5話
宿屋までの簡単な地図をいただく。
手際がよかったので、この手の案内はよくあることだろう……。
「……ここかな?『白い鳩の宿』」
ドアを開けると鈴がチリンとなる。
すると宿の従業員らしい女性が出てきた。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
「ええ。冒険者ギルドのタランさんに紹介されて来ました」
「はいはい」
女将さん然とした恰幅のいい女性。
ギルドの紹介ってことかで温和な対応な気がする。
「1泊小銀貨1枚、食事は1食小銅貨2枚」
「えっ」
思いっきり焦る。
お金のことをすっかり忘れていた。
こちらの通貨は亡くなった冒険者のバッグに入ってた4人分のお金をパク――頂戴したものだ。
だが銀貨など入っていない。
慌てて小袋の通貨をテーブルにバラバラっと広げる。
そして女性を見る。
すると彼女はスッスッと大きな銅貨4枚を指でよける。
「食事はどうします?」
もちろんお願いしますと答える。
するとさらに小さな銅貨2枚をよけた。
そして彼女は食事券と部屋の鍵を渡してくれた。
「食堂は隣だから」
「あ、あの……体を洗いたいんですが風呂はありますか?」
女性はきょとんとした表情だ。
「フロ? 何だいそりゃ……体を拭くならそこの水場で頼むよ」
「水!? ……マジか!」
がっくりした足取りで部屋に入る。
ベッドに腰かけて心の中で絶叫した――
お風呂ないんかぁああああああああああい!
風呂なし文化の国に飛ばされたことにショックを受け思わず目を閉じた。
食堂へ行き、テーブルに着いて給仕の女性に食事券を渡す。
しばらくするとトレーに乗った食事がやってきた。
『サラダ』『たぶんトマトベースのポトフ』『黒っぽい丸パン』
コンビニ弁当以来のまともな食事に感激して顔がにやける。
まずはポトフを一口。
「…………うっす!」
出汁が薄く塩味がする程度。あと胡椒が利いてない。
飽食の時代から来た日本人には少し物足りない。
だが久々の汁物で体は正直に喜んでいる。
次にサラダを一口。
「…………すっぱ!」
酢がかかっている。
数日酸味を味わってなかったので強めに感じたのかもしれない。
そしてパンを手に取る。
「…………かった!」
これはめちゃくちゃ硬い。
結構強く力を入れて半分に割る。
メリメリっと音がする。
周りの人を見やるとパンをそのまま頬張っている。
みんな歯が頑丈なんだな。
俺は顎を痛めそうだったのでポトフに漬けてから食べる。
やれやれ……まともな飯にありつけてやっと落ち着いた。
食後、部屋に戻ると久しぶりのベッドに喜ぶ。
だがこんなことで喜べる今の自分の境遇は、相当つらい立場にあると思い知らされる。
腹も満たされどっと疲れが出てきて眠い。
1日中歩き続け、その最後にやらかして精神的に参っていた。
もはや何も考える気が起きずそのまま眠りについた。
◆ ◆ ◆
ティアラ冒険者ギルドのギルド長室。
タランが先ほどの騒動の経緯を報告に来ていた。
「彼はどうした?」
「宿を紹介してほしいと言われましたので『白い鳩の宿』を紹介しました」
ギルド長は深いため息をつく。
「タラン……あれは何だ?」
「私もわかりません。見たことがありません」
彼は首を振る。
ギルド長は先ほどの出来事を思い返す。
「スマホ……と言ったか。風景を切り取って写真にする道具だと」
「まるで本物の死体を見たようで……正直いまだに信じられません」
2人ともその旅人が話していた内容がほとんど理解出来ていない。
「何処の国の人間と言ってたか……」
「えーと……ニ…ホン、だったかと」
「聞いたことない国だ。おまえは?」
「いいえ」
ギルド長は腕組みをして再び深いため息をつく。
彼が何か騒動を起こすのではないかと懸念していた。
「彼は今後どうすると?」
「特に何も。報告に来たとしか言ってませんでしたので……」
タランは彼のことが気になっていた。
服装、物言い、そして立ち居振る舞い……あれで庶民なんだろうか。
そしてあの不思議な道具――
旅の途中なのだろうか。どこへ行くのか聞いとけばよかった。
だが宿泊場所はわかっている――明日の朝早くに訪れてみよう。
コンッコンッ
