3 弟子の名は
盤駒職人の朝は早い。
毎朝、日が昇るよりも早くアトリエに来る。
「──まぁ、好きでやってることですから」
ノコギリを使い、ギコギコと板材を丁寧に切り取っていく。
盤の形が出来たら、次は定規とインクで線を引く。
9×9の81マスを描くのだ。
「温度とか湿度でね。盤がしなったりするんですよ。だから機械じゃ出来ない」
出来上がった盤に割れなどがないかチェックする。
それが終われば、今度は駒に取り掛かる。
「駒は将棋の命ですからね。一番気を遣う」
薪を割って手頃な破片を作り、細かい仕上げはナイフで行う。
彫刻刀がないから、彫るのは諦めた。
その代わり、なるべく美しい達筆で文字を書く。
夜明けから昼までかかって、やっと1セット完成した。
みんなは将棋の駒が40枚もあるって知ってたか?
俺は最近、身を持って知ったよ。
さあ残り15セットだ。
残り一週間で仕上げなければならない。
これはどこかのタイミングで徹夜も視野に入れんとならんか。
ん?
全部で3セットじゃないのかって?
君は何を言ってるんだ。
父の寄り合いからもう三か月も経っているんだぜ。
父によれば大変好評だったとかで、すでに農家仲間の間では噂になっている。
そのため俺に注文が殺到し、金なら払うから是非作ってくれと言う奴が何人も現れたのである。
恐るべきは将棋の魔力か、それとも単に娯楽が少ないのか。
まぁ両方だろうな。
というわけで俺は、現在世界唯一の盤駒職人として働いている。
いやこれが結構金になるんだよ。
だから親父殿も舞い上がっちゃってひっきりなしに仕事を持って来る。
今や鬼の営業に奴隷の下請け状態で、俺はそろそろぶっ倒れそうになっていた。
「おーいラウル。前に言ってた彫刻刀とヤスリ、それからニスも買ってきたぞ」
俺のアトリエ(納屋)に入って来る父。
その手には以前から欲しかった盤駒作りの道具があった。
「やった! ありがとう父さん、これで彫り駒が作れる!」
もっとも道具さえあれば作れるというものではない。
本物の職人であれば、きっと何年も修行してようやくまともな駒が作れるのだろうが、こういうのはとりあえずやってみるのが重要だ。
彫り駒を知ってる人間が俺しかいない以上、自分でやるしかないのだから。
「いいさ。その代わり儲けの半分は家に入れろよ?」
「わかってるって。畑仕事ができない分、ちゃんとこれで稼ぐから」
「うむ、それならいいんだ」
父は満足そうに頷くと、ほくほく顔で出て行った。
よく言うぜ親父殿。
今や俺の稼ぎの方がでかいというのに。
まともに畑仕事も出来なかった俺が、ようやく仕事を見つけたもんだから安心しているんだろう。
だが俺の目標は立派な盤駒職人になることじゃない。
この世界に将棋を普及させることだ。
そして俺の相手になるだけの実力を持った人間を育成する。
それが俺の最終目標なのだ。
ここ三か月ほどで父の実力はかなり上がったが、それでも全然話にならん。
まだ六枚落ちでも俺が余裕勝ちしてしまう。
せめて二枚落ちで良い勝負が出来る相手が欲しかった。
「はぁー。疲れた。息抜きに将棋さそ」
俺は新たな盤を作り終えると、畑近くに設置された休憩小屋で休むことにした。
ここはただの休憩小屋ではない。
表に出した看板には、「挑戦は銅貨10枚・ラウルに勝てたら銀貨1枚進呈」と書いてある。
俺があまりにも強すぎるもんだから、親父殿が小遣い稼ぎにこんなものを用意したのだ。
ちなみにこの世界の金銭価値としては──。
銅貨1枚10円ぐらい。
銀貨1枚1000円ぐらい。
金貨1枚10万円ぐらい。
──となっている。
ここで休んでいると暇を持て余した挑戦者がやってくるので、退屈しのぎには丁度いい。まぁ実力はお察しだが。
小屋に入ると、すでに二人の挑戦者が俺を待っていた。
いや待っていたというよりは、人を誘ってここで遊んでいたという感じだ。
ここに来れば盤と駒があるもんな。
「おお、やっと来たかラウル。──さっそくワシと勝負だ」
来ていたのはお隣さんとこのご隠居だった。
お隣といっても100メートルは離れている家だが、街はずれの農家なんてこんな距離感だ。
早く引っ越して街の中央で暮らしたい。その方が普及しやすいし。
「いいですけど、まだこっちの勝負はついてないのでは?」
ふと目をやれば、そこにいたのは可愛らしい小さな男の子だった。
ご隠居のお孫さんだろうか?
