第六話「熱血!球技大会」
「……うるさいな」
俺の独り言は、校庭を埋め尽くす歓声と、審判が吹き鳴らす鋭いホイッスルの音にかき消された。
五月晴れの空は憎らしいほど青く、太陽は容赦なく熱を注いでいる。本部テントの下でスコアボードを整理する俺の額からも、じわりと汗が滲んだ。
「橘くん! 見ててくれた!? 今の私のスリーポイント!」
コートの向こうから、眩しいほどの笑顔を弾けさせて美優が駆け寄ってきた。ポニーテールが激しく揺れ、跳ねるような足取りが彼女の絶好調さを物語っている。
「……見てない。俺は記録係だ、数字を見てる」
「えー! 絶対嘘だ! 橘くん、数字書くふりして私のことガン見してたでしょ! 視線感じたもん!」
「自意識過剰だ。ほら、次の試合が始まるぞ。早く行け」
「あはは、照れちゃって! よーし、次の試合も橘くんのために決めちゃうからね! ちゃんと得点版、私のためにめくってよ!」
美優は俺の手をポンと叩くと、再び戦場へと戻っていった。彼女の後ろ姿には、クラスメイトからの期待が重圧ではなく、翼のように背中を押し上げているような勢いがある。
「……ふんっ。相変わらず、暑苦しい女ね」
テントの影、直射日光を避けるように立っていた彩音が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼女は出番待ちのようで、クラスTシャツの袖をまくり上げ、スポーツドリンクのペットボトルを握っている。
「小鳥遊。お前も次の試合だろ。準備運動はしたのか」
「あんたに言われるまでもないわよ。……それより、あんた。さっきから色んな女に構われて、鼻の下伸ばしてんじゃないわよ。見てて反吐が出るわ」
「……仕事をしてるだけだ」
「仕事ねぇ。……ふん、まあいいわ。あんたが私の試合、一瞬でも見逃したら、あとでうどん一玉分、七味唐辛子ぶっかけてあげるから。覚悟しなさいよ」
彩音は鋭い視線を俺に投げると、踵を返して女子バレーのコートへと向かった。毒舌ではあるが、その足取りには彼女なりの緊張と、負けたくないというプライドが滲んでいる。
「……あの、橘くん」
狂騒の隙間、背後から衣擦れのような微かな声がした。
振り返ると、そこにはクラスの喧騒から逃げるように、テントの支柱の陰に隠れていた詩織がいた。
「白石。お前、自分のクラスの応援はいいのか?」
「はい。……あの、私、大きな声が少し苦手で。……ここなら、橘くんの隣なら、少しだけ落ち着ける気がしたんです」
詩織は、昨日渡してくれたポプリの香りを、自分でも確かめるようにそっと胸元に手を当てた。
「……ここにいろ。ここなら誰も文句は言わない。……水、飲むか?」
「ありがとうございます。橘くん、本当にお優しいですね。……あ、の……お忙しいのに、お邪魔じゃないですか?」
「邪魔じゃない。……お前がそこにいてくれる方が、俺も静かで助かる」
詩織は、少しだけ安心したように、俺の横にある予備の椅子にちょこんと腰を下ろした。
「橘くん。……私、さっきの小鳥遊さんの試合、見ていたんです。……皆さん、すごく一生懸命で、キラキラしていて……。……私には、少し眩しすぎます」
「……眩しいのが正解とは限らない。……俺は、お前がそこで静かに本を読んでいるような、そういう温度の方がマシだと思ってる」
俺がそう言うと、詩織は驚いたように目を見開き、それから今まで見た中で一番穏やかな、けれど強い意志を感じさせる笑みを浮かべた。
「……嬉しいです。橘くんがそう言ってくださるなら……私、自分のクラスの試合、もう少しだけ、ここで見ていてもいいですか? ……もちろん、橘くんのお仕事のお手伝いもします」
「……ああ。……スコアの確認だけ、手伝ってくれ」
「はい。一生懸命、頑張りますね」
詩織は、慣れない手つきで俺の記録用紙を覗き込んだ。
俺の左側からは、美優の歓声。右側からは、彩音の鋭い視線。
そして、すぐ隣には、詩織の静かな吐息。
この喧騒の中で、俺たちは確実に、他の誰にも入り込めない「二人だけの時間」を共有していた。
「――恒一! 記録、順調?」
不意に、コートの反対側からさくらがやってきた。彼女はバレーボールの試合を終えたばかりのようで、顔を赤らめ、首から下げたタオルで汗を拭っている。
「さくら。……一セット目、勝ったみたいだな」
