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お笑いと焼き肉ときっかけと



 「こ、このチケット……どうしたんですか?」




 突然の、おおきに倶楽部のチケットに、驚きと喜びが隠せない僕。


 どうして、晴臣さんがおおきに倶楽部のライブチケットを持っているのか?



 僕が不思議に思っていると、晴臣さんは「(うち)のもんが、彼女と行く予定やったらしいんやけどな、フラれたから要らんくなったって言うから貰ってん」と言う。


 僕が思っていたチケットの入手先とは違い、思わず良かったと思う。




 「僕はてっきり、闇ルートで取ってきたのかと……」


 「そんな訳ないやん」




 そう晴臣さんは笑うと「事前にあやめんから好きな芸人の名前聞いてて良かったわ。聞いてなかったら、貰ってなかったし」と言う。


 

 そうだ。


 晴臣さんは、おおきに倶楽部の事知らないのに、わざわざ僕が好きだから連れて来てくれたんだ。


 特別、お笑いに興味がありそうでもなかったのに、僕のために。



 そう思うと、嬉しさと照れ臭さから、耳が熱くなる。


 晴臣さんは腕時計を見ると「もう入れるみたいやけど、まだ始まるまで時間あるし、何かつまんでから会場入ろか」と言う。



 そんな晴臣さんを僕は見つめていたらしく、晴臣さんは「どうしたん? 顔赤くなってるやん」と僕の頬に触れては、優しく言う。


 僕は咄嗟に、顔を横に向けると「……楽しみすぎて、熱くなっただけです」と言うと、晴臣さんは「そんなに喜んでくれるとは、チケットもらった甲斐あるわ」と笑うのだった。




 「――さいっっこうに面白かった……!!」




 あれから約2時間、たっぷりとおおきに倶楽部のライブを堪能した僕は、噛み締めるようにそう言うと、隣を歩く晴臣さんに「おおきに倶楽部、面白かったでしょ!?」と感想を求める。


 晴臣さんは「初めて見たけど、めっちゃ面白かったわ。おにぎり倶楽部」と言うので、僕はすかさず「おおきに倶楽部です」と返す。




 「やっぱり、お笑いは生で見るのが一番だな! あの間といい、スピード感といい、お客さんとの空気感といい、テレビじゃ味わえない満足感が堪らなかった……!!」




 久しぶりの、生の推しを目の前に、興奮冷めずついつい、隣に晴臣さんがいるのも忘れ、語りすぎてしまうオタクの悪い癖が出てしまった。


 僕はハッとすると、隣に顔を向ける。



 やはり、晴臣さんは凄く驚いた表情を浮かべていた。


 やってしまった……! 連れて来てくれたのに、一人で盛り上がってしまった……。



 僕は「すみません……一人で勝手に盛り上がってしまって……」と謝ると、晴臣さんは僕を数秒見つめると、プッと吹き出し、笑い出す。




 「ライブ見てる時もそうやけど、あやめんのそんなに楽しそうなの初めて見たわ。めっちゃいい顔してんで」




 引かれたと思っていたが、どうやらそうでは無かったらしいが、めっちゃいい顔してんでと言われ、恥ずかしくなり僕は何も言い返せないでいると、晴臣さんは「いいやん。俺はあやめんが楽しんでる顔好きやで。可愛くて」と頭を撫でて来る。


 僕は恥ずかしさから「撫でないでください」と素っ気なく返してしまう。




 「でも、あれやなぁ。あやめんのあんな良い顔は、お笑いでしか引き出せへん思ったら、なんか妬いてまうなぁ」




 あまりにも予想外の言葉に、僕はつい「はっ……?」と驚いてしまう。


 だがそんな僕は気にせず、晴臣さんは「まぁ、俺はいろーんなあやめんの顔知ってるからいいけど」と言うと、僕を見て笑う。



 その表情は、いつもよりもどこか大人っぽく見え、僕は恥ずかしくなり「い、いろんな顔って……? そんなに見せた覚えないですけど?」と返すのが最大だった。


 そんな僕に「んー? 色々は色々や。あやめんが気付いてないあーんな表情やこーんな表情」と晴臣さんは言うのだ。




 あんな表情や、こんな表情?


 一体僕はどんな表情を晴臣さんに向けているんだ……?



