46話
ローゲンウルフ――大陸全土に生息する狼が魔獣化した存在。
毛皮は白色、茶色、灰色、黒色が混ざっているが、マルゼン王国の南の森で見られるのは黒色が主だという。
魔獣化すると単一家族で生活し、縄張り意識は強く、場合によっては大型獣にも襲い掛かる。
そんなローゲンウルフのある親子。
人間の単位でいう生後3ヶ月にあたる2匹の子供たちを連れて森を散策している。
どうやら父親が子供たちに狩りをする様を教える気になったようだ。
「いいかお前たち……獲物の狩り方はな――『ガッと行ってバッとやってダーンだっ!』」
飛んで跳ねて前足をガッと振り下ろす仕草をする。
振り返って子供たちにドヤる。
「母ちゃんあれ何? 母ちゃんあれ何?」
「ふふふ」
子供たちはお出かけが楽しくて見ちゃいない。父ちゃんしょんぼりだ。
父ちゃん、その説明じゃわからんよ。
今日はやたらと張り切っている。
いつもやる気なさそうで母ちゃんの私が頭をどつかないと狩りにも行きゃしないのに。
どうやらこの子たちにいいとこ見せたいようだ。
しばらくして父ちゃんが獲物の気配を察知!
ちょいと大きそうだ。んーフゴフゴいう奴だな。
たしかに獲物の気配がするな。
だが父ちゃん……母ちゃんはどうも違う奴のような気がするのだが……。
父ちゃんが子供たちに目をやる。
「よぉし父ちゃん頑張っちゃうぞー!」
相手の姿は背の高い茂みに遮られて見えない。
だがこちらも悟られずに進めるので好都合だ。
父ちゃん調子に乗ってずんずん進む。そろそろ獲物がいるはずだ……と。
そして茂みが途切れる。
『野生のグレートエラスモスが現れた』
「うぉ!? 何だお前! 何だお前! デカいなお前! 何だお前! 邪魔だぞお前!」
「父ちゃん! 父ちゃん! それフゴフゴ言わない奴だよ! 灰色のデカい奴だよ! 父ちゃん!」
「やんのかお前! やんのかお前! 父ちゃんいいとこ見せちゃうぞ! やんのかお前!」
「父ちゃんダメだよそれ! 強いよそれ! 逃げようよ父ちゃん! 父ちゃん聞いてる?」
初めて見る大動物に興奮して頭に血が上っちゃってる父ちゃん。
必死に止めようとする母ちゃんの声は届かない。
「父ちゃんの戦うとこ見せちゃうぞ! ガッと行ってバッとやってダ――」
――――ドカッ!
父ちゃんが飛び掛かろうとしたところへグレートエラスモスの突撃!
『グレートエラスモスの攻撃! 父ちゃんは致命傷を受けた!』
「父ちゃあああああん!」
瞬時に避けようとしたが間に合わなかった。
食らって捻るように吹っ飛ばされた。
奴の巨体が体をかすめて腹部を強打。
あばら骨を数本骨折し内臓も損傷、肺にもダメージが及んだ様子。
そして既に意識が飛んでいた。
母ちゃんは目の前の出来事に絶望した。
「父ちゃんやられた! 父ちゃんやられた! このままじゃマズい! この子たちがやられてしまう!」
母ちゃん即座に子供たちに目をやる。
見ると子供たちはじっと茂みの中に潜んでて隠れてた。
察しのいい子たちだ。
「お前たち賢いぞ! 父ちゃんより賢いぞ! そのまま隠れてるんだぞ!」
子供たちが聞いてるかわからないがとにかく出るなと命令する。
母ちゃんがグレートエラスモスを子供から引き離そうと囮になって注意を引く。
「こっちだぞ! こっちだぞ! 母ちゃんこっちだぞ! やるぞお前! やるぞお前!」
グレートエラスモスは一頭仕留めたことを確信した様子。
そしてもう一頭のほうへ目をやる。
どうやら恐れをなして逃げようとしているのだなと、小型獣に対して余裕の態度で体を向ける。
母ちゃんは奴の注意を引きつけながら子供たちから距離を取る。
「母ちゃんこれでも父ちゃんと一緒になる前は森で一番べっぴ――」
奴は前足を2回タッタッと蹴り上げたと思ったら突撃!
