97話 お風呂がきた!
12月に入った。
ギルドが休みの本日、マグネル商会にお邪魔している。
本店から少し離れた場所にある、結構広い無人の倉庫のような作業場だ。
案内されると、しゃがんでいる従業員と、大きな桶から湯気が立ち上っているのが目に入った。
お、お風呂だ!
「うっひょぉぉおおお!!」
完成したお風呂に、お湯が張って用意してあった。
なるほど、風呂釜に火を焚いてくれていたのか。室内だけど煙突から煙が出ているな。排煙は……と大丈夫そうだ。
マグネルの職人は見事に木の桶で『追い炊き式風呂』を実現してくれたのだ。
浴槽のサイズは現代の仕様で注文したのだが、見事に再現してくれている。
跨いで入れる高さで、足も軽く曲げる状態まで伸ばせるサイズだ。
浴槽の端に穴が2つ縦に空いていて、パイプで風呂釜に繋げてお湯を循環させて沸かす。
その風呂釜は一斗缶の丸缶のような形状、上をフライパンのような蓋で塞ぎ、真ん中に煙突が突き出ている。
規格がない大きな桶の製作と金属パイプを水漏れしないようにくっつける技術、そして運べるような金属製の釜を開発するのはさぞ苦労があったことだろうと思う。
職人にはマジ感謝しかない……と何と、釜の火を見てくれていた彼だという。
満面の笑みで感謝を述べる。
いやホント……火までみてもらって申し訳ない。
むふふふ……俺はこれからこれに浸からせてもらうのだ!
……と、わくわくしている俺の横を通り過ぎて、風呂を見学に行く連中がいる。
ギルドの面々である。
「へぇ~これがお風呂ですか~……」
「うわっホントにお湯だ! この中入るのか?」
「なんでこれでお湯が沸くんだ?」
「この椅子なんですか? これに座って体拭くんですか?」
「この水桶は何に使うんです? 風呂に水入れるためですか?」
「ふ~ん……ほぉ~~……へぇ~~」
「人が入る桶ですか、興味深いですねー」
各々が風呂に近づいては見たことない代物について感想を述べている。
な~んで付いてきちゃったかな~……。
少し遡って先日である。
ファーモス会長と秘書のカルミスさんが来店された。「風呂が完成したので見に来てほしい」とのお誘いである。
俺は席から飛び上がって大喜び。「ぜひお願いします」とガッツポーズすると、その喜びようで皆を驚かせた。
うまい具合に2日後がギルドのお休みである。
晴れやかな顔で「その日に伺います」と伝えると、会長がにんまりしながら「わかった」と頷いた。
そのとき、様子を見ていたラーナさんが付き添いを申し出る。
「私も付いていっていいですか?」
「ん、なんでです?」
「お風呂に興味があるんです!」
実はラーナさん、寒さに弱い体質だという。
現代でいう『冷え性』のようで、この寒くなる時期はとても辛いのだそうだ。
以前、風呂の話をしたときに『とても温まる道具』というのをしっかり覚えてて、どうしても見てみたいらしい。
「じゃあ一緒に行きましょう」
快諾すると、すぐさまキャロルも行くと手を挙げる。
いいよと頷くと、経理の3人も同行したいと申し出た。そういえば彼らに風呂の話はしてなかった。
何か面白そうなので見たいという。
「でも俺が風呂に入るだけですよ……」
「それが何か知りたいんだよ」
うーん……なぜ俺が男に風呂に入る様を見られねばならんのだ!
と、神妙な面持ちでいると、主任も行くと言いだした。
「い…いいですけど、ホントにつまんないですよ?」
「瑞樹さんのすることで、つまんなかったことなんて1つもなかったですが……」
組んだ腕の右手を上げて顎を乗せると、口角を上げて笑い、反論された。
「ん~じゃあ次の休みに6人で――」
と言ったところでリリーさんに目を向ける。
見ると小さく手を挙げている。仲間外れは嫌だという表情だ……まあそうなるな。
「私も行きます!」
「はいはい」
結局、皆でお邪魔することになったわけだ。
さて、俺は休憩室で服を脱いでバスタオルを腰に巻き、再び風呂の前にやってきた。
素っ裸の俺を目にしてみんな少し半笑い。そりゃ同僚がいきなり素っ裸だもんな。でもこっ恥ずかしいのは俺ですがね!
