18.条件の意味
それから私たちはもう一度岩山を上り下りし、リディの家へと戻ってきた。
「お疲れ様。ごはん出来るまで兄貴の部屋で休んでて」
リディは私の様子を見てそう言ってくれた。
苦笑しながらお礼を言って、私たちは再びグリスノートの部屋に入った。
昨夜も何もない寂しい部屋だと感じたけれど、きっとグリスノートは普段あの船長室にいて殆どここに帰ってくることがないのだろう。
そう考えたら窓際にぽつんと置かれた可愛らしい人形が、なんだか余計に寂しそうに見えた。
ベッドに腰掛けてふぅと一息ついてから、ここに戻るまでの間ずっと考えていたことをふたりに話そうと顔を上げる。
「ねぇ、私」
「駄目だ」
「……まだ何も言ってないんだけど」
ラグを見ると、彼は不機嫌そうに私を睨み返していた。
「どうせ、あのじいさんの前で歌うって言うんだろ」
「そう、だけど……」
「駄目だ」
先ほどよりも強い口調で繰り返されて流石にむっとする。
「でも、このままじゃエルネストさんのことも何もわからないままだし……そりゃ、私の歌で認めてもらえるかどうかはわからないけど」
「そいつが心配しているのはそういうことじゃない」
「え?」
そう言ったのはセリーンだ。彼女は私の隣に腰掛け続けた。
「グリスノートにセイレーンだとバレることを心配しているんだ」
ラグの方を見ると、彼は小さく舌打ちをして床に腰を下ろした。
「でも、それだってこうして帽子を被っていれば」
「そうじゃない」
なぜか苦笑するセリーンに首を傾げる。
「おそらくあの男、カノンを嫁にするつもりだったんだろう」
「……え!?」
思わず大きな声が出てしまった。
「船でのことを思い出してみろ。それでなくともカノンには目をつけていたんだろうからな。この上更にあの男が執着しているセイレーンだとバレたらどうなるか……。私だって心配だ」
――相手してもらうんだよ。
あのときの台詞がふいに蘇った。
セリーンが連れて行かれてそれどころじゃなくなりすっかり忘れていたけれど……。
「まぁ、私に言った『頼み』というのも気にはなるが、何にしてもあの男には気を付けた方がいい」
「……う、うん。そうだね」
変な汗が出るのを感じながら頷くと、セリーンは優しく目を細めてぽんぽんと私の頭を撫でた。
「ありがとうセリーン。ラグも、ありがとう」
するとラグはふんと視線を逸らしてしまった。
そういえば、あのときもラグは前に出て私を庇ってくれたのだ。
――誰が行かせるかよ。
そんな台詞を思い出してつい顔が緩んでしまう。
改めてあのときのお礼も言わなきゃと思っていると、ラグが先に口を開いた。
「あの野郎とは今夜もう一度話す」
「今夜?」
怪訝そうに訊き返したのはセリーン。
そうだ。先ほどリディとその話をしたとき彼女はいなかったのだ。
「リディがね、さっき言ってたの。リディが働いてるあの酒場に今夜海賊たちみんな集まるって」
「そういうことか。確かに酒が入れば少しは口も軽くなるかもしれないな」
どう見ても同じ年くらいだけれど、きっとグリスノートもお酒を飲むのだろう。
ひょっとしてリディも飲めるのだろうか……そんなことを考えていたときだ。
「先ほどはリディアンの手前言えなかったが、オルタードの例の条件。あれは彼女のためを思ってのことらしい」
「え?」
セリーンがリディのいるドアの向こうを見つめながら続ける。
「兄が長旅に出てしまえば、リディアンはひとり残されることになる」
「うん……」
「いつも明るく振舞ってはいるが、きっと寂しいはずだと」
「それで、無理難題吹っ掛けたってわけか」
ラグが呆れたように息を吐く。
「いや、その無理難題にも意味があってな」
小さく苦笑するセリーン。
「兄が嫁を取れば、リディアンに家族が出来ることになる」
「あっ」と思わず声が漏れていた。
「子供が生まれれば更に家族が増える。きっとリディアンの寂しさを埋めてくれるだろうと」
(オルタードさん、そんなことを……)
正直驚いた。本当に全部リディのためだ。
