23.故郷を思う歌
「――で、そのカギになってる記号ってのはどこだ」
色々諦めたらしいラグがベッドに腰掛けたセリーンの膝の上で例の書物を開き始めた。
私はそれを背後から覗くようにして見る。
「最後のページだ」
グリスノートが笑い過ぎて出てしまったらしい涙を拭いながら答える。……余程ツボだったのだろう。
ラグが頬をピクピクさせながらも丁寧に最後のページを開く。
そこには確かに手書きの楽譜と、短く“文字”が走り書きされていて。
(――!?)
危うく、声が出てしまいそうになった。
「俺だってな、その記号が『歌』に関係するもんだってのはわかってんだ」
グリスノートが被るように話し始めたお蔭で彼には気づかれずに済んだらしい。
でもラグはそんな私の小さな反応を見逃さなかった。一瞬だけ目が合って、そんな中でもグリスノートの話は続いていた。
「その記号が出てくるときは大抵一緒に文字が書かれていてな、おそらくそれが『歌』の意味を表しているんだと思うんだが、それだけがどうしてもわからねぇ」
と、セリーンが首を傾げた。
「どこの国の文字だ、これは」
「だろ? 俺もこんな文字は見たことがねぇ」
「――少し解読に時間がかかりそうだが、なんとかなりそうだ」
ラグが溜息交じりに言うと、グリスノートは目を剥いた。
「マジかよ!? 時間って、どんくらいだ!?」
ラグが難しい顔をしてからゆっくりと答える。
「朝には、なんとか」
「朝!? そんなにかかるのかよ!」
「オレだって早く解きてーんだよ! ……集中したいから、しばらくこの部屋から出て行ってくれないか」
するとグリスノートの眉がわかりやすく跳ね上がった。
「あ? ここは俺の部屋なんだが」
「近くでそんな顔して待たれてると気が散るんだよ!」
ラグがそう怒鳴るとグリスノートはチッと舌打ちをした。
「……下で待ってる。解読出来たらすぐに知らせに来いよ」
「あぁ」
余程早く知りたいのか、案外すんなりとグリスノートは承諾してくれた。
(彼にしてみたら何年間も解けなかった謎がやっとわかるかもしれないんだもんね……)
「グレイス、行くぞ」
呼ばれたグレイスは少し名残惜しそうにブゥに身体を寄せてから飛び立ちグリスノートの肩に乗った。
「すぐにだぞ、わかったな!」
「わかった!」
ラグがイライラしつつもはっきり答えるとグリスノートはふんっと鼻を鳴らし部屋を出て行った。
階段を下りていく足音を聞きながら私はふぅと息を吐く。
と同時にセリーンがふふっと甘く笑った。
「名演技だったな?」
「くっつくな! ――で、何かわかったんだな?」
ラグがセリーンを押しやりながらこちらを振り向いた。
私は何度も大きく頷いてから、やっとの思いで口を開く。
「埴生の宿」
「あ?」
「これ、『埴生の宿』っていう歌なの。前にドナの家と、フェルクの泉でも歌った、私の大好きな歌!」
――そう。見てすぐにわかった。それは間違いなく『埴生の宿』の楽譜だった。
「あぁ、あの美しい歌か」
セリーンも覚えていてくれたみたいだ。私は頷き更に続ける。
「それと、その文字だけど」
「読めるのか!?」
驚くふたりに、私は震える声で答えた。
「これ、私のいた世界の、私の住む国の文字なの」
グレイスを見送るようにふよふよと漂っていたブゥがこちらに戻ってくる。
「ということは、異世界の文字ということか。わからないはずだ」
ブゥはラグと少し迷った後で私の頭に乗っかった。
「で、なんて書いてある」
「『埴生の宿』って」
確かに、そう漢字と平仮名ではっきりと書かれていた。
「歌のタイトルかよ」
拍子抜けしたように肩を落としたラグに私は楽譜を指さしながら言う。
「あと、その下に『銀のセイレーンのお気に入り』って書いてあるの」
「銀のセイレーンの?」
同時に声を上げたふたりに、私はブゥが落ちないよう気を付けながら頷いて続ける。
「この銀のセイレーンって、多分ドナのおばあちゃんが会ったっていう銀のセイレーンじゃないかな!」
自分が酷く興奮しているのがわかる。
ドナのおばあちゃん、ノービスさんが友達になったという日本人の銀のセイレーン。ドナの口から出た、たどたどしい日本語の歌を思い出す。
「……どんな意味の歌なんだ、これは」
私はその優しいメロディを思い浮かべながら言う。
「故郷を思う歌。やっぱり我が家が一番っていう歌なの」
「銀のセイレーンが故郷を思う、か」
セリーンが呟くように言ったそのとき、ラグの背が急に伸びた。セリーンが素早く腕と脚を開いたせいでラグはそのままセリーンの脚の間にどすんと尻餅をついてしまった。
「ってぇな! だったら最初から乗せんな!」
「ふんっ」