俺が普段見かけないってことは、あまり外で遊ばない子なのかもしれない。
どうやらご隠居と将棋をしていたらしく、まだ勝負のついていない盤面がそこに残されていた。
「ああ。この子はワシの孫でな。将棋を教えたらすぐ強くなってのう」
それはそれは大変結構なことである。
こうやって人が人に普及し、教えるようになってくれると俺としては非常に有難い。
ましてやそれがこんなに幼い子だと、なお素晴らしい。
若い子は将来がある。正直な話、親父殿やご隠居じゃ物覚えが悪くて困る。
「俺はしばらくここにいますから、勝負をつけてやってください」
そう言ってやると、ご隠居は「それもそうじゃな」と盤面に目を戻した。
そのお孫さんは、親指の爪を噛みながら必死に盤面を読んでいるようで、とっても可愛い。八歳ぐらいだろうか?
前世にいた自分の孫を思い出す。
あの子にも将棋を教えたっけな。
ただあまりハマらなかったようで、流行り物のテレビゲームなんかに夢中になっていた記憶がある。
おじいちゃんの俺は少し寂しかったけど、孫が可愛いすぎてどうでも良かった。
晩年の俺は身体を壊してしばらく床に臥せっていたが、病院に行くほどでもないと思い、自宅療養してたらポックリ逝っちまったんだっけ。
記憶がそこらへんで途切れているから、そういう死に方だったんだろう。
残して来ちまった婆さんが気になるが、今さらどうしようもない。
死ぬ前に孫や子供たちに会っておきたかったなと、そこは少し後悔してる。
意地張らずに病院行っとくべきだったか。
いやいや、こういうのはポックリ逝った方が負担にならなくて良いとも言うし。
うーん、前世ってなんだかんだ思うところがいっぱいあるんだなー。
「王手!」
威勢のいいご隠居の声に俺は我に返る。
盤面はどうやらご隠居の方に分があるらしいが、しかしこれは──。
ほう、と思わず声が漏れていた。
この子いいじゃん。センスあるぞ。
盤面は確かにご隠居有利な局面ではあったが、見た感じこの子、序盤で玉を動かしている。
初心者のほとんどは大駒ばっかり動かそうとして、玉や小駒には全く手をつけない傾向があった。
だがそれでは将棋は勝てない。
すべての駒に意味を持たせ、働かせないといけないのだ。
この子は序盤に玉を端に動かすことで、端っこの桂や香に意味を持たせた。
囲いという概念もないだろうに、よくその手を指せたもんだ。
そしてそれは偶然ではない。
この子は小駒をよく動かしている。
大駒ばかりに手をかける初心者とは対照的だ。
むー、と真剣に盤面を睨む男の子。
とうとう爪を噛むのはやめて、癖なのか完全に親指を吸いながら指してる。
ああ、将棋を指す子供ってなんでこんなに可愛いんだろう。
俺にもこんな時期があったのか。
それにしても、この子は年の割に長考派だな。
普通、子供の棋士って指すのめっちゃ早いんだが。
まぁ考えることは良いことだ。
何も考えず百局指すより、目一杯考えて一局指した方が上達する。
──で、結局勝負はご隠居の勝ちだったわけだが。
そのせいで、余程悔しかったのか男の子はギャン泣きである。
お陰で俺に挑戦どころではなくなってしまった。
どの世界どの時代においても、じいさんは孫の涙に弱い。
仕方なくご隠居は出直そうと孫を連れて出て行こうとした。
だが俺は、それを呼び止める。
「君、名前はなんて言うの?」
その子に、名前を尋ねた。
まだえぐえぐ泣いていたが、少年はしっかりと答えてくれた。
「リオン……」
「そっか。じゃあリオン。俺の弟子にならないか?」
これが俺とリオンの、最初の出会いだった。
リオンは少し戸惑っていたが、やがてはっきりと頷くことになる。
「一か月でおじいちゃんに勝たせてやる」
この約束が、殺し文句になった。