25.消えた街
《レーネ》――その名を聞いたのはたった一度きりのはず。でも、今でもしっかりと耳に残っている。
「レーネって、あの魔導大戦で消えた街か?」
グリスノートのその言葉にどきりとする。
――どうせならレーネを消したときと同じ術がいいなぁ!
ユビルスの術士ルルデュールが、ラグに向かって投げかけたセリフ。
(消えた街レーネ。消したのは……)
横目でちらと見た彼は俯いてしまっていて、その表情はわからなかった。
「ねぇ、なんの話? その街がなんなの?」
リディにせっつかれて、グリスノートが面倒そうに答える。
「セイレーンの秘境の話だ」
「え!? 場所がわかったってこと!?」
リディが素っ頓狂な声を上げた。
その声を煩がるような顔をしてから、彼は続ける。
「推測に過ぎねぇが。行ってみる価値はありそうだ」
「え、その街って確かヴォーリア大陸よね? ここからだと船で……」
「ざっと半月ってとこか」
(半月……)
本当に近い。
ごくりと思わず喉が鳴る。――そこで、いよいよエルネストさんに会えるかもしれない。
元の世界に、戻れるかもしれない。でも……。
「じゃあ、ひと月で戻って来れるってこと!?」
「すぐに見つかりゃあな」
その視線がラグに戻ってくる。
「あんた、その森に行ったことがあんだな?」
「あぁ」
ラグが俯いたまま小さく返事をした。
「なら、」
「だが、今はもうない」
酷く掠れた声。
「は?」
「その森も消えた」
ゆっくりと顔を上げた彼の瞳が、嬉しそうにグレイスと戯れているブゥを追いかける。
「そいつは、その森唯一の生き残りだ」
どくりと、また胸が嫌な音を立てた。
――ブゥが、消えた森唯一の生き残り……?
「なんであんた、そんなこと知ってんだ」
グリスノートが訝し気にラグを見ている。
何か言わなければと口を開く。でも、間に合わなかった。
「オレが消したからだ」
「は?」
「え?」
兄妹の声が綺麗にハモった。
そのとき自分の話をされていることに気づいたのだろうか、ブゥがふわふわと戻ってきてラグの頭に舞い降りた。
「消した、って……」
リディの不安げな声。
「術士……そうか」
そう小さく呟いたグリスノートの肩にグレイスが留まる。それでもラグから目を離さずに彼は続けた。
「あんたが、あのストレッタの」
ぴくりとラグの指先が震えるのを見た。――やはり、彼もラグのことを知っているのだ。
リディはわかっていないのか困惑したように彼らを見つめている。
そんな彼女に何か言わなければと思うのに、やっぱり言葉が出てこない。手のひらにじっとりと汗をかいていた。――と。
「へぇ?」
グリスノートがその口端をにぃっと上げた。
「道案内も出来て用心棒にもなるたぁ、秘境探検にぴったりじゃねぇの」
「え?」
小さく声が漏れてしまっていた。
(用心棒?)
グリスノートはグレイスの嘴の上を撫ぜてやりながらまたどっかりと椅子に腰を下ろした。
「途中の海域に、ちと厄介な連中がのさばっててな」
「! 兄貴、まさか」
それを聞いたリディがびっくりしたように声を上げた。
「丁度いいじゃねぇか。いつかは話をつけなきゃならねぇんだ」
「なんの話だ」
そう訊いたのはセリーンだ。リディがこちらを振り向いて、言いにくそうに口を開く。
「商売敵っていうのかしら……。そのあたりの海を縄張りにしている海賊団がいてね、そこの頭が術士なの」
「!」
(術士の海賊!?)
