6 木工ギルド(1)
リオンを弟子に取って二週間が過ぎた頃。
俺は死にかけていた。
毎夜毎夜の詰将棋制作に加え、戦法書の執筆にまで手を出した結果。
気が付けば蝋燭の火も消さぬままに外は明るくなり、そのままゾンビのように歩いて、アトリエで盤駒の制作を始めていた。
昼が過ぎれば休憩所へ向かい、虚ろな目をしてリオンきゅんと将棋三昧。
愛弟子からは「師匠ねないでぇー」と対局中に揺さぶり起こされる始末。
そして日が落ちれば詰将棋、戦法書。
夜が明ければ盤駒制作──。
そんな生活が一週間ほど続き、ある日ノコギリで一所懸命に自分の足を切っているのに気づいた時には、「もう限界だああああああ!!」と叫び声を上げていた。
だめだ。
こんなのだめだ。
もう無理。
もともと一人じゃ限界があるとは思っていたが、ついに来た。来てしまった。
限界が訪れたのだ。
人を雇おう。
盤駒制作が出来る人材を探さなければならない。
そもそも盤駒1セット分を半日で作るというのが馬鹿げているのだ。
前世でのちゃんとした盤というのは、高級品であれば樹齢ウン百年というカヤの木から切り出し、乾燥に数十年を要してからさらに制作にも数年をかけるという。
将棋盤とはそうやって作る物なのである。
しかもこれは盤だけの話だ。
俺はそれに加えて駒も作っている。
オーバーワークどころではない。
控え目に言ってもデスマーチだ。
「こんな状況でよく彫り駒つくったな、俺」
アトリエには出来たばかりの彫り駒がある。
正直に言おう。
出来は酷い。
身も蓋もない事を言わせてもらえば、まず木材の質が悪い。
彫刻刀で切り出す際、簡単に駒が割れてしまう。
そして彫りが上手くいったとしても、インクを垂らすとめっちゃ滲む。
たぶん木の繊維が粗いせいでインクが染み込みやすいのだ。
駒といえばツゲ。
盤は本榧で駒は本黄楊とくれば棋士垂涎の代物である。
かくいう俺も前世では良い物を持っていた。
婆さんが何年もへそくり貯めて俺に買ってくれた物だ。
あの時は感激に打ち震えたね。
へそくりを貯めているのは何となく気づいていたが、まさか俺のためのサプライズだったとは思ってもみなかった。
まぁそれは置いといて、だ。
とにかく人を雇わなければならない。
このままだと俺は十代の若さで過労死する事になる。
夜の執筆活動をやめればいいという意見もあるかもしれないが、それをやめる気はさらさらない。
この世界に活版印刷があるのは知っている。
いつかこれを出版するためにもある程度ストックしておきたい。
「まずは街に行ってみるか」
街に行けば木工職人のギルドがあったはずだ。
そこで誰か雇えないか検討してみよう。
そんなわけでやって来たのはここ、港町アドニスの中心街。
数々の商店が並ぶ通りの一角に、つんと木の香りが漂う奇妙な建物があった。
まるで新築の家みたいな匂いを出すこの建物は、この街の数ある職能ギルドのひとつ、木工ギルドである。
「──いやぁ、ありがとうございます。結局案内までさせちゃって申し訳ない」
「いえいえ! そんな! こんなことで良ければいつでも声を掛けて下さい!」
普段から街に来ることの少なかった俺は、危うく迷子になるところだった。
そこを助けてくれたのがこの子だ。
自分と同い年ぐらいの若い女の子で、最初はギルドまでの道順を尋ねるだけのつもりだったが、結局最後まで案内させてしまった。
こういう時は持ち前のルックスに感謝したくなる。
「あ、あの、こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、その、どこかの貴族様でいらっしゃいますか?」
「いやいやまさか。うちは街はずれのしがない農家ですよ」
「そうなんですか!? ──ああ、すいません。そのような綺麗な金髪と青い目は珍しかったもので」
確かに金髪と青い目といえば、この世界じゃ貴族の象徴みたいなところがある。
周りの人間で同じものを持っているのは母ぐらいしか見たことがない。
そういや昔ちょっと聞いたことがあるな。
母さんの実家がとある男爵家の傍流だったとか、そんな話を。
だったらなんでうちはこんなに貧しいんだろう。
別に生活に困るほどではないが、少なくともこの街の生活水準でいけば下から数えた方が早いレベルだ。
まさかとは思うが、親父殿が娘をかっさらって駆け落ちしたとかじゃあるまいな。
それで男爵家からは縁を切られて勘当状態にあるとか。
ちょっとあり得そうなのが怖い。
「──それでは私、これから仕事がありますので、これで」
「あ、はい。本当にありがとうございました。おかげで助かりました」
将棋普及のためにも、もう少し話をしていたかったが仕事なら仕方ない。
少女と別れると、目の前のドアを開けて中に入った。
ギルドの中へ入ると、より一層に木屑の匂いは濃くなった。
どこもかしこも、おがくずだらけで埃っぽい。
この匂いは嫌いじゃないが、火事対策とかはしてるんだろうか。
マッチ一本であっという間に消し炭になりそうな場所だ。
受付らしきカウンターはなく、屈強な男たちが思い思いの作業に勤しんでいた。
ノコギリを振るう者やトンカチを叩く者、差し金で採寸をしたり、熱心にカンナ掛けをしていたり。
「すいません、ちょっと仕事の依頼をしたいのですが」
俺はその中から、なんとなく一番偉そうな人物に声をかけていた。
この人だけは作業をしているというより、全体を監督している感じだったから。
「ああん? 仕事ぉ?」
頭に薄汚れたタオルを巻いた髭面のオッサンである。
タンクトップのシャツからはち切れんばかりの筋肉を晒した大男だ。
俺は前世でも今世でも、吹けば飛ぶようなもやしっ子である。
こういう人にはちょっと憧れてしまう。
オッサンはじろーっと舐めるように俺を見る。
駐車場にたむろするヤンキーみたいな視線の動き。
「──帰れ帰れ。ここはアンタみてぇな坊主が来るところじゃねぇよ。家具が欲しいなら家具屋を当たれ。家が欲しいなら建設業者から依頼しろ」
うーん。
なんとなくそう言われる気はしてた。
だが俺が欲しいのは人材であって物ではない。
「実は職人を探してるんですよ。定期的に作って欲しい物があるんです」
「はっ。職人を貸して欲しいってか? 貴族様が何の道楽だよ一体──ん?」
急に眉根を寄せたと思えば、俺の手をぎゅっと掴んでくる。
え、何? そういう趣味なの?
俺の美貌は男まで引き寄せてしまうのか。
「あ、あのー?」
「なんだ兄ちゃん。貴族のぼんぼんかと思ったら、いい手をしてるじゃねぇか」
ああ、手か。手ね。
俺の手は日々の盤駒制作で血豆が出来て凄いことになっている。
変な風に皮膚が厚くなったりして、いわゆるタコが出来てる状態。
「こりゃノコギリか。それとも斧かナイフか」
「あーそれ全部っすね」
「へえ。なんだよ人が悪いな。アンタも職人だったのか」
それは違う。
職人になるつもりはなかった。
だが普及のためにはどうしてもやらなきゃいけなかったんだ。
「いいぞ兄ちゃん。気に入ったぜ。ちゃんと話を聞いてやろうじゃねぇか」
オッサンは態度を一気に軟化させた。
良かった。
こういう事になるなら、あの地獄の盤駒作りは無駄じゃなかったんだ。