23話
短命の人種が羨むエルフの長命には生物学的に欠点があった。
『数百年経つと生存意欲が低下する』
どうも五百年も経つと如実に現れる。だが理由はわからない。
ただ生きる気力がなくなるので、何もしなければ自殺か餓死で死ぬ。
だが不思議なことに、その生存意欲を保つシステムが存在した――
それが『世界樹』と『忘却の秘術』である。
世界樹は『エルフの記憶を保管する』機能を持っている。
なのでエルフは記憶を世界樹に移してから秘術で過去の記憶を忘れるという。
たとえばこうだ――五百年生きたエルフが世界樹に過去三百年分を移す。
そしてその三百年分を忘れる。
すると二百年分の記憶だけが残る。
結果、自分は二百歳だ……と考えるようになる。
さすがに珍妙な話だな。
というより理解が及ばない。
過去を忘れたからといって自分は若いと思うようになるのだろうか。
俺が20年分忘れたら「ぼく2さい」って思うか?
「…………ないな」
ま、そういうてるからそうなんだろうな……と受け入れるしかない。
長寿命にしかわからん話だ。
「んー……なんで保存するんです? 忘れるだけじゃダメなんですか?」
「過去がないことに不安になるものが出るのよ」
「不安……ですか」
記憶の消去は古いものから消されていく。
なので最初のほう、出生や両親、子供の頃の記憶からなくなる。
そうすると自分が誰なのか……時折り不安にかられてしまう。
そのため適宜過去の記憶を戻す。
そして落ち着いたらまた忘れるのだそうだ。
ティナメリルさんは、そこまで話すとじっと黙った。
俺が理解するのを待っているようだ。
うーむ……生存意欲が無くなると言われても正直ピンとこない。
死にたくなるつったらたいていは鬱と相場が決まっている。
だが餓死ってのは凄まじい。
世界樹の機能は『個人のHDDデータをデータサーバーに保存する』という作業だな。
それを生物的にできる種族ってことか……。
というより創造主がエルフ作ったんだろうになんでこんなめんどくさいシステムを――
あっ…天創造主は気づかなかったのか!
長寿にしたら途中で自滅するってわからなかったんだ。
だから応急処置的に世界樹システム作った……そんな感じだな。
何となく正解を導いたかなと納得する。
あれ……何か引っかかるな――
「んー……記憶を保存したことは憶えてるんですか?」
「憶えてないわ」
「じゃあどうやって戻すんです?」
「記憶を保持し続けてる長老が数名いるのよ」
「なんと!」
村の長老と呼ばれる数名のエルフがいる。
最初からの記憶をずっと保持し続けてて、村の維持や世界樹の保守に努めている。
彼らが不安に駆られたエルフの記憶を戻す作業をする。
だが当然本人たちの生存意欲もどんどん低下する。
なので死なないように数名で自分の記憶の一時保存、全戻しを繰り返しているのだ。
なるほど……世界樹というサーバーの管理者が複数人いて、定期的に保守業務をしている。
千年単位で保守業務……超絶ブラック過ぎる。
――そして重大なことに気づいた!
ティナメリルさんは記憶がないと言っていた。
ということは――
「ティナメリルさん、記憶のバックア――保存は?」
「当然ないわ」
そういうことか。
彼女は記憶の保持が出来ずに全て忘れていってるわけか。
あ……確かさっき過去がないと不安になるつってたな……。
一体彼女は何年分消してるんだ?
数百年――いや……間違いなく千年は超えてるな。
それはさすがにつらい…つらいの一言じゃ済まんなこれ。
たった二十数年しか生きていない俺でも思う。
彼女は保存ができないから記憶を忘れたくない。
だが忘れないと生存意欲が低下するから生きられない。
バックアップもできずに忘れるというのは相当に怖いはずだ。
だって不安になるって自分で言ってたもんな。
考えてゾッとする。
いやそれホントに怖いだろ、記憶だぞ!
大量の思い出ファイルをゴミ箱フォルダに移して『ゴミ箱を空にする』をバックアップ無しでクリックするようなもんだ……。
できんできんできん!……俺にはできん!
それを彼女は何回もやってきたのか……恐怖に震えながら。
あっ――それすら憶えてないのか……。
彼女になんて言っていいかわからない。かける言葉も見つからない。
表情からは何の感情も読み取れない。
だが話を聞いた俺には少し寂しそうに見えた。
外に憧れ、人に興味を持ち外に出たエルフ、だが長命種の宿命で過去の記憶を消した。
その消した記憶には外に出たかった目的や希望も入ってたのだろう。
出自や子供のころの記憶はおろか『自分がなぜ人の街で生活しているのか』――その原因もわからず生きている。
いやそれだけじゃない!
彼女はエルフだ、人間じゃない!
違う生き物の中に1エルフ……孤独がハンパじゃない!
いやもうまったく想像できないレベルの境遇だと気づいた。
外に出たくなったのは仕方ない。そういう性分だったのだろう。
でも出たらバックアップできないから目的や気持ちも忘れる。
出るときそのことに気づかなかったのだろうか?
おそらく『気づいてたけど気持ちを抑えられなかった』または『ホントに気づいてなかった』のどちらかだろうな。
そして結局『忘れちゃったからどっちでもいい』という事か……。
――いやちょっと待て……忘れたんだよね、いろいろ諸々……あれ?
