92話 領主 ダスター・コーネリアス侯爵
次の日の朝、ドアをノックする音で目が覚める。
寝心地がよすぎて二度寝したいぐらい。さすが客間の布団も別格である。
「おはようございます」
メイドが顔を洗う用のお湯を運んできた。
身支度を済ませたあと、朝食をいただく。そして指定の時間がくるまで部屋で一服していた。
窓は館の裏手、昨日の夜には見えなかった市街が一望できる。
おそらく市の中心に近いのだろう、道幅が広く、馬車の往来が目につく。
しばらくしてアルナーが部屋にやって来た。どうやら時間……と思いきやまだ15分前。
そういやこの国の人たちは時間にアバウトだったな。
だが早いほうというのは珍しい。
領主は予定が立て込んでいるのかもしれないな。早く済むなら越したことはない。
ショルダーバッグは部屋に置いたまま、ウエストポーチを腰につけて部屋を出る。
トンットンッ
「どうぞ」
「失礼します。コーネリアス様、御手洗瑞樹様をお連れ致しました」
アルナーに促されて入室する……広い!
ティアラのギルド長室の2倍か3倍はある広さ。さすが領主の執務室。
壁面と天井は模様入りの黒の壁紙。気品は漂っているが黒って……相当に威圧感がある。
だが館の裏手に当たる壁面はずらっと窓なので採光がよく部屋は明るい。壁が明るい色だと逆に眩しいのかもしれないな。
手前に歓談用のテーブルとソファー、その奥に大きな執務机が見える。
後ろの壁に大きな絵画、肖像画じゃないのは俺としては評価点が高い。
その机の横に男性が立っていた。
窓のほうを向いているが、特に外を見ていたというわけではなさそう。声と同時にこちらを向いた。
あー……何か見たことあるな。
名前が思い出せないが、ハリウッド映画のアクション俳優に似てる気がする。
かなり渋めの中年男性だがイケメン……つまりイケおじだ。
部屋の備品は華美な印象はないが、テーブルやソファーは豪華だなと思う。
領主としての威厳を示す程度には必要だろう。
「ようこそ、私はフランタン領領主のダスター・コーネリアスです」
ギルド長に聞いたのはたしか『侯爵』つってた気がする。
だが貴族の階級なんぞに縁はない。まったく順序がわからない。
漫画とかでもよく登場するが、正直どうでもいいので気にしたことはない。
領主はマルゼン王国でどの程度偉いだろうか。
「初めまして、ティアラ冒険者ギルドの御手洗瑞樹です。瑞樹と呼んでください」
この国の礼儀作法は知らないので普通にお辞儀をする。
「ん……私のことはダスターで結構」
「わかりましたダスターさん」
アルナーが思わずこちらを見る。
侯爵を「さん」付けで呼んだことに反応した様子だ。
「え、あっ『侯爵』か!」
アルナーは何も言わなかったが、侯爵は笑いながら「さん」で結構とおっしゃった。
「すみません。うちの国には貴族がいないので敬称に馴染みがなくて。申し訳ない」
「国はどこでしたか?」
侯爵が手でソファーを差したので一礼して座る。
すると即座にメイド数名がテキパキとお茶を用意する。
「日本です」
「どこにあるのかね?」
「それがわからなくて……」
侯爵は背もたれに体を預けつつ、俺を品定めするような目で見る。
アルナーから俺の人となりは一応聞いているだろうから不審人物扱いはされないとは思うが……どうだろうな。
前置きで、ティアラに勤めることになった経緯を説明する。
「そうか……場所がわからないのか」
「そんなところです」
少し目を逸らしつつ侯爵の様子を窺うが、俺に対して興味があるようには見えない。
用件済ませたらさっさと切り上げたいというところか。
そして侯爵が用件を口にする。
「君の作った『紙飛行機』とやらが大層人気のようでね、王家のかたに質問されて驚いたよ」
「そんな大したもんじゃないんですがねー……」
驚いたんじゃなくてやらかしたんでしょ……とは口にしない。
「で、これはそもそも何なのかね? それが聞きたくて来てもらったんだよ」
「なかなか難しい話ですね……」
「難しいのか?」
「うーん……」
後ろに立っているアルナーに目をやる。
「アルナーさん、紙を数枚――」
言い終わる前に俺にサッと紙を差し出す。前もって準備していたようだ。
見上げると気持ちドヤ顔、領主の前だから落ち度のないよう用意周到なわけか。やるな次席執事。
