雅春と沙綾
「よう、織原。よろしくな」
自己紹介が終わってすぐ、前の席の男子がとつぜん振り向いて声をかけてきた。
初対面というのに躊躇がまったく感じられない。
「えっと、確か……」
出席番号順で着席したので私より前にいるので名前があ行から始まるはずだということだけは解る。
自己紹介でいま聞いたばかりなのに、全く思い出せない。
「井波雅春だ」
「そ、そうか井波……イナミくんね」
イナミイナミイナミ……。
心のメモリーにインプットすべく、十回ほど繰り返す。この少年はイナミ。
「雅春でいいぜ。俺も誠一郎って呼んでいいか」
向こうが私の下の名前まで憶えてくれていたのは驚きだった。さすが高校生。短期記憶にすぐれている。
「す、好きにしてくれ」
ふたたびマサハルマサハルと心のメモリーにインプットしなおす羽目になった。
少々馴れ馴れしい少年だけれど、他意はまったくなさそうである。素直と言えば素直。爽やかな感じさえする。彼はタレ目の奥二重で、見た目には今時の言葉で『ちょっとチャラそう』な感じも漂うが、もちろん人は見かけで判断してはいけない。
私の元部下、斉藤君になんとなく雰囲気が似ていると思った。私が突然会社を辞めることになり、彼にも迷惑をかけてしまっているだろうなあ、と少し胸の奥が痛んだ。
すると、そこへもう一人、横から突然会話に割り込んできた。
「あたしあたし、見崎沙綾。よろしくね!」
私の横の席に座った女子だった。髪が短くて、活発そうな雰囲気。声が高いので耳元でしゃべられるとキーンと響く。目鼻立ちがハッキリしていて、唇がやたらとテラテラしている。何か塗っているのだろうか。
「よ、よろしく見崎さん」
「あ、ちなみに見崎さんとか呼ばれるの嫌いだからさーやって呼んで」
「えっ」
「さんとかちゃんも何も要らないから。きもいし」
女子高生ですよ。いきなり名前なんかで呼べますかー! と心で煩悶していると、
「ちなみに今度見崎つったらぶつから」
先手を取られ、やけに凄みのある目つきでやぶ睨みされてしまう。
「わ、わかったよ。じゃあ、さ、さあや……」
「んふ、よろしい」
こわい。イマの女子高生こわい。
見崎という姓のどこに呼ばれて嫌がる要素があるのだろう。理解できぬ。しかしこうなったら開き直ってそう呼ぶしかない。
「あたしも誠一郎って呼ぶから」
「ほ、本気か」
「あれ? だめなの? もしかしてそう呼ばれるの嫌い?」
とこちらに顔を寄せてくる。
近い……。
「いや、そういうことじゃなくて……」
女の子が同級生の男をいきなり名前呼びとはどういうことなのか。昔とは男女の距離感が違うのであろうか。
「なら、今後は誠一郎で~」
いきなりふにゃ~っとした声になってそう言うと、にっこり。
「わ、わかった……」
凄いことが起きている。
二日目にして下の名前で呼び合うクラスメイトが二人もできてしまった。
つぎに沙綾は雅春に目を向け、一言。
「あんたは……」二秒ほど間を置いて「イナミでいいや」
「なんで俺は名前呼びじゃねえんだよ」
「なんとなく、イヤだから」
「おい」
「あははははっ」
見崎沙綾はからからと笑うのだった。
面白い子だ。