 恥ずかしさと、自分でも知らない表情を浮かべているかもしれないと言う、何とも言えない感情に、立ち止まり口元を手の甲で抑え眉を顰める。


 そんな僕を晴臣さんは振り返ると「あやめん! ほら、早よ行くで! 急いで急いで!」と何故か凄く急かして来る。



 晴臣さんがいきなり変な事を言うから、僕の心は戸惑っていると言うのに、人の気も知らないで……。


 なんて思いながら「何をそんなに急いでるんですか?」と晴臣さんの後を追う。







 目の前では、見た事がないくらい綺麗な赤身の肉が、数枚、網の上でとても食欲のそそる匂いと、音を立て焼かれている。


 そのうちの一枚は、良い感じに焼けており、向かい側に座る晴臣さんは箸でその食べ頃の肉を一枚取ると「どうぞ」とタレが入った僕の皿に乗せてくれる。




 「熱いから、フーフーして食べや」




 まるで幼い子どもに向け言うような言葉で言われても、今はどうだっていい。


 僕は「頂きます」と箸で、お肉を取っては口に運ぶ。



 その瞬間、僕の中にある、ありとあらゆる語彙力をかき集めても表せないほどの、美味しさが口の中いっぱいに広がる。



 ライブが終わった後、晴臣さんに連れられやって来たのは、会員制の超高級焼肉店だった。


 きっと、晴臣さんと出会わなければ、一生足を踏み入れる事のなかったであろう、その高級な焼肉屋店は、完全個室になっており、メニューを見るなりどれもこれも、地元のよく行っていた焼肉屋とは値段が一桁も違っていた。



 初めは、焼肉店ではありえないような、スーツを着た店員の出迎えに戸惑いながら、あまりにも場違いな雰囲気に胃が痛くなっていたが、お肉が目の前に届いた頃には胃痛は消え、もう頭の中は肉!! と言う言葉で支配されていた。



 お肉はどれも美味しい。

 それは当然の事実だ。


 多少、安くとも国産の肉となればどれも品質が良く美味しいもので、高級なお肉と一体何が違うのか?


 テレビに映る、高級なお肉を食べる芸人らの大げさにも見える反応を見ては、そんなに? と思い、泣き出す人を見れば、そりゃ美味しいだろうけど、泣くまで? なんて思っていた。



 僕は泣きそうになった。


 テレビに映る人の反応は紛れもなく本当だったのだと思った。



 

 「おいし、すぎる……!」




 僕はあまりの美味しさから、初めて涙が出そうになると言う体験をし、そして、美味しいものは高級になるとここまで美味しくなるのかと感動した。




 「こんな美味しいお肉、初めて食べました……」




 そう感動する僕を見て、晴臣さんは嬉しそうに「美味いやろ?」と言うと「じゃんじゃん食べや!」と僕の皿にお肉を乗せてくれる。




 「いつも、こんなに美味しいものを食べているんですね……」




 しばらく食べ進めたところで、晴臣さんにそう言うと、晴臣さんは「まぁ。かっこつけたい時に良く来るかなぁ」と言う。



 かっこつけたい時……? あぁ……。


 僕は悟ったように「女性と来る時の店なんですね」と遠い目をして言う。



 すると、晴臣さんは飲んでいたジュースを吹き出しそうになると「あ、菖蒲くん? いきなり何を言い出しますの」と言う。


 何故か慌てている晴臣さんを、僕は不思議に思いながら「自分で言ってたじゃないですか。かっこつけたい時に来るって」とオレンジジュースを飲む。




 「いや、そうやけど……全く伝わってないやん……」


 「え? 十分伝わってますけど? 下心全開じゃないですか。ちょっと引きます」




 僕がそう言うと、晴臣さんは「え、引く……」と何故かショックを受けている。


 そんな晴臣さんを見て僕は「まぁ、でも……」とジュースが入ったジョッキを、テーブルの上に置くと「こんな所に連れて来られたら落ちてしまいますよね」と言う。



 数秒間があったかと思えば晴臣さんは「菖蒲くんはどうなん?」と言うと、机に肘をつき「菖蒲くんは落ちた?」と聞いて来る。


 その顔には笑みが浮かんでおり、何処か色気を感じる。



 その瞬間、僕の顔は一気に熱くなり、顔を見なくても赤くなったのが分かる。


 そしてそんな僕を見た晴臣さんは「そうかそうか! あやめんは素直やなぁ」と嬉しそうに笑う。



 今のは不可抗力だ。


 いきなり、あんな風に言われ笑いかけられたら、誰だって僕みたいな反応になる。


 僕は晴臣さんを睨みつけると「チャラ男」と言う。




 「へ?」


 「そんなにチャラい人だとは思いませんでした。ドン引きです」


 「なっ……! 何でそうなんの! 俺ほど誠実な人間おらんで!?」




 そう慌てる晴臣さんに僕は「はいはい、そうですか」と返事をすると、焼けている肉を全部奪い取る。


 晴臣さんは「あ、肉!」と言うと「ほんま、あやめんには敵わんわぁ……」と言うのだった。




 「あやめんって、いつからお笑い好きなったん?」




 晴臣さんは追加分のお肉を焼きながら、お肉が焼き上がるのを待つ僕にそう聞いてくる。


 僕は「中学生の時です」と答える。




 「へぇ、中学生。珍しいんちゃう?」


 「ですかね。確かに、周りにお笑い見る人は居たけど、ライブハウスとかに行く人は居なかったかも」


 「あやめんがそこまでハマった理由は何なん?」




 晴臣さんの問いかけに、僕はカルピスを一口飲むと「人を笑わせるってすごい事じゃないですか」と答える。

 



