8話
2日目業務開始。
席についてウエストポーチからスマホを取り出す。
「あっ」
目にした見たリリーさんが小さく呟いた。
一瞬動きが止まるが、気づかぬふりしてゆっくり机の上に置く。
ラーナさんとキャロルさんはリリーさんを見やり、彼女が気まずそうにしたのですぐ俺のほうを見る。
2人はスマホを見るのは初めて……そして当然これが彼女を泣かせた元凶だとは知らない。
経理の3人も、昨日の俺の仕事ぶりが自分たちのやり方と全然違うので気にはしていた。
だがそれは、スピードが遅かったので算盤使えばいいのに……という程度でスマホは何かと気にもしていない。
俺は『電卓アプリ』を起動して、書類の束をめくり始めた。
昨日持って帰った紙に、各通貨を十進数に直した表を作ったのでそれを見ながら電卓で計算。
小鉄貨を4の0乗――1とすると、大銅貨は4の3乗――64、大銀貨は4の5乗――1024、というわけ。
十進法に変換して総数算出後、再び四進数に直して通貨に戻す。
手間だけどまずはこれでやってみることにする。
すると隣のガランドが俺の作業に気づいた。
見たこともない道具を使って計算している様に目が点になっている。
すぐに前のロックマンも気づき、レスリーをつつくと彼もその摩訶不思議な物体を凝視した。
「それ何?」
「電卓です」
ロックマンの問いに顔を上げ、彼らが聞いたことのない単語を告げる。
すると彼らが覗き込むので説明する。
「これが数字でここ叩いて入力するとここに結果が表示、あでも進数が違うんで四から十にして……」
ガランドは手元で口元に手をやり俺とスマホを何度も交互に見やる。
ロックマンは机に手をついて口を半開き、レスリーはチベスナ顔……表情筋が死んでいる。
俺が顔を上げると、何一つ理解できない説明と、表示されてる文字がニョキニョキ動く様に言い知れぬ恐怖を感じたのか、3人とも頷きながら席に戻った。
主任はその様子を後ろから見ていたが、黙って戻る彼らに特に問題はないのだなと安心した。
2日目の終わり、3人が主任のところに行って質問する。
「主任! あれ何です? 彼何です?」
連れてきた主任なら何か知ってると思って聞きに来たのだ。
始業から何かわからない小箱を叩いてた彼に理解が及ばなかったからだ。
だが当然彼もわからない。主任はあの道具を『シャシンを作る道具』としか知らないからだ。
「タタタッてしては紙に書き、またタタタッてしては紙に書き、気づいたら一束終わってました」
「デンタクって言ってませんでした?」
「もう紙に図は描いてませんでしたよ」
主任も聞かれてもわからないと答え、あれは彼が持ってる魔道具だと告げた。
「「「魔道具……」」」
3人とも絶句する。
だがそれならわからないのも道理だと納得できる雰囲気も漂う。
処理済みの束は一番早いガランドより少し多い程度だったが、それは彼が時折り手を止めて何か考え込んでたからである。
その際ぶつぶつ呟いていたのだが、耳にしたガランドは何を言っているのかはまったくわからなかった。
「彼……『セル』とか『マクロ』って言ってましたが、主任何か知ってます?」
主任は俺に聞くなと口を真一文字に結んだ。
3日目業務開始。
今日もスマホを取り出すと――『表計算アプリ』を起動する。
2日分の処理で科目がおおよそわかったので昨晩、簡単な表を作成してみたのだ。
依頼の種類ごとにシートを作成。
討伐なら害獣名、買取なら素材名を行の一番端のセルに記入する。
列の一番上に頭数や個数、状態の評価を設定し、各セルに数字を入れれば各通貨の枚数で表示される。
未設定の科目が出ればその都度調べ、セルに追加していく。
合計金額からギルドの手数料、源泉徴収の税額などを自動で差し引き、支払う金額を求める。
また、これとは別に四進数電卓の代わりになるシートも作成。
