15.セリーンの過去
――セリーヌ、お嬢様……!?
思わずセリーンを見上げると目が合った彼女は照れくさそうに苦笑した。
「そう呼ばれていた頃もあってな」
「オルタード!?」
ガタンっという大きな音とリディの悲鳴に驚いて視線を戻すと、オルタードがその場に膝をつき床に着くほど深く頭を下げていた。
リディが慌ててしゃがみ込み手を差し伸べようとするが。
「申し訳ありません! セリーヌお嬢様!」
外にまで響いているのではないかと思う程の大音量にリディはその手を引っ込めた。
「私は! 誰一人としてお守りすることが出来ませんでした! 私だけがこうしてのうのうと生き恥を晒しておりました! 私は、私は……っ」
全身を震わせ声を詰まらすオルタード。
おろおろとそんな彼とセリーンとを交互に見つめるリディ。見ればグリスノートも呆気に取られている様子だ。
と、セリーンは彼の前に静かに進み出ると膝をつき、優しい声音で言った。
「謝る必要はない、オルタード。私はこうして生き延びた。あのとき、私たちを懸命に守ろうとしてくれたお前のお蔭だ。だから生き恥などと言わないでくれ。私はお前が生きていてくれて心底嬉しいんだ」
「セリーヌお嬢様……」
オルタードはゆっくりと顔を上げ綺麗に微笑むセリーンを見ると感極まるようにもう一度深く頭を垂れた。
「セリーヌ・フィッツジェラルド。それが私の本当の名でな」
まだ興奮した様子のオルタードさんをリディが支えながら船長室のベッドに座らせている間、セリーンが小さな声で教えてくれた。
「俺には何を話しているのかさっぱりだったけどな」
ラグがぼそっと呟くのを聞いて気づく。
私には普段と変わらない言葉に聞こえたけれど、きっと先ほどふたりは故郷の言葉で会話していたのだろう。
「えっと、オルタードさんはセリーンの……」
「ああ、オルタードは我が家の執事だったんだ」
「執事!」
「執事!?」
私の声とリディの声が被った。彼女も知らなかったみたいだ。
確かに彼の今の姿は執事のイメージとは大分かけ離れているけれど。
(セリーン、本当にお嬢様だったんだ)
驚きはしたが意外とは思わなかった。むしろストンと腑に落ちた気がした。
彼女はいつだって美しく凛としていて、どこか気品があって、どんな時でも堂々としていた。――たまに壊れることもあるけれど。
ソレムニス宮殿の庭園で花を愛でていたセリーン。どこかの国の王女様みたいだと思ったけれど、きっとあれが本来の彼女の姿。故郷を奪われさえしなければ、きっと今でも彼女は“セリーヌお嬢様”だったのだ。
「しかしまさか海賊になっているとはな」
セリーンが言うとオルタードさんはまだ彼女の顔をしっかりと見ることが出来ないのか、俯いたまま淡々と話し始めた。
「この脚と目、そして故郷を奪われた私を受け入れてくれたこの街を守るために」
「奪う側に回ったわけか」
溜息交じりに続けたセリーンにオルタードさんは息を呑み、そして頷いた。
「はい」
「そうか」
重苦しい空気が流れる中で声を上げたのはリディだった。
「オルタードを悪く言わないで! 確かに海賊は悪いことだけど、オルタードがいなかったら私たちは」
「いや、悪く言うつもりはない。ただ、皮肉なものだと思ってな。……身体は大分悪いのか」
セリーンが問うと、彼はゆっくりと頭を振り自嘲するように笑った。
「もう海には出られそうにありません。今はなんとか見えているこの右目も大分耄碌しました。使い物にならなくなる前に、またその見事な赤毛を見られて良かった」
そうしてオルタードさんは漸く顔を上げ、セリーンを見つめた。
「セリーヌお嬢様は、」
「その呼び方はもうやめてくれ。もうお嬢様という歳ではない。名も今はセリーンと名乗っている」
「セリーン……様は今何をされて、そのお姿は」
「ああ、今は傭兵をしている。驚くなよ。これでもクラス1stだ」
「お嬢様が傭兵……本来ならばフィッツジェラルド家を背負って立つお方が……」
ショックを受けた様子のオルタードさんにセリーンは苦笑する。
「そう言うなオルタード。今のこの生き方もなかなか気に入っているんだ」
「セリーヌお嬢様……」
と、そのときハっと鼻で笑うものがいた。
それまでグレイスのすぐ傍らで黙って見ていたグリスノートだ。
「オルタードが執事ねぇ」
そんなグリスノートをじろりと睨み上げるオルタードさん。その眼光はセリーンに向けていたものとはまるで違う。――海賊の元頭の眼だ。
「グリスノート、そういやおめぇ、嫁さんてまさかセリーヌお嬢様のことじゃねぇだろうな」
一瞬呆けた顔をしたグリスノートだったが。
「ち、ちげぇよ!」
慌てたように否定した。
(また“嫁さん”……)
こっそり首を傾げているとオルタードさんは安堵するように息を吐いた。
「ならいいが、おめぇが逆立ちしたってなぁセリーヌお嬢様には釣り合わねぇんだよ」
「だからもうお嬢様ではないと」
セリーンがそう小さく溜息を漏らすと同時、グリスノートがそんな彼女をびしっと指差し声を荒げた。
「そのお嬢様が、てめぇに会わせてくれって言うからここまで連れてきてやったんだ、有難く思えよな!」
「……おめぇ、まさかお嬢様に酷ぇ扱いしたんじゃねぇだろうな」
その底冷えするような声音にグリスノートの顔が引きつる。
拘束されて船底近くの暗い部屋に放り込まれたことを思い出していると、セリーンがその空気を変えるように声を上げた。
「それよりオルタード、嫁とはなんの話だ。先ほどもそんなことを言っていたが」
セリーンも気になっていたようだ。
するとオルタードさんはグリスノートから視線を外し答えた。
「今こいつ、嫁探ししてるんですよ」
(嫁探し!?)