ラグもこれには驚いたようだ。眉を寄せグリスノートの方を睨むように見つめた。
グリスノートはそんなラグに不敵な笑みを返す。
「あんたらも金のセイレーンに会いたいんだろ?」
「……」
ラグは何も言わなかったが、グリスノートはそれを肯定と受け取ったようだ。
「決まりだな。準備が出来次第、ヴォーリア大陸に向けて出航だ!」
グリスノートはじっとしていられない様子でグレイスと共に船へと向かった。お前らも夜が明けたらすぐに来いよ、そう言い残して。
リディは彼が家を出て行ってすぐ、力なく椅子へ腰を下ろした。
「リディ、大丈夫?」
「……なんか、色々いきなり過ぎて」
「そうだよね」
私も、ここ数時間のうちの出来事に驚きっぱなしだ。
リディにしてみたら急にお兄さんが私を嫁だと言い出して、家に戻ったらすぐにでも旅立ってしまいそうな勢いなのだ。
「その術士の海賊というのは手強い相手なのか?」
セリーンが訊くと、リディはどう答えていいか迷うように「うーん」と唸ってから口を開いた。
「手強いっていうか、兄貴とちょっと因縁があってね」
「因縁?」
何やら不穏な言葉が出てきて首を傾げる。
するとリディは苦笑して続けた。
「元々は同じブルーの仲間だったの」
「え!?」
「それが、ちょっとしたことで兄貴と対立して数人の仲間引きつれてイディルを出て行っちゃって。そしたらいつの間にか向こうも海賊団を作ってて兄貴たちの仕事の邪魔をしてくるようになったの」
それを聞いて驚くと共にリディたちが術士に対して偏見が無かったわけがわかった。
(身近に術士がいたからなんだ)
「そういうわけか」
セリーンも納得したように頷いた。
「あっちには術っていう武器があるから、会う度やられっぱなしでね」
重い溜息を吐いたあとで、リディはちらりとラグに視線を向けた。
「だから多分、兄貴あなたのこと相当気に入ってると思うわ」
ラグはしかし、そう言われてもぴくりとも表情を変えない。
リディがそんな彼を不思議そうに見つめて、焦ったそのときセリーンが言った。
「一先ず、今日はここらで休むか。明日オルタードと話をしに行くんだろう? あの様子では話がつき次第即出発もありえそうだ」
私は何度も頷く。
……オルタードさんの前でグリスノートのお嫁さんを演じなければならないのは気が重いけれど、こうなってしまってはもう後にはひけない。きっと船が出るまでの辛抱だ。
それに、今はラグのことが気になった。見ればブゥも心配そうに相棒を見下ろしていて。
(ラグ、大丈夫……?)
そう訊きたくても、訊くことが出来なかった。
私たちはリディにおやすみを言ってグリスノートの部屋に戻った。
「貴様、本当にレーネに行く気か?」
扉が閉まったそのとき、ラグの背中に向かってセリーンが問いかけた。
ぎくりと、緊張が走る。
ラグは少しの間をあけてから口を開いた。
「あの野郎がいるかもしれねぇんだ。行くに決まってんだろ」
抑揚のない、なんの感情もこもっていない声音。
セリーンが小さく息を吐く。
「……私は、カノンを守るだけだ」
そうして彼女はラグの傍らを過ぎ、ベッドへ向かった。
「カノン、早く寝るぞ。夜が明けたらすぐにでもあの男が怒鳴り込んできそうだ」
「う、うん」
私は彼女を追いながら昨夜と同じ窓際に座り込んだラグに思い切って声を掛ける。
「またベッド使っちゃってごめんね」
「いいから早く寝ろ」
ラグはこちらを見ることなくそう言って、すぐに目を閉じた。それでも答えが返ってきたことに少しほっとする。
「ありがとう。おやすみなさい。ブゥもおやすみ」
頭に乗っていたブゥがこちらを見上げて「ぶ」と可愛らしい返事をくれた。
(ブゥが、消えた森唯一の生き残りで。その森を消したのは、ラグ……)
そう考えたら、たまらない気持ちになった。
ブゥは多分そのことを知っていてラグと一緒にいる。人の言葉が理解できる賢い子だ。知らないはずがない。
グレイスと嬉しそうに並んでいるブゥを見て、ラグは本当はどう思ったのだろう。
そして、《消えた街レーネ》。
これから、その地へ向かわなくてはならない。
……こんなとき、アルさんがいてくれたら。ふと、彼の屈託のない笑顔が浮かんだ。
彼ならきっと、ルルデュールと戦ったあの時のようにラグを励まして支えてくれるはずだ。
――ラグを頼んだぜ。カノンちゃん。
そんな彼の声がよみがえる。
(アルさん。私にアルさんの代わりがつとまるでしょうか……?)
ベッドの中で寝がえりをうって、ラグの横顔をこっそりと見つめる。彼は目を閉じていたけれど、その眉間の皴を見てまだ眠れてはいないのだとわかった。
(代わりなんて無理かもしれないけど……)
でも、これから向かう先で何があっても、絶対に、彼から離れてはいけないと思った。