 「初めてちゃんとお笑いを見た日、父と母が喧嘩していたんです。それまで口も聞かないほどだったのに、たまたまかけたチャンネルで、お笑いがやっていて。それを見てたらいつの間にか、父も母も笑っていて、喧嘩したことすらも忘れていました」

 

 「その時、年齢も性別も、育った環境も違う。性格も違う。そんな人たちを、お笑いのプロたちがスーツ着て、マイク一本で本気で笑わせにくる。その姿が凄いと思ったし、凄くかっこよく見えたんです」


 「それに、世界一いい仕事じゃないですか、人を傷つけるわけでもなく、泣かすわけでもなく、笑顔にさせるって」




 「だから、僕はお笑いが好きなんです」僕はそう言って、晴臣さんを見ると、晴臣さんはどこか暗い表情を浮かべると「……そりゃ、俺じゃあんないい顔させられへんわ」とボソッと呟く。


 僕は「え……?」と聞き返すも、晴臣さんは直ぐにいつものように笑い「いい話やな」と言うのだった。




 「――今日は本当にライブといい、焼肉といいありがとうございました」




 焼肉を食べ終え、タクシーを待っている最中、隣に立つ晴臣さんにそうお礼を言うと、晴臣さんは「俺が勝手にやった事やから、お礼なんかいらんよ」と笑う。


 お笑いのライブに高級焼肉に連れて行ってもらった挙句、全て晴臣さんが出してくれたのに、俺が勝手にやった事やからだなんて、これがモテる男か……。としみじみ思う。



 僕は「そんなわけにはいきません。僕ばかりいつも、頂いてばかりで申し訳ないです。今度何かお礼させてください」と返す。


 だが晴臣さんは「お礼なんかいらんで。学生やのに大人に気ぃ使いなや」と言ってくれる。




 そうは言っても、やはり僕ばかり貰ってばかりで申し訳ない。


 今直ぐに何かお礼をできる事はないか。そう考えていた時、先ほどの晴臣さんが言った言葉を思い出す。




 『……そりゃ、俺じゃあんないい顔させられへんわ』




 どうしていきなりそんなことを言ったのか。


 僕にはわかる気がするが、だからと言って何て言えばいいんだろう。


 

 僕は今、晴臣さんに伝えようとしている言葉が、正解かわからないけど、晴臣さんの服を掴み言う。




 「さっき、俺じゃあんないい顔させられへんわって言ってたけど、そ、そんな事ないです。お笑いを見る時は何よりも楽しいし、幸せです。でも……は、晴臣さんと一緒に過ごす時間も同じくらい僕は好きです。」


 「僕は、表情に出すのが苦手だから、わかりにくいかも知れないですけど……」




 ずっと下を向き話していたから、晴臣さんが今、どう言う表情を浮かべているかわからない。


 だから僕は、な、何で何も言わないんだろう……? と返事が返ってこないことに、不安になり、顔を上げる。



 すると、晴臣さんは今まで見たことがないような驚いた表情を浮かべており「今、名前……」と呟いている。




 「今、晴臣さんって……! 初めてやな、あやめんが名前呼んでくれんの!」




 予想外の反応に僕は「は……? そこですか?」とこちらが驚く。




 「だって、全然名前呼んでくれへんから、俺の名前覚えてないんやって思ってたから」


 「呼んでないことないですよ」


 「いーや、呼んでない。いつ呼んでくれるんかなって毎回思ってたし」




 どうしてこんなに名前を呼ぶ事に、こだわるんだ。


 せっかく、僕が勇気出して晴臣さんに伝えたと言うのに。



 僕は「もう、呼んだ呼んでないはいいです。せっかく、勇気出して気持ち伝えたのに……あんまりです」とそっぽ向くと「ごめんて、怒らんといて。こっち向いてや」と僕の肩に手を回してくるも、僕は「嫌です」と拒否する。




 「菖蒲くんの気持ちめっちゃ嬉しかったし、菖蒲くんがめっちゃ俺の事好きって伝わって来たわ」




 僕はそんな事言ってないと、咄嗟に晴臣さんの方を振り向く。


 すると、思った以上に晴臣さんの顔が近くにあり、僕は思わず驚いてしまう。



 そんな僕に晴臣さんは「こっち向いたな」と笑うと「俺も、菖蒲くんと一緒におるの好きやで」と優しく笑みを浮かべる。


 僕は「……そうですか」と視線を逸らすと、晴臣さんは「そうそう」と続ける。



 ずっと肩に回された晴臣さんの腕は重いが、晴臣さんが嬉しそうなので、タクシーが来るまでそのままにしておく事にしたのだった。

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