番外編.ふたりの関係
カノンがフィルを助けに飛んだ直後の船の様子を【リディアン視点】で書いた番外編です。
「銀のセイレーン……?」
銀に輝く光を見送って、自分の口からそんな掠れた声が漏れていた。
「嘘だろ……」
兄貴の呆けたような声が雨音に紛れて聞こえてきた。
兄貴が驚くのも無理はない。憧れのセイレーンがこんなに近くにいたなんて。
と、セリーンさんがカノンの飛んで行った方へと駆け出し、私も立ち上がってその後を追いかける。
遅れてコードが「危ないって言ってるのに」とぼやきながら私の後をついてきた。
船縁に手をつき黒く波立つ海を見渡すとその銀の光はすぐに見つかった。そしてその光から響いてくる“歌”。
なんて綺麗な声だろう。
「これが、歌……?」
こんな声が人間の喉から出るなんて。
兄貴がずっと執着している“歌”。それの何がそんなに魅力なのか、これまで全然わからなかったけれど。
「船長の気持ちが、今なら少しわかる気がするっス」
隣に立つコードがそう呟いて、私も頷いていた。
銀の光は海面近くをあちこち飛び回り、フィルを捜しているようだった。
ここから見守ることしかできないのが酷くもどかしい。
(カノン、頑張って……!)
でもそのとき、銀の光が急に鈍ったかと思うとそのまま海に落ちてしまった。
「カノン!?」
「離せー!!」
「ボートを出せー!!」
ラグさんと兄貴の声がほぼ同時に上がり、見れば兄貴が暴れる小さなラグさんを羽交い絞めにしていた。
何人かがバシャバシャと足音を立てながらボートを放しに向かう。
祈る思いでもう一度カノンが落ちた辺りを見つめると、見張り台から声が掛かった。
「船長、フィルです! フィルがいました! 姐さんも無事です!!」
「やったわ!」
思わず歓声を上げていた。でもここからではその姿までは見えない。
海に放されたボートにラグさんが飛び乗り、セリーンさんがその後に続く。そのとき再び銀の光が空へ舞うのが見えた。
丁度辺りが明るくなって、いつの間にか雨が上がっていることに気付く。
歌声が再び聞こえてきて、フィルを抱えたカノンがふらふらとこちらに戻ってくる。
ほっとした、そのときだった。
「え!?」
突然カノンが進路を変えた。違う、突風に煽られたのだ。
「船長! 前方にアヴェイラの船です!!」
「!?」
「はぁ!?」
見張り台から降ってきた狼狽えたような声に驚く。
そちらの方角にはまだ分厚い黒雲がずっと続いていて、その暗がりの中に一隻の帆船が確かに見えた。
カノンがそちらへと吸い寄せられるようにして飛んでいくのを見て、まさかと青くなる。
「なんで……!」
「アヴェイラの奴、何考えてんだ!」
兄貴もアヴェイラの仕業だとすぐに気づいたのだろう。
「くっそーー!!」
ラグさんの悔しげな怒声が聞こえてきて胸の下辺りがぎゅうっと苦しくなった。
アヴェイラの船はどんどん遠退いていってしまう。
「てめぇら追うぞ!」
「無理っスよ船長、アヴェイラの船に追いつけた試しがないじゃないっスか」
コードが困り果てたように言う。
「それに、この海域で下手に動けばこっちが危ないって船長だってわかってるはずっスよ。それでなくとも嵐のせいで予定航路から大分外れちまったんスから」
「ならどうすんだよ! カノンとフィルが攫われちまったんだぞ!」
そのときダンっと背後で音がして驚いて振り向けば、甲板に戻ってきたラグさんがそのまま船内へと走っていってしまった。
「ブゥを飛ばすつもりらしい」
続いて甲板に降りたセリーンさんが言う。
「ブゥを?」
間もなくして戻ってきたラグさんは確かにブゥを連れていた。
「ブゥ、頼んだぞ。あの船だ、見えるか?」
「ぶーぅっ」
ブゥはラグさんの指差した方を向いて力強く返事をするとすぐに飛び立っていった。
それを見送っているラグさんに兄貴が声を掛ける。
「あいつに何が出来んだよ」
馬鹿兄貴! と声が出そうになる。案の定、ラグさんがものすごい形相で兄貴を睨みつけた。
「それよりどういうことだ。なんであの女海賊がカノンを攫う必要がある」
言い返されて兄貴は一瞬言葉に詰まったようだった。……多分、ラグさんの雰囲気に気圧されたのだ。
(あの時と同じ……)
私はぎゅっと自分の服の裾を掴んでいた。
あの時――イディルで兄貴がお嫁さんの格好をしたカノンを連れて行ったとき、止めに入った私にラグさんが見せた表情。
あの怒りに震えた瞳が、今でも目に焼き付いている。そして思い出す度にぞくりと身体に小さく震えが走るのだ。
少年の姿をしていても、それは同じで。
兄貴が首を横に振る。
「わからねぇ。……だがアヴェイラの奴、俺に女が出来たと知って悔しかったのかもしれねぇ。あいつ、俺のことを理解できる女がいるわけねーってずっと言ってやがったからな」
――は?
