2 ラウルの野望
家に帰ると、父にこっぴどく怒られた。
曰く「おまえは薪割りすらろくにできんのか」と。
俺の年はもう十六になる。
後を継がせるためにも、そろそろ本格的に家の仕事を覚えなければいけない時期だろう。しがない農家ではあるが、それでも覚えなきゃいけない事は山ほどある。
だがすまんな親父。
今日はそれどころじゃなかったんだ。
どうせ信じてもらえないだろうから、理由は言わないが。
俺はとりあえず前世の記憶が蘇ったという事実は伏せておく事にした。
頭のおかしい奴扱いされても困るし、逆に信じられても、それで俺の扱いが変わったら何だか寂しい気持ちになる。
なんだかんだ言って、今の人生もまた俺の人生なのだから。
ゆえに夕食のテーブルにて、俺はまじまじと父の顔を観察してしまった。
酒の入った多少だらしない顔ではあるが、欧米人特有の彫の深い精悍さがある。
髪だってふっさふさの美しい黒髪だ。
前世において俺は若ハゲ気味だったから羨ましい。
記憶が蘇ってから見る父は、かなり若く感じた。
年は確か四十歳に届かないぐらいだったはず。
ぶっちゃけイケメンである。
イケオジと言ってもいいが、ダンディズムを醸すには瑞々しすぎる。
八十過ぎで死んだ俺にとっては若造もいいとこだ。
こんなふうに思ってしまう辺り、やはり人格に影響があったのかもしれない。
「なんだぁ? 人のことジロジロ見やがって」
父は不思議そうな顔をする。
そういう顔ですら様になってると思った。
「何でもないよ。いつ見てもかっこいいなって思っただけさ」
「はぁ? 熱でもあんのかおめぇ」
「あらあら何を話しているのかしら」
そう言いながら料理皿を手に席に着いたのは、母だった。
いつもニコニコしてる俺のお母さん。
これがまた、すんごい美人。
三十五歳ぐらいのはずだが、俺からすれば全然二十代で通じる見た目だし。
そのうえ巨乳で、煌びやかなブロンドの髪を一本の三つ編みに結って、その豊かな胸の谷間にぶら下げているもんだから、強調されてよりでかく見えてしまう。
おっとりした母のことだ。確信犯というわけではないだろうが、それにしたってスゴイ。親父殿はよくまあ捕まえたもんだ。
「お母さんもとても綺麗だね」
「はい?」
俺が褒めると、やはり目を丸くされた。
普通、自分の母親を「綺麗だ」と褒める息子はそういないだろう。
しかし、女性はなるべく褒めるべきだ、というのは前世で学んだ俺の持論だ。
親父殿はちゃんと褒めてやってるんだろうか。
それが夫婦円満の秘訣だぞ、親父よ。
二人を見ていると、残してきた婆さんの顔が浮かぶ。
俺はこっちで楽しくやってるぞ。
十六年も思い出せなくて悪かったな。
思い出したきっかけは将棋だったけど。
ああ、そうだ将棋。
「そんなことより父さん、面白いゲームを思いついたんだ」
将棋のことを話す。
すでに盤と駒は作ってある。
よくまあナイフ一本で作れたなと我ながら感心する。
さすがに彫り駒を作るのは難しすぎたから、形だけ整えてインクをちゃちゃっと塗っただけの代物だ。
盤も適当な板材に線を引いただけだが、遊べるなら問題はないだろう。
上手く流行らせる事が出来たら、街の職人さんに頼んできっちりとした彫り駒を作ってもらおう。
で、両親にルールを説明した結果。
一応は理解してもらえたが、やはり駒の動きをすべて覚えるのはなかなか難しいようで、特に『銀将』と『桂馬』の動きに苦心していたのが印象的だった。
初心者にとってこの二つの駒は相当トリッキーだからな。
つい横に動かしたくなる『銀』と、駒を飛び越えるとかいう正気を疑う動きをする『桂』。初心者にとってこいつらは大きな壁となる。
逆に覚えやすいのは『飛車』『角行』『歩兵』そして『王将』だ。
これらは説明がしやすく、直感的にもわかりやすい。
意外にも難しかったのは『香車』で、初心者はこれをバックさせたがる。
『金将』は言わずもがな。やはり金駒は敷居が高いようだ。
こうして一から将棋を教えると、意外なところで躓くのがわかって面白い。
これは駒の動かし方の一覧表を作るべきだな。
完全に覚えるまでは家に貼っておこう。
ちなみに対戦した結果は俺が全勝した。
当たり前だが初心者に負けるわけがない。
これでも最終的な棋力はアマ五段ぐらいはあったはず。
たぶん王と歩だけの駒落ちハンデでも負けないんじゃないかな。
それに何というか、この身体が若いせいか頭の回転が速くなってる気がする。
これは、前世より強くなってるかもしれない。
あり得ない話ではないだろう。
何しろ今の俺は、八十年の棋歴を十代の脳味噌にインストールしてるチート状態だ。今の実力を振るえる相手がいないのが残念でならない。
──いや、それはこれから作るのだ。
俺が一から育てるんだ。自らの好敵手を。
この世界に将棋を広めて、俺が勝てないような棋士を。
やっべ。わくわくしてきた。
「──どう? 面白いでしょ父さん」
そのための第一段階。
俺の家族を将棋にドハマリさせなければならない。
すべてはここから始まるのだ。
「そうだな。確かに面白いが」
父は少し考えて、それから俺にこう言った。
「ラウル。おまえ、これと同じものを後三つぐらい作れるか? 今度の寄り合いで父さんがみんなに広めておいてやる」
おお、それは願ってもない申し出。
こうやって広まっていけば、自然と第三者が宣伝をしてくれるようになる。
将棋は一人じゃ遊べないから。対戦相手を作るために広めてくれる。
もっとも父のこれは建前だ。
父はいつも「寄り合いはじいさんばっかりで退屈だ」と愚痴をこぼしているから、少しでも暇を潰したいのだろう。
だが俺としても広めて貰えるならそれに越したことはない。
オーケー商談成立だ。
次の寄り合いまでに三つ作ってやろうじゃないか。
板材はまだいくつかあったし、薪に至っては腐るほどあるからな。
「いいよ。その代わり、その間は畑仕事と薪割りは出来ないけど」
「うーん、まあいいだろう。今はそれほど忙しい時期じゃないしな」
こうして俺の野望はスタートした。
この世界を、将棋の沼に引きずり込むために!