突然ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
「失礼します」
女性がギルド長室に入室する。
彼女はタランを気にする様子もなくそのままギルド長へ書類を手渡す。
「ロキ、商会ギルドからの書類、それと先月の収支報告です」
「ご苦労」
彼女は2人を交互に見やり、いつもと違う雰囲気を感じ取る。
「何かありました?」
透き通るように輝く金髪、色白で容姿端麗、そして彼女の顔には特徴的な笹葉のような耳が付いている――
エルフである。
女性の名はティナメリル――ここの副ギルド長だ。
「うちの配達依頼を受けた新人冒険者が森で亡くなった……という報告を受けたんです副ギルド長。で…その報告に旅の方が来られたんですが、その方が見たことない道具を出されまして……それでちょっと――」
「知らんか?『風景を切り取って持ち帰る魔道具』のようなものを……ティナメリル」
タランとロキの説明は要領を得ない。
「言っている意味がわかりませんよ」
「だろうな。わしも言っててよくわからんからな」
タランが副ギルド長に経緯を説明した。
「……要するに死体が入っていると勘違いして、騒ぎになったということですか?」
「ええ、ただその道具――魔道具だとは思うんですが、見たことないものだったので興味というか懸念というか――」
写真というものを見てない彼女には、死体と勘違いしたと言われてもまるでピンと来ない。
「結局勘違いだったんならいいじゃないですか」
冷めた物言いに彼らもそれで話を切り上げた。
◆ ◆ ◆
ドンドンドン、ドンドンドン
ドアを叩かれる音で目が覚めた。
気づくとスマホにセットしてたアラームが鳴っていた。
時刻は8時過ぎ。久しぶりのベッドで寝過ごしたみたい。
「は…はい!」
返事してアラームを止めた。
部屋を開けると昨日の女将さんが不審そうな顔をして立っている。
「この部屋から気味悪い音がしてたんだけど、何だい?」
「あ~~……」
アラームのことだ。
「目覚まし用のアラームをセットしてたんですが、気づかずに寝過ごしちゃってまして……」
すぐに話が通じてないことに気づく。
「時間通りに起きられるように音が鳴る道具がありまして……それが鳴ってただけです。ここのベッドが気持ちよくて気づかずに寝過ごしてました」
悪気はなかったという顔をしながら謝ったら気を付けて頂戴と戻っていった。
早朝からやらかしである。
当たり前すぎて今朝まで気づかなかった事がある。
異世界に来たのに時刻がスマホの時計とほぼ同じだ。
これは経度が同じ地点にいるということを意味している。
そして地球で7月だった気候と同じぐらいこの地も暖かい。
なのでおそらく緯度も同じと思われる。
つまりここ――
場所的に日本列島かもしれない。
飛ばされた座標が一緒なのだろう。
ただし人種は欧米人か白人系――確実に大和人じゃない。
なので日本列島かどうかはわからない。
世界地図があるなら見てみたいものだ……あると思ってないけど。
洗い場に行くと2人ほど先客がいた。
1人は素っ裸で水を被って体を拭いている。
もう1人は腰にタオルを巻き、ナイフで髭を剃っている。
井戸のそばで素っ裸で洗う世界か……本当につらい。
だが5日も歯も磨いてなきゃ髭も剃っていない。
ちゃちゃっと服を脱ぎタオルで体を拭く。
下半身は念入りに。
ほぼ室内オンリーの生活をしていた俺は、まったく日焼けしていないので肌が色白い。
対して彼らは実によく日に焼けている。
比べて恥じる必要はないがやはり恥ずかしい。
そして生活用品がまったくない。
買い物をしたいと女将さんに話し、雑貨街を教えてもらった。
朝食はどうするか聞かれたので、外で食べると言って宿をあとにする。
雑貨街に行く道中、料理屋台がいくつか出ている。
そのうち鉄の串に刺した串焼き肉が美味しそうだったので買ってみる。
1本で大鉄貨2枚。少し考えて小銅貨を渡すと2枚の大鉄貨が戻ってきた。
「大鉄貨4枚で小銅貨1枚、宿は大銅貨4枚が小銀貨1枚だった。おそらく小銅貨4枚で大銅貨1枚だな。四進数か」
そんなことを考えながら食べる。
香辛料の匂いがキツかったが久しぶりのジューシーな肉が嬉しい。
雑貨街を見て回って、シャツとズボンを1着、下着は2着購入。
