11.想い
惚れてる……?
私が、ラグに?
「悪かったよ。惚れてる男を悪く言われたら、そりゃ腹が立つよねぇ」
アヴェイラがなんだか嬉しそうに続けて、私は我に返る。
「――ち、違っ」
「いいよ、今の聞いてりゃわかるって。そうかい、銀のセイレーンとラグ・エヴァンスがそんな関係とはねぇ」
「違うの! 私とラグはそんなんじゃなくて」
とんでもない勘違いだ。
先ほどの、銀のセイレーンとラグ・エヴァンスが一緒になって世界を、という話も酷い誤解だと思ったが、それ以上だ。
顔が、いや、全身が熱くてたまらない。
「なんだい、ひょっとしてあんたの片思いなのかい?」
すると今度は気遣わしげに言われ、私は手と頭を同時にぶんぶん横に振る。
「そうじゃなくて! 私とラグはそんな惚れてるとかそういう関係じゃなくて、ただの旅の仲間で」
こんな会話をこれまでにも何度かした気がする。ついこの間リディともそんな話をしたばかりだ。
なんで皆、そんなふうに思うのだろう。私とラグは全然そんな関係ではないというのに。
「ただの仲間?」
繰り返されて、大きく頷く。
「そう! 目的が同じってだけの、ただの、仲間……」
言いながら、なぜかまた一昨日の夜のことを思い出していた。
(――そう。私たちはお互いの目的が達成されればそれまでの、そこで終わる、それだけの関係)
またあの時の気持ちが蘇ってきて、知らずのうちに両手を強く握りしめていた。
「そうは見えないけどねぇ」
「え?」
顔を上げると、アヴェイラが優しい目をして私を見ていた。
「あたしはあの男のことはよく知らないがね。カノン、あんたがラグ・エヴァンスのことを想ってるってのは今のでよーくわかったよ」
どくりと胸が音を立てた。
(私が、ラグを想って……?)
「それに、そのブゥだっけ?」
その視線がハンモックの端にぶら下がっているブゥに移る。
「ラグ・エヴァンスの使いでここまであんたを追って来たんだろう?」
「え……」
「さっきフィルがそんなようなことを言っていたじゃないか。違うのかい?」
「そ、そう。ブゥはラグの相棒で」
するとアヴェイラはやっぱりと笑った。
「ゆうべ、あんたが寝ちまった後あんたをしっかり守っていたよ。あたしはずっと見張られている気分で落ち着かなかったけどねぇ」
(ブゥが……?)
そういえば昨日はブゥが起きる前に寝てしまったのだ。
そしてアヴェイラは穏やかな口調で続けた。
「それを見ていて気付いたんだよ。あんたが誰かに大切に想われてるって」
「!」
「それがラグ・エヴァンスだったんだねぇ」
また胸が小さく音を立てて、顔の熱がまた上がった気がした。
(でも、それは……)
目的のために、私がいなくなったら困るからで……。そう口から出かかって、やめる。
そんな話をし始めたら、ラグの呪いのことまで全て話さなければならなくなる。
「ま、そんなあんたを奪っちまったのはあたしだけどさ。そんなに想って、想われて、ただの仲間ってのはねぇ」
「……」
私が何も返せないでいると、アヴェイラはそんな私を見て微笑んだ。
「だから悪かったね。もうラグ・エヴァンスのことを悪く言ったりしないよ」
「う、うん」
私は小さく頷く。
そう願ってラグの話をしたのだ。喜ぶべきなのに、うまく笑顔にならなかった。
アヴェイラが扉の方に視線をやる。
「フィルもあの調子だし、よっぽどイイ男なんだろうねぇ、ラグ・エヴァンスってのは。あたしも一度話してみたくなったよ」
「あ、でも、本当に無愛想な人でね」
慌てて言うと、アヴェイラはこちらを振り返り声を上げて笑った。
「わかったって。でも実は優しいイイ奴なんだろう?」
「そ、そう」
