7 木工ギルド(2)
職能ギルド。
それは職種によって分化された商工会のようなもので、主に職人の育成や、店を持ちたい職人への資本金貸出などを行う協同体組織となっている。
たとえば家具職人になりたい場合、木工ギルドにて登録を行った後、その分野の親方を紹介され、そこで徒弟として家具作りを学ぶことになる。
そうしてその技術が一流に達したと認められれば、印可状を授与され晴れて親方の身分となり、今度は自分が徒弟たちに教える立場となる。
そして親方の身分であればギルドから資本金を借り受け、店を構えることも許されるようになり、儲けの一部をギルドへと還元することで、その分野の発展や引いては街全体の活性化へと繋がっていくのである。
──そんな木工ギルドにおいて、俺は今、猛烈に感動している。
あのタンクトップのオッサンに案内されて連れて行かれた先は、ギルド内にある裏庭のようなアトリエだった。
そこで俺はとんでもない物を発見してしまったのだ。
将棋盤と、その駒である。
完璧だった。
俺が作ったような板切れに線を引いただけのまがい物ではない。
4寸ほどの分厚い盤に、丸く削り取られた足が付いた、完璧な将棋盤だった。
しっかりとワックス掛けされたそれはツヤツヤと滑らかで、俺が普段作っているささくれ立ったザラザラの質感とはまるで違っている。
「お、お、おおお……」
俺は膝から崩れ落ちていた。
否、正座していた。
前世の記憶に身体が持っていかれた。
俺の人生の二割ぐらいは、盤の前でこうしていたから。
盤の上には小さな布袋がちょこんと置かれており、そっと紐解いてみれば美しくカットされた駒が中でひしめいている。
顔を寄せてみると、ほんのりと香油と木屑の混じった良い匂いがした。
「ほぉぉぉ……」
──おいおい嘘だろう。
俺の手はわなわなと震えていた。
駒台まであるじゃないか。
どういうことだこれは。
「なんだ坊主。それが気に入ったのか?」
オッサンが話しかけてくる。
俺は呆然自失としていた。
「それは将棋っていう遊戯に使うもんでな。最近この辺りで流行ってるらしい」
オッサンは続けた。
「で、俺もよ、こう見えてミーハーなもんだから、友達に頼んで取り寄せて貰ったのよ。──でもなぁ、どうにも出来が悪いもんだから、取り寄せた物を参考にして俺が一から作り直したんだよ。それで出来たのがコレってわけだ」
どうだ、なかなか良い腕してるだろ? と。
腕を組んだオッサンは茶目っ気たっぷりにウィンクしてきた。
──アンタすげえよ。
すげえよアンタ。
これが木工ギルド。
これが本物の、職人。
危なかった。
もう少しで「弟子にして下さい!」と言ってしまうところだった。
俺の目的は職人になることじゃない。
将棋を普及させることだ。
本来の目的すら塗り潰しかねない、恐ろしい職人技だった。
「あ、あの、ちなみにお聞きしますが、あなたを雇う事って出来ますか?」
「ああ? 俺を雇うだぁ?」
オッサンは「何言ってんだこいつ」って顔で呆れている。
「悪いが俺はギルドマスターだからな。ここを離れるわけにゃいかねぇんだ」
「いえ。ここを離れなくてもいいんです。ただ将棋盤と駒をたくさん作って欲しいんですよ。ここまで凄くなくていいですから。一寸ぐらいの盤で構いません」
「ふぅん? ちなみに1セットにつきいくら出せるんだ?」
「ええと、銀貨5枚でどうですか?」
俺は吹っ掛けた。
この出来の一寸盤で駒つきとあれば、前世で2万円はするだろう。
それはこの世界では銀貨20枚ほどの価値だ。
最初にかなり低く言っておいて、それから一気に高くする。
ありふれた交渉術だが、さてどうなる?
「話になんねぇな。俺に家具を作ってくれっていう貴族様はいっぱいいるんだぜ。そいつらの相場だと金貨3枚からだぞ?」
ぐは、と吐きそうになる。
金貨3枚? 30万円ってこと? 絶対無理じゃん。
このあと銀貨20枚まで上げる予定だったのに。
プランが一瞬で崩れた。
「で、でも家具と将棋盤じゃ作業量も全然違うでしょう? ぎ、銀貨23枚でなんとかなりませんか?」
それでも俺は食い下がる。
銀貨23枚はギリギリすぎるライン。
はっきり言って儲けなんかほとんど出ない。
あくまで普及が目的の俺だからこそ出来る値段設定だ。
「何言ってんだよ。むしろ盤の方が手間かかってんだ。木材だってかなりこだわってるからな。気温や湿気で盤がしなる上に、型取った後は少し寝かせないとすぐ割れやがるし」
オッサンの言ってる事がものすごく良くわかる。
ああ。
盤作りについて超語りたい。
やっぱり俺と同じ事で悩んでたんだ、この人も。
って、いやいや待て待て。
俺は職人じゃない。
そうじゃなくて今は交渉だ。
「どうしても駄目ですか? 本当にどうにもなりませんか?」
俺は目を潤ませてオッサンの手を取った。
こうなりゃ泣き落としだ。
「おいおい、やめてくれよ。ああ、もう、そうだなぁー」
お? 効いているのか?
オッサンは少し赤くなって頬をポリポリ搔いていた。
俺のマスクは男にも多少の効果があるのかもしれない。
「よし、わかった! じゃあ俺の徒弟を紹介してやる! そいつなら銀貨20枚で使ってもらって構わねぇ!」
「いいんですか!?」
「ああ。さすがに腕はちょっと劣るが、そこまでディティールはこだわらなくていいんだろう? それなら何とかやれるはずだぜ」
オッサンの、いやギルドマスターの徒弟か。
この人の弟子って事なら期待していいんだよな。
「ありがとうございます! ──それで、その方はどちらに?」
「あー。そいつは今ここにいねぇんだよ。実家に帰省中の奴でな、一週間ぐらいで帰ってくるから住所を教えといてくれるか? 帰ったらこっちから出向くからよ」
む、そうなのか。
それはちょっと残念だな。
というか一週間か。
今しばらくあの地獄が続く事になるのか。
だが文句は言ってられん。
せっかくここまで漕ぎつけたんだ、変な事を言ってぶち壊しになったら最悪だ。
「わかりました。ええと、住所はですね──」
俺が住所を教えると、オッサンは変な顔をした。
「なんだ、街はずれじゃねぇか。あそこって畑しかないだろ。俺はてっきり将棋を売り込みたい商人か何かだと思ったが」
「将棋を売り込みたいっていうのはその通りですよ」
「ふーん。まぁ俺は商売の事はよくわかんねぇけどよ、こういうのはこのゲームを発案した人間に許可とかいるんじゃねぇのか? そこら辺はちゃんとしてるんだろうな? 後で揉め事に巻き込まれるのは御免だぜ?」
「それは問題ないですよ。だってこれ考えたの、俺だし」
目の前の盤に、ピシリと駒を打ち込んでみる。
ああ、いいなぁ。
本当に良い音するじゃん。
目を丸くするオッサンをよそに、「これ売ってくれないかな」と俺は考えていた。