16.金のセイレーン
――エルネストさんが“金のセイレーン”……?
この世界に来て幾度となく耳にした“銀のセイレーン”。
それと対をなす“金のセイレーン”の伝説があるなんて知らなかった。
でも知らなかったのは私だけではなかったようで。
「銀のセイレーンは知っているけど、金のセイレーンなんて初めて聞いたわ」
目を丸くし言ったのはリディだった。続いてセリーンも。
「私もだ。父は、本当にそう言っていたのか」
「はい。私も初耳でしたのでよく覚えています。ですがそれ以上のことは……」
オルタードさんが頭を振る。
「しかしあくまで伝説上の人物ですから、捜すというのは」
「違う。あいつは確かに……」
ラグがうわ言のように呟くのを聞いて私も頷く。
伝説上の人物なんかじゃない。
確かに私たちは彼に会っている。いつも幻のような姿だけれど、確かにこの目で見て会話をしている。
あの綺麗な微笑みを私たちは知っている。
銀のセイレーンも伝説とは大分違うけれど一応こうして存在しているのだ。金のセイレーンだって……。
(でも、対をなすってどういうこと?)
「セイレーンについてだったら、兄貴に訊くのが一番だと思うわ」
リディが声を上げた。
「そこにも何冊か本があるでしょ? 歌とかセイレーンとか、とにかく一人で色々と調べているみたいだから」
その言い方には少々刺があるように聞こえたけれど、私たちは顔を見合せ頷いた。
それから、オルタードさんはリディに付き添われ自分の家へと帰っていった。セリーンに何度も頭を下げながら。
「オルタードさん大丈夫かな……。でも会えて良かったね、セリーン」
「あぁ」
セリーンが満足げに微笑むのを見て私も嬉しくなる。
「あの男に関しての情報も手に入ったしな」
「うん。ラグも金のセイレーンの伝説は知らなかったの?」
「あぁ」
彼は丁度荷物から本を引っ張り出したところだった。
例のセイレーンについて書かれた本だ。そういえば元々この船長室にあったものだ。
「あいつがセイレーンなら、お前と同じようにこうして歌を作って歌うことも出来るわけか」
例のエルネストと書かれた楽譜のページを開いてラグが言う。
(エルネストさんが歌を……)
「だが、対をなすとはどういうことだろうな」
セリーンが難しい顔で言うのを聞いて私も頷く。
「それ私も気になった。きっと、単に色の意味じゃないよね」
つい先日までいたクレドヴァロール王国でも金色には特別な意味があった。
きっと金のセイレーンにも銀のセイレーンと同じか、ひょっとしたらそれ以上に特別な意味があるのかもしれない。
と、眉間にたくさんの皴を寄せたラグが口を開いた。
「銀のセイレーンが世界を破滅させる存在。なら、金のセイレーンは世界を」
だがそのとき、バンっと勢いよく船長室の扉が開かれた。
「てめぇら! なに勝手に俺の本読んでんだよ!」
入ってきたのはこの部屋の主であるグリスノートだ。その肩には先ほどと同じようにグレイスが乗っていた。
捜しにいく手間は省けたけれど、まだ頗る不機嫌な様子だ。
ずんずんと中に入って来た彼はラグの手から本を奪い、大事そうに本棚に仕舞った後でこちらを振り返った。
「オルタードとは感動の再会を果たしたんだ。もうここにゃ用はねぇだろう、さっさと出てけ! それともなにか? そのモンスターを置いてく気になったかよ!」
「あの! セイレーンについてあなたに訊きたいことがあるんです!」
思い切ってそう切り出すと、グリスノートの眉がぴくりと跳ね上がった。
セイレーンの情報を知りたがっていた彼なら、エルネストさんのこと、金のセイレーンのことも何か知っているかもしれない。――しかし。
「俺はこれ以上あんたらと話す気はねぇ」
「でも、あの」
「いいから早く出てけ!」
その怒声に押されるように私たちは船長室から追い出されてしまった。
扉が閉まる直前、
「お前のお蔭でオルタードと再会出来た。ありがとう」
セリーンがそう声を掛けるが、舌打ちひとつ残しバタンと船長室は閉ざされた。
「駄目か」
セリーンとほぼ同時に溜息が漏れる。