各通貨の枚数を入れるだけで繰り上げや繰り下げが自動で行われる。
たとえば小銅貨のセルに56と入力すれば、結果欄の小銀貨のセルに3、大銅貨のセルに2と表示される仕組みだ。
配達依頼や荷物運び等の単純作業の報酬算出、または購買の売上計算に使う。
そして必要なら当日処理分の全合計を見ることも可能。どの系統の依頼がどれくらいの売り上げを占めているかも一目でわかるようにした。
それでは書類を取り出し作業開始――だがいきなり戸惑う。
スマホでは画面が小さすぎて、実際何度も拡大縮小をしなければならず結構つらい。
まあ昨晩の時点で何となく察していたことではあるのだが……。
「打ちにくー!」「小っちぇー!」「キーボード欲しー!」
気づかず独り言を口にしながら作業していた。
パソコンを使う人あるある――ソフトの使い勝手や挙動に独り言を気づかず口走る。しかもたいていは悪態や舌打ちだ。
だが今回は楽しそうに笑っていたらしい。
というのも科目毎に作ったシートより四進数電卓のシートが思いのほか便利だったのだ。
結果、作業効率が大幅に改善され、一束の処理が早いと3分ぐらいで済むようになった。
初日が15~10分、二日目が10~7分ぐらいだったので、処理速度アップは明白である。
昨日の電卓使用時に彼らのペースを見てたので、真面目にやったら大差がついてしまうと理解していた。
なので少し手を抜き、依頼の内容を読むなどして時間稼ぎを多少なりともした。
だがそれでも算盤と表計算アプリ、馬車と車並みに速度が違う。
結局自分の担当分は終わってしまい彼らの分を回してもらうがそれも今日のうちに終わってしまった。
4人そろって終業前に暇になり、俺は主任に別室に呼ばれた。
3日目の終わり、片付いた書類の束を主任と経理の3人は眺めている。
「昨日よりさらに早かったんですが……」
「何か笑ってましたよね」
「凄い魔道具ですね」
主任は口元を手で押さえながら動揺を隠していた。
できる人だろうとは思っていた。しかし毎日が理解不能だと思ってなかったのだ。
ガランドも呆気に取られていた。
「遅れてた分、全部片付いちゃった……な」
ロックマンとレスリーがガランドに一応聞く。
「確認したんだよね?」
「見たのは全部合ってた」
2人は言葉を失っていた。
2日目も凄かったが今日はもうそういうレベルではない。
「昨日みたくタタタッてしてなかったです。何か……何というか……親指と人差し指で何か描いてるような……」
「見る見るうちに書類減っていきましたね」
「怖くて何してるか聞けませんでしたよ」
「昨日のデンタク……じゃないんでしょうか」
「箱は同じでしたよね……」
3人は口々に感想を述べる。
主任は「あれはシャシンも作れるんだよ」と言おうとしたが、混乱するだけだなと思いとどまった。
「どこの国の人でしたっけ?」
「ニホンという国だ」
ガランドの質問に主任は答え、その国の凄い学校の生徒だという話をした。
「とにかく凄い人連れてきてくれてありがとうございます」
「あの書類の束が片付くとは思ってませんでしたしね」
「主任! やめさせないでくださいね」
彼らは溜まっていた書類が片付いて歓喜していた。
4日目の業務開始。
朝早くから依頼の受付や冒険者登録希望の人などで受付は慌ただしい。
経理組も書類は他にもあるので引き続き算盤を弾き始める。
だがみんな意識は新人職員に向けていた。
『今日はこの人何をしでかすのだろうか』
しばらくして主任が奥からやってきた。手に何やら抱えている。
木の板ではさんである書類の束を俺の机にドサッと置き、さらに冊子を数冊置く。
上に見えた2冊――『運賃一覧』『素材価格一覧表』とある。
そして書類の板には『〇〇見積書』『〇〇行程運賃算出に関する依頼書』などと記されていた。
俺はそれを見てギョッっとした。
「ちょ……何ですこれ!?」
