232話 王都に到着
「……ずき、着いたわよ」
「へ?」
ティナメリルさんの声で目を覚ます。
揺られる馬車の中だと気づいたときは、ちょうど侯爵邸の門をくぐるところだった。
ああ、寝落ちしてたのか……。
――いやいやティナメリルさん! 王都に着いたなら起こしてくださいよ!
巨大な城壁も、立派な石造りの街並みも、広い大通りも、活気あふれる市場も、行き交う人々も、全部スルーで到着ってどういうこと!?
旅先の風景を目にすることなく旅館に着いちゃった観光客か。ホント無関心だよねー……まあいいけど。
広いアプローチの両脇に衛兵がずらり並んでいるのが見えた瞬間、気持ちが昂った。
正面玄関に到着し、馬車の扉がカチャリと開いた。
出迎えには、ダスター・コーネリアス侯爵、リーシェ夫人、ライナス君、次席執事のアルナーが見えた。さらにその後ろに十数人の使用人が笑顔で整列していた。
先に降りて軽く会釈し、続いてティナメリルさんの手を取りエスコートする。
「遠路はるばるご苦労でした。御手洗瑞樹殿、ティナメリル殿」
侯爵は右手を胸に当てて頭を下げ、夫人はドレスの裾をつまんで優雅にひざを折る。
ライナス君は頭をペコリと下げ、アルナーと使用人たちは両手を前に組んで深々と礼をした。
貴族の挨拶――ボウ・アンド・スクレープとカーテシー。初めて目にしてくすぐったくなる。
……まあこれ、俺にじゃないけどな。
ティナメリルさんに対する畏怖の念の表れだろう。言い伝えの重圧……恐るべし。
「ありがとうございます。しばらくお世話になります」
彼女の微笑みに、侯爵も表情を緩めた。
少ない荷物を部屋に運んでもらい、俺たちは応接室に案内される。香り高いお茶をいただきながら、しばし歓談する。
領都での歓待と、いただいた外套のお礼を述べ、侯爵から社交界の話を聞かせてもらった。
カップ一杯を飲み干すほどの時間が過ぎた頃、夫人はライナス君を連れて席を立った。
「君たちに聞きたいことがあるのだが――」
侯爵から笑顔がすっと消えた。
二日前に街道で発生した魔獣グレートウルサスの件である。どうやら思っていたより被害が深刻だったようだ。
王国軍歩兵団の死者は実に二十六名にものぼったとのこと。草原で見かけた十名だけでなく、森の中で相当数やられていたらしい。
「報告ではエリオッテ家の護衛が倒したという話なんだが……本当かね?」
「えっ? あー……」
「違うのか?」
侯爵の問いに言葉を濁す。
「いえ。戦ってましたからねー、あの隊長さん」
「見たのかね?」
「あっ、いや~……」
「お主らも目撃したのか?」
「いえ。私たちはご婦人方の救助を手助けしたあと、ランマル殿だけ現場に向かわれたので待っておりました」
「ランマル?」
侯爵の視線がじっと刺さる。俺は目を閉じ、肩こりをほぐすふりで首を回してごまかした。
「…………まあよい。長旅でお疲れだろう。食事の時間まで部屋でゆっくり休まれるとよい」
「ありがとうございます。もう馬車はしんどくて……」
「そんなにひどかったか?」
俺の愚痴に侯爵が眉をひそめる。
「いえ、私が馬車が苦手なんですよ。あの揺れがね……全然ダメで」
「そうなのか?」
「はい。ぶっちゃけグレートウルサスなんかより、あの峠道のほうがよっぽど難敵でした」
「…………より?」
侯爵の眉がピクリと上がる。
「…………あっ!」
空気がピーンを張り詰めた。
まんま「俺が倒しました」と言ったようなもんじゃん。完全にオウンゴールだな、これ。
このあと、侯爵は何も尋ねなかったので静かに席を立った。
おいしい食事をいただいたあと、応接室で王都の話を聞くことに。
俺とティナメリルさんが並んで応接セットのソファーに座り、侯爵が対面に腰を下ろすと、給仕がブランデーを運んできた。
……ヤバい! 飲んだことないんだけど。
侯爵、ティナメリルさん、そして俺の順に琥珀色の液体が注がれ、軽くグラスを合わせる。
二人は当たり前のように口に運び、満足気な息をつく。
グラスを鼻先に近づけた瞬間、強い香りが脳天を直撃する。
覚悟を決めてぐっと飲み込むと、
「カァ――――ッ!!」
喉が焼け、胸の内側が熱くなり、耐えきれずに顔がキュッとゆがんだ。
俺の様子に侯爵はにんまりと口角を上げ、ティナメリルさんはどこか憐むような目を向けた。
すみませんねえ、飲めなくて!
