62話 ラッチェルとシャボン玉
休み明けの次の日。
昼前で少し客足が落ち着いている。
俺は精算業務で表計算ソフトに金額を打ち込んでいる。
すると突然店内がざわっとした。
顔を上げると、とある親子のシルエットが玄関に見えた。
その姿に思わずにんまりする。
行商人のルーミルと娘のラッチェルだ。
ルーミルが帽子を取り、その横にいるラッチェルが手を振る。
んーと……実に2ヶ月ぶりだ。
「いやーだいぶ遅くなって申し訳ない。道中トラブルがありまして……」
「トラブルですか……それは大変でしたね」
俺はキャロルの横へ行き、カウンター越しに挨拶する。
ラッチェルがそばまで来るとすぐに違和感に気づく――明らかに背が伸びている。
今回は胸から上がカウンターから出ているのだ。
相変わらず猫人の成長は早い。
俺がラッチェルに話しかけようと――するとルーミルがラッチェルに耳打ちする。
「ほらラッチェル、言ってごらん」
「……こ…こんにち…は、……ラッチェル…です。…よろし…く」
一瞬何かわからなかった。
だが受付嬢たちは意表を突かれた様子。嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
そして3人揃って「よろしくー」と挨拶を返した。
あーなるほどね。キャロルに小声で確認する。
「今のマール語?」
「はい」
驚いた表情でルーミルを見る。彼は得意気に猫独特のにんまり顔をしていた。
なるほど……ラッチェルがマール語の勉強を始めたのか。サプライズしたかったのだな。
頑張りを褒めてやろうと頭を撫でてやる。
「ラッチェル、上手だな!」
「えへへー」
「マール語の勉強中なんですよ」
「ほぉー」
2ヶ月でこれか……と学習能力の高さに驚く。
常に現地の言葉に接していれば習得も早いのだろうか。
そういや海外へ移籍したスポーツ選手は、だいたい1年後ぐらいにはしゃべってたりするもんな。
次来た時はもっと流暢になっているんだろうな……。
今日は外が少し風が強くて肌寒い。なので店内で話をしよう。
初めて会った日に座った壁際のベンチに案内する。
トラブルについての話を聞く。
彼らが山間の村に行商に行った帰り、道路が崖崩れで通行止めになってしまったという。
そして復旧までに時間がかかったそうだ。
「それは商売にも影響でちゃったでしょ」
「まあ多少は……」
1ヶ月も山村に足止めを食らえば収入は断たれるし予定も全部潰れる。
その予定の一つに俺のタバコの件が含まれていた。
「タバコも切れちゃってたでしょ?」
「あ、いや…前がっつり買ってたんで大丈夫でしたよ」
とは言ったが実は半月も前に切れていた。なので店を調べて少し購入していた。
俺の言葉にルーミルも商売柄察してはいるだろう。特に何も言わずにいる。
「10包用意してきました」
「おおー助かります」
ウエストポーチから大銅貨2枚と小銅貨2枚を出して渡す。
そういやラッチェルは紙飛行機を持っていないな……さすがに失くしたか。
それとなく聞こうかなと思ってたらルーミルが先に口にした。
「そういえば瑞樹さん、紙飛行機大人気でした」
「ん?」
どうやらすごく客引きになったらしい。
ラッチェルが先々で紙飛行機を飛ばしてみせると、人々が珍しがって寄ってきたそうだ。
だが途中で風に煽られ見失ってしまったという。
俺が気にするなとは言っていたが、やはりそれなりにがっかりしたという。まあそうだろうな……。
「そうそう、次来た時にラッチェルに渡そうと思ってたんだ」
俺は机に戻ると、絵が描かれた紙を取りラッチェルに渡す。
「それは前回作った紙飛行機の作り方を絵にしたものでな、これがあればまた作れるかなーと思ったんだが……」
彼女の手に目をやると、猫の手だ。
人間の手の形をしていないことに今更気づく。
「その手じゃちょっと作りにくいか……」
するとルーミルがフォローしてくれた。
「私たちも人間の社会に溶け込んで生活してるので、そこまで難しいことはないんですよ」
「ほおー」
「ただ行商では紙を中々手に入れられないのでそっちが問題ですかね」
「ふぅん……」
ホントかなー……と猫人の器用さに驚く。
ラッチェルの手を見ながら思う。もしかしたら話を合わせてくれたのかもしれないな……。
それに紙飛行機というのは、実は作るのがかなり難しい。飛行機の知識がないこの世界の人々にはなおさらだ。
なのでもう一度作って渡しとく。
少し世間話をしていると、ルーミルが煙管を出して火をつける。
俺はそれをじっと見て、ある物が思い浮かんだ。
「そうだラッチェル、またいいものを作ってやろう」
俺の言葉にラッチェルはキョトンとする。
「ちょっと準備するんでお時間大丈夫ですかね?」
ルーミルを見ると、大丈夫と頷いた。
「絶対また気に入るぞ。そしてこれ……絶好の客引きになりますよ」
俺はいたずらでも思いついた子供のように席を立った。
ギルドの薬草を扱ってる部署へ向かい、茎が筒状になっている草を数本もらう。
それと近くの料理店へ行き、ハチミツを少し分けてもらう。
顔は覚えてもらっているので「お金はあとで」と告げる。
最後に水を入れたコップを用意し、ウエストポーチから洗顔に使う石鹸を取り出す。
俺がそそくさと動き回っているのを手空きのキャロルはじっと見つめている。
客の応対をしているラーナさんとリリーさんも、チラチラとこちらに視線を送っている。
「よし準備完了。じゃあやりますね」
