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ひとりのトナリ  作者: しろもち


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第五話「静寂の契約と、高鳴る予砲」


放課後。校舎の至る所から、来週に迫った球技大会の練習に励む怒号や、バッシュが床を叩く高い音が響いてくる。

俺にとって、あの喧騒は「正解」ではない。

逃げるように向かった旧校舎の三階。そこには、埃の舞う西日が差し込む、時間が止まったような図書室があった。


「あ、橘くん。本当に来てくれたんですね」


扉を開けると、いつもの窓際の席に、白石詩織がいた。

彼女は膝の上に古い詩集を広げ、こちらを見上げると、ぱっと顔を明るくした。以前会った時よりも、少しだけ表情が柔らかい。


「約束しただろ。お前に貸し出しカードを作ってやるって」

「はい! でも、橘くんは実行委員で忙しいと思っていました。あ、あの……私、邪魔じゃなかったですか?」

「邪魔ならここには来ない。美優や彩音に捕まるくらいなら、ここでカードを作ってる方が、百倍マシだ」

「ふふっ。百倍なんて、橘くんは大げさですよ」


詩織は、花が綻ぶような、可愛らしい笑顔を見せた。

彼女が笑うと、この古びた図書室の空気が、少しだけ柔らかくなるような気がした。


俺は詩織の向かいに座り、鞄から予備の貸し出しカードを取り出した。

「ほら、これに名前を書け。今日から、お前もここの正式な利用者だ」

「ありがとうございます。私が、書いてもいいんですか……?」

「自分のカードだろ。お前の名前を、ここに刻め」


俺がペンを差し出すと、詩織はそれを丁寧に、両手で受け取った。

机の上に置かれたカード。彼女はペンを握り、ゆっくりと名前を書き始めようとしたが、その指先が微かに震えていた。


「白石? どうした」

「ごめんなさい。なんだか緊張しちゃって。ここに私の名前を書いたら、橘くんと同じ場所にいられるんだなって思ったら……」


詩織は少し照れたように俯き、自分の右手を左手でぎゅっと押さえた。

「私、ずっと一人でここにいたから。誰かと何かを一緒に持つの、初めてなんです。だから、なんだかすごく嬉しいなって」


そのまっすぐな言葉に、俺は胸の奥をくすぐられるような感覚を覚えた。

「じゃあ、俺が書く。代筆だ」

「えっ、でも……」

「いいから。苗字は白石、だったな。名前は?」

「しおり。詩人の詩に、織物の織です」


俺は万年筆の先を紙に滑らせた。『白石 詩織』。

自分の名前よりも、ずっと丁寧に。彼女の繊細なイメージを壊さないように。


「はい。これでよし」

書き終えたカードを差し出すと、詩織はそれを両手で受け取り、目を輝かせた。


「わぁ。橘くんの字、すごく綺麗。少し硬くて、でもあったかい感じがします」

「字に温度なんてないだろ」

「ありますよ! 少なくとも私にはそう見えます。これ、一生大切にしますね」

「いや、紛失したら再発行できるぞ」

「だめです! 橘くんが初めて書いてくれた私の『場所』ですから」


彼女の、無邪気で、透明すぎる喜び。

俺はたまらず、窓の外に視線を逸らした。

夕暮れの色が、彼女の白い頬を淡く染めていった。


その夜。さくらの家での夕食。

今日の献立は、肉じゃがだった。


「恒一、今日もおかわりあるからね! はい、ジャガイモ多めに入れといたよ」

「サンキュ。さくら、お前も食え。さっきから俺の顔ばっかり見てるぞ」

「えー? そんなことないよ。ただ、恒一が今日はなんだか少しだけ顔が柔らかいなーって思ってさ」


さくらは、味噌汁の湯気の向こうから、いつものように快活に笑いかけてくる。

「別に、普通だ」

「そうかなぁ? あ、そういえば放課後。旧校舎の方に行ってたでしょ。誰かと会ってたの?」


不意に投げられた質問に、俺の箸が止まる。

「図書室で事務作業をしてただけだ」

「ふーん。事務作業、ね」


さくらは、煮物の人参を一つ、口に運んだ。

「恒一、ああいう静かなところ好きだもんね。でも、あんまり一人でこもりすぎちゃダメだよ? 明後日からは球技大会なんだから、ちゃんと外の空気も吸わないと!」

「分かってるよ」

「よろしい! 恒一は私がちゃんと見ててあげないと、すぐどこか行っちゃいそうなんだから。明日もちゃんとここでご飯食べるんだからね、約束だよ!」


さくらは、頼れる幼馴染としての笑顔を向け、俺の茶碗に二杯目のご飯を盛り付けた。

彼女にとって、俺の面倒を見るのは「当たり前」の日常だ。そこには、まだ名前のつかない愛着が、春の陽だまりのように穏やかに流れていた。



そして、球技大会の前日。

俺は本部テントの設営を終え、誰もいなくなったグラウンドを見下ろしていた。


「橘くん」


校舎の影から、詩織がひっそりと現れた。

彼女は、クラスTシャツが少し大きいのか、袖を余らせながら俺に歩み寄る。


「白石。まだ残ってたのか」

「はい。あの、明日、これ渡したくて」


彼女が差し出したのは、小さなお守りのような袋だった。

「何だ、これ」

「ラベンダーのポプリです。緊張した時に香りを嗅ぐと落ち着くって本に書いてあったから」


詩織は、恥ずかしそうに顔を伏せる。

「橘くん、明日忙しいと思うから。これを持って、少しでもリラックスできたらいいなって思って」


俺は、その小さな袋を受け取った。微かに香る、落ち着いた花の匂い。

「サンキュ。お前らしいな」

「えへへ。あの、明日。私、頑張って橘くんを探しますね」

「ああ。見つけたらこっちに来い。お前の居場所は空けておく」


詩織は、嬉しそうに何度も頷き、小走りで帰っていった。

その後ろ姿を見送りながら、俺はポケットの中のポプリを握りしめた。



ピィィィッ。

翌朝、グラウンドに鳴り響く審判の笛。

それは、4人の少女たちの想いが本格的に交錯する、狂騒の始まりだった。

どうも!しろもちです!

少し遅れての五話となりましたが、これからもどんどん投稿していこうと思うので

よろしくお願いします!

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