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5 リオンと駒落ち

 将棋界における師弟関係とはどういうものか。

 これは昔であれば師匠の家に住み込んで、家事や雑用の一助を役目とし、そして暇があれば兄弟子などから稽古を付けて貰えるといった形が一般的であった。


 この場合、なぜか師匠が直接稽古をつける事は少なかったと言われている。

 恐らくは、「師匠の技は見て盗むもの」という昔気質の職人社会、その風潮を取り入れているためではないか、と俺は思っている。


 そして現在において師弟関係というものは形骸化し、プロになるための推薦状、あるいは身元保証人のような役割となっており、当然そこに個人差はあるが、奨励会に入会してからは顔を会わせる機会がほとんどないという、ドライな関係も珍しくはない。

 

 だが俺の考える師弟像はこのどれでもなかった。


 やはり師匠は弟子に対して、もっとがんがん教えるべきだと思っている。

 これは俺自身が対戦相手に飢えているからというのもあるが、自分の持つ技術を後進に伝えたいという意識もまた強いためである。

 

 俺は前世で一度死んでいる。

 ゆえに、自分の生きて来た道を、その過程で得てきた知識を、それらを弟子に伝えることで生きた事の証明にしたいと考えているのだ。

 

 俺という人間は前世において、いわゆる爪痕のようなものは残せていない。

 少なくとも俺が得て来た将棋の技術や知識は、自分のためにしか使えていない。

 だから自分が死んでしまえば、それらは全くの意味のないものに成り下がるのである。


 ──そんなの、寂しいじゃないか。


 弟子は強くなるために師匠を頼る。

 師匠は生きた証を遺すために弟子を使うのだ。


 そうして将棋の歴史というものは連綿と受け継がれて来たのではないか。

 いや、将棋に限った事でもないだろう。

 このWin-Winの関係こそが全ての発展の源泉なのである。



 つまり俺がリオンきゅんを六枚落ちで蹂躙しても許されて然るべきなのだ。

 だから泣いてはいけない。

 子供にギャン泣きされるとおじいちゃんはオロオロしちゃうから。


「泣くなリオン! 強くなりたければもう一度立ち上がるんだ!」


 リオンきゅんは偉かった。

 どんなに泣きべそをかいても、決して挫けなかった。

 ちゃんと「まけました」が言える強い子なのだ。

 肩をぷるぷるさせながらも、再び駒を手に取る勇気がある。


「──おねがいします!」


 目にいっぱい涙を浮かべていても、鼻水が垂れていても、それでも挨拶だけはしっかりしていた。

 そういうふうに教え込んだ。

 挨拶は大事だ。 


 試合開始の合図を行う事。

 対戦相手に敬意を払う事。

 そして、これから戦場へ臨む自分を、奮い立たせる事。


「はい。お願いします」


 お互いに頭を下げて、礼をする。

 周りの大人たちはこんな真似をしない。


 みんな、たかがゲームだと思っているから。

 この遊びを、そんな格式ばったものとは思っていないから。

 だが、これに人生を賭けた人間もいる。

 少なくとも俺はそういう世界に、片足ぐらいは突っ込んでいたのだ。


 挨拶をすることは俺の弟子である証。

 ラウル流の将棋は挨拶から始まる。

 いいじゃん。そういう事にしておこう。




 いざ対局が始まると、とりあえず俺は銀に手をかける。

 六枚落ちだから、角道を開けたり飛車先を突いたりは出来ない。


 リオンきゅんは定跡通りというか、まず角道を開けてくる。

 たぶん俺がやっていた事をみんなが真似をした結果だ。


 初手▲7六歩(後手なら△3四歩)はもはや常識となりつつある。

 本当は▲2六歩とかもあるんだが、俺が振り飛車党であるがゆえに、飛車先を突くことが余りないせいだ。

 俺自身の手によって将棋の幅が狭くなっているのだとしたら、これは俺も改めなければいけない。

 これからは積極的に居飛車も指そうか。


 そんな師匠の苦悩を知ってか知らずか、リオンきゅんは振り飛車である。

 しかも四間飛車。

 その上ノーマル四間飛車ときている。


「んーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 俺は唸る。

 そこそこ出来る奴はみんな俺の真似をする。

 だが本当にこれでいいのか、と思う。

 