ルーミルもラッチェルも興味津々で見つめている。
「これはただの水です」
石鹸をナイフで削ってコップに入れる。
そして混ぜて粘度を見ながら溶かす量を調整する。
そこへハチミツを少量(小さじ1杯程度)入れる。
次に長い草の茎の先端に切れ込みを6つ入れて広げる。
広げた茎の先端をコップにつける。
そして取り出して息をゆっくり吹き出す。
すると――茎の先端に大きなシャボン玉ができる。そして放たれて空中に舞い上がった。
「う…うわぁぁあぁ!」
突然現れた虹色に変化する丸い玉。
ラッチェルは目をまん丸にして喜んだ。そしてスッと立ち上がり、釣られるように追いかける。
ルーミルは眼光鋭くなり、飛んでいる玉を目で追っている。
人間とは少し違う反応に思える。
猫の、動くものに興味を示す本能かな……そんな気がした。猫人も同様なのかも。
その様子に思わずにやりとした。
シャボン玉がふわふわとギルド内を飛んでいく。その様子に店内の人たちも驚きを隠せない。
キャロルも指さして立ち上がった。
「ほいラッチェル、やってみ!」
彼女にやり方を教える。
「吸っちゃダメだぞ」
茎に口をつけてゆっくり吹く。
すると大きなシャボン玉ができ、宙に舞った。
ラッチェルに渡した茎は、猫人の煙管のように長い。
猫人は短い棒状のものが咥えられない。
顔が猫そのまんまで、口の位置が鼻下よりだいぶ奥になっているせいだ。
人用の紙巻きタバコなんか吸ったら髭や毛が燃え上ってしまう。なので煙管でないとタバコが吸えないのだ。
ラッチェルがシャボン玉で楽しんでる間、ルーミルにシャボン液の説明をする。
「水に石鹸を溶くと泡立つの知ってます?」
「……何となく」
思わず苦笑い。だが仕方がない世界だ。
風呂もない。石鹸は体に擦りつけて洗う。洗濯は重労働でとっとと済ませたい作業。
このような生活スタイルでは石鹸水に興味を抱くことはない。
遊ぶという発想は絶対に生まれない。
「でもそれだけだとあんな大きな玉にならず、すぐ破裂しちゃうんですよ」
ルーミルは真剣に聞いている。
「で、これが秘密の液体……ハチミツです。これを少量溶かすと液が粘っこくなって割れにくくなるんです」
「なるほど」
現代日本だと砂糖水が楽なのだがこの世界では逆。砂糖が高価で手に入らない。
「それにね……人が膨らまさないと、空、飛ばないんですよ」
「そうなんですか」
うんうんと頷く。
シャボン玉が飛ぶ理由は『外気より呼気の温度が高い』からだ。
石鹸を溶かした水で泡立ったとして、その泡を吹き飛ばしてもそのまま落下するだけ。
わざわざ息で膨らますという行為をして初めてシャボン玉は飛ぶ。
購買で『小さな試験管サイズの竹筒』を5つほど買う。
それにシャボン液を入れた。
「こういう容器に前もって作っとけば、『シャボン玉用液』として売れますよ」
売れるという言葉に興味を示すかと思いきや、いまいち反応が薄い。
もう一押しするか。
「うちの国ではこれ、おもちゃとして売ってます」
「ほおー……」
今度は反応した。
まあ彼も商人なので、その辺の勘所はそのうちわかるだろう。
ラッチェルの遊び道具としてネタを提供しただけだしな。
ちなみに容器は、粉末の薬を溶かして入れておくもので、ゲームのポーション瓶と同じと思えばいい。
蓋は木の栓になっていて、指で開けやすい構造になっている。
「石鹸はお持ちで?」
「ええ」
「じゃあハチミツを常備しとけば、どこでも作れますよ」
「ふむ……」
「容器も別にこれにこだわらず、適当な小さな入れ物でいいです。茎はそれこそ何か細い筒なら何でもいいですしね」
指でルーミルの持つ煙管を指さす。
「それを見て思いついたんですよ」
その言葉に彼は感心するように頷いた。
「人に売る場合は茎は短くていいです。俺の吸ってるタバコぐらいで大丈夫」
「なるほど」
「売る売らないは別にして、ラッチェルにシャボン玉を吹かせれば、空飛ぶものを見てまた人が寄ってきますよ」
先ほどの客寄せになったという話を引き合いに出す。
紙飛行機だと失くしちゃうけど、シャボン玉なら失くさないでしょ……という意味だ。
それを理解したのか、ルーミルは目を細めてにやりと笑った。
「ラッチェル、茎貸して」
俺はタバコに火をつけ、一息吸ってからシャボン玉を膨らます。
すると玉の中に煙が溜まり、見る見る大きな白い玉ができあがる。
それを宙に飛ばし、手で風を送って少し高く舞い上がらせる。
しばらくして地面に落ちると、破裂して床に白い煙がもわっとなった。
ラッチェルはその光景にキャッキャとはしゃいだ。
そしてお別れの時間。
「またぜひ寄ってください。タバコは急がなくても大丈夫ですから」
「わかりました」
シャボン液を入れた容器をラッチェルに渡し、また遊びにおいでと別れた。
席に戻る際、主任が何か言いたげな様子。
理由は俺がギルド内で遊んでいたからだろう。行商人と商売の話をしていたんだけどなー……。
まあ先に謝ったのでお小言はなかった。
客が数名だったからよかったものの、ごった返してたら迷惑かけていたしな。
そして皆がシャボン玉について質問したので、これも日本の遊びですと説明した。
「瑞樹さん、あれ私にも!」
キャロルが自分を指さしてせがむ。
コップと茎を渡すと、すぐさまその場で吹いた。
しかも思い切り吹いたので、たくさんのシャボン玉がギルド内に舞い上がった。
「「キャロルー!」」
彼女はリリーさんと主任に叱られた。