たばこを取り出して「私はこれで……」と火をつける。たばこが吸えると酒を飲まなくてもよいのが便利である。
「さて――」
侯爵が咳ばらいをすると、アルナーがテーブルに王都の地図を広げた。
食事のときに、俺が王都について質問したので侯爵が詳しく教えてくれるらしい。
地図を見てすぐに「あれ?」と思った。王城が真ん中ではなく右下にある。
「これ、お城ですよね? 地図の端っこなんですね」
「川を基準に描かれているからな」
地図の真ん中にM字に流れる川がある。左が大きい山で、右が小さい山。
その下に東西を貫く大通り。そこからM字に向かって通りがいくつかあり、橋が数か所ほど架かっている。
王城――エステルミール城は大通りの下、小さい山から大きい山に少し届くほど広い。地図の五分の一は占めているのではなかろうか。地図の縮尺がわからないのだが、へたをすれば横一キロは超えてそう。なお王都の町全体には城壁はなく、あるのは王城だけだそうだ。
「侯爵邸はどこです?」
「ここだ」
M字の川の、小さい山の中を指さした。
川の下側が上位貴族、川の上側が下位貴族の住居だそうだ。城への距離が身分差だろう。日本の武家屋敷の構造と同じだな。
「じゃあこっちが町ですか?」
「そうだ」
M字の川の大きな山の中、道路の線がいっぱい描いてある。商業地区、工業地区、住居もあり、いわゆる城下町だ。
ただし侯爵はあまり行かないので詳しくは知らないそうだ。
「貴族は行かないんですか?」
「貴族はここだな」
侯爵は王城内の左側を指さした。
「城の中にあるんですか?」
「うむ。私たちはそこで食事をしたり買い物をする」
なるほど、貴族向けの店が城内に出店してるのか。
大通りをはさんで城下町が近いから、仕入れや搬入が楽なのだろう。よくできている。
「これは何です? 教会ですか?」
「シシル教のマルネリア大聖堂だ。この地区はシシリア教国の管理区になっていて、お墓や公園があるのだ」
あー、ハリウッド映画でよく登場する庭園墓地というやつか。
場所はM字の谷、川の上部分だ。大聖堂には貴族も庶民も関係なく訪れ、公園ではお祭りも行われるらしい。
「下はないんすか?」
「もちろんある、ただ地図にするには少なすぎるのでな」
「なるほど」
「あと、ここには行かぬほうがよい。いわゆる貧民街だからな。治安が悪い」
侯爵が指さしたのはM字の大きな山の左側、川をはさんだ城下町の左上だ。
「そうだ、魔法学校ってどこです?」
「えーっと、どこだったか……」
「これには載ってませんが、こっちの方角です」
アルナーが地図の右上を指さした。
「遠いんです?」
「どうでしょう……あとで調べておきます。ちなみに全寮制だとフロスト殿が言っておりました」
ふむ、日本でも大学とか辺鄙な所に建てるからなあ。
――と、給仕が慌てて部屋を出る。
思わず目を疑う……ティナメリルさんがブランデーボトルを一本空けてしまったのだ。
マジで?
ブランデーだよ。度数めっちゃ強いよ。それで平気なの!?
「おいしいですか?」
「ええ」
さらっと言いやがった。こんの呑み助が!
「そういやティナメリルさん、一度王都に来たことあるんですよね? そのころと違います?」
「ん~~~?」
返事のトーンが少し高い。さすがに酔ってるぞ、これ!
「そうねえ。こんなに栄えてなかったかしら。お城ももっと低く、灰色だったわね」
「それはいつ頃のことですか?」
「ん~~少し前かしら」
「あなたのすこしまえは、すうひゃくねんたってんですよ。聞いてます?」
俺の小言など聞いちゃいないとばかりに、追加のブランデーを注いでもらっている。
「……君たちはそんな感じなのかね?」
「まあ、付き合ってますからね」
「えっ?」
侯爵は驚いて目を見開いた。
「ティナメリルさ~ん、俺のこと好きですか~?」
「ええ、好きよ」
このやり取りに、侯爵は口を半開きにして固まってしまった。
「!? い、いまのは?」
「エルフ語です。『俺のこと好きですか?』と聞いて、『好きよ』と返事してくれたんです。えへへへ~」
あ、これ、俺も酔ってるなあ。
食事のときに飲んだ葡萄酒とさっき口にしたブランデーが効いているようだ。




