ただいま、と声がする
番組が始まって十分ほど経ったころ、玄関のほうで物音がすると思ったら、外出先から妻が戻ったらしい。
「はあ~寒い寒い」
手をこすり合わせながら、ぱたぱたとリビングに逃げこんできた。
「お帰り。打ち合わせご苦労さん」
「全く、あの馬鹿編集ったら。今度編集長に文句言ってやるわ」
「どうしたの」
「どうしたもこうしたもないわよ。担当編集がアホなだけで。あれでこんど副編になるっていうんだからまったく……」
「僕にはよくわからん話だね」
妻の文句を受け流す。妻もはなから私の理解など求めてはいない。
「あら、この間の『知子の友』じゃない? 放送今日だっけ、しまった」
「録ってあるよ。最初から見るかい」
「見る~」
ふたたびリモコンを手に取ると、リアルタイム放送から録画再生に切り替えて、最初から流した。
らららー昼のひととき~
この曲を聴くのは今日二度目だ。
そして、画面には本日の友達、織原かよこが現れる。
それを楽しげに隣で見ている私の妻。
織原かよこ、本人である。
◇
「コーヒーどうぞ。熱いから気をつけて」
リビングから妻のぶんのコーヒーを淹れてきて渡す。
「ありがと~」
妻はカップを受け取って、冷えた手のひらを暖めながら、口をつけた。
ところがテレビに夢中でよそ見して、
「あつっ!」
妻は慌ててカップを放り投げてしまう。
中身の液体があちこちに飛び散り――とはならなかった。
「――――!」
いったん宙に放り出された液体は、無重力状態さながら玉のようになって漂いながら、浮遊している元のカップにおさまり、私の手の中に戻ってくる。
「大丈夫かい? だから気をつけてって言ったのに」
「ごめ~ん」
そしてふたたび妻に渡す。
妻は、ほどよく飲みごろになったコーヒーをあらためて一口。
「おいしいわぁ~」
私の名は織原誠一郎、四十五歳、おっさんだ。
そして――魔法使いである。




