17.別の条件
「お願いカノン。兄貴のお嫁さんになって!!」
「ぇ……えぇ!?」
あまりに唐突過ぎるまさかのお願いに思わず大声を出してしまっていた。
リディの顔が更に迫ってくる。
「だって歳もそう変わらなさそうだし、兄貴の夢にも理解があって、カノンが今イディルに来てくれたのだってもう運命としか思えないよ!」
その勢いに気圧されてしまい口をパクパクさせていると、ぐいと肩を引かれ驚く。
「こいつは駄目だ」
「え?」
リディの視線が私の背後に移る。私もそちらを振り返り彼を見上げた。
(ラグ?)
彼はまっすぐにリディを見下ろしていた。
「こいつには、帰らなきゃならない場所がある」
その真剣な声音にどきりとする。
「だから他をあたれ」
そして彼の手が私から離れていった。
「……帰らなきゃならない場所?」
リディの視線がこちらに戻ってきて、ハっと我に返る。
「そ、そうなの! そのために今旅をしていて、だから、ごめんなさい」
頭を下げると、リディの手もゆっくりと離れていった。
「そう……こっちこそ、ごめんなさい」
顔を上げるとしゅんとした顔のリディがいて、なんだか申し訳なくなる。
でもラグの言うとおり、私は元の世界に帰らなきゃいけない。
(この世界で誰かと結婚なんて、絶対にありえない)
――そう、絶対に。
「この町に、他に合いそうな女性はいないのか?」
セリーンの問いにリディは首を横に振る。
「皆年上だし、兄貴のことは皆子供みたいに思ってるし」
「外で見つけてくるしかないわけか」
「オルタードが、海賊の頭なら自分の嫁くらい自分で奪ってこいって」
セリーンが大きく息を吐いた。
リディは口を尖らせ続ける。
「町の皆は面白がっちゃってるし。見たでしょ? さっきここに下りてくるとき、皆じろじろこっち見てきてさ」
私たちに注がれたあのニヤニヤとした視線を思い出す。
「あれはそういう視線だったのか」
「なんか兄貴が可哀想で。……だから、カノンが兄貴のお嫁さんになってくれたらって思ったんだけど」
再び上目遣いで見つめられてぎくりとする。
「で、でも、お兄さんはきっと私なんて嫌がると思うな」
苦笑しながら言うとラグの溜息が聞こえた。
「お前が、あのじいさんを説得したらいいんじゃねぇか?」
声を掛けられたセリーンが目を瞬いた。
「私がか?」
「あの調子じゃ、お前の言うことなら聞きそうじゃねぇか」
パァっとリディの顔が期待に輝くのがわかった。
しかしセリーンは難しい顔だ。
「セリーン?」
確かに先ほどのオルタードさんの態度を見る限りセリーンの話なら聞いてくれそうな気がするけれど。
と、彼女が言いにくそうに口を開いた。
「いや、昔のオルタードはとにかく厳しくてな。実を言うと私は何かと口煩い奴のことが少し苦手だったんだ。どうも、それがまだ抜けきっていないらしい」
苦笑する彼女を見て驚く。
私も小学生の頃厳しい先生のことが苦手だったけれど、そういうことだろうか。
(セリーンも私と同じ普通の女の子だったんだなぁ)
「だから、オルタードが私の意見を聞くとはどうしても思えなくてな」
ラグが呆れたような溜息を吐く。
だがリディは諦めなかった。
「オルタードは今でも厳しいし怖いときもあるけど、でもセリーンさんが言えば少しは考え直すかも。お願いセリーンさん、オルタードを説得してみて!」
セリーンは困ったように少し逡巡する様子を見せてから小さく息を吐いた。
「……あまり、期待はしないでくれ」
「ありがとう!」
リディは嬉しそうにセリーンの手を握った。
そんなリディを見て、ふと気になったことを口にする。
「でも、リディはいいの? お兄さんが旅に出ちゃって」
船旅は海賊なら慣れているだろうけれど、本当にあるかどうかもわからないセイレーンの秘境を探す旅なんて、きっと長く帰ってこないんじゃないだろうか。
すると、リディは私の方を見てにっこりと笑った。
「兄貴の夢は私には理解出来ないけど、そもそも兄貴がブルーの頭になったのだって旅に出るためにこの船が欲しかったからだし、そこまでされたら妹としては応援してあげたいじゃない」
でもその笑みは少し寂し気に見えた。
そして船から降りた私たちはリディに案内されオルタードさんの家の前にやってきた。
彼の家は岩山ではなく桟橋を降りて船の裏手側に回った海岸にぽつんと建っていた。まるで船の見張り番だ。
セリーンはオルタードさんとふたりで話がしたいと言い、リディと共にその家の中へと入っていった。
