12.白昼夢
「カノン、うちの奴らの前で一度歌ってみちゃくれないか」
「え?」
この船に乗って3日目のこと。船長室に戻ってきたアヴェイラにいきなり手を合わせられ私は目を瞬いた。
扉を指さし彼女が溜息交じりに続ける。
「あまりにも煩いんで、だったら一度ちゃんと聴いてみろって言っちまってねぇ」
「で、でも、」
海賊たちは皆、私のことを警戒していたはずだ。煩いというのも頭である彼女を心配してのことだろう。
歌うのは構わないが、またこの間のように睨まれたり怖がられたりはしたくない。
するとアヴェイラは小声で言った。
「なんだかんだ言って、あいつらも気になってんだよあんたのことが。ほら、明日にはアピアチェーレの港に着く予定だろ? その前に一度ってわけさ」
そう、このまま順調に行けば明日この船を下りることになる。
その前に、アヴェイラ曰く「グリスノートの船を迎え撃つ」ことになるのだが。
「な、頼むよ」
「歌うのは、いいんだけど……」
「本当かい!?」
急な大声にびくっと驚いて、それに答える前にアヴェイラは後ろ手に扉を開け放っていた。
「良かったなお前たち! 歌ってくれるってさ!」
「!?」
扉の向こうに海賊たちが押し合うように集まっていてびっくりする。
皆やっぱり強面の男たちばかりで思わず一歩引いてしまったが、その中にフィルくんの姿を見つけた。
「あ、俺もカノンさんの歌、もう一度ちゃんと聴いてみたいと思って」
目が合うとフィルくんはそう照れくさそうに笑った。
と、その頭にバンっと大きな手が乗る。
「フィル坊がな、あんたは悪い奴じゃねぇってしつこくってよ。最初あんなにビビってたくせになぁ!」
そう豪快に笑ったのは、フィルくんを看てくれていたあの大柄のおじさんだった。
「うちのお頭もあんたに惚れこんでるようだしよ。俺たちにも聴かせてくれよ、その歌ってやつをよ!」
「あ、お前たち中には入るんじゃないよ」
「へいっ、お頭!」
「わかってまさァ!」
興味津々、集まる視線に緊張を覚える。
でも、フィルくんのように本当に歌を聴いてみたいと思ってくれているのだとしたら素直に嬉しい。
歌は恐ろしいものではないと知ってもらえるのなら――。
「カノン、頼めるかい?」
もう一度アヴェイラに訊かれて、私は意を決し頷いた。
「じゃあ、一曲歌わせてもらいます」
――何を歌おうか少し考えて、私は「埴生の宿」を歌うことにした。
愛する故郷、我が家に思いをはせる歌。
ドナのおばあちゃんが友達になったという銀のセイレーンが歌い、そしてエルネストさんの作曲ノートにも書かれていたその歌を、私は久しぶりに歌った。
髪が銀に輝きはじめ海賊たちがざわつくのがわかったが私は歌に集中した。
前にフェルクでこの歌を歌った時、特に何も起こらなかった。だから大丈夫だという確信があった。
あのときは大好きなおばあちゃんのことを思い出して涙が溢れてきてしまって、エルネストさんが褒めてくれて……。
(あ。じゃあ、あのときエルネストさんはこの歌を知っていたんだ)
この歌を私と同じようにこの世界で歌った銀のセイレーン。彼女はどんな思いでこの歌を歌ったのだろう。彼女とエルネストさんは、一体どんな関係だったのだろう。
その銀のセイレーンは無事元の世界に……愛する我が家に帰れたのだろうか。
私は、帰れるのだろうか……?
「華音?」
「え?」
気が付くと、視界に映る風景が一変していた。
そこは誰かの部屋だった。アヴェイラの部屋ではない。――ありえない。
だって、ベッドもテーブルもライトも部屋にあるもの全てよく見慣れた近代的なもので、明らかにこの世界の……レヴールのものではなかった。
テレビやパソコンもある。更にはピアノまであって――。
「華音!?」
ガタンっと音を立ててピアノの椅子に座っていた人物が立ち上がった。
「響ちゃん……?」
少し大人びた気がする幼馴染の名を、私は呼んだ。
――これは、数日前に見たあの夢の続きだろうか……?
「華音!」
彼がもう一度私の名を呼びながら、こちらに手を伸ばした。
その手を取ろうとして、でも身体が動かなくて――
「うおおぉぉーー!!」
――!?
