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9 モチと理想の盤駒

「何をやっているんですか?」


 彼女は急にやってきた。

 朝も早くからいつもの日課(盤駒制作)に勤しんでいると、アトリエの中にいる俺に向かって声をかけてきたのだ。


「何って、板材を切り出しているんだけど」


 今はギーコギーコとノコギリを引いている。

 ノコギリのコツは、押す時は軽くして引く時に力を込める事。

 最近はだいぶ板についてきた感がある。板材だけに。

 

 ──じゃなくて、この人誰だろう。

 お母さんの知り合いかな? 

 でもこんな若い子この辺にいたっけ?


「その板材じゃ駄目ですよ。木目が逆です」


「木目? ──ていうか君、どちら様で」


「ここの木材はガネ出してますか?」


 話を遮られた。

 表情に乏しい女の子だな。

 何を考えてるかわかんねぇ。


「ガネ?」


「差し金です。これで直角を測った木材ですか?」


 出て来たのは鈍色の直角定規。

 L字型の定規ね。


「いや、そういうのは最後に合わせればいいかな、と」


 答えると、女の子は「はぁ……」とため息をついた。


「そういうのは一番最初にやるんです。切り出してから採寸が合わなかったら遅いじゃないですか」


 え、俺、怒られてる?

 仕事中にいきなりやって来た知らない女の子に、怒られてるのか俺。


「ちょ、ちょっといきなり来て何を──」


「ノコギリの使い方も下手です。ちょっと失礼」


 後ろに回った彼女が腕を絡ませつつ密着してくる。

 何とは言わんがこの子は大きい。

 背中にすっごい当たってる。


「この大きさで両手引きをするなら肘を曲げたら駄目です。肩で引いて下さい」


「あ、あのですね──」


「切り始めは刃を寝かせて全体に切り目を入れる。刃を立てるのはそれから」


「は、はぁ」


 彼女がまくし立てるもんだから、こちらの話を通す機会が訪れない。

 それから耳元で喋るのはやめて欲しかった。

 この若い身体には刺激が強すぎる。

 

 ──いや、でも言ってることは正しいっぽいぞ。

 言われた通りにやってみると、不思議とあまり疲れない。

 普段はもっと筋肉を酷使している感じで節々が痛くなるのに。


 気がつくと一通りのレクチャーを受けている俺がいた。

 そして、ここまでされてようやく彼女の正体に気づき始めていた。


 この子はどう考えてもその筋の職人である。

 つまり、木工ギルドの関係者。

 ということは──。 

 

「──申し遅れました。私、木工ギルドの徒弟格で、名をモチと言います」


 以後お見知りおきを、と頭を下げるモチさん。

 マイペースな子だな。

 どこかぼんやりした感じのポーカーフェイスで、掴みどころがない。

 胸のあたりはすごい出っ張ってるけど。

 それこそ()き立てのモチみたいに。


 いやでも、本当良かった。

 そうか、もうあれから一週間も経っていたのか。

 これで日々の地獄からようやく解放されるんだ。

  

「やっぱり木工ギルドの方でしたか。ではギルドマスターのお弟子さんで?」


「はい。親方から話は伺っています。それで依頼主のラウル様はどちらに?」


「俺がラウルですよ。これからよろしくお願いしますね」


 にこりと微笑んで握手を求めると、モチさんはフリーズした。

 表情は読めなかったが、その額にじわっと汗が浮かぶのが見て取れる。


「え、あ、あなたが、依頼主の、ら、ラウル様でいらっしゃいますか?」


「ええ。そうですけど?」


「し、失礼しました! まさか依頼主様みずからお仕事をされているとは思わず。てっきりこれから同じ仕事をする仲間かと思ってしまいご無礼を!」


 惚れ惚れするような土下座だった。

 意外と愉快な人かもしれない。


「いや、そんなかしこまらなくて大丈夫ですから。立って下さいよ」


「わかりました」


 すっと立ち上がり、真顔に戻る。

 立ち直り早いな。

 

「でも、まさかこんな若くて綺麗な女性が来るとは思ってませんでした」


 お世辞っぽいけど、これは本心。

 てっきり屈強なマッチョマンが来ると思い込んでいた。

 実際あの場にいたのって汗の香りムンムンの男ばっかりだったし。


「すいません。私みたいな未熟者で」


「いえいえ未熟だなんてそんな。──さっきの講釈で実力はわかりましたから」


「すいませんすいません!」


 おっと、しまった。

 うっかり傷口をえぐってしまった。


「ああ、俺は全然気にしてませんから。そんなに謝らなくて大丈夫です。──それより早速ですが契約の確認を致しましょうか」


 ひたすら恐縮するモチさんをなだめつつ、契約内容を確認する。

 彼女にやって欲しいのは、俺の代わりに盤駒の制作を行う事。

 厚みは一寸盤でOK。

 出来る事ならバリを無くしてニス塗りまでやって欲しい。


 理想はギルドマスターが作ったあの4寸盤だが、あのランクって木材を見つけてくるだけでも大変だろうし、そこまでの贅沢は言えない。

 そもそも単価が高くなって誰も買ってくれなくなる可能性が高いし。


 それにアレは、『屋外で小さな椅子に座って遊ぶ事』を想定して4寸盤にしたのであり、椅子とテーブルの文化圏であるこの世界にとっては、マッチしているとは言いにくいのだ。