「……」
沈黙が訪れて、入り江に打ち寄せる静かな波音が耳に入ってくる。
ラグの横顔を見上げると、その髪の結び目でブゥが揺れていた。
「ねぇ」
海と同じ深い青が私を見る。
「さっきブゥが戻って来なかったら、本当にお別れするつもりだったの?」
するとラグは私から視線を外し、そのまま目を伏せた。
「こいつがあの鳥のそばにいたいって言うなら、それが一番いいだろう」
先ほどと同じ素っ気ない答えにムっとする。
「ラグはそれで寂しくないの?」
「選ぶのはこいつだろ。オレの気持ちは関係ない」
「そんなこと……! ブゥだって、ラグに行くなって言われたらきっと嬉しいに決まってるよ」
なんだか無性に腹が立って知らず声が大きくなっていた。
そんな私を冷たい瞳が見下ろす。
「それでも、結局は向こうを選ぶかもしれねぇだろ」
「でも、」
と、そのとき目の前の扉が開いてリディが出てきた。
彼女は私たちの微妙な雰囲気を察したのか、首を傾げた。
「何かあった?」
「ううん、何も」
私は慌てて手を振り笑顔を作る。……リディにブゥの話をしたらまた気にしてしまうだろう。
ラグももうこちらを見てはいなかった。
「オルタードさんどうだった?」
訊くとリディは短く息をついて今閉めたばかりの扉を見つめた。
「話はこれから。……説得されてくれたらいいんだけど」
「兄貴の方は、いつ船から出てくる」
ラグが船の方を見上げながら訊くとリディもその視線を追いかけ答えた。
「あー、多分寝ちゃったと思うから大分日が傾いてからでないと出てこないと思うわ」
ラグは小さく息を吐いた。
(そっか、明け方帰ってきたばかりだもんね)
今この場がこんなに静かなのも、海賊たちが皆寝てしまったからかもしれない。
「今夜は昨日の酒場にみんな集まると思うし、兄貴も顔出すはずだからもう一度話すならそのときがいいかも」
「少なくとも、今日海に出ちまうことはないわけだな」
「そのはずよ」
リディの答えにラグは頷いた。と、そんなラグに今度は彼女が訊ねた。
「あなたはなんでさっきの、えっと、何て名前だったかしら。金のセイレーンの人を探してるの?」
「……」
案の定黙ってしまったラグ。でも私が下手に答えるわけにもいかず横目で見守っているとリディは更に首を傾げた。
「あなたもやっぱりセイレーンに興味があるの?」
「セイレーンに興味があるわけじゃねぇ」
不機嫌な顔で、でもそこははっきりと答えたラグに少しだけ胸が痛む。
(……そうだよね、ラグは別にセイレーンや歌に興味があるわけじゃない)
ただ、呪いを解くのに必要なだけだ。
「ならなんで?」
「…………」
なかなか答えようとしないラグを横目で見ながら、そういえばラグがこんなふうに歳の近い女の子と話しているのを初めて見る気がした。
(あ、ドナとは少し話してたっけ。でもなんか……新鮮)
リディはラグが見るからに不機嫌そうでも全く怯んだりする様子がない。
流石海賊たちに囲まれて暮らしているだけあって、強い。
「――あ。あなた術士って言ってたものね、もしかしてその関係?」
するとラグは観念したように溜息交じりで頷いた。
「そうなの。見つかるといいわね!」
リディは満面の笑みをラグに向けていた。
それから10分ほどが経った頃、再び扉が開きセリーンが出てきた。
私たちの視線が集中する中、彼女は首を横に振った。
「すまん。やはり条件を変えるつもりはないらしい」
皆の溜息が重なる。
「所詮、私もここではただの余所者だからな。……だが」
そう続けたセリーンにリディが身を乗り出す。
「別の条件も、聞けはした」
「別の条件?」
そう繰り返した私の方をちらりと見て彼女は続けた。
「そんなにセイレーンに拘るのなら、一度俺にその歌声を聞かせてみろと」
「え」
「なにそれ!」
思わず漏れた私の声はリディの怒声に掻き消えた。
「それで、このイディルを出てまで探す価値があるものなら認めてやると」
「まだ嫁子供の方が現実的じゃないの!」
「まぁ、条件というより皮肉のつもりなのだろうな」
リディはがっくりと肩を落とした。
(皮肉のつもり……)
本来なら、今この世界でセイレーンを見つけることは難しい。でも……。
「セリーンさん、ありがとう。オルタードと話してくれて」
リディはそう言って、再び笑顔を見せた。
「ねぇ、そろそろお腹空かない? お礼とお詫びに朝ご飯ご馳走させて!」




