく言ってラグはまた前に向き直り歩き出してしまった。
「そんなにあの男に会いたいのなら、お前だけで行けばいいだろ」
「へ?」
一瞬何を言われているのかわからなかった。
でも「あの男」がグリスノートのことだと気づいてびっくりする。
「だ、誰もそんなこと言ってないじゃん! 私はただ」
「お前はどうするんだ」
「え?」
「金髪野郎が本当にお前が帰るための楽譜を持っていたらの話だが、帰らないって選択肢もあるだろ」
「勿論帰るよ! そのためにここまで来たんだから!」
そう答えながら、なぜかつきりと小さく胸が痛んだ気がした。
「そうだよな」
すぐにそんな素っ気ない言葉が返ってきて、またあのときの言葉が蘇った。
――帰れなくても、居場所が出来て良かったじゃねぇか。
ぎゅうっと拳を強く握る。
(そうだ。ラグは私が帰っても帰らなくても、どうでもいいんだった)
私は帰るんだ。私の本当の居場所に。
セリーンやブルーの皆にちゃんとお別れの言葉が言えなかったのはすごく残念だけれど、でも帰るためにこうして長く旅をしてきたのだから。
(……そういえば)
ふと、アヴェイラの船で『埴生の宿』を歌ったときのことを思い出した。一瞬だけ帰れたかもしれないことを。
そのことを話したら、彼は一体どんな反応をするだろう。
「――あ、あのね、」
そう言いかけたとき、ラグがぴたりと足を止めた。
危うくその背中にぶつかりそうになって、小さく舌打ちをした彼の横顔を見上げる。川の茂みの奥を見つめるその瞳に警戒の色を見てぎくりとする。
「もしかして」
「離れるなよ。それと何もするな」
「う、うん」
頷いたそのとき、視線の先の茂みがガサガサッと大きく動いてそいつらが一斉に飛び出してきた。
私達の行く手を阻むように立ちはだかったのは総勢5人の男達。
皆長剣やナイフを手にし、その見た目から野盗だとすぐにわかった。でも。
(あれ?)
「運が悪かったな。金目のもん全部置いていけば命は助けてやるぜ」
中心に立つひょろ長い顔をした30代半ば程の男が偉そうに言う。
でもラグが何も言わずに腰のナイフに触れると、野盗たちは少しだけ怯んだようだった。
「ふん、よほど自信があるようだな。だが俺たちはそんじょそこらの賊とは違うぜ。なんたって俺様はあのストレッタ出身の魔導術士なんだからな!」
どうだ! と言わんばかりに声を張り上げた男を見て、私は思わず大きな声で叫んでいた。
「やっぱりあのときの偽者!」
「は!?」
私に思いっきり指差されたその男は焦ったように顔を歪めた。
そうだ、間違いない。一度目はルバートへ向かう途中の街道でラグに吹き飛ばされ、二度目はタチェット村でラグの名を騙りアルさんに吹き飛ばされた野盗たちだ。
まさかこんなところでまた再会するなんて……!
「誰が偽者だ! 俺様はなぁ」
「か、頭! こいつ、前に俺たちを魔導術でぶっ飛ばした奴ですよ!」
「あぁ?」
子分たちの方が先に気付いたようだ。
「ほら、ランフォルセにいたときに!」
「ランフォルセ? ……あー! あんときの! てめえ、よくも俺たちを吹っ飛ばしてくれたな!」
「……」
ラグは何も言い返さない。ただじっと奴らを睨み据えている。
子分たちはそんなラグの無言の圧力にじりじりと後退っていくが、頭の男は違った。
「そうか、てめぇも魔導術士か。よし、なら俺様ともう一度勝負だ!!」
(はぁ!?)
思わずそんな声が出そうになる。
「あのときは俺様も油断してたからなぁ。今度は負けねぇ。てめぇよりも強い風を呼んでやるぜぇ!」
「頭、やめときやしょうよ」
「そうっスよ!」
「うるせぇ! 俺様はあのラグ・エヴァンスだぞ! 負けるはずがねぇ!!」
そこでまたしてもラグの名前を出した彼にかちんと来る。
「ちょっと、」
「ほらよ」
私の言葉を遮るようにラグは頭に向かって何かを放り投げた。
「あ?」
その小さな革袋を受け取った頭は間抜けな顔でそれを見下ろし、そして大きく目を見開いた。
「な、なんのつもりだ!」
「金が欲しいんだろ。それやるからそこを退け。急いでんだよ」
「!?」
私は驚いてラグの横顔を見上げる。
「俺様は勝負しろって」
「ああありがとうございました! 頭ほら行きますよ!」
子分のひとりがへこへことこちらにお辞儀しながら頭の腕をがっしりと掴んだ。
「お、おい、ふざけんな!」
他の子分たちも同じように頭の腕やら腰やらを掴んでズルズルと茂みの方へと引っ張っていく。
「どうぞ行ってください!」
「お前ら何してんだ! 俺はそいつと勝負をだな!」
道が開いて、ラグが平然と進み始める。
「え? で、でも」
「行くぞ」
睨むように言われて、仕方なく後ろ髪を引かれる思いでついて行く。
――ラグは自分がラグ・エヴァンス本人だと言うつもりはないし、レーネに近いこの場所で術を使う気もないのだろう。わかっている。
ついさっきまで一緒にいたアヴェイラだって海賊で、誰かから金品を奪うという悪いことをしている。あの野盗も一応術士で、もしかしたらアヴェイラのようにそのせいでこれまで酷い目に遭ってきたのかもしれない。それで野盗を始めたのかもしれない。
でも、それでもどうしても納得がいかなくて。
「俺様はあのラグ・エヴァンスだぞー! 戻ってこい、この腰抜けがあああー!!」
聞こえてきたその声に我慢がならず、私は振り向いて叫んでいた。
「ラグは、ラグ・エヴァンスは! あなたみたいに自分の力をひけらかしたりなんかしないんだから!」
「おいっ」
ラグの止める声が聞こえたが止まれなかった。
「それに、ラグはあなたなんかよりずっと強いし、優しいし、カッコいいんだからねーー!!」
「なんだとこのアマぁーー!!」
「頭ぁ!」
「ほら頭、この金でうまい酒でも飲み行きましょうって!」
子分たちに羽交い絞めにされながら怒鳴っている頭にふんっと背を向ける。
するとラグが心底呆れたような顔で私を見ていた。
「お前なぁ」
「だって! やっぱり悔しくて……っ」
ラグが大きな溜息をついて、また前を向いてしまった。
そんな彼を追いかけながら声を掛ける。
「お金、本当に渡しちゃってよかったの?」
「平気だ。あれで全部ってわけじゃない」
「そっか……」
でも、あんな奴らに少しでもあげてしまうのはやっぱり腹立たしかった。
(ラグは、悔しくないのかな……)
その後ろ姿を見つめて、ふと、彼の耳の後ろが赤くなっていることに気が付いた。
首を傾げて、そしてハっとする。
(私、さっきとんでもないこと言わなかった!?)
怒りに任せて言ってしまった自分の台詞を思い出してぶわっと顔に熱が集中する。
何か言って誤魔化そうにももう今更で、恥ずかしくて頭が爆発しそうだった。
いつもならこんなとき突っ込んでくれる誰かがいた。別の話題を振れる誰かがいた。
でも今はふたりきり。誰も、この気まずい雰囲気をどうにかしてくれる人はいない。
(やっぱり、ふたりきりは気まずいよ~~)
せめてブゥが少しでも早く起きてくれますようにと願いながら、私は顔の熱が冷めるのを待った。