 実際アレ使いにくかったからな。

 テーブルに載せると高くなりすぎるし、地べたに置くと低すぎるし。

 衝動買いをしてしまった自分が恥ずかしい。

 ああ、俺の金貨3枚。──約二か月分の儲けが飛んでった。


 それから彫り駒についても諦めることにした。

 彫り駒についてギルドマスターに話してみたところ、やはり彫りに耐えうる木材がネックになるようで、技術的にも相当なものが必要になるとの事。

 あのマスターが唸るほどだから相当厳しい技術なのだろう。


 でもいつかは作って見せるぞ。

 幸いにしてこの世界にあるものって、前世にあるものと大体同じなんだよな。

 食卓に並ぶ食材なんかも前世にある物とほとんど変わらない。

 ジャガイモとかリンゴとか、そうそうバナナもあったし。

 だからきっと、木材だってカヤもツゲもあるはず。

 

 最終的な目標は、本(かや)の足つき6寸盤。

 これは6寸が丁度良いのだ。

 個人的な趣味だが、6寸を超えると少し下品な感じがしてあまり好きじゃない。

 これを数十年使い込んで油拭きを重ねた飴色の物が至高である。


 駒はやはり本黄楊(つげ)だろうな。

 木目は虎斑(とらばな)が良い。孔雀は少し統一感に欠ける気がする。

 勿論あの荒々しさが良いという人もいるが、俺の趣味ではない。

 こちらもなるべく使い込んで、手脂で味が出るほど暗く馴染ませていきたい。


 んで、書体は『錦旗(きんき)』だよなぁ。

菱湖(りょうこ)』や『長録(ちょうろく)』の崩し具合も好きだが、やっぱり基本は『錦旗(きんき)』だろう。

 バランスが良く力強い書体だ。


 そしてこれを彫り駒でやって欲しい。

 最高級品は盛上駒ではあるんだが、盛上はどうにも馴染みがなくていかん。

 やっぱり使い慣れている彫り駒が最も手に馴染む。

 触感が指運を左右して負けるということもあるからな。

 結局は使い慣れた物が一番良いのだ。


 まぁ長々と語ってしまったが、これはあくまで最終的な理想だ。

 これが完成するのに一体何年かかるかわかったもんじゃない。


 今は肌触りの良い一寸盤であれば文句は言わん。

 駒もこだわらずインクで書いた物で十分。

 遊べればいいのだ。遊べれば。 


「──というわけで、1セット作る毎に銀貨20枚をお支払いします」


「わかりました。それで問題ありません」


「そして材料費についてなんですが、こちらは──」


 この話し合いは数十分ほど続いた。




 契約についての話し合いの後、モチさんは時間が惜しいとばかりに早速アトリエで作業を始めた。

 仕事なら木工ギルドでやってもらっても構わないのに、なぜかモチさんはここでの作業にこだわった。


「ラウル様もその方がよろしいでしょう? 完成品を受け取る手間が省けますし」


 モチさんはそう言ってくれた。

 確かに街まで受け取りに行くのはなかなかの手間だ。

 重たい盤を背負って帰るのはキツイ。

 実際に、あのクソ重たい4寸盤を持って帰った時は、生まれたての小鹿みたいに足が震えたもんだ。


「でもモチさんの方がきつくないですか? 街からここまで通うのは──」


「それがなんと言いますか、私もこっちで働いた方が気が楽なんですよ」


「? ──それはどういう?」


 モチさんはちょっとだけ言いにくそうに答えた。


「ギルド内だと私、浮いているもので」


 ははぁ、と少し納得してしまった。

 確かにあそこじゃ彼女は浮いてしまうだろう。

 周りはムッキムキの男ばっかりだしな。

 

「きっと私が未熟だから、目障りなんだと思います。──私が何か作業をしていると、なぜか近くで作業をしていた人がいつの間にか離れていくんですよ」


 悲しげにそう言って、モチさんはノコギリを引いている。

 ギーコギーコと身体が動くのに合わせて、彼女の持つ二つの豊かな果実がぶらんぶらん揺れていた。

 

 いや、離れていく理由ってコレだろ。

 たぶん。


「ふぅ。もう秋だというのに、やはり身体を動かすと暑いですね」


 そう言ってモチさんは上着を脱ぐ。

 上気した肌が露出し、アトリエに汗の匂いが広がった。

 汗の匂いなんて男も女も大差ないのに、こう目の前に女性がいるだけで不思議と芳しく感じてしまうのは、男の性ゆえだろうか。


 着古してダルダルになったシャツの襟元からは、彼女の屈んだ体勢も相まって、その胸の頂点すら見えそうになっている。

 そんな状態でノコギリなんか使っていいんだろうか。

 そんな薄着でモノを揺らすのは、何らかの法に抵触しているのではないか。

 これをギルドでやっていたなら、そりゃ人も離れていくだろう。


「し、失礼します。用事を思い出しました」


 ギルドの紳士にならい、俺もそっとアトリエから離れる事にした。


 

ラウル君は将棋の書体を完コピ出来るほどの将棋オタクです。

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