230話 討伐後
橋のたもとで足止めを食っていた旅人たちにパニックが広がる。
「おい、ウルサスの魔獣が出たらしい」
「なんだって!?」
その一言に、皆、泡を食ったように来た道にとって返す。
四人の冒険者も、しばらく河原で様子を見ていたが、今日の移動は無理そうだと諦めて引き返していった。
やじ馬の喧騒は消えると、あたりは嘘みたいに静かになった。川を流れる水の音しか聞こえない。
木陰では、気を失っているご婦人方を護衛が心配そうに見守っている。
ネルソン、ガービル、ムルックの三人は馬の世話をしながら、あの聖職者の帰りを待っている。ティナメリルさんはベンチに座ったまま、橋の向こうをじっと見つめていた。
「お待たせしました」
背後からの声に、ティナメリルさんの肩がぴくりと揺れた。
振り向いて外套姿の俺を見上げると、ほんの少し口角を上げた。ささやかな機微が俺の心をつく。
片やネルソンたち三人は俺の登場に凍りつく。気配にも気づかず、どうやって現れたのかまったくわからなかっただろう。
「グレートウルサスは倒しました」
三人ともポカンとしたまま。耳に届いてる?
ま、無理もないか……。ありえない出来事の連続に混乱の極みといったところだろう。
それでもランマルのことは聞かれるかなと思っていたが誰も触れず、ネルソンは状況説明だけを求めた。
「生存者は兵士四名、護衛三名、従者十名です。かなりひどい有様で十人以上が死んでます」
グレートウルサスを倒したあと、生存者の治療を行なった。
最後に対峙していた男は奇跡的に息があったので、急いで《完全回復》の治癒魔法で全快させた。
だがほとんどの者はすでに事切れていた。頭がなかったり腸が飛び出していたりと、まともな死体はほとんどなかったからだ。
ただし従者たちは運がよかった。
戦闘場所から離れた林に馬車が突っ込んだおかげで巻き込まれずに済んでいた。もし到着が遅れていたら彼らの命もなかっただろう。
「彼らに話して現場を見てきてもらえます? このあとどうしたらいいかわからんです」
うな垂れている護衛を指さした。
薄情かもしれないが、俺たちがここにいてもしょうがない。むしろ救助要請に向かったほうがよいだろう。
ネルソンはガービルに残るように指示を出すと、ムルックと護衛一人を連れて現場に向かった。
俺はたばこに火をつけて一服する。
「…………何も聞かないんですね?」
馬車を点検するガービルに尋ねた。
ランマルの正体は俺だとバレているはず……にもかかわらず、彼らは何も尋ねない。その不自然さが引っかかっていた。
「侯爵様から言いつけられているんです。顔を隠した聖職者には逆らうな、正体を尋ねるな、他人のふりをしろ、と」
ガービルは俺を一瞥して苦笑した。
なるほど、そういうことね。彼らの配慮に目尻が下がった。
さほどかからずにネルソンとムルックが戻ってきた。
「彼に救助要請しに行かせました。我々は出立しましょう」
「了解です」
ネルソンは西に傾いた太陽を気にしている。口にしないがだいぶ時間を食っているようだ。
ガービルが馬車を街道に動かし、俺とティナメリルさんが乗り込もうとした。
「ちょっと待ってくれ!」
女性に付き添っていた護衛が立ち上がり、声を張り上げた。
「このお二人も連れていってもらえまいか?」
「えっ?」
「私の名はリント。こちらはエリオッテ子爵家のロザリア様、ジェシカ様にございます。どうか町までお連れ願えないか?」
突然の申し出に困り、判断をネルソンに振る。
「それは困る。我々もこのお二人の安全を任されている。知らない人間を同乗させるわけには――」
「そこをなんとか! 謝礼ならあとで払う」
「そなたの同僚が救援要請に向かっている。一時もすれば戻ってくるだろう。それまで待たれては――」
「それでは遅い! もうじき日が暮れてしまう。こんな危険な所に置いておくわけにはいかない。頼む!」
ネルソンは渋い表情、だが拒絶せずに再び判断を俺に求めた。
お互い護衛でもあり、逆の立場なら……と思ったのかもしれない。
正直、嫌である。
貴族にかかわるとろくなことがない。
とはいえ気を失っているご婦人方を置いて出立するのは後味が悪い。彼の言うように不測の事態が起きないとも限らない。
これあれだ……「助けたんなら最後まで面倒を見ろよ!」と言われるやつだ。……止むを得まい。
「わかりました」
承諾すると、リントは泣きそうな顔で頭を下げた。ネルソンもどこか彼に同情の色を浮かべている。
ロザリア夫人とジェシカ嬢を並んで座らせ、俺とティナメリルさんも馬車に乗り込んだ。
