エピローグ
二人で会ってほしいと沙綾から申し入れがあったのは、学校を去る前の日だった。
「いいよ」と私は快諾し、学校帰りにふたりで紫延川のほとりを歩いた。
「ここを歩くのは久しぶりだなあ……」
「そう言えば何だっけ、散策部? あの部誌ってやつもらって読んだけど、この川の名前の由来? 的なことも書いてあったね」
「読んでくれたの! で、どうだった? 感想は?」
「うーん正直あたしにはわかんない」
「そっか」
「……ていうかさ、誠一郎には悪いけど、『かもしれない』的な話ってさ、それが真実なのかどうかって、やっぱりわかんないわけじゃん」
「まあ……そうだね」
そう言ってしまうと実も蓋もないのだが。
「あたしはいま自分の目に見えてるものが大事だな」
「うん。沙綾はそれでいいと思うよ」
私は彼女のひとことで胸が詰まりそうだったが、精一杯の笑顔を向けた。
「あんたさ、あたしのことバカにしてる?」
「してないよ、全然」
同じようなやり取りを四月以来、何度したことだろう。
「文化祭で見せたかったな……あたしの和服姿」
「メールで送ってよ。写真をさ」
「諸事情で届かないんじゃなかったの?」
「それは方便」
「悪いヤツ!」
「あ……でも返信はできないかも。諸事情で」
「なら、送ってなんかやらねー!」
「あははは」
「送るよ……」と彼女は言った。「届かなくても、送るから……」
「うん」
「好き……だったのかも」
それが沙綾の、告白であることは私にもわかった。
「最初から……」
だから私は決意をした。
彼女にだけは、すべてを話そう、と。
いずれ協会の処置によって、いっさい忘れられてしまうにしても。
私の実年齢も。
私が魔法使いであることも。
そして既婚者であることも。
「実は僕は……」
「やめて!」
彼女は両手で顔を覆って、私を止めた。
「あ、あたし度胸ないし! その先聞いちゃったら……たぶんダメだ。だから……お願い」
私はいたたまれなくて、思わず彼女の頭を撫でると、彼女は力を失って私の肩にもたれ、泣きじゃくった。
「こんなことになるなら、やっぱり夏休みに山形なんか行くんじゃなかった……あたし、最後まで反対してて……」
「そ、そうだったの」
「誠一郎ともっと遊びたかったよぉ……」
「うん」
「海にも行きたかったぁぁ……」
「沙綾、元気でね」
「空港に見送りなんかいかないからね。イナミは行くっつってるけど」
「うん。それでいいよ」
彼女が見送りに来たいと言っても、それはたぶん叶わない。そのころにはみな私のことを忘れているだろう。
◇
風がすっかり冷たくなり、秋をすぎて冬の入り口が見え始めた。
私は妻と以前から見たかった映画を見に出かけたのだった。
街角ですれ違う人々の中に、知った若者のふたり連れを見つけて、胸が締め付けられた。
「アハハハッ!」
聞き慣れた、見崎沙綾の笑い声だった。
「だから、ちげーって!」
彼女の隣を歩く男子は、井波雅春だった。
「誰よ。知り合い?」
妻に聞かれ、「いや……」と私は首を振る。
沙綾の姿は妻もいちどモールで見ているはずだったが覚えていないらしい。
私と妻は、二人とすれ違う。
何事もなかったかのように。
「僕もそろそろ、次の仕事を探さないとだね」
すると妻が、
「こんなおっさん雇ってくれるところあるのかしら?」
「何を失敬な……」
「あたしは別に、今のままでもいいのよ? 経済的に苦しいわけでもないし、それにアナタ食事とか作ってくれて、最近ちょっと優しくなったみたいだし?」
「うーん」
妻はいいのかもしれないが、男として、果たしてそれでいいのだろうかと私は思う。
「前の会社は再雇用ダメだろうかねえ」
「駄目でしょ」
「だよねえ……」
「ねえ。別の高校でも受けたら? 今度は成凌を目指すとか! どう?」
「どう……って……」
「だって、今回だってちゃんと卒業してないじゃない。本当に心残りはないの?」
「もう高校生はいいですよ。というかキミ、僕が高校生やるのは反対なんじゃないの?」
そう言うと、私の腕に掴まる妻の力が少しだけ強くなった。
「アナタがそんな寂しそうにするからでしょ。あたしとしては、精一杯譲歩しているのよ。できた嫁でしょう?」
「そうですね。ありがとう。でもやめておきます」
「どうしてよ?」
「どうしてって、僕、おっさんですから」
(完)