「あっ…んん!?」
この空気に水を差すように右手を上げる。
「あの、さっき……話してる言葉は『なんとか大森林のエルフの言葉』って言ってませんでした?」
「ええ」
「それだ! 出自憶えてるんですか?」
「……憶えてないわよ」
「はぁ!?」
里の事は忘れてるはずなのに出身の森の名前は覚えてる……矛盾している。
彼女はゆっくり立ち上がる。
そして机に向かい、引き出しから一冊の本を取り出した。
それを俺に渡すと開いてみなさいと促す。
表紙の裏に次の言葉が書いてあった――
『これを読んでるあなたの名前はティナメリル……これはあなたの記憶です』
そして一行目からは、
『あなたはユスティンバナルの大森林で生まれたエルフ。父はダイナンメリル、母はイーレンティア――』
と、生い立ちなどから始まる記憶が延々と綴られていた。
「あの……これ…は?」
「私が記憶を忘れる際に必ず傍らに置いて、記憶の補完するように書き記す物書きです」
「物書き!?」
「すべてを書き記してるわけではないみたいですが、重要なことを憶えておくようにしているみたいです」
自分のことを語ってるけど見事に他人事だ。
先ほど語ったエルフについての話もこれに書いてあったそうだ。
話を聞いた瞬間、ある映画のことが瞬時に思い浮かんだ――
『メメント』だ。
記憶喪失系のとても難解な映画だ。
起きたら前日のことをすべて忘れてしまう刑事が、重要なことを忘れないように体に刺青を入れて記しとくという内容である。
天井に『朝起きたら刺青を見ろ』と書いてあるのだ。
まんまそれだ。
ペラペラとめくりながら見せてもらう。
見事に日本語だな……と不思議な気分だ。
「あ、ちなみにエルフの里を出た動機とか書いてありました?」
「無かったわ」
「それは欲しかったですね」
「そうね」
自分に対してなってないわね……と言ってる風に聞こえた。
彼女が俺のティーカップを目にする。
空いているので「お茶は?」と促したので「お願いします」と応じる。
するとティーポットを持って立ち上がる。
ティーテーブルでお湯を注いで茶こぼしに葉を捨てる。
そして再び茶葉を2杯入れポットから湯を注いだ。
よく考えたら彼女は副ギルド長なんだよな……。
上司にお茶を入れてもらって何となく申し訳ない気持ちになる。
再び椅子に座るのを待って、もう一つの重要なことを聞く。
「そうそう、その話してる言葉がエルフ語じゃないっていうの……どういう意味です?」
「エルフのコミュニティはたくさんあると言いましたね」
「ええ」
「近いコミュニティとは言葉は通じるけど、遠方のコミュニティとは通じないのよ」
「……人間と一緒で地域が異なると言葉が違うってことですか」
「そう」
「あーね……」
人にとってはエルフ語と一括りにするけどエルフにとっては部族ごとに違うのか。
要するに方言みたいなものか。そら鹿児島弁と津軽弁じゃ通じんわな。
つまり彼女が話す言語は彼女のコミュニティしか知らない。
外に出たのが彼女だけだから人間が知ってるわけがないのだ。
「あ、それでか」
最初のやり取りを思い出す。
「私が学校で習ったって言ったら否定したのは」
彼女が「正解よ」と言わんばかりに目を細めて笑う。
もう超可愛い!
俺は顔に火が付いたように火照ってしまった。
少し頭を働かせて落ち着こうとする。
「でも言語よく憶えてましたね。話す人いないんでしょ?」
「そうだけど、三百年自習してれば忘れないわ」
「あ、三百年分の記憶はあるんですか」
「ええ」
「あれ? 二百年じゃないんですか? 残るの」
「年数は選べるのよ」
『忘却の秘術』については話せないと言われたが軽くシステムを教えてくれた。
何百年分かを忘れたくなったら秘術を使う。
その際残す年数を決めるのだそう。
だいたい二、三百年が普通で、百年だけ残す人もいたという。
ただし百年未満はできない。
なぜできないかはわからない。そういう秘術だと。
「最低でも人間には合わせとくってことでしょうかね」
「…………」
「へたして全部忘れちゃったらただのボケ老人ですもんね」
思わず自分で失言だと気づく。
だが彼女のお茶を口にする表情に変化はない。
ボケ老人は言葉が過ぎたな……伝わってないことを祈ろう。
それにしてもエルフの生態には驚きだ。
生粋のエルフは森からまったく出ず敵対的、森を出たエルフは人里離れた孤独生活、人の街で生活するエルフは希少種だ。
アニメや漫画みたいな冒険者とかいるのかと期待したが残念だ。
「なんか思ってたのと違ってショックでした」
「ん?」
「いや、日本じゃエルフは人と仲良しってのが人気なんです。エルフの里にも行けるし、一緒に暮らしてるとか、そういうの想像してたんです」
なんとなく俺の話に興味を示してくれている。
「特に一緒にパーティー組んで冒険するってのは王道で、そういうの期待してたんですけどねー」
すると彼女は何かを思い出すように視線を斜め上に向ける。
そして俺に向いて微笑んだ。
「いるわよ」
「…………は?」
思わずきょどる。
「冒険してるエルフも、人と一緒に暮らしてるエルフもいるわよ」
「いるんすか!?」
目を見開いて驚く。
何だか話がしっちゃかめっちゃかだ。
排他的だと言えば交流してるともいう。
ティナメリルさんだけのボッチかと思えば他にもいるという。
結局エルフって何なの……と言いたい気分である。