――グレイスのこともあり、私たちは完全に嫌われてしまったようだ。
(不機嫌な理由は他にもありそうだけど)
「ここで待っていても仕方ない。一先ず外に出るか」
セリーンの言葉に頷く。
船長室の前を離れ、階段に向かいながら私は口を開く。
「……私が、歌ってみる?」
「それは駄目だ」
間髪入れずに答えてきたのは前を行くラグだ。
「でも、そうすればもしかしたら話聞いてくれるかも」
セリーンがふむと頷き私の頭を見た。
「まぁ、そうして帽子を被っていれば銀のセイレーンだということは隠せそうだがな」
「あ、そうだよね」
私は被っている帽子に手を触れる。私ひとりまだ変装したままだ。でも。
「駄目だ」
もう一度、振り返ったラグに強く睨まれ私は口を噤んだ。
(確かにちょっと怖いけど……)
グレイスの歌声にデレデレになっている彼を思い出して小さく首を振る。
――でも、彼が私の歌を気に入るどうかはわからない。
(むしろ、そんな歌声セイレーンじゃねぇって、もっと嫌われちゃう可能性もあるんだ)
ラグの言う通り、やはり歌うのはやめておいた方がいいかもしれない。
甲板に出ると一瞬眩しさに目がくらんだ。
岩山に囲まれ丸く見える空は雲一つなく真っ青で、気温も先ほどより大分上がっているように感じた。
「兄貴と話せた?」
そんな高い声に振り向けば、リディが丁度船に乗ってくるところだった。
私は苦笑しながら首を振り答える。
「追い出されちゃった」
するとリディはやっぱりというふうに溜息をつき、お兄さんのいる扉の向こうを睨んだ。
「普段ならセイレーンって聞いただけで目の色変えて飛びつくくせに」
「オルタードの様子はどうだ」
でもセリーンが訊くと、リディはすぐに笑顔を見せた。
「大丈夫。貴方に会えてちょっと興奮しちゃったみたい。今は落ち着いて横になっているわ」
それを聞いてほっとする。セリーンも安堵した様子だ。
「あんなオルタード初めて見た。よっぽど嬉しかったのね。なのに兄貴ってば……」
再び大きな溜息をついたリディを見て私たちは顔を見合わせる。そして。
「先ほどの嫁探しの話だが、詳しく訊かせてもらえないか」
セリーンがそう切り出すと、リディは船縁に手をついて岩山に並ぶ家々を見上げた。
「兄貴には夢があってね。その夢のためにずっとこのイディルを出たがっていて」
心なしか寂しそうな目をしてリディは続ける。
「兄貴がブルーの頭になった日にオルタードが言ったの。嫁をもらって子供が出来たら出て行ってもいいって」
「それはまた随分な条件だな」
セリーンが眉を寄せ言うとリディは勢い良くこちらを振り向いた。
「でしょう? 子供なんて出来ちゃったら離れたくなくなっちゃうに決まっているのに。それがわかっていて言ってるのよ。――でも、兄貴の夢ってのもまた馬鹿げていてね」
(夢……?)
首を傾げていると、リディは私たちから視線を外し恥ずかしがるように小声で言った。
「セイレーンの秘境を探す旅に出たいんですって」
「あぁ!」
思わずそんな声が出ていた。セリーンも続いて頷く。
「そういえば昨日そんなことを言っていたな」
「え! 兄貴もうそんなことまで話してるの!?」
真っ赤に顔を染めて叫ぶリディ。余程恥ずかしいみたいだ。
(でも、この世界じゃこれが普通の反応なのかも)
グリスノートのように歌に興味がある人の方が変わり者とされてしまうのだ。
それを少し寂しく感じて、私は苦笑しながら言う。
「実は私もセイレーンの秘境には興味があってね、だからほんとはその話もお兄さんとしたいんだ」
すると案の定リディは目を丸くした。
「でも、グレイスの件で私たち完全に嫌われちゃったみたいで――え?」
がしりと急に両手を握られてびっくりする。
リディが真剣な眼差しで私を見ていた。
「カノン」
「な、なに?」
「もう貴女しかいないわ」
妙な圧を感じて、そういえば朝にも同じような目をしたリディに詰め寄られたことを思い出す。
ぎゅうっと痛みを感じるほどに強く私の両手を握りしめ、リディは思い切るように告げた。
「お願いカノン。兄貴のお嫁さんになって!!」
「ぇ……えぇ!?」