マズいと思ったが遅かった。
――――ドカッ!
『グレートエラスモスの攻撃! 母ちゃんは致命傷を受けた!』
反射的に後ろに飛び去ってダメージを軽減する。
だが奴の巨大な角がまともに体にヒット。
体が押しつぶされるような感覚を覚え吹っ飛ばされた。
ゲホッ…ゴホッ…息が……できない。これは…もう……だ…ダメかも……。
母ちゃん息できない……口の中に血がドバっと出てる……これもう死んじゃうね……ごめんね……。
奇跡的に意識を失わなかった。
しかし直撃した時点で既に死を覚悟していた。
体はまったくいうことを聞かず動かない。
痛みも激しく呼吸もだんだん苦しくなる。
ダメな父ちゃんと母ちゃんでごめんね……お前たち二人で何とか生きるんだよ……。
ああもう意識が遠くなる……息が苦しい……もう……ごめんね。
遠のく意識の中、奴がドタドタ走り回ってる震動が響く。
何が起きているのかまったくわからない。
そしてものすごい音がしたと思ったら急に静かになった。
ゲフッ……ウッ……もう息ができ……な……んん?
何だか普通に息ができるようになった気がする。
でもこれ死んじゃう前兆だな。体も痛くて全然動けないし……けど……。
あれ? さっきより呼吸が楽だな。気のせいかな……。
おかしいな……すごく楽になった気がする。
まあいいや、もう何か眠い……ごめんねお前たち。
母ちゃんこのまま死んじゃ……スピー…スピー…。
痛みと疲労でよくわからないまま意識を失った。
目が覚めると辺りが明るい。
朦朧とする意識の中で何かがうろうろしている事に気づいた。
ん? 何か来た…………あれ? 人間? あ、いなくなった。
気のせいか……あ…また来た。やっぱりいる。
どうして人間がいるのだろう……あのデカい奴はどうしたのだろう。
いろいろわからない。
これはひょっとして死んじゃって見ている光景なのだろうか。
何か言ってる……よくわかんない。でもいい匂いがする。
とても美味しそうな匂い……肉の匂い。
ああこれ死んじゃうから夢見てるのかな。
せめてあの灰色の奴倒してそいつの肉喰らってやりたかった。
悔しいな……あいつの肉喰らって……肉……あれ?
これ夢かなー……夢にしては肉が美味しそうだなー。
しばらくして頭が動かせることに気づく。
ゆっくり上げて辺りを見渡す。
すると人間が例の灰色の奴に乗っかって何かしてるのが見える。
あ……何か動いてる…………人間だ! すっごい肉の塊が置いてある。
もしかしてあの灰色のデカイ奴倒したのかな。倒したのかな。凄いな。倒したのかな。
そして横を見ると父ちゃんがいた!
あれ? 父ちゃんいるぞ! 何で父ちゃんここにいるの?
もう2人で死んじゃった?
ん? あれ? 子供たちも何でいるの? お前たちも死んだの?
家族揃って死んでしまったの!?
いやこれ死んでないな、生きてるっ!!
家族揃っていることに気づくと、自分たちは死んでいないことを知る。
程なく人間がやってきた。
一塊の肉を私たちの前にボトッと置く。
伏せて目をつむり、起きてないふりをする。
「これでも食って元気出せ。じゃあな」
声に反応して左耳が一瞬ピクッと動く。だが人間には気づかれなかった。
あれ? この人間が言ったことわかる――これ食べろって言われた!
あ……そして人間は去っていく。
そういや母ちゃんから人間の匂いがする。
あ、父ちゃんからもする。この子たちからもする。
『もしかして、助けてくれたのかな?』
まあいいや、家族みんな一緒ならいいや。
もう少し寝よう。そして起きたら考えよう。
どうやら生きてるみたいだ。よかったな。みんな生きてるみたいだ。よかったな。
体はまだ動かすには厳しい。
父ちゃんはまだずっと眠ってる。子供たちも眠ったままだ。
まあいいや、もう少し休もう。
そして母ちゃんは再び眠りについた。
キャンキャンする声に目を覚ます。
見ると子供たちが肉をペロペロガシガシしてる。
辺りをうかがってみると誰もいない。大きな肉の塊が落ちているだけだ。
まだ体が痛いが頑張って体を起こす。
どうやら体が動くようだ。
そして気づく――
体が治ってる! なんで!?