思わずぽかんと口が開いてしまった。
「あいつ、まさかカノンを」
「んなわけないでしょ!? この鈍感馬鹿兄貴!!」
「あぁ!?」
流石に我慢できなくて怒鳴ると、兄貴がこちらを柄悪く睨んできた。
「アヴェイラはカノンを傷つけたりしないわ。そんなことが出来る子じゃないって兄貴だって知ってるでしょ!」
「ならなんで攫ったりしたんだよ!」
「そんなの私だって聞きたいわよ!」
「銀のセイレーンの力が欲しくなったとかっスかね?」
そう冷静に言ったのはコードだ。
兄貴がそれを聞いて思い出したようにラグさんを睨みつけた。
「カノンが、本当にあの銀のセイレーンなのかよ」
「見たとおりだ」
ラグさんが素っ気なく答えると、兄貴の眉がぴくりと跳ねた。
「なんで黙ってた」
「貴様が銀のセイレーンを殺したいほど憎んでいると知って、言えるわけがないだろう」
答えたのはセリーンさんだ。兄貴が悔しそうに奥歯を噛む。
そうだ、兄貴は銀のセイレーンを憎んでいると確か前に言っていた。まさかお嫁さんにしようとしていた相手がその憎むべき相手だったなんて。
(でも、やっぱりカノンがあの銀のセイレーンだなんて信じられない……)
ついさっきまで傍にいたカノンの優しい笑顔が目に浮かんだ。
「とにかく、カノンは無事な可能性が高いんだな」
セリーンさんに訊かれ、私は強く頷く。
「多分。ううん、絶対!」
アヴェイラは絶対にカノンを傷つけたりしない。
イディルで共に過ごした数年間があるからこそ、そう言い切れる自信があった。
「なら、今はブゥを信じるしかないだろう」
セリーンさんが優しくラグさんの肩に手を置く。でもラグさんはバシっとその手を払ってしまった。
「あの船はどこに向かったんだ」
「おそらくアジトだと思うが」
「それはどこにある」
「俺たちが知るわけねーだろ」
兄貴が答えるとラグさんは舌打ちをして、それから自分のまだ小さな両手を見つめた。
「くそっ、早く戻れよ! なんで戻らねーんだ!!」
ラグさんが両手を震わせ悔しげに叫ぶのを見て、誰も何も言えなかった。
ラグさんが元の姿に戻ったときには、もうどこにもアヴェイラの船はなかった。
私たちは話し合い、このままアピアチェーレの港に向かうことにした。
ラグさんはブゥに手紙を持たせたのだそうだ。
カノンたちがアヴェイラの船から自力で逃げ出せた場合、または解放された後は「港」に来るようにと。
だから今はアピアチェーレの港で会えることを信じて進むしかなかった。
ラグさんは何度も何度も空を飛び、周辺の海を見渡して戻って来ては少年の姿に変わるを繰り返し、相当イラついているように見えた。……誰も近づける雰囲気ではなかった。
――その夜、私は思い切ってセリーンさんに問いかけた。
「セリーンさん、あのふたりってやっぱり」
するとセリーンさんは困ったように微笑んだ。
「カノンは異世界に帰るために旅をしているんだ」
「え?」
「銀のセイレーン。カノンに会うまでただの伝説だと思っていたが、カノンは本当にこのレヴールとは違う世界から来たのだそうだ」
カノンから帰らないといけない場所があるとは聞いていたけれど。
私が目を見開いているとセリーンさんは苦笑した。
「だからあのふたりは、ずっとあの調子でな」
(でも、ラグさんは……)
そう言いかけて、声にならなかった。
急に喉の奥の方がつかえたように苦しくなって、私はそんな自分を誤魔化すように笑顔を作った。
「カノンとフィルは絶対に無事。港に着けばきっと会えるわ!」
「そうだな。今はそう信じよう」
セリーンさんも笑顔で答えてくれた。
そうして、私たちは眠りについた。
どうかカノンたちもちゃんと休めていますようにと願いながら。