まさかの意外過ぎる答えに思わず変な声が出そうになってしまった。
セリーンも驚いた様子でグリスノートの方を見た。
「嫁探し……。ひょっとして、あのときの頼みというのは」
セリーンがそう言いかけたところでグリスノートは大きく舌打ちをした。
「俺は別に嫁探ししてるわけじゃねぇんだよ! 俺は、さっさとここを出たいだけだ!」
「兄貴……」
リディの寂し気な声。
「あ~くそ、胸糞悪ぃな! グレイス、行くぞ」
声を掛けられたグレイスは少し頭を傾げた後でぴょんとグリスノートの肩に飛び移った。
そうして皆が見つめる中、彼は船長室を出て行ってしまった。
「すみません、態度の悪い野郎で」
オルタードさんがセリーンに頭を下げる。
「いや、彼はお前の息子、ではないよな?」
「まさか。私の息子は14年前のあの日に妻と共に……」
「そうだったか。……すまない」
セリーンが謝罪しオルタードさんが頭を振るのを見て、胸が詰まる思いがした。
14年前に家族と故郷を奪われたふたり。平和な日本で過ごしていた私には想像もつかないけれど、それでもふたりはこうして時を経て再会できたのだ。
「でも、私たちにとってオルタードは親みたいなものよ!」
リディの言葉にオルタードさんの片方の目が優しく細められた。それは愛娘を見る父親の眼差しに似ていた。
「ありがとうよ、リディ」
「兄貴だってそう思っているはずよ」
だがその言葉でオルタードさんの笑みが消えてしまった。
「どうだかな」
「何か、事情がありそうだな」
セリーンが言うとオルタードさんは苦笑し、もう一度頭を振った。
「お嬢様にお話しするような内容では」
「そうか……」
少しの沈黙の後、ラグが小さく咳ばらいをした。
「絵のことを訊くんじゃないのか」
「あぁ、そうだったな」
セリーンが思い出したようにこちらを振り向いた。
――そうだ。私もすっかり忘れていた。
海賊の長に会えたら、エルネストさんが描かれていたという絵画のことを訊くつもりだったのだ。
その長、オルタードさんがセリーンの家の執事をしていたことがわかったのだ。これほど確かな情報はない。
セリーンはオルタードさんに向き直り、訊ねた。
「当時を思い出させるようで悪いのだが、私の家はあの後どうなったか知らないか」
「お屋敷ですか? 全て、燃えてしまったはずですが」
それを聞いてラグが肩を落とす。覚悟はしていたけれど私も小さく息を吐いた。
セリーンが続ける。
「そうか……。いや、父のコレクションのことで気になっていることがあってな」
「旦那様のですか?」
「あぁ。覚えてはいないか。金髪の若い男が描かれた絵なんだが」
「金髪の……あぁ。もしやエルネストの肖像画のことですか」
――!?
私たちは一斉に息を呑む。
「間違いなく、その名前なんだな!?」
ラグが思わずといった様子で身を乗り出し声を上げた。オルタードさんはそんな彼を見上げ、不審そうに眉を寄せる。
それに気が付きセリーンが間に入った。
「あぁ、すまない。紹介をしていなかったな。彼らは旅の仲間でな。そのエルネストという男を捜しているんだ」
「捜して……?」
彼の瞳が私たちに移り、そして更に怪訝そうな顔をした。
「私の記憶が確かなら、そのエルネストという男は大昔に存在していたとされる伝説上の人物です」
――伝説上の……?
目を見開く私たちの前で、オルタードさんは続けた。
「確か、銀のセイレーンと対をなす “金のセイレーン” なのだと、旦那様が話しておりました」