 将棋の世界には色んな戦法がある。

 決してノーマル四間飛車は悪い戦法ではない。

 むしろ優秀だと俺は思っている。

 だからメイン戦法として採用しているわけだし。


 でも初心者に教えるなら棒銀とか中飛車とか。

 より攻め味の強い戦法の方が良いのではないか。

 この世界でまともに将棋を教えられるのが俺しかいない以上、俺が指さない限りはそれらの戦法が生まれる可能性は低い。

 

 ──これは、いずれ戦法本とか書かんといかんな。

 そういった本を書くなんて、まるで本当にプロにでもなった気分だ。


 書くとすれば最初は棒銀からか。

 棒銀を語るなら矢倉についても触れねばなるまい。

 俺が矢倉を語るのか。

 無理だろ。


 矢倉とは状況によっては91手目まで定跡が整備されているという、もはや狂気の沙汰とも言える恐ろしい世界なのだ。

 とてもじゃないがアマチュアが語れる世界ではない。

 

 では中飛車を書こうか。

 しかし中飛車となるとこれもゴキゲン中飛車に触れなきゃならないのでは。

 あれも序盤から定跡がかなり複雑化した戦法になってしまった。

 5八金右からの急戦にいわゆる超速3七銀型、果ては角道を開けないという対抗策まで出てきて、これも相当難しい。

 そもそも最初に紹介する戦法が後手番の戦法ってどうなんだ。

 

「──ししょ──師匠──師匠の番です!」


 はっと我に返ると、リオンきゅんはすでに指したようだった。

 ちなみに俺のことは師匠と呼ばせている。

 いいだろ、別に。

 

「お、おう。悪い悪い」


 盤面は俺の優勢。

 金銀の駒を中央付近に寄せて五段目から六段目は完全制圧している。

 リオンきゅんの大駒は上から抑え込まれて全然働けてない状況だ。

 後はじっくり圧し潰していけばいい。


 俺は持ち駒の歩を手に取ると、リオンきゅんの角の頭に打ち据えた。

 ぺしっと微妙な音が鳴る。

 木材の材質が悪い上にニスも塗ってないからなー。

 いつかカヤの木で作りたいもんだ。


「──う、うぐ」


 ふと見ればリオンきゅんは再び荒い呼吸をしていた。

 あー、今ので角が死んだのか。

 でもこの局面は俺の優勢には違いないが、必勝というほどでもない。

 

 ここから俺の相手がプロに代わったら、言うほどの自信は持てなくなる。

 それぐらいの差だ。 

 

 そして長考が始まる。

 やっぱり癖なのか、親指をチューチューしだすリオンきゅん。

 指を噛んだり吸ったりするのは、このぐらいの子には良くある事なんだとか。

 乳離れがまだ出来てないのか、あるいは寂しがり屋なのかもしれない。


「悩んでるのか、リオン」


「はい……」


「では良い事を教えてやろう。──その角は本当の意味ではまだ死んでない。生まれ変わる事が出来るんだ」

 

「え……?」


 よくわかってないリオン(きゅん略)に、転生の道を指し示す。


「この角で銀が取れるだろ?」


「でも取ったら、金で取られちゃいます」


「取られてもいいんだ。その角はどうせ働いてないからな」


 そう。

 だったらいっその事、銀と交換してしまえばいい。

 身動きの取れない角と、今後どこに置いてもいい持ち駒の銀。

 どっちが優秀かは言うまでもない。

 言わばこれは、角を銀に転生させるのだ。


「でも、取られたら師匠に角つかわれちゃうもん」


 不安げな声が漏れる。

 なるほど。

 その勇気が出なくて悩んでいたのか。

 

 いいかリオンよ。

 使われたっていいんだ。

 格上に大駒を取られるのが怖い気持ちは良くわかる。

 だが勇気を出せ。

 大駒を差し出す勇気が無いと駒落ちでは勝てない。

 駒落ちの強者は相手のそういう心の弱さを前提に戦略を練っている。   

 

「リオン! 銀を取るんだ! 勇気を見せろ!」


「うぅぅぅ──!」


 リオンは銀を取った。

 それでいい。

 その銀は大切に使え。

 おまえの勇気と、角の犠牲によって得られたものだ。


「ナイスガッツ!」


 俺はぐっとサムズアップした。

 そして敵陣を徹底的に蹂躙して、俺は勝った。

 戦いとは厳しいものなのだ。


 



  

リオン


現在の棋力:6級ぐらい

得意戦法: ノーマル四間飛車

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