私がぎこちなく頷くと彼女はもう一度笑い、それから勢いよく立ち上がった。
「さぁて、じゃあそろそろ歌の練習を始めようかね。頼んだよ、カノン先生!」
「先生って」
アヴェイラが早々に発声練習を始めて、私は苦笑する。
そうして、なんだかすっきりとしない気分のまま今日も歌のレッスンが始まった。
「……」
その夜。私はハンモックの上で何度目かの寝返りを打った。
昨日は日が暮れてすぐにやってきた眠気が今日はなかなかやって来ない。低い波音と船体の軋む音がやたらと耳についた。
ブゥがそんな私をハンモックの端っこからじっと見守ってくれている。だから不安はそんなにない。
すぐ隣のベッドではすでにアヴェイラが静かに寝息を立てていた。
(想って、想われて……)
彼女のその言葉が朝からずっと引っかかって離れない。眠れない原因はそれだった。
――この世界に来てからずっと傍にいて、いつも守ってくれるラグ。
彼がいなかったら、私はとっくにこのレヴールのどこかで命を落としていただろう。
それが彼の目的のためであっても感謝しているから。だから彼のために自分の出来ることをしたいと思うし、彼を誤解している人がいたら違うのだと本当の彼を教えたいと思う。
それは私が彼のことを『想っている』からなのだろうか。
(……でも、想ってるって、要するに、好きってことだよね……?)
――私が、ラグを『好き』?
「そんなのダメだよ!」
思わず声に出してしまってから慌てて口を押さえる。
「うぅ~ん……」
アヴェイラの呻き声が聞こえて起こしてしまったかと焦るが、彼女はすぐにまた寝息を立て始めほっとする。
「ぶぅ?」
小さな鳴き声がして見るとブゥが不思議そうにその円らな瞳を瞬いていた。
「ごめん、なんでもないの」
小声でそう謝る。
私はもう一度寝返りを打って目を瞑った。
(そうだよ。私がラグを好きなんて、そんなのダメに決まってる。だって、私はこの世界の人間じゃないんだから)
私は帰らなきゃいけないのだ。
そのためにここまで来たのだ。
好きになんてなってしまったら、きっと今以上に別れが辛くなってしまう。
これまでだってライゼちゃんやドナと別れるときあんなに悲しかったのだ。この世界を離れるときは一番長く一緒にいたラグ、そしてセリーンとブゥともお別れすることになる。もう会えなくなる。――そのときが近づいている。
途端、喉の奥の方がきゅうと苦しくなった。
ほら。今だって想像するだけで、こんなに寂しい気持ちになるのに。なのに『好き』なんて想いまで出来てしまったら。
(好きになってしまったら……)
ふいにラグの色んな顔が目蓋の裏に浮かんだ。
いつもの不機嫌な顔。怒ったときの怖い顔。お前なぁと向けられる呆れた顔。
そして、不器用な笑顔。
(きっと、帰りたくなくなってしまう)
――そんなのダメだ!
ハンモックの上で私は頭を振る。
元いた世界に私の帰りを待っている家族がいる。いつか見た夢でお母さんが泣いていた。お父さんの悲痛な声が聞こえた。友達もみんな泣いていた。
だから、私は帰らなきゃいけないのだ。
――帰れなくても、居場所が出来て良かったじゃねぇか。
あのとき言われた台詞が蘇る。
……そうだ。もし好きになったとしても一方通行。その想いが叶うことはない。
(そんなの、ただ苦しいだけだ)
苦しいのは嫌だ。辛い気持ちをこれ以上大きくしたくはない。
どんなに寂しくても、せめて笑顔で「ありがとう」とお礼を言って気持ちよく元の世界に帰りたい。
(だから私は、ラグを好きになんてならない)
好きになっちゃダメだ……。
私はそこで考えることをやめ、繰り返される低い波音を耳にしながら眠気が訪れるのをただ待った。




