19.海賊の宴
「船に女は乗ってはいけないって決まりがあるの」
「そうなの?」
「昔からそういうものだ」
答えてくれたのはもう料理を食べ終えたらしいセリーンだった。見ればラグももうほとんど食べ終えていて、私は止まっていた手を再び動かし始めた。
「海賊船だけじゃない、漁船や商船なども確かそうだったはずだ。勿論、私たちのような客は別だがな」
確かにグリスノートの船にも、私たちがヴァロール港から乗ってきた船にも女性の乗組員はいなかった。やはり海上での生活は体力勝負だからだろうか。
と、リディが料理を口に運びながらその理由を淡々と話してくれた。
「色々と理由はあるけど、やっぱり長い間閉鎖的な空間で生活するわけだから、余計ないざこざを避けるためっていうのが大きいの」
(余計ないざこざ……?)
もぐもぐと口を動かしながら私は首を傾げる。
「よくオルタードに言われたわ。例え信頼できる仲間であっても、禁欲的な生活が長く続けば人間何を考えるかわからないって」
漸くその意味がわかって口の中のものをごくりと飲みこむ。
「それで狭い船内で喧嘩とか起きちゃったらそれこそ大変でしょ?」
「戦場と似たようなものだな」
セリーンが深く納得するように頷くとリディは小さく苦笑した。
「そうかも。……昔はなんで兄貴だけって納得いかなかったけど、その意味を理解してからは乗りたいとは思わなくなったわ。そんな理由で皆のお荷物にはなりたくないもの。そういうわけで、女は船に乗れないの」
私はこくこくと何度も頷いた。予想の斜め上をいく理由に咄嗟に何も言えなかった。
「……まぁ、例外もあるけどね」
――?
ぼそっと小さく付け足したリディは半笑いのような、なんとも言えない複雑な表情をしていて、でも私と目が合うと何でもないと首を横に振りまた料理を口に運んだ。
「ところでずっと気になっていたのだが、このイディルはクレドヴァロールなのか?」
今度はセリーンがリディに訊ねた。
そういえば結局ここがどういう場所なのか聞いていない。
「一応はね、でもクレドヴァロールでこのイディルを知っている人なんてほとんどいないんじゃないかしら」
どういうことだろうか……?
料理を食べ終えたらしいラグもリディの話に耳を傾けていた。
「ここは険しい岩山に囲まれているから陸から人が入って来ることはまずないし、海からもこのあたりはリーフが複雑に入り組んでいて慣れていないと危険だから近づく船はほとんどないし、ごくたま~にあなたたちみたいに迷いこむ人がいるくらい?」
「そうか。だから町の名に聞き覚えがなかったのか。海賊の隠れ蓑にはまさにうってつけの場所なわけだな」
「そういうこと」
にっこりと笑うリディ。
――昨日、まだ海賊のことを隠していたリディや酒場にいた人たちが口を揃えて「何にもない小さな港町だ」と言っていたことを思い出す。これまでもこの町に迷い込んでしまった人たちにはそうして誤魔化してきたのだろう。
(この世界には飛行機とか人工衛星なんてものは無いんだし)
このイディルのように知られていない場所はまだまだたくさんあるに違いない。
「セイレーンの秘境も、きっとそういうわかりにくい場所にあるんだよね……」
つい、そんな言葉が口から零れていた。
ハっと顔を上げると案の定リディが目を丸くしていて焦る。
「あ、ごめんね、また変なこと言っちゃって」
「カノン、やっぱり兄貴のお嫁さんにならない?」
リディにまたもそう真剣に言われてしまって、ラグの方から盛大な溜息が聞こえてきた。
「私はお店に行くけど、あなたたちは夜までどうする?」
リディに問われた私たちは、一緒にお店に行って宴の準備を手伝うことにした。
日が沈むまでまだ大分時間がある。リディは部屋で休んでいてもいいと言ってくれたが、人手は多い方がいいだろう。
お店に入ると昨夜もいた上品な髭の店主――テッドさんというらしい――は初めて見る大きなラグに警戒を露わにしたが、リディがあっけらかんと昨日の少年と同一人物だと説明。テッドさんは目を丸くしていたが、セリーンがオルタードさんの古い知り合いだと聞くとそこでやっと警戒を解いてくれたようだった。
セリーンは嬉々として厨房に入り、ラグは勿論端から手伝う気などさらさらなく先ほどから店のテーブルでひとり寝こけている。といって私も厨房では逆に邪魔になってしまう自信があったので隅っこの方で貝や野菜を洗うなど小さな子供でも出来そうな簡単な作業ばかり手伝っていた。
日が傾くにつれて手伝いに訪れる女性たちが増えてきた。すでに私たちの噂は届いていたようで皆気さくに接してくれた。やはり“長のお墨付き”という称号はこの町の人たちにとって何より絶対的な信頼に繋がるのだろう。
「長の元主とはねぇ。てっきりグリスノートの嫁さんに来てくれたんだと思ったよ」
恰幅の良い40代ほどの女性が大きな声で笑いながらセリーンに話しかけるのが聞こえてきた。