少し笑ってしまった。
そして俺は、以前マグネル商会との食事会でした話をする――同様に『折り鶴』を折りながら。
「はい、これが『折り鶴』です。ちなみにこれは飛びません。飾って楽しむもんです」
侯爵とアルナーは目を丸くする。
1枚の紙が何度も折られ、気づくと鳥のような形の物体になったのだ。
「ほぉぉぉぉ――」
どうぞと差し出すと、鶴の尻尾を掴んで全体を眺めた。
「まあ今後何か聞かれたら『日本という異国の文化』だと答えればいいんじゃないですかね。飛ばすものもあれば飾るものもあると」
元々侯爵はそれほど紙飛行機に興味があるわけではない。質問に答えられなかったのが困っただけだ。
この手の人に、やれ「飛行機とは……」とか「飛ぶ理由は……」なんて話をするのはお門違い。
紙飛行機が何だろうとどうでもいいのだ。
他人に聞かれたとき、ちょっと興味を刺激する程度の説明を用意できれば、お互いそれで満足する……というかそれ以上いらない。
誰も知らない『日本』という国の名前、『折り紙』という文化、アルナーに紙飛行機を作ってもらい、懐に忍ばせとけば困らないはず。
さらにその日本人に会った……という領主唯一の事実があればいいはずだ。
「うーむ……」
まだ足りないか……それとも自分が聞かれた際の対応を考えているのだろうか。
侯爵がチラっと上目遣いで俺を見る。
もしかしてこれを教えてほしいと思ってるのか?
「ちなみに『折り鶴』の作り方は教えませんから」
侯爵はアルナーに目をやる。
すると彼が全力で手を振って「無理です」と答える。
「侯爵がお持ちになって、立場が上の人と話をする機会があれば、お見せすればよろしいのではないですか?」
暗に王族に見せろと示す。
「くれと言われれば差し上げてしまえばそれで済むでしょうしね」
俺は今、悪代官と話をする越後屋のような顔だろうな。
きっと失態分は取り返し、お釣りがくると思うがな。
「なるほど」
「どうしても困ったら『ティアラにその日本人がいる』とでも振ってください。何一つわからない説明をしてやりますよ」
その答えに、侯爵の頭が小刻みに揺れる。どうやら納得したようだ。
ということで紙飛行機の件はこれで終わった。
お茶を口にし一息つく。
次いで盗賊団壊滅の話を聞かれる。
これも俺が広場で吹聴してた内容を簡略化して説明した。
「――じゃあ今度その冒険者パーティーに会ったら礼を言っておいてくれ」
「わかりました」
盗賊団討伐の件は、侯爵にとっても政治的に助かったらしい。
俺が当事者のギルド職員ということで、口外無用を条件に事情を話してくれた。
例の盗賊団は、フランタン領の遺跡を根城にして、隣のレミンドール領で犯罪活動をしていた。
遺跡の数キロ先がレミンドールなのだ。俺もあとで知って驚いた。
もしレミンドールで討伐された場合、賠償請求が侯爵のもとへほぼ確実に行われる。
「お前んとこの不届き者がうちのシマを荒らしてたんだ。金払え!」という難癖をつけてくる。
まあ事実だし、それなりに証拠揃えて吹っ掛けてくる。
そうなるとまず断れないし、条件交渉で減額を迫るのがやっと。被害規模によってはしばらく頭が上がらなくなる。
ところが今回、ティアラの依頼を受けた冒険者パーティー『ホンノウジ』が自領内で討伐した。
この場合「行商人を襲った盗賊団を討伐しただけ。そっちの事情なんか知らない」と突っぱねられる。
実際、今回の件でレミンドールから一言あったそうだ。
「うち迷惑かかってたんだけど……」と遠回しに賠償しろよと言ってきたという。
もちろん断る……そんな証拠はないとな。
むしろ「もしそうなら今後犯罪起きないじゃん!」と、うちに感謝しろよと言わんばかりの返事をしたそうだ。
賠償金も払わずに済み、レミンドールに恩も売れたと、侯爵はご満悦の様子で語った。
俺は笑みを浮かべながら「それは何よりですね」と社交辞令で返す。
なるほど……領をまたがる越境犯罪は政治的にめんどくさいんだな。
領自体が1つの国みたいなものなので、扱いを間違えると影響が大きいのだろう。
そして時間がきた。
侯爵が立ち上がり、話が聞けてよかったと手を差しだす。
お役に立てて何よりですと握手を交わす。
会談は時間的には30分程度だった。