パンツスタイルで安心する。
髭剃り用っぽいナイフを見かけたが大銀貨とか書かれてたので無理。
だが露店で髭剃りをしている人がいた。
ボロボロの薄汚れた木板に『小銅貨1枚』と消えそうな字で書いてある。
「うーん……」
さすがに躊躇する。
タンクトップに半ズボンの痩せたちょび髭おやじ――信用するには勇気がいる。
だがいい加減髭がうっとうしい。正直怖かったが意を決して剃ってもらおう。
作業中不安でずっと目を開けていた。
するとものの数分で剃り終わった。
手際の良さに感心……びっくりだ。
思わず顔がほころびサムズアップ。剃り師もニヤリとサムズアップ。
このオヤジ、ノリノリである。
少し歩くと川にでた。
橋の上で川面を眺めながら一服。
橋から少し行った先は冒険者広場らしい。
何組かのテントが見え、いかにもな雰囲気にホントに異世界なんだなと途方に暮れる。
まだ宿に泊まれるお金はあるが、稼ぐ手段をどうにかしなければならない。
そんなことを考えていたら少し外れたイントネーションで俺の名前を呼ぶ声がした。
「……ズキさん! ミッタライミズキさん!」
振り返ると昨晩ギルドであった男性だ。名前はえーっと……。
「……タランさん!」
彼が手を振って駆けてきた。
吸ってたタバコの手を止め黙って会釈する。
「宿の女将さんから雑貨街に行っただろうと聞いて探してました」
タバコを消して携帯灰皿へ。
もう日本じゃないのでポイ捨てしても文句言われないだろう。
だが肩身の狭い思いで吸ってた習慣は簡単には抜けず、異世界に来ても律儀に環境に配慮して吸っている。
「どうしたんです?」
「もう一度ギルドへ来ていただきたいんですが」
「なぜ?」
「頂いた薬草の報酬が確定しましたんで、お支払いしたいと……」
「それは別にいいと言ったはずですが……」
昨日の出来事があったせいで正直関わりたくなかった。
たしかに最初は報酬もらうつもりだった。
だが昨晩の件で売却を申し出る気も失せ、詫び料代わりに置いてきた。
得体のしれない不審人物として何されるかわからなかったし……。
さっさと逃げたかったのだ。
ところが彼は追ってまで払いたいと言ってきたのだ。
俺はあまり人の裏を読む能力はない。
しかしその俺でもこれは別件があるなと感じる。
おそらくスマホの件だろう。
「少しは足しになりますし……」
そう言われるとさすがに心が惹かれる。
手持ちの路銀が少ないのも事実、ナイフも買えなかったしな。
森に迷ってここに来たという話もしたしな。
手持ちも少ないだろうと読まれたか……。
「…………わかりました」
こうしてまたギルドへ行くことになった。
ギルドへ向かう道中、案の定こちらの素性やスマホについてあれこれ質問してくる。
特に隠す必要もないので素直に答えた――素直にね。
「ニホンでは何を学ばれてたんですか?」
「情報工学です」
「それは何ですか?」
「スマホみたいなものを作ったり、動かすアプリを開発したりする人材を育てる学問です」
「ミズキさんもスマホ作れるんですか?」
「いやいや、学生ですのでまだまだ」
「ではそのうち作れるようになるんですか?」
「いえ、研究が違いますから私は無理ですね」
「じゃあ何を作るんです?」
一瞬間を置くと、前を向いたまま自分が研究していた卒業論文の内容を話す――
「AIを運用するための新しいプログラミング言語の開発と、それを用いた株式投資の自動売買システムの構築をテーマに卒業論文を書いてました。でもずっと麻雀やネトゲで遊びまくってるので全然進んでなくて、教授が激おこでした」
そう言って笑ったあと、少し意地悪い顔で彼を見やる――
「私の言ってること……全然わかんないでしょ」
「……ええまったく」
彼は観念したのか、あとは他愛もない話をしながらギルドまで向かった。
ここまででわかったこと――
俺の言葉は話す相手――今だとマール語に翻訳されている。
だが全てではなく、写真という単語のようにこの国にない単語は日本語読みのまま伝わっているみたい。
なので今後は相手に内容を伝えるにはなるべく簡易な単語を使うように心がけないといけない。
決して「死体を撮ってきた」だの「実物を見たほうが早いでしょ」などと言ってはいけないのだ。