リントは現場に残る従者たちに事情を伝え、俺たちに同行した。
太陽が地平線に沈む直前に宿に到着した。
途中、救助に向かう集団とすれ違ったので、現場の生存者たちは今晩中には救出されるだろう。
食事を終え、俺の部屋にみんな集まると、ネルソンがリントから聞いた内容を報告してくれた。
エリオッテ家の一行は、ご令嬢のデビュタントを終えて帰る道中だったらしい。
兵士たちは彼らとは別の集団とのこと。いきなり森から逃げるように出てきたと思ったら、彼らを追うようにグレートウルサスが現れて巻き込まれたようだ。
「疑問なんだけど、グレートウルサスってよく出るもんなの? あの街道って王都につながる道なのに魔獣がいるって……おかしくない?」
「おっしゃる通り、この街道で出没したという話は聞いたことがありません」
ネルソンたちも、何度も往来しているが危険だという話は一度もなかったという。
とはいえ、街道の周囲には森があるし大型獣も生息している。何かのきっかけで魔獣化しないと断言はできない。
つまり……運が悪かったという話になるのか。相当引きが悪いな。
「ふむ……俺が峠道で体調を崩さなければ普通に通り過ぎちゃってたわけか」
ネルソンたちは押し黙る。
まあその場合、ロザリア夫人とジェシカ嬢は溺死し、兵士も護衛も従者も全員あの世行きだったわけだ。
そう考えれば逆に運がよかったと言えなくもない。救えた命があったことを喜ぼう。
「……にしてもあと二日かぁ。しんどいなぁ」
「残りの街道は平坦できれいですからそんなに揺れるようなことはありませんよ。森もほとんどありませんし」
「そう……まあ今日はお疲れさんでした」
彼らは最後まで、ランマルのことやグレートウルサスがどうやって倒されたのか、などは聞かなかった。
三人が退出したあと、ティナメリルさんと二人きりになる。
「心配しました?」
「少しね」
表情は相変わらず薄いが、所作の端々に感情がわかるようになってきた。
グレートウルサスに独りで立ち向かったのはたしかに無謀だったかもしれない。旅人たち同様、謁見をあきらめて引き返すというのが正解だったと思う。さすがに魔獣出没なら言い訳は立つからな。
が、あのときは「先に進まなければ……」という考えしか浮かばなかった。……視野が狭かったな。
「次からは無茶しませんから」
「別にいいわよ」
「またまた~、そんな素っ気ないこと言って~」
ティナメリルさんの手をそっと取り、親指で甲を円を描くように優しくなぞる。
俺の指をじっと眺める彼女に自分の顔を近づける。気づいた彼女は目を合わせ、首を少し傾げると目を閉じた。
翌朝。
朝食を終えると、エリオッテ家の護衛がお礼を述べにやってきた。
「エリオッテ家の護衛隊長を務めております、アルガンと申します」
あ、グレートウルサスと最後に対峙していた男だ。……と俺、初見なんだった。知らないふり……っと。
短かめのグレイヘアに短く整えられた髭、うっすらと目じりにしわが刻まれている。鍛え上げられた肉体が力強さを示し、最後まで立ち向かっていた芯の強さを感じる。覇気のある声量だが、温和な笑みが安心感を与える。
後ろにご婦人方を救出した二人がいる。昨日はヘタレた面をしていたが、今はキリッと引き締まった顔だ。
「あの……聖職者の方は?」
「聖職者?」
とぼける俺に彼は眉を寄せる。そこへネルソンが口を挟んだ。
「私たちの一行ではないので知りません」
「そうですか」
ネルソンがわざとらしく時間を気にする素振りをする。
「そろそろ出立しないといけませんので……」
「わかりました。ロザリア夫人とジェシカお嬢様を運んでいただいたこと、感謝いたします」
深々と頭を下げる三人。金銭の受け取りを断ると、いずれエリオッテ家から正式にお礼状を送ると言い残して引き上げた。
「後ろの二人にはバレてないっぽいな……」
「ご婦人方の心配で、それどころじゃなかったみたいですね」
「あーよかったー」
護衛の二人は俺をまったく疑う様子はなく、ただただ感謝の色を浮かべていた。
出立の間際、ネルソンから兵士たちの身元が分かった事実を教えてもらった。
彼らは王国軍歩兵団の新兵で、森での行軍演習を行っていたとのこと。
ところが現在位置を見失って遭難した上、ウルサスの子供に遭遇して殺してしまったらしい。で、怒り狂ったグレートウルサスに襲われて壊滅させられたようだ。
はあ……エリオッテ家の連中はとんだとばっちりだな。
とにかく皆が無事だったことを喜び、王都に向けて出立した。




