25話
見ると時刻は午後8時前。すっかり日も暮れている。
俺が外に目をやったのを見て彼女は立ち上がる。
お話は終わりかなと思ったら――
「少し待ってなさい」
そう言い残して彼女は部屋を出ていった。
突然の出来事にポカンとする。
何だろうと妙に落ち着かずドキドキしていると、どこかの部屋の扉がパタンと聞こえた。
ティナメリルさんが別室へ行ってたようだ。
「ずいぶん話し込んでしまいましたね」
座った彼女を見ると別の本を手にしている。
そういえば俺が呼ばれた理由を聞いてないな。
「あ……今更ですが、それで俺が呼ばれた理由は何ですか?」
「ん? これですよ」
これ……その本の事かなと思ったら違うようで、目線を上げると俺をじっと見つめてる。
「あなたと話がしたかったのです、瑞樹」
え……今なんて!?
時間が止まった感覚に襲われる。
下の名前を呼ばれたことに思わず心臓がギュッとなった。
今、呼び捨てだった!
いやいや不意打ち過ぎるでしょ!
ただでさえ美人に免疫無いのに! しかも相手エルフだし!
絶世の美人エルフにそんな殺し文句を言われたら一発でノックダウンだ。
息をするのも忘れていた。
顔は真っ赤どころではない……完全に舞い上がってしまっている。
「えっと、どういう……」
声がうわずってうまく発せられない。
「あなたの言葉を聞いて話がしたくなったのです……もうずいぶん使わなかったから……」
「――あー……」
そういうことか!
急に冷静になる。
ギルドで俺のエルフ語を聞いたとき、ありえないと思ったのだろう。
自分以外から自分の言語を聞くとは。
人がしゃべったからではなく、言葉を聞いたこと自体が彼女の琴線に触れたのだ。
あの長ーい沈黙は衝撃の重さを表していたのだな。
今まで言葉を忘れないように独りで復習していたのだ。
話せる相手がいるとなれば会話したくなるのは当然だろう。
至極納得のいく理由に体の力が抜けたのがわかった。
どうやら今の今まで緊張してたようだ……。
彼女も本心を話せたのか、表情がパッと明るくなったように見える。
「どうでした? 私はちゃんと話せてました?」
「言われてみれば最初の頃よりずいぶん饒舌になってる感じがします」
本職のエルフにちゃんと話せてたかと聞かれる……何とも面はゆい。
千年単位の錆び取りに協力したってわけか。
潤滑油として役立ったのなら何よりだ。
嬉しさがこみ上げる。
「というか『角が取れて丸くなった』印象がしますよ」
理由を知ったおかげで俺も口が滑らかだ。
彼女がふふっと笑う。
「あなたの言葉には所々意味不明のフレーズが入りますね……日本語ですか?」
「あーそのようですね。すみません」
今の『角が取れて……』が伝わらなかったのか。
「角が取れてっていうのは日本の言いまわしで、最初の頃よりやわらかい印象になりましたよって意味です」
「謝らなくていいわ。そういえばあなたの国のことを全然聞けませんでした」
「あー」
「今度あなたの国のことを教えてください」
そう言うと手にしてた本を俺に手渡した。
それはずいぶん痛んでて表紙や紙質もとても古い。
「これは?」
「これの前の物書きです」
先ほどの本を手に取り答えた。
そりゃそうか。
数百年のバックアップの書物となると傷むどころの話ではないな。
正倉院に収められてる文献をいまだに使ってるようなもんだ。
写し替えは必要だ。
「『保存の魔法』をかけて使っていたのですがさすがに傷みがひどくなって、十数年前に買いなおしてこちらに書き写したのです。何せここに来る前から使ってたものですから」
ガチで古文書レベルの文献じゃないか。
本を持つ手に力が入る。
――ちょっと待て、今なんつった!?
「今『保存の魔法』って言いましたね。魔法が使えるんですか?」
「たしかあなたは学生だと聞きました。魔法学校の学生ですか?」
「いえ違います。ですがこの国に来て魔法を覚えようかなと思ってるものですから」
「そうですか」
俺は魔法が使えることを匂わせる発言をしたことに気づいていなかった。
「じゃあちょうどいいですね。それにも書いてありますから――『保存の魔法』」
「ん!?」
「差し上げます」
一瞬耳を疑う。くれると言ったか!?
「…………は!?」
「もう新しいのがありますので古いのは要りません」
あまりのことに思考が停止する。
そして手にした本に目をやり思いっきり焦る。
「いやいやいやいやいやいやいやいや! 何言ってんですか!」
彼女は首を傾げる。
「こ…こんな古文書クラスの重要な本、頂けませんよ!」
顔を見ると「なんで?」という表情だ。
「だ…大事なものでしょこれ」
「だから新しい書き写しがあるのでもう要りませんと――」
「いや…そうかもしれませんが……でも……」
「今日お話に付き合ってくれたお礼です。こんなのでよければ…ですが」
「いや、こんなのってレベルじゃないんですが……」
なかなか踏ん切りがつかなかった。
だが「はい」という答え以外待ってなさそうだ。
恐縮しながらありがたくいただくことにする。
「いや…その……はい…ありがとう……ございます」
ものすごいお宝を手にしてしまっていた展開に驚愕する。
そしてしばしその古ぼけた本を凝視していた。
そろそろ退出しようと席を立つ。
「そうだティナメリルさん、たまには店頭にも顔を出してくださいよ」
「?」
「みんなもきっと話したがってますよ。エルフ語じゃなくても話しましょうよ」
俺の物言いも遠慮がなくなっている。
彼女が人前に顔を見せない理由はわからない。
だがなるべく人と接する機会を戻したほうがいいように思う。
「遠い昔の気持ちを思い出すかもですよ?」
元々は人が嫌いなわけじゃない。きっと魂にこびりついてるはずだ。
彼女は少し考え込むと軽く頷いた。
退出間際、振り返ってもう一度彼女を見やる。
「ティナメリルさん、今日は楽しかったです。またいつでも話し相手になりますのでぜひ呼んでください」
「ん、今度は日本の話を聞かせて頂戴」
「むふふー、期待していいですよ。話すことは山ほどあります」
彼女にドヤ顔を決める。
「何せ日本は建国二千六百年の歴史を持つ国ですからね。エルフの寿命にだって負けてませんよ」
満面の笑みを返してくれた彼女に、俺の心はすっかり魅了されてしまった。
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