面映ゆいのを我慢しつつ、風呂の実演販売の仕事だと思って入ろう。
「まず俺が腰にしてる布ですが、『バスタオル』と言います」
まずこれから説明する必要がある。風呂がないからこういうタオルがない。
「本来は風呂から上がって体を拭く布ですが、今回は皆さんが見てるので、これを腰に巻いて風呂に入ります。本来は全裸です」
カルミスさんは俺の言うことを一生懸命メモしている。
「で……このまま入ってもいいんですが、今回はいいものを持ってきました」
机の上のバッグから、布袋に入ったものを取り出す。
「これは『生姜を薄切りにしたものを入れた布袋』です。これをお湯の中で揉んでエキスを出します」
カルミスさんから質問が飛ぶ。
「それはどういう意味があるんです?」
「生姜のエキスには保温効果があるんです。これして風呂に入ると、上がったあとも体がポカポカしてしばらく暖かいんですよ。柚子の皮でもいいんですがね」
ふむふむ……とメモを取る。
保温効果という言葉に、ラーナさんの期待が膨らんでいるのを感じる。
「まずお湯を体にかけて、軽く汚れを落とします」
手にした木桶は片手で持つには少々重い。
できれば桶をもっと軽くするか、片手で汲める手桶を用意したほうがいいな。
そしていよいよお風呂に入る。
バスタオルを巻いてるせいで足が上がらない。タオルを上げすぎると大事なものがポロンと見えちゃうしな。
椅子を風呂に近づけて左足を乗せ、右足から浴槽に入る。
体を沈めていくと、お湯がザバァーっと浴槽からこぼれた。
風呂釜の火が消えないかと心配したが、「大丈夫です」と職人は答えた。
本来風呂釜は、建物の外に置く設計になるので水はかからない。
そして首までつかる。
久しぶりに体全体で熱を感じたせいか、ピリピリした感触に思わず感嘆の声が漏れる。
「ふぃぃいいいいいいぃぃぃぃいいいい~~! んんんんん~~~~…………」
目をつむり、大きく深呼吸する。
両手で顔を数回洗ってゆっくり浴槽に身体を預けた。
しばらく黙ってゆったりと、湯の感触を味わう。
う~~ん……極楽!
ファーモス会長は、俺の心地よさげな様子を眺めている。
「どうかね?」
「いや~~最高です。嬉しくて泣きそうですよ!」
とろけそうな表情で答えると、会長は満足そうに笑みを浮かべた。職人もやったという表情で頷いた。
開発にいくらかかったのかわからないが、全額即金で払ってこれ持って帰りたいぐらいだ。それくらい嬉しくて堪らない。
ホントはもっとゆっくり入っていたいが、俺も今日のためにネタを用意してきた。
さすがに「作ってくれてありがとう」では芸がないからな。今度はこちらの番である。
「さて、それじゃあとっておきのもん出しましょうかね……ガランド、バッグ開けてくれる?」
彼がバッグを開けると、中に栄養ドリンクサイズの瓶が3本入っている。
「これか?」
「そうそう」
風呂から上がって椅子に座る。
「これは髪を洗う物なんですが、左から『シャンプー』『リンス』『トリートメント』といいます」
いきなりの知らない単語に、みんなの注目が瓶に集まる。
「まずシャンプー、これは液体のままの石鹸なんですが、さらにハチミツと薬草数種類の成分を加えてあります」
軽く驚きとも困惑ともとれる声が上がる。
「ハチミツと薬草を加えるとですね、髪が元気になって綺麗が続くんですよ」
「……綺麗が続く?」
質問した主任同様、皆もわからない顔をしている。まあ当然だな……。
「髪って痛むんですよ。男にはどうでもいい事なんですが、女性には結構深刻な問題なんですよ」
やってみせるのが早い。
「まあとにかく洗いましょう」
まずシャンプーの液を大銅貨(五百円玉サイズ)の大きさぐらいに手に取り、掌で少し伸ばして髪につける。
お湯を少しかけて薄め、髪を洗うというより頭皮を揉む感じで洗う。
このときはほとんど泡立たない。汚れがひどすぎるからだ。
これでもずいぶん清潔に生活してきたのだが、髪を洗うのが桶に入れた水ではいろいろと限界がある。
すぐに流し、もう一度シャンプーの液を取り髪を洗う。すると泡立ちがよくなり、皆から「おぉ~」という声が上がった。
