4.告白
「今日の功労者であるラグにかんぱーーい!!」
「かんぱーーい!!」
グラス同士がぶつかり合うけたたましい音が食堂に鳴り響く。
ラグが相変わらずの不機嫌顔で手にした酒を一気に呷ると仲間たちからおぉーっと拍手喝采が起こった。隣に座るフィルくんも嬉しそうにぱちぱちと拍手を送っていて。
「これでアヴェイラも少しは懲りたと思うが、ヴォーリア大陸に着くまで気を抜くんじゃねぇぞてめぇら!」
そんなグリスノートの大声を聞きながらアヴェイラのあのショックを受けた顔がまた浮かび私は少しムっとしてしまった。
(あんなにわかりやすいのになんで気づかないんだろう。お嫁さんにぴったりなのに)
彼女がいれば私が嫁のふりなんてしなくて良かったのだ。そうすれば「姐さん」なんて慣れない呼び方をされることもなかったのに……そう思いながら少々乱雑に皆が去ったあとの食堂を片づけているときだ。
「カノン」
見れば先ほど食堂を出て行ったはずのグリスノートが入り口からこちらに手招きをしていた。
まだ少しムカムカしながらも彼の前まで行くと、肩に乗ったグレイスが私を見下ろし可愛らしく首を傾げて結局また顔が緩んでしまった。
「なんですか?」
「片づけが済んだら甲板に出て来てくれ。大事な話がある」
そう耳打ちすると、彼はにっと笑ってすぐに行ってしまった。
(大事な話……?)
「なんだ?」
後ろを振り向くとセリーンが怪訝な顔をしていて、私は彼の消えていった方を見ながら答える。
「なんか大事な話があるから片づけが終わったら甲板に来てって。……アヴェイラの話かな?」
「ほお?」
セリーンはそんな声を出して私と同じ方向を見つめた。
「まぁ、行ってみようじゃないか」
「うん」
そうして、私たちは片づけを終わらせ、ギャレーにいるリディに一言伝えてから甲板へと向かった。
「いや、なんであんたも一緒なんだよ」
甲板に出た私たちを見て、開口一番グリスノートはそう言って肩を落とした。その肩に先ほどまでいたグレイスはいない。
「ふん、私はカノンのナイトだからな」
セリーンが鼻を鳴らしそう返すと、彼ははぁと大きく息を吐いた。
「まぁ、いいけどよ」
諦めたように彼は頭をかいて、ぼそっと続けた。
「ムードが台無しだぜ。折角いい月の夜だってのに」
(月?)
見上げると、確かにキラキラと輝く星空にまん丸な月がぽっかりと浮かんでいた。どうりで夜なのにこんなにも明るいわけだ。
心地よい風が頬を撫でて、その夜気をゆっくりと吸い込む。
「カノン」
呼ばれて視線を下すと、グリスノートがなんだか真剣な顔つきで私を見ていた。
「改めて言うのもなんなんだが、そういやちゃんと伝えてなかったなと思ってよ」
「アヴェイラのことですか?」
私が言うと、グリスノートは「は?」と間の抜けな声を出した。
「アヴェイラ? いや、なんであいつの名前が出てくんだ」
「だって、女の子なんて聞いてなかったですし」
「あー、いや、そうだけどよ。今あいつは関係なくてだな」
「?」
珍しく歯切れの悪い彼を見て首を傾げる。
なら一体なんの話だろう。他に彼にとって『大事な話』というと、セイレーンの話……?
そこまで考えてハっとする。
(まさか、私が銀のセイレーンだってバレた……?)
しかし船に乗っている間バレるようなことをした覚えはない。だとしたら船に乗る前……?
グリスノートが思い切るようにして口を開き、私は思わず一歩後退っていた。
「カノン、俺の嫁になって欲しい。勿論ふりじゃねぇ。俺とこれから一生添い遂げてくれねぇか」
「…………へ?」
一拍、いや、たっぷり三拍ほど開けて、私の口から先ほどの彼以上に間抜けな声が漏れていた。
「大事にする。だから、」
そう言って一歩こちらに近づいてきたグリスノートに私は慌てて両手を突き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだよ」
グリスノートが機嫌悪そうに片眉を上げる。
顔がじわじわと赤くなっていくのが自分でわかる。こんなことを言われたのは勿論生まれて初めてのことだ。
(だって、今のってまるでプロポーズ……!)