セリーンはそのままベッドに登ってきて私の隣に胡坐をかいた。
ぶつぶつと文句を言いながら今までセリーンがいた位置に腰を下ろすラグ。私はその隣に移動して訊ねる。
「その本、他のページには何が書いてあるの?」
するとラグはすぐにページを捲ってくれた。
「昨日見たのと同じ感じだな。楽譜ばかり、どれもあいつの名前が書いてある」
確かに、どのページも手書きの楽譜が書かれ、私の知らない文字でタイトルとエルネストさんのサインがされていた。
(多分これ、エルネストさんの作曲ノートなんだ)
――その最後のページに書かれた『埴生の宿』と日本語の文字。
「じゃあ、その『埴生の宿』の楽譜もエルネストさんが書いたんだよね、きっと」
「だろうな」
「でもおかしくない? さっき聞いた伝説だと金のセイレーンと銀のセイレーンは戦ったって、敵の好きな歌なんて書いたりするかな?」
ラグは難しい顔でまた最後のページに戻した。
「私ね、エルネストさんは銀のセイレーンと戦ってなんていないと思うんだ。なんとなく、だけど……」
いつも私を見る彼の瞳は優しくて、時々とても悲しそうで……。あれは敵対する相手に見せる表情じゃない。絶対に。
ラグが小さく溜息をつく。
「さっきの伝説に出てくる銀のセイレーンと、この歌が好きな銀のセイレーンはまた別って可能性もある」
「そんなに何度もこの世界に銀のセイレーンが現れてるってこと?」
また部屋が静まり返る。……色んなことがわかってきているのに、やっぱり肝心なところには手が届かない。
「……この歌、お前の世界でいつ頃出来た歌か、わかるか」
「え? えっと、多分200年くらい前、だと思う。私の国の言葉で歌われるようになったのはもっと後だけど」
確か、日本で歌われるようになったのは明治時代のはずだ。
「200年……この楽譜をあの野郎が書いたとして、少なくともあいつが封印されたのはその間ってことだ」
「あ、そっか!」
「まぁ、お前の世界とこの世界と、時間が同じように流れているとは限らないが」
「あぁ、そう、だよね」
と、後ろから声が掛かる。
「だがノービスが会ったという銀のセイレーンだとしたら、この50年ほどの間ということになるな」
「あっ! そうだよね!?」
50年、なんだかぐっと近くなった気がした。
ラグがまた小さく息を吐く。
「伝説はあくまで伝説だ。銀のセイレーンの伝説も、あいつの言う金のセイレーンの伝説も、真実とは限らない」
「うん」
結局、エルネストさん本人に合わない限り真実はわからないままだ。
「――グリスノートに、なんて話す?」
「適当に伝えるしかねぇだろ。どちらにしろ、あいつの欲しい情報ではなかったんだ……」
そのとき急に、ラグが私を睨むように見た。
「というかお前、本当にあいつに何もされなかったんだろうな」
「!? されてないよ!」
顔が一気に赤くなるのがわかった。――ちょっと危なかったけれど、何もされていないのは事実だ。
と、セリーンが溜息交じりに口を開いた。
「すぐに駆け付けられれば良かったんだが、リディに止められてしまってな」
「リディに?」
そういえばさっき3人が一緒にいたのを思い出す。
「なんとか振り切って来たのだが」
「本当に、何もされてないな」
「されてない!」
思わず首を大きく振ったせいで、ブゥが私の頭から飛び立つのがわかった。
「だがこの町ではもう、カノンはグリスノートの嫁ということになっている」
セリーンの言葉にうっと低い声が出てしまう。
「そう、だよね……」
と、ラグが隣でパタンと本を閉じた。
「色々と手がかりは掴めたんだ。さっさとこの町を出るぞ」
「どうやって? 船もないのに」
「それに次はどこへ行くつもりだ。もうエクロッグに行く必要もなくなっただろう」
立て続けに訊かれてラグは不機嫌そうに黙った。その頭にブゥが乗るのを見て、少し癒される。
「……グリスノートがね、夢が叶いそうだって言ったの」
「夢?」
私は頷いて続ける。
「ほら、グリスノートの夢って、この町を出てセイレーンの秘境を探しにいくことでしょ?」
「あぁ、夜が明けたらオルタードのところへ行くと言っていたな。カノンを嫁として紹介して、その話をするつもりなんだろう」
「なら私、嫁になろうかな」
「は?」
ラグがこちらを振り向いた。その怒ったような驚いた顔を見て私は慌てて言い直す。
「ふりね、ふり。オルタードさんの前でお嫁さんになりきるの。そうすればグリスノートは船でセイレーンの秘境を探しに行けるわけでしょ。その船にさ、一緒に乗せてもらえば良くない?」
――目指す目的地は一緒なのだ。それが今は一番良い方法な気がした。