「ミズキさんには今日からこれをやってもらいます」
「はい!?」
書類をペラペラっとめくって中身を見る。
それは各荷馬車の大きさや価格、会社ごとの運賃、運送規模や運搬量、通過する領ごとの手数料および税負担、手配する人件費、護衛費用、過去の派遣依頼時の参考資料など――
昨日の業務とはまったく違う内容の束である。
「いやいやこんなんわかりませんよ! 経理の勉強してませんし! 畑違いですよ!」
経理の3人はおおっと驚き、笑みを浮かべて見ている。
そもそも領や国に納める税や通行手数料の取り扱いなどは、この国の制度も知らない人間がやることではない。
「これ国に精通してる人がやるやつですよね……どうしたんです?」
「財務から練習用にもらってきました」
「練習!? なんで?」
俺の慌てっぷりに受付嬢達も興味本位でこちらを向き、店内の客も一体何が始まったのかと成り行きを見ている様子。
「あまり深く考えずに勉強だと思って。――勉強……得意でしょ?」
「なっ……」
お客様モードが終わった教官みたいに一気に難易度上げてきた。
昨日、別室に呼ばれた際、初日からの仕事っぷりを根掘り葉掘り聞かれた。
特に表計算アプリを実際にスマホで動作する様を見せたら食い入るように魅入っていた。
それが今日のこれか……やはりもっと手を抜くべきだった。
だがそこは理系学生の性、いかに問題を効率よく解決するかを考えずにはいられなかったのだ。
そして冊子の束に経理と関係ないものを見つける。
「ん……『素材鑑定』って冊子があるんですけど!?」
「ああ、暇なとき読んでみてください。薬草や魔獣の素材鑑定の見方が書いてあります」
「は!?」
「――興味おありでしょ?」
主任はほくそ笑み、俺はぐぬぬといった表情。
皆はクスクス笑いながら眺めていた。
◆ ◆ ◆
数日後、タランがギルド長に書類を持参する。
コンッコンッ
「失礼します」
タランが部屋に入ると、副ギルド長がいた。
「購買からの書類をお持ちしました」
「ご苦労」
そう言ってギルド長に渡すとスッと机の隅に置くと、
「見なさいよすぐ!」
ティナメリルが表情変えずに叱る。
こ煩いババァだなぁという顔をしながら渋々目を通す。
「そー言えば彼、凄いんだってな」
「ええ、依頼算定や報酬支払の書類の束一気に片付けちゃいました」
「ほぉー……で何か見たか?」
「はい」
ギルド長の耳にも瑞樹の活躍の話が伝わっていた。
タランは鉛筆や消しゴム、スマホの電卓や表計算アプリについて説明する。
「あの箱そんなこともできるのか!」
「ええ」
副ギルド長は興味なさそうにドアに向かう。
「それでは失礼します」
「彼、相当頭いいですよ。近いうちに紹介します」
タランがすかさず彼女に告げたが、何も言わず少し頷いて出ていった。
「相変わらず人間に興味ないな。まーエルフだから仕方ないが――」
ギルド長の苦笑いに彼は少し困った表情を見せた。
だが彼には確信があった――
副ギルド長はきっと彼に興味を示すはずだと。
「で…今何させてるんだ?」
「素材価格の冊子を渡して読んでもらってます。遠征費用の見積の練習でもやってもらおうかと」
「できるのか!?」
「初日は中身見てるだけでしたが、次の日からはデンタクで何か計算し始めてました」
「ほぉー……」
ギルド長は瑞樹の計算能力の高さに驚く。
「あれは算定だけ頼まれたものなので、うちの国について勉強してもらうつもりでお願いしました。正直数日分の業務を片付けられちゃいましたんでね」
主任は彼を引き留めて本当に良かったと内心喜んでいた。
「他の2つには内緒だな」
ヨムヨム冒険者ギルドとアーレンシア商業組合の事だ。
「どーでしょう。もう噂ぐらいは耳にしてるんじゃないですか?」
「あいつら敏いしな」
引き抜かれないように気を付けよう……とお互いの目は語っていた。