「ハハ、少し歳が離れ過ぎているな」
「そんなことないよ、まだ若いじゃないか。どうだい。うちの頭の嫁に来ちゃくれないかい」
「すまないが、私はこの傭兵稼業をやめるつもりはないのでな」
セリーンが苦笑しながら答えるのを聞いて、ふいに頭に浮かんだのはアルさんだった。
(そういえば、アルさんどうしているだろう)
私たちが乗った船が海賊に襲われたなんて知ったらきっと文字通り飛んで来そうだけれど、あの船は今頃まだ航海中のはず。アルさんの耳に届くのはまだ何日も先だろう。
(耳に入ったとしても、この町にいるってことはわからないだろうしなぁ……)
「エスノさん、兄貴のお嫁さん候補はカノンなの!」
「えっ」
突然リディに指をさされてびっくりする。そのエスノさんという女性は私を見て目を瞬いた。
「え? あんた女の子なのかい? そんな格好してるからてっきり男の子なのかと思ったよ。悪かったねぇ」
「い、いえ」
「そうかいあんたが! いいねぇ、グリスノートにぴったりじゃないか!」
「でしょう!?」
「いえ、あの、私には目的があって……っ」
また朝と同じ説明をしながら、どっと冷や汗をかいてしまった。
その後手伝いにやってきた女性は総勢10人ほど。中にはまだ小さな女の子もいて驚いた。その子は私と一緒に簡単な作業を手伝ってくれた。
空と海が夕焼け色に染まり厨房が良い香りに包まれた頃、店の外にもテーブルと椅子を出し(そこはラグも渋々手伝っていた)、いよいよ海賊たちの宴が始まろうとしていた。
日没を合図に続々と集まってきた人たちであっという間に用意していた全ての席が埋まってしまった。座れなかった人は各々酒樽に腰掛けたり、地べたにそのまま胡坐をかいたりして、酒場周辺は一気にお祭り騒ぎになった。
昨日の海賊だけじゃない、おそらくは町中の人たちが集まって来ているのだろう。先ほど一緒に手伝ってくれた女の子のような小さな子供たちも5、6人楽しそうに辺りを駆け回っている。
その騒がしさに圧倒されながら私はラグとセリーンと一緒に隅の小さな丸テーブルで先ほどリディが運んでくれたジュースをちびちびと飲んでいた。
中には当然見覚えのある顔――海賊船でラグやセリーンに伸された者たちもいたけれど、やはりここでも“長のお墨付き”は効いているようで、むしろ私たちを見つけて「あの時はすまなかったなぁ」なんて声を掛けてくる人までいたくらいだ。
だが、まだグリスノートは現れない。
「まさか来ないってことは」
「いや、それはないだろう」
セリーンが指さした先、満席だと思っていたが一つだけ空いている席があった。丁度皆に囲まれる形になる場所。あそこがグリスノートの席なのだろうか。
「それにまだ料理も全部出ていないようだしな」
確かにテーブルにはまだ飲み物と簡単につまめるような料理しか出ていない。
「現れなかったら、こっちから出向くだけだ」
言ってラグはお酒をぐいと呷った。
「そうだね」
「なぁ、長の話をしてくれよ姉ちゃん! 長の主だったんだろ!?」
近くの席のすでに顔を赤くした男がセリーンに話しかけてきた。やはりそのことも皆知っているようだ。小さな町なだけあって噂が広まるのも早いのだろう。
「あぁ、オルタードはとにかく厳しくてな、私はよく叱られてばかりいた」
セリーンが懐かしそうにそう話しはじめ、近くにいた人たちが皆興味津々といった顔で耳を傾けた、丁度そんなときだった。
「遅ぇーぞ、頭ぁ!」
「やっと来たかー!」
そんな声に振り向けば、グリスノートがひとり暗がりから歩いて来るのが見えた。その肩には白い小鳥グレイスが乗っている。ちなみにブゥはラグの服のポケットでまだお休み中のはずだ。
かったるそうに皆に手を上げる彼に、リディの怒声が飛ぶ。
「おっせーわよ兄貴! 料理が冷めちゃうじゃない!」
「かしらぁ―!」
「きゃー!」
そんなグリスノートの元へ嬉しそうに駆けていくのは先ほどの子供たちだ。グリスノートは満更でもない顔でその子たちに手を引かれ、先ほどの中央の席へと向かった。
(へぇ~、子供たちにも人気なんだ……)
怒った顔ばかり見ているからか、なんだか少し意外だった。
彼がリディから並々とお酒の入ったグラスを受け取ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように町中がしんと静まり返った。ザザン……と波音が耳に入ってくる。
グリスノートは一度ふぅと息を吐いた後で、グラスを高く掲げ大声を張り上げた。
「今回の仕事は失敗に終わったが、次は必ず大量の戦利品持って帰るぞてめぇら!」
「おおー!!」と思わず耳を塞ぎたくなるような大歓声が上がる。
そしてグリスノートのすぐ隣にいた男がそれに続いた。
「そんじゃ改めて、海賊団ブルーと、俺たちの頭に乾杯ー!」
「かんぱーい!!」
グラス同士がぶつかり合うけたたましい音が辺りに鳴り響いた。




