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第二話 「喉が裂けても、叫びたかった」

 深雪は体が勝手に動くのを感じた。

 唇を震わせ、息を吐く。しかし、声は出ない。

 血の匂いがした。喉を通る液体の感触が、嫌でもその実感を強める。


「やめて…」


 心の中で叫ぶ。それが全てだった。

 その願いも祈りも、無意味だと分かっている。

 目の前の男が、俺の手にかかって倒れていく。その姿を見て、涙が一筋、また一筋と頬を伝う。


 身体は逆らえない。喉に残るのはひりついた痛みと、血の味だけだ。

 その手が動く。どうしても止められない。どうしても、目の前の命を奪わずにはいられない。


 助けて、誰か。

 と思っても声が出ない。


 他の人間たちも、同じように動く。

 ただ、目を輝かせて無言のまま、互いに向かって食い尽くすように進んでいく。


 深雪は意識が朦朧としながらも、それを感じていた。

 心だけが生き残り、全身が死んだ。身体は暴れ、制御できない。意識は反対に、徐々に深く沈み込んでいく。


 目の前に横たわる男を見つめながら、深雪は自分が泣いていることに気づいた。

 その瞳に浮かぶ涙が、今は死を引き寄せるためのものでしかないことを、彼女は理解していた。


 一度、二度、深く息を吸ってみる。

 その瞬間だけでも、まだ心が、命が生きていることを感じたかった。


「お願い…」

 深雪は心の中で叫ぶ。


 だが、その声が届くことは決してない。

 彼女が誰かに助けを求めることは、もはや叶わない。


 身体は動き続ける。

 その中でひたすら心は叫び続けるだけだった。

「逃げて…お願い…」


 無駄だと分かっている。


 足元に、見覚えのある顔が倒れていた。

 その目が、少しだけ自分を見ているように感じた。

 でも、もう遅いのだ。

 その目が次に見るものは、完全に消えた姿だけだ。


 深雪の目から、また一筋の涙が流れ落ちる。

 だがその涙も、血のように濁り、流れを止めることはない。


 身体が動く。

 目の前に立つ人が、再び襲われる。

 無言のまま、地獄の行進は続く。

 深雪の意識も、また深く沈んでいった。


 眼前で倒れる人々。

 無言で手を伸ばす他の感染者たち。

 深雪はその中をただ彷徨い、制御の効かない身体に身を任せるしかなかった。

 何度も目の前の顔に手を伸ばし、食らいついていく自分を、心の中で無力に叫びながら、ただ見つめるだけだった。


「お願い…」


 その声も、もう誰にも届かない。

 周りの人々が次々に倒れていく中、深雪はまだ、自分の中に残る人間だった頃の感情にしがみついている。


 身体は、何度も何度も繰り返す。

 食べ、食べ、また食べて。

 だけど心は、それを拒否し続けている。

 それが、深雪にとっての終わりであり、始まりでもあった。


「誰か…」


 叫びが、再び虚しく響く。

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