リディもオルタードさんのことは親みたいなものだと言っていたけれど、きっと彼もリディのことを本当の娘のように想っているのだろう。
先ほどリディに向けていた優しい眼差しを思い出す。
「……グリスノートは、それ知ってるのかな」
知らず声が低くなっていた。
夢のためとはいえ、自分のことしか考えていなさそうなグリスノートになんだか腹が立ってきた。
セリーンが首を横に振りながら溜息をつく。
「どうだろうな。だがオルタードのことだ、はっきりとは口にしていなさそうだな」
「うん……」
「お待たせー! ごはん出来たから下りてきてー!」
リディの大声が響いてきたのはそんなときだった。
「はーい!」
返事をして私はベッドから立ち上がる。
「とにかく、今夜あの野郎から知っていること全部聞きだす」
そう言いながら立ち上がったラグに私は大きく頷いた。
「さ、食べて食べて」
真ん中に小さな花が飾られたテーブルに4つ並んでいたのは、魚介のたくさん入ったスープだった。
良い香りにごくりと喉が鳴る。
「ほお、これは旨そうだ」
「うん、美味しそう!」
私たちが席につくと、リディもエプロンを外して私の向かいに座った。
「小骨には気を付けてね」
「うん! いただきます!」
早速スプーンを手に取ってスープを口に入れる。魚介の出汁と程よい酸味に耳の下がじんとしびれた。
リディを真似てお皿の端に盛り付けられたマッシュポテトのような見た目の料理をスープと一緒に食べる。
「美味しい!」
それはもちもちとした食感で本当に美味しかった。
「良かった」
満足げに笑ったリディに私は訊く。
「もしかして、昨日のお店でもリディが料理を作ってるの?」
「仕込みは殆ど私ね」
「やっぱり! すごく美味しかったもん」
「ふふ、ありがとう。今夜も楽しみにしていてね。腕を振るうわ」
「でも、大変な量になりそうだね。あの船に乗っていた人たちがみんな集まって来るんでしょ?」
あの酒場には店主とリディのふたりしかいないようだった。
海賊たちの数を思い出しながら訊くとリディは笑って頷いた。
「そうね。でもみんな料理を楽しみにしてくれてるから作り甲斐があるわ。それに、こういう日は町の女たちも大勢手伝いに来てくれるの」
「そうなんだ」
今夜が楽しみでしょうがないという様子だ。
きっと今夜は本当にどんちゃん騒ぎになるのだろう。海賊たちの宴を想像しながら口の中のもちもち感を楽しんでいると。
「そういえば、カノンはいつまでその格好してるの?」
「ん?」
リディが私の服を指さしていた。
「それ、変装なんでしょ?」
もちもちの料理を飲み込んで頷く。
「あ、うん」
「もう兄貴にはバレちゃったんだし、女の子の格好に戻ればいいのに。服がないなら私のを貸すわよ?」
「ううん、いいの。この格好動きやすいし結構気に入ってるんだ!」
慌てて言う。
……海賊たちがまだ少し怖いから、とはリディには言えない。
今夜も海賊たちがたくさん集まる中で頭のグリスノートと話をするつもりなのだ。
(さっきのこともあるし……)
「そう?」
「うん! あ、そうだリディ。2階にもあったけど、その置物みんな可愛いね」
話を逸らしたくて視界の端に映っていたたくさんの人形や動物の置物に視線を向ける。
リディもそちらを振り向き「あぁ」と再び笑顔を見せた。
「あれはね、全部兄貴からの贈り物なの」
「お兄さんが?」
――あのグリスノートが……?
思わず聞き返すと、そんな私の顔を見てリディは笑った。
「そ。兄貴が船に乗るようになってから毎回のように持ち帰ってきてくれて。ま、全部襲った船から盗ってきたものだけどね」
「そ、そっか」
「それでも嬉しくって、ああして全部並べて飾ってあるの」
リディは懐かしそうな眼で人形たち見つめた。
「……リディは、船には乗らないの?」
ふいに口から出た疑問だった。
でもリディはきょとんとした顔で私を見てからおかしそうに笑った。
「え?」
「ふふっ、小さな頃はね、私も乗りたい、兄貴と一緒に行きたいってせがんだこともあったけど。――船に女は乗ってはいけないって決まりがあるの」




