9.手紙
「気にすることないよ」
「え?」
先ほどのおじさんにフィルくんを任せて船長室に戻っている途中、前を行くアヴェイラがこちらを振り向かずに言った。
「あんたはフィルを助けたんだ。良いことをしたんだから胸を張りな」
それを聞いて目を瞬く。
(もしかして、励ましてくれてるのかな)
私は笑顔でお礼を言う。
「うん。ありがとう」
――ひょっとしたら、術士であるアヴェイラにも同じような経験があるのかもしれない。
その真っ直ぐに伸びた背中が、ふいにラグと重なって見えた。
「ぶぅぶーぅっ」
アヴェイラと共に船長室に戻ってすぐ、ブゥが私の目の前で後ろ向きになってくるくると回った。
「どうしたの……あれ?」
ブゥの尻尾の付け根近くに何か小さな紙が結び付けられていることに気づく。
(手紙?)
ドキドキとしながら尻尾からその紙を優しく外していく。
「なんだい?」
くしゃくしゃになってしまったその紙を広げていると、アヴェイラが私の手元を覗き込んできた。
「多分、仲間たちからの手紙だと……?」
そこにはどこかで見たことのあるような文字かマークが小さく描かれていた。でもどこで見たのか思い出せずその紙を回転させながら首をひねっているとアヴェイラが口を開いた。
「こりゃ、港のマークだね」
「港の?」
言われてみればヴァロール港で見たことがあるような気がしてきた。
「港に来いってことじゃないのかい?」
「!」
顔を上げてブゥを見ると彼は「大正解!」と言わんばかりにもう一度くるりと空中に大きな丸を描いた。
「これで、どこの港かわかる?」
訊くとアヴェイラは肩をすくめた。
「これだけじゃあねぇ。マークなんかじゃなくて場所を書いてくれりゃいいのにさ」
「あ、多分私が文字が読めないから……」
「あぁ、そうなのかい」
もっとちゃんとグリスノートたちの話を聞いていれば良かったと今更ながら後悔する。
(あ、フィルくんなら知ってるかも……だけど)
先ほどの怯えた目を思い出して、私はもう一度アヴェイラに訊ねた。
「レーネに一番近い港ってどこかな?」
ラグたちの目的はブゥの故郷であるレーネ近くの森があった場所。きっと最寄りの港だろう。
「え? あー、レーネに一番近い港ってぇとアピアチェーレの港になるが……なんだい、よりによってレーネに用があるのかい?」
少し不快そうにその眉が顰められた。
――そうだ。つい先ほどラグの話をしていたのだった。
「あ、レーネっていうか、レーネの近くに用があって……」
やはりレーネの名を出したのは不味かっただろうかと内心焦っていると。
「ん? てぇことは、グリスノートの奴もアピアチェーレの港に向かうってことだね!?」
急に耳元で大きな声を出されてびっくりする。ブゥも驚いたのか私の頭から持っていた手紙に転げ落ちてきた。
「た、多分、そうだと」
「よし、カノン。アジトには戻らずこのままアピアチェーレの港であいつを迎え撃つぞ!」
(迎え撃つって……)
興奮した様子のアヴェイラに心の中で苦笑する。
歌の練習はまだ始めたばかりだが、もしかしたら早く聴いて欲しくてたまらないのかもしれない。
「ここから、あとどのくらいかかるの?」
「このまま順調に行けば3日ってとこだね。あたしの歌を聴いてひっくり返るがいいさグリスノート! よーっほほほほ!!」
それを聞いて安心する。思ったよりも早く皆と合流できそうだ。
「ありがとう、ブゥ」
手紙の上に乗ったままのブゥにお礼を言って、その目が半分閉じかかっていることに気づく。そういえばいつもならもうとっくにラグの髪にぶら下がって寝ている時間だ。
私は試しにいつもラグがしているようにブゥを優しく掴んで髪の結び目に近づけてみた。するとブゥは手の中でもぞもぞと動いてそこに逆さにくっついたのがわかった。
嬉しくて思わず顔が緩んでしまう。
「おやすみ。ブゥ。本当にありがとう」
それからアヴェイラは仲間たちにこのことを伝えてくると船長室を出て行った。
ふぅと息を吐いてベッドに腰掛ける。
……そういえば、仲間たちはアヴェイラの気持ちを知っているのだろうか。
(あんなにわかりやすいし、知らないはずはないか)
彼らが行き先の変更を了承してくれればいいと思いながら、ふと自分の手が小刻みに震えていることに気づく。
ひとりになって少し気が抜けてしまったみたいだ。思い出したように全身がカタカタと震えだして、そんな自分をぎゅうっと強く抱きしめる。
――ひとつ間違えば命を落としていた。
これまでにもそんな場面はいくつもあった。けれど決定的な違いはやはり今ここにラグもセリーンもいないことだ。
ブゥが来てくれなければ、気が抜けたこの瞬間不安で泣き出していたかもしれない。
(大丈夫。三日後には会える)
そう自分に言い聞かせて、震えが止まってくれるのを待った。
「……どんな歌にしよう」