そんな大声と大きな拍手で私は我に返った。
そこは先ほどと同じアヴェイラの部屋。ピアノも彼の姿もどこにもない。
(今、私……)
「最高だったぜ、嬢ちゃん!」
その声に改めて海賊たちを見てぎょっとする。皆、顔を真っ赤にして涙を流していた。
アヴェイラがこちらに駆け寄ってきて私の手を取った。彼女の目も涙でいっぱいだ。
「やっぱりあんたの歌は素晴らしいよ、カノン!」
「あ、ありがとう……」
なんだかまだ夢の中にいるようなふわふわとした気分で、私はお礼を言う。
「俺、急に目の前に故郷の風景が見えて」
海賊のひとりが涙声で言った。
「お、俺も……」
「俺もだ!」
「俺、おふくろが笑ってた……っ」
「ちくしょー! 涙が止まらねぇじゃねぇか!」
「母ちゃああ~ん!!」
揃って号泣し始めた海賊たち。その中にはブゥの一件で怒っていた海賊の姿もあって。
アヴェイラがそんな彼らを振り返り得意げに声を上げた。
「だから言ったろ!? カノンは銀のセイレーンだが悪い奴じゃないって! これで納得したかい!」
「へいっ、お頭ぁ!」
声を揃え威勢よく返事する海賊たち。
「ならカノンに謝りな!」
「すいませんでしたァ!!」
「い、いえ」
一斉に頭を下げられて逆に恐縮してしまう。
続けてそんな彼らにアヴェイラは言い放った。
「よしっ! それじゃあ各自持ち場に戻んな! あたしはこれから歌の練習すんだよ!」
「へいっ!」
「頑張ってください、お頭ァ!」
言われた通りバラバラと散っていく海賊たち。――と、
「流石です、カノンさん!」
最後までその場に残っていたフィルくんがごしごしと涙を拭い、目を輝かせて言った。
「ラグさんがカノンさんに惚れた気持ち、よーくわかりました!」
「へ?」
「とってもお似合いです! どうかお幸せに……!」
ぺこり頭を下げてそのまま行ってしまったフィルくんを私は呆然と見送った。
「なんだい。やっぱりそういう関係なんじゃないか」
アヴェイラの呆れたような声を聞いて慌てて振り返る。
「た、多分、フィルくん何か勘違いしてるんだと思う」
おそらくはリディと同じようにラグが私のことをよく見ているからとか、そんな理由だろう。
「本当に、そんな関係じゃなくて」
「ふん、頑なだねぇ」
そう肩を竦めベッドの方へと歩いていくアヴェイラ。
「想い合ってるって、素直に認めちまえばいいのにさ」
どきりとする。
ベッドに腰を下ろし、彼女は窓から青い海を眺めた。
「羨ましいくらいだよ」
そう小さく呟くのが聞こえて、つい、口が滑ってしまった。
「それってグリスノートのこと?」
「はぁ!?」
物凄い勢いでアヴェイラがこちらを振り返った。
「なんでそこであいつの名前が出てくるんだい!?」
「えっ、や、えっと」
立ち上がりツカツカとこちらに向かってくるアヴェイラ。
鬼気迫る勢いで詰め寄られ、やっぱり不味かったかと冷や汗をかいていると彼女は震える声で言った。
「あんたまさか、やっぱりその歌であいつをたぶらかしたのかい!?」
「え!? 違う違う! グリスノートは私が歌えるって知らなかったし」
「でもフィルを助けたときに歌っていたじゃないか!」
「そ、そうだけど、でもグリスノートは銀のセイレーンのことは殺したいほど憎んでるみたいだから」
自分で言いながら思い出す。
(そうだ、明日グリスノートに気を付けなきゃいけないんだ)
殺されたくはない。なんとか直接会わないようにしないと。
アヴェイラもそれを聞いて驚いたようで、その顔から怒りが抜け落ちたのがわかった。
「そうなのかい? そりゃ初耳だね」
「うん! だからそうじゃなくて……アヴェイラが、もしかしてグリスノートのことを想ってるのかなって」
思い切って言ってしまうと、その目が大きく見開かれた。
「ほら、歌の練習すごく頑張ってるから」
「……」
「……アヴェイラ?」
瞳を大きくしたまま固まってしまった彼女の名を呼ぶ。
そのまましばらく沈黙の時が流れて。
「――べっ」
「べ?」
「別にあたしはあいつのことなんてこれっぽっちも想ってやしないよ!? 何言ってるんだい!」
大声で否定しながら彼女はくるりと背を向けてしまった。
「歌を練習してるのは、あいつを見返してやるためだって言ったろ!? あたしが歌ってやったらあいつが一体どんな面白い顔を見せてくれんのか楽しみでしょうがないね!」
「そ、そっか」
やっぱり素直に認めてはくれないかとこっそり肩を落としていると。
「それにあいつは、あたしのことは裏切り者だと思っているだろうしね」
そう続けた彼女の背中がなんだか寂しそうに見えて、私は声を上げた。
「そんなことないと思う!」
「……なんでそう思うんだい」
疑わし気な声に私は強く答える。
「だってグリスノートはアヴェイラにイディルに戻ってきて欲しくて、それで会いに来たんだよ!」
そうだ、あのときちゃんと話が出来ないままラグがアヴェイラの船を吹っ飛ばしてしまったのだ。でもグリスノートは確かにそう切り出すつもりだった。
すると小さな声が返ってきた。
「……それは、本当かい?」
「本当だよ! オルタードさんにも言ってた。アヴェイラと話をつけてくるって。皆アヴェイラに帰ってきて欲しいんだよ」
「……」
また少しの沈黙が流れて、彼女はふんっと鼻で笑った。
「今更、帰れるわけないだろう」
表情は見えないけれど、その拳が強く強く握られているのを見た。
「アヴェイラ……」
「でも、そうかい。あいつそんなことを……。ふふっ、そうかい」
彼女はそうして少しの間肩を震わせ、勢いよくこちらを振り返った。
「ますます明日が楽しみじゃないか、ねぇカノン!」
悪い顔で、海賊の頭らしくにぃっと笑った彼女を見て私は小さく驚き、それからそうだねと苦笑した。