「うん! みんな頑張ったよ! ……って、白石さんも一緒だったんだ。こんにちは」
「あ、……はい。春野さん、お疲れ様です。……あの、橘くんのお手伝いをしていました」
詩織が少し緊張したように背筋を伸ばすと、さくらはいつも通りの快活な笑顔を浮かべた。
「あはは! 恒一、よかったね。白石さんみたいな美少女が手伝ってくれるなんて、役員冥利に尽きるんじゃない?」
「……茶化すな。俺はただ記録を付けてるだけだ」
「分かってるって。……でも、恒一。あんまり白石さんに甘えすぎちゃダメだよ? この人、放っておくとすぐ自分一人で完結しちゃうからさ。ね、白石さん」
さくらは、俺の肩をポンと叩いた。その手つきは、まるでお姉さんが弟の交友関係を見守るような、カラッとした優しさに満ちていた。
「……さくら。お前、次の試合はいつだ」
「もうすぐだよ! だから、ちょっと水分補給に来たの。……恒一、私の試合も、ちゃんと見ててよね。……幼馴染が頑張ってるんだから、応援してくれないと拗ねちゃうよ?」
さくらは、俺の飲みかけのペットボトルを奪うようにして一口飲むと、いたずらっぽく笑った。
「じゃ、行ってくるね! 白石さん、恒一のこと、よろしくお願いします!」
「……あ、はい。……お任せください」
さくらは、迷いのない足取りで再びコートへと戻っていった。
彼女の明るさは、この場の空気を一気に塗り替える。けれど、その去り際の視線が、一瞬だけ俺と詩織が座る椅子の「距離」を測るように動いたのを、俺は見逃さなかった。
さくらにとって、俺の隣に誰かがいることは、まだ「微笑ましい光景」でしかない。……今は、まだ。
競技はすべて終了し、閉会式を待つばかりとなった。
夕焼けがグラウンドをオレンジ色に染め、長く伸びた影がドラマチックな終末感を演出している。
「……あー、疲れた! 橘くん、はい、差し入れ!」
美優が、どこからか持ってきたパピコを二つに割って、俺に差し出した。
「……お疲れ様。準優勝、惜しかったな」
「ううん、全力出したから悔いなし! それに、橘くんがずっと見ててくれたから、私、一番かっこいい姿見せられたもん!」
美優は、アイスを頬張りながら、俺の肩に体重を預けてきた。
「……重いぞ、小日向」
「いいじゃん、今日くらい! ……ねえ、橘くん。来月、文化祭の準備始まるでしょ? ……私、また橘くんと一緒にやりたいな」
美優の、弾けるような、けれどどこか寂しがり屋な視線。
「……アンタ、調子に乗りすぎよ」
後ろから、彩音がやってきた。彼女は、優勝カップを抱えている。
「小鳥遊、お前……優勝したのか」
「当たり前でしょ。あんたが見てたから、無様な姿見せるわけにいかないもの。……ほら、これ、記念に持たせてあげるわよ」
彩音は、重いカップを無理やり俺の膝に乗せた。
「……重い。……おめでとう」
「……ふん。……当然よ。……でも、……ありがとう。見ててくれて」
彩音は、夕陽に照らされて赤くなっているのか、それとも別の理由か、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
そして、その少し後ろ。
詩織が、俺と目が合うと、小さく、けれど確かな動作で手を振ってくれた。
その光景を、本部席の後片付けをしながら眺めていたさくら。
「……恒一、モテモテだねぇ」
さくらは、笑いながら俺に近づいてきた。
「……茶化すなと言ってるだろ」
「あはは、ごめん。……でもさ、恒一」
さくらは、俺の制服の乱れた襟を、自然な手つきで直した。
「……今日の恒一、なんだか……すごく、楽しそうだったよ」
「……そうか。俺には自覚がない」
「それでいいんだよ。……じゃ、帰ろっか。今日はお祝いで、お母さんがお肉多めのすき焼きにしてくれるって!」
さくらが、俺の手を引く。
俺の視界には、元気な美優、不機嫌な彩音、そして静かに微笑む詩織。
そして、俺の右手を握る、さくらの温もり。
一人が正解だと言い聞かせてきた俺の壁は、この一日で、跡形もなく崩れ去っていた。
これから始まる、長く、熱い日常。
夕陽に照らされた俺たちの影は、複雑に絡み合いながら、校門へと続いていた。
どうも!しろもちです!
6話まで来ました!今回はタイトルが結構適当になってますね
ゴメンナサイ