漸く震えが落ち着いて、一人ごちる。
アヴェイラがグリスノートの前で歌う歌。……アヴェイラからグリスノートに送る歌だ。
本当は恋の歌、ラブソングにしたいけれど、あからさまな歌詞だとアヴェイラは拒否しそうだ。
「うーーん」
ラブソングは実はあまり作ったことがなかった。
自分の初恋が遅かったのもある。しかも気づいたときにはもう遅くて、そんな気持ちを歌にはできなかった。歌にしようとも思わなかった。
でもドナの前で歌った時には自然と恋の歌になっていた。
きっとドナの気持ちと王子の気持ち両方が痛いほどに伝わっていたからだ。
(そうだ。まずはアヴェイラにもっとグリスノートの話を聞かなきゃ)
そんなときガチャと扉が開く音がして反射的に立ち上がる。アヴェイラが戻ってきたみたいだ。
「すまないね、なかなか航路が決まらなくてさ。でも3日後にはアピアチェーレの港に着きそうだよ」
「良かった! じゃあ3日間しっかり歌の練習しなきゃだね!」
「あぁ」
アヴェイラはやる気十分というふうに頷いた。
「それと、そのブゥとかいうモンスターにやられた仲間もさっき目が覚めたよ」
「ほんとに!? 良かったぁ」
ほっと胸を撫でおろす。だがアヴェイラは真剣な顔つきで続けた。
「でもね、まだ仲間たちはあんたのことを疑ってる。この部屋からは極力出ないことだね」
「う、うん。わかった」
ごくりと喉が鳴る。
「と、そうと決まれば早速歌の練習の続きだ! 次はどうするんだい?」
一転、うきうきとした顔で言われて先ほど考えていたことを思い出した。
「その前にアヴェイラに訊きたいことがあるんだけど」
「なんだい? なんでも訊いておくれよ!」
「グリスノートのことを教えて欲しいの」
「はぁ?」
途端、その顔があからさまに不機嫌になって慌てて言い直す。
「アヴェイラとグリスノートのことを教えて欲しいの! ふたりがいつどうやって出会ったとか、そういう思い出話が聞きたいなと思って」
「……それは、歌に必要なことなのかい?」
「うん、すっごく必要なことなの!」
力を込めて言うと、アヴェイラはまだ少し怪訝そうだったが小さく息をついて頷いてくれた。
「わかったよ。……あたしがあいつと出会ったのは、もう7年前になるか」
アヴェイラがベッドに腰掛けて、私もその隣に座る。
「術士だからって理由であたしはひとり故郷を追い出されてね、行く当てもなく適当に乗り込んだ船が海賊に襲われたのさ」
「それがグリスノート?」
「そう、海賊団ブルーだった。その頃のあいつはまだ下っ端も下っ端だったけどね」
ふっと小さく笑ったアヴェイラはとても優しい表情をしていた。
「海賊の中に同じ年ごろのあいつの姿を見つけてね、海賊になるのも悪くないかと思ったんだ。そんで思い切ってあたしも仲間に入れてくれって声を掛けたのさ」
「すごい勇気だね」
「だろう? あいつはびっくりしてたけど、すぐに長、その頃のブルーの頭に話を通してくれてね」
オルタードさんのことだろう。
「こっちの事情を聞いた頭は女は海賊にはなれないが来いって言ってくれてね、アジトに連れて行ってくれたのさ。その場所はあたしを受け入れてくれた。まぁ、全員が全員じゃなかったが、あそこでの暮らしは楽しかったねぇ」
懐かし気に微笑むアヴェイラ。
――あのイディルで彼女がリディやエスノさんたちと楽しげに暮らす光景を思い浮かべる。あの騒がしい宴に何年か前まではきっと彼女の姿もあったのだ。
「なんで、アヴェイラはそこを出て海賊になろうって思ったの?」
リディから大体の話は聞いていたが、アヴェイラから直接聞いてみたかった。
するとその顔から笑みが消えてしまった。
「……海賊団を解散しようって話が出たんだよ。奪うことをやめて普通の暮らしをしようってね。あたしは反対した。今更なに言ってんだって話さ。あたしは最後までブルーには入れてもらえなかったが、奪ってきたもので暮らしているのはそりゃあ気分が良かったからねぇ」
アヴェイラが悪い顔で笑う。
「あたしは術士ってだけですべてを奪われた。だから奪い返す。――あの場所はそういう連中のたまり場のはずだった。なのにさ、変わっていくその空気がどうにも合わなくてね、居づらくなっちまった。そんであたしは同じように反対していた奴らと一緒にアジトを出たわけさ」
「……寂しくなかったの? 今まで一緒に暮らしてた皆と離れるの」
自ら好きな人から離れるのは、辛くなかったのだろうか。
「全く寂しくないって言ったらウソになるが、結果正解だったと思ってるよ。あたしは今のこの海賊の暮らしが性に合ってるからねぇ!」
そうしてアヴェイラは立ち上がり、くるりと私を振り向いた。
「と、こんなもんでいいかい? 早く次の歌を教えておくれよカノン! グリスノートの奴をぎゃふんと言わせてやるためにさ!」
その笑顔に後悔の色はみじんも感じられなかった。