お湯でシャンプーを流して終了。水を切って顔を上げる。
「ここまでは石鹸で髪を洗うのとほとんど変わりません……ですが、髪がキシキシしてるでしょ?」
髪の中に手を突っ込むと指が引っかかって止まる。
男性陣は「ふぅん」と興味なさげだが、女性陣は「うんうん」とよくわかると頷いている。髪が長いと苦労するもんね。
「そこで次、このリンスの出番です」
リンスを大銅貨の大きさに取って掌で伸ばし、ザっと髪の毛に手を突っ込んで、馴染ませるように全体を撫でまわす。
「こうやって髪全体に液をつける感じ……女性は髪が長いですから、数回に分けて掌で髪全体に刷り込む感じですね」
CMで見る、女性が髪を両手で滑らす仕草だ。
洗い流すと髪のキシキシ感がなくなり、俺の短い髪でも指がスーッと通るようになった。
「ほら、キシキシがなくなってるでしょ?」
男性はまったくと言っていいほど無反応。だが女性たちは驚きの表情だ。
「触っていいですか?」
「いいよ。でも濡れてるからサラサラ感はわかりにくいかな。乾いたらすごさがわかるんだけどね」
キャロルが指で髪をつまんでこすると、明らかにキシキシじゃない感触に思わず声がでた。
「んん!」
キャロルの反応を見てラーナさんとリリーさんも触って確かめる。
「んぁ!」
「ふぉ!」
女性3人に素っ裸で髪を触られるという、何かの特殊プレイかと疑われかねない状況に少し顔が緩む。
「これで洗髪は終了です」
「あれ? もう一つの瓶は?」
キャロルが尋ねた。
「トリートメントは男性には必要ありません。これは女性のための物です。試しに作ったので持ってきました」
「使うとどうなるんです?」
「んー髪の毛がな、ツヤツヤのピカピカになるんだよ」
ドヤ顔で自慢したあと、再び風呂に浸かった。
洗髪料一式は、風呂のお礼にマグネル商会で商品になりそうな提案をしようと持参した……というより作ってもらいたいというのが本音である。
リンスやトリートメントはともかく、液体シャンプーがどうしても欲しい。
付加価値つけた商品アピールをする気で持ってきたのだ。
「会長、風呂はばっちりですね。あとで設置方法や販売に向けた検討でもしましょう」
湯船から笑顔で話すと、会長も頷いた。
「瑞樹さん! お風呂に今入りたいんですが?」
突然、ラーナさんが俺に向かって声を上げる。目がかなりマジだ。
「はぁ?」
「入って温まって髪の毛を洗いたいです!」
突然の要求に戸惑う。だがそれはラーナさんだけではなかった。
「あ~私も~~私も入りたい~~!」
キャロルも入ると言いだした。
「2人とも何言ってんです! ここ作業場ですよ。外です外! 裸になるなんてダメでしょ!」
「だって寒いんですもん! お風呂温かそうじゃないですか!!」
「ええ、とっても温かいですが何か?」
「出て! 瑞樹さんもうお終い! 済んだでしょ!」
ラーナさんとキャロルが風呂の縁を掴んで頑なに主張する。
「ちょちょちょ……わかった。わかったから!」
これはもう入れないと収まらないなと思い、風呂から上がって少し手立てを講じることにする。
体を拭いて着替えてる間に、マグネル商会の人に頼んで、シーツほどの布で四方を囲み、風呂が見えないように準備してもらった。
もちろん男性は立ち入り禁止だ。
「じゃあ風呂に入る注意点と、最後に使うトリートメントの説明するね」
俺は男性と違う点を簡単に伝えた。
女性は髪が長いのでタオル等で頭に巻いて入る。お湯が熱いと思ったら水桶から水を足して温度を下げる。
トリートメントはリンスのあと。まずタオルで髪の水気を切る。手で刷り込んで髪に馴染ませたら5分ぐらい置く。タオルで巻いてその間風呂にでも浸かるといい。そして最後に綺麗に洗い流す。
「そんなとこかな。ま~わかんないことがあったら聞きに来てください」
そう言って女性たちを残して男性は退出した。
浴槽のモデルは『天然木製浴槽』という楕円形の大きな木桶です。
風呂釜のモデルは『丸形焼却風呂釜』というものです。
室内作業場ですが、排煙、排水は問題ないという環境です。