少し駆けてみる……全然平気。
吹っ飛ばされて痛かったところも治ってるみたい。
父ちゃんに近づいてよく見る……父ちゃんにも傷一つない。
緩やかな寝息が聞こえるだけだ。
バシバシッ!
父ちゃん起きて! 父ちゃん起きて!
母ちゃんのパンチで父ちゃんも目を覚ます。
自分に何が起きたのか理解できずにぽややんとしている。
そしてハッと目を覚まして叫ぶ。
「俺はやるぞ! 俺はやるぞ! お前倒すぞ! かかってこい!」
「父ちゃんそれ終わった。もう終わった。あいつ死んでる。あいつ死んでる。あいつあの肉の塊。あれあいつ。」
「俺はやる……ん? 死んだって? あホントだ。肉の塊。肉の塊だ。母ちゃん凄い! 母ちゃん倒したのか!?」
「違う、母ちゃん違う。人間、人間倒した。強い人間倒した。父ちゃん人間の匂いするでしょ?」
自分をスンスンする。
そして母ちゃんスンスンする。
それから子供たちをスンスンした。
「人間の匂いがする。あれ? 父ちゃんの体すごい平気。体痛いけど痛くない。なんでなんで!?」
「人間が治してくれた。見てなかったけど治してくれた。人間すごい! あいつ倒して治してくれた」
すごいな人間……あいつ倒したのか!
父ちゃんも起きて体の具合を確かめるように辺りを駆け回る。
母ちゃんも伸びをしたりして調子を確かめている。
子供たちはずっと肉をガシガシしっぱなし。
「それであれどうするんだろ。ほっとくのかな?」
「母ちゃんわかんない。何か言ってたんだけど母ちゃんもぼんやりしててわかんなかった」
「そうか。でもあんだけすごい肉、捨てて帰らないよな。すごい肉だもんな」
「きっとあれ置いてあるだけだよ。あれ人間のだよ――」
『あれきっと取りに戻ってくるよ』
狼の感覚では狩った獲物を放置して帰るなどということはありえない。
必ず取りに戻ってくると思うのが自然だ。
「じゃああれ守らないといけないな。置いてあると他の奴が取りにくるよな」
「そうね父ちゃん。だから母ちゃんたちで守っとかないといけないね」
「そうだな。父ちゃんと母ちゃんで人間戻ってくるまで守ろうな」
父ちゃんと母ちゃんは人間がここに戻ってくると信じている。
あの肉を守ることに決めたようだ。
「ところで母ちゃん、血で臭いよ」
「父ちゃん、それはあんたもだよ」
「交代で水浴びしてこよっか」
「そうだね。交代で水浴びしてこよっか」
そうして日が暮れた。
それからしばらくの間、人間が肉を取りにくるまで他の動物から守っていた。
他の動物たちはローゲンウルフの恐ろしさを知っている。
いる気配と匂いで近づこうとはしなかった。
三日目――今日も来なかったね。
四日目――今日も来なかったね。
五日目――今日も来なかったね。
いつ来るのかな。早く来ないかな。会いたいな、会いたいな。早く来ないかな。
六日目――
「あ、誰か来る、誰か来た。父ちゃん! 誰か来た!」
「ホントだ、誰か来た! あ…母ちゃん、この匂い知ってる。俺たちについてた匂いの人間だ!」
「人間来た! 人間来た! 母ちゃんたち助けてくれた人間来た! 嬉しい! 嬉しい! 凄い嬉しい!」
2頭は命の恩人に会えることが嬉しくて堪らない。
尻尾を振りまわして体全体で喜びを表現していた。
『ローゲンウルフの家族は助けてくれた人間と再会した』