確かに、彼はこれまでも私のことを嫁にしたいと言ったり仲間に姐さんと呼ばせたりはしていたけれど、どこか本気ではないと思っていた。
私は焦って続ける。
「いえ、あの、前にも言ったと思うんですが、私には帰らなきゃいけない場所があって」
「あ? 聞いてねぇぞそんなの」
「え……」
そう言われて気付く。リディには何度も言っているがグリスノートに直接伝えるのはそういえばこれが初めてだ。
「――あ、あるんです! 帰らなきゃならない場所が。だから、あなたのお嫁さんにはなれません!」
はっきり断るとグリスノートはムスっとした顔をして言った。
「誰か、待ってる男でもいんのか?」
「そ、そんなんじゃなくて、でも、家族が私の帰りを待ってて」
「家族? ならこの船で報告しに行きゃいいじぇねぇか。俺の嫁になったってよ」
グリスノートが鼻で笑いながら簡単なことのように言う。
「船で行けるような場所じゃ……」
だがそこまで言って、これ以上はまずいと気づく。
「あ? どこだよそこは」
案の定そう訊かれてしまい、私は慌てる。
「っていうか、お嫁さんになってくれるなら誰でもいいんですか!?」
口に出しながら、なんだかまた腹が立ってきた。
この人はお嫁さんを……結婚をなんだと思っているのだろう。
結婚は愛し合っているふたりがするものだ。出会って間もなく、好きかどうかもわからない相手とするものではない。……少なくとも私はそう思っている。
だが彼は「はぁ?」と首を傾げた。
「誰でもいいわけねぇだろ。俺はカノンがいいって言ってんだ」
「!?」
不覚にもドキリと胸が鳴る。
「――わ、私は、何もいいと思われるようなことはしてないです」
「オルタードの前で俺の気に入ったとこをあげてくれたじゃねぇか。あれにはぐっと来たねぇ」
「あれは! だって、ふりで仕方なく」
「歌にも理解があるしよ? 俺は、あんたしかいねぇと思ってる」
そこで再び真剣な眼差しを向けられて、ぎくりとする。
「惚れてんだよ。だから俺の嫁になってくれ」
「~~~~っ」
顔が熱い。
もう一度ちゃんと断らなければと思うのに、口はぱくぱくと動くのに、肝心の声が出て来てくれない。
「――さてと、そこまでだ」
ぽんっと後ろから肩を叩かれびっくりする。セリーンだ。
「カノン、もう戻ろう」
「え……?」
「はぁ?」
不服そうにグリスノートが声を上げる。
「待てよ、まだ返事を」
「返事なら先ほどはっきりと聞こえたが? 行こう、カノン。リディをひとりにしたままだ」
「う、うん」
セリーンに促され彼に背を向けると、大きな舌打ちが聞こえた。
「ヴォーリア大陸に着いたらまた言うからな、カノン。それまでに決めといてくれ」
「……」
「しつこい男は嫌われるぞ」
セリーンが冷たく言い残すと同時、背後で扉が閉まった。
船内の薄暗い階段を下りながら後ろのセリーンを振り仰ぐ。
「ありがとう、セリーン」
するとセリーンはふっと笑った。
「意外と本気だったみたいだな」
「うん……びっくりした」
笑おうとして、うまく笑えなくて前に向き直ると、視界に白いものが映った気がした。
「ブゥ?」
階段下からブゥがふよふよと飛んできて、その先の暗がりに長身の人影があってぎくりとする。
「ラグ……!」
彼は壁に寄り掛かり睨むような目つきでこちらを見上げていた。
「なんだ貴様、盗み聞きか?」
セリーンが呆れたふうに言うとラグは壁から離れ鼻で笑った。
「誰がだ。そっちに用があって上がろうとしたら勝手に聞こえてきただけだ」
言いながらラグが階段を上がってくる。
何か言いたいのに、顔が見れない。
「おやすみなさい」とか、「お疲れ様」とか、掛ける言葉はたくさんあるはずなのに声が出ない。
――すれ違いざま、彼が薄く笑った気がした。
「帰れなくても、居場所が出来て良かったじゃねぇか」
私は目を見開く。
背後でまた扉が開いて吹き込んできた風が後ろ髪を揺らした。彼が甲板に出ていくのがわかって、その扉が再び閉まっても私はそこから動くことが出来なかった。
「カノン?」
なぜだろう。自分の両目から涙がぼろぼろと零れていた。
これはなんの涙だろう。
突然の告白に驚き過ぎて、今になって気が抜けたのだろうか。
それとも今のラグの言葉にショックを受けたのだろうか。
(……ショック? なんで)
セリーンが優しく声を掛けてくれるけれど、私は何も答えることが出来ないままその場に泣き崩れた。




