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ひとりのトナリ  作者: しろもち


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第三話「雨降って、毒は解けるか」


「……最悪だ」


放課後。旧校舎の図書室へ向かおうとした俺の足を止めたのは、窓の外を塗りつぶすような暴力的な雨音だった。

予報では晴れのはずだった。だが、空はどす黒い雲に覆われ、視界を遮るほどの豪雨が校庭を叩いている。


「恒一! 大変だよ、体育館の裏にある倉庫の窓、閉め忘れてたかも!」


廊下の向こうから、美優が慌てた様子で走ってきた。

「……俺を巻き込むな。自分で行けよ、運動部だろ」

「無理だよ、さっき会議室でリストの整理やってたじゃん! 私、今から部活の集合があるから、お願い! 恒一、一番近いでしょ!」

「おい、小日向――!」


美優は俺の返事も待たずに、嵐のような勢いで去っていった。

溜息をつき、俺は渋々、一階の渡り廊下の先にある物置へと向かった。


「……ったく。なんで俺が」


薄暗い物置のドアを開ける。案の定、古びた回転窓が全開になっており、そこから雨が吹き込んでいた。

俺は急いで窓に駆け寄り、重い金具を力任せに回して閉める。

「これでよし。……さっさと戻るか」


振り返り、ドアノブに手をかけた。……だが、動かない。

「……は?」

ガチャガチャと音を立てて引いてみるが、びくともしない。どうやら、外から誰かがカギを閉めてしまったようだ。


「嘘だろ……」

「……ちょっと。何してんのよ、あんた」


暗がりの奥から、聞き慣れた「毒」のある声がした。

積み上げられたマットの影。そこに座り込んでいたのは、膝を抱えた小鳥遊彩音だった。


「……小鳥遊。なんでここにいる」

「私が聞きたいわよ! 雨宿りしてたら、いきなりあんたが入ってきて、挙句の果てに閉じ込められるなんて……っ、本当にあんた、疫病神ね!」

「閉じ込められたのは事故だ。俺のせいじゃない」

「言い訳は見苦しいわよ! ほら、さっさと開けなさいよ! 暗いし、埃っぽいし……私、ここ嫌いなのよ!」


彩音は立ち上がり、俺を突き飛ばしてドアを叩いた。

「開けなさいよ! 誰かいないの!? ……っ、なんで誰も来ないのよ!」

「……無駄だ。ここは部活動の喧騒からも遠い。……雨が止むまで、待つしかないな」


俺は諦めて、少し離れた場所に腰を下ろした。

狭い物置。雨音だけが激しく響く中、俺と彩音の、二人きりの沈黙が流れる。


「……ねえ。なんで何ともないわけ?」


十分ほど経った頃、彩音が震える声で問いかけてきた。彼女はドアから少し離れたところで、再びうずくまっていた。

「何がだ」

「一人で、こんな暗い場所にいて……。あんた、怖くないの?」

「……慣れている。……それに、外にいて誰かと無意味に笑い合っているより、ここの方がずっとマシだ」

「……変な奴。やっぱりあんた、どっか壊れてるわよ」


彩音は自嘲気味に笑うと、少しだけポニーテールを解いた。

「……私は、嫌い。一人が正解なんて、そんなの強がりに決まってるじゃない」

「……お前、昼休みは『誰にも頼らない強い女になる』とか言ってただろ」

「……っ! それは……そう言わないと、惨めじゃない。……みんなみたいに、ニコニコ笑って、器用に立ち回れるほど、私は可愛くないから」


彩音の瞳が、暗がりの中でわずかに潤んでいるのが見えた。

「激辛を食べてたのも、本当は……誰かに構ってほしかったわけじゃない。……ただ、熱さと痛みに集中してれば、『一人が寂しい』なんて思わなくて済むから……」


……その言葉は、俺の胸の奥にある「空白」に、驚くほど深く刺さった。

俺が本を盾にして世界を拒絶しているように、彼女もうどんの熱さを盾にして自分を守っていたのか。

手法が違うだけで、俺たちは同じ檻の中にいたのだ。


「……小鳥遊。お前……」

「見ないでよ。……あんたにだけは、同情されたくない……」


彩音は顔を伏せた。……その時だ。

ドォォォォン!!

雷鳴が物置を揺らした。


「――っ!!」

彩音が悲鳴を上げ、反射的に俺の制服の袖を掴んだ。

「……っ、……っ……」

「……小鳥遊?」

「……ごめん。……いいから、離さないで。……今だけ、今だけでいいから……」


彼女の指先が、激しく震えている。

その震えを、俺は黙って受け入れた。

「……橘。あんたの隣……案外、悪くないわね」

「……そうか」

「静かだし……なんだか、毒気が抜けるっていうか……」


彩音は俺の肩に、そっと頭を預けた。

誰にも見せなかった「激辛の裏側」を、彼女は俺にだけ晒した。この瞬間、俺たちの間に、言葉にできない奇妙な共犯関係が生まれた。


「――恒一!! 大丈夫!?」


ドアのカギをこじ開ける音が聞こえた。

現れたのは、レインコートを着たさくらだった。

「……さくら。なんでここが」

「美優が慌てて部室に来たんだよ! 恒一を閉じ込めちまったかもって! ……って、小鳥遊さんも!?」


さくらの視線が、俺の袖を掴んでいる彩音の手と、密着した二人の肩に止まった。

その瞬間、さくらの顔からいつもの柔らかな笑みが消え、冷たい無表情が張り付いた。


「……あ。……ご、誤解よ! 暗くて怖かっただけだから!」

彩音は弾かれたように飛び起き、顔を真っ赤にして走り去っていった。

「あ、小鳥遊さん! ……っ、もう、行っちゃった」


物置に残されたのは、俺とさくら。

「……恒一」

「……なんだよ。俺は別に何もしてないぞ」

「……分かってるよ。恒一が自分から何かするわけないもんね。……でも」


さくらは俺の頬に手を伸ばし、濡れた髪をさっと払った。その指先は温かく、少しだけくすぐったい。


「恒一は、昔から目が離せないんだから。私がちゃんと見ててあげないと、またどこかで迷子になっちゃうでしょ」

「……過保護だ。俺は一人で生きていける」

「はいはい。でも、私の隣にいるのが一番安心するでしょ? 昔からそうなんだから」


さくらは、いつも通りの屈託のない笑顔を浮かべた。

彼女にとって、俺の隣にいることは、息を吸うのと同じくらい「当たり前」の習慣なのだろう。そこには打算も、特別な感情の自覚もなく、ただ幼馴染という長い年月が作り上げた、揺るぎない日常があるだけだった。


「ほら、恒一。スーパー、行くんでしょ? 早くしないと特売終わっちゃうよ!」

「……分かってるよ。先に行くな」


俺の前を歩くさくらの背中。

その歩幅は、俺を置いていかないように、いつも通りの一定の距離を保っていた。

その変わらない景色に、俺はほんの少しだけ、胸の奥が軽くなるのを感じていた。

あっという間に三話まで来ました。

以前からずっと書きだめしていたものがあるのでこれからも高頻度で投稿させていただきます。

長い連載になるかと思いますので引き続き応援よろしくお願いします!

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