214話 引き渡し交渉――ランマルの説得
「領主閣下、お初にお目にかかります。私は冒険者パーティー“ホンノウジ”の聖職者でランマルと申します」
ゆっくりとお辞儀をして敬う姿勢を示す。
侯爵の視界に映るその聖職者は、背格好や声がある人物とまったく同じだとすぐに思ったはず。ついでに言えば、目の前で護衛二人が昏倒した光景は前日の騒動を想起させたはず……。
にもかかわらず侯爵はその人物の名を口にすることはなかった。
「そちらのカートン殿、クールミン殿とは何かと縁がありましてね。知らない仲ではありません……ね?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている防衛隊員たち。カートン隊長ですら立ちかけた中腰のまま固まっている。
ま、いきなり部屋の中に人間が現れりゃそんな反応にもなるわな。
そしてもう一人、
「おたく、交渉に来られたのでしょう?」
度肝を抜かれたであろう騎士団長のベルマン伯爵に諭すように話しかける。
「ちゃんと話を聞きなさいよ!」
「……ふ、二人に何をした?」
「ん? 気を失っただけですよ。襲われたくないのでね。あなたもその剣を抜いて襲ったりしないでくださいね」
押さえつけている肩から手をゆっくりと離す。
護衛二人を倒され、主導権を奪われた形の騎士団長は険しい表情を浮かべつつも、こちらの言う通りに従った。
倒れた二人を運び出すように隊員たちにお願いし、室内が落ち着いたところで話を切り出した。
「えー、驚かせてすみません。実はですね、被害に遭った冒険者ギルドの人から様子を見てきてほしいと頼まれたんです。それで机の下でおとなしく聞いておったんですが――」
もちろん大嘘である。
交渉が始まる前にこっそりと部屋に忍び込み、隠蔽状態でずっと様子を窺っていたのだ。
「どうにも話がご破算になりそうだったので補足説明をしようかなと出てきたわけです。クールミンさん、私が引き継いでもよろしいですかね?」
「お願いします」
コクリと頷くクールミン。
続けてコーネリアス侯爵にも了承をいただいた。そうなると交渉相手のベルマン伯爵も同意するしかなく、異を唱えなかった。
「それでは、騎士団長殿にひとつお尋ねします――」
なるだけ丁寧に話すように心がけよう。どうにも貴族様は庶民との会話はお気に召さないようだからなー。
「第一王子と近衛兵たちが逮捕されたことで、一番困っているのは誰でしょう?」
「決まっているだろう、こいつらだ!!」
騎士団長は防衛隊員たちを指さして叫んだ。
あーこりゃまだ怒りのボルテージは高いままか……。まあいい、すぐに下がるだろう。
「ふっ、全然違いますよ」
「あ゛? こいつらだろうがッ! 殿下を逮捕し――」
「違いますって。ねえクールミンさん」
「はい。我々ではないです」
「なにッ!?」
クールミンの否定に騎士団長は困惑の表情を浮かべる。
「…………ではコーネリアス侯爵か?」
「違います」
「では誰だ!!」
いらだつ騎士団長は「さっさと答えを言え」とばかりにこちらに視線を投げかけた。
「国王陛下ですよ、当たり前でしょう!」
「!?」
騎士団長に再度「国王陛下です」と告げると、彼の顔にはてなマークが浮かんでいるのがわかった。
「国王陛下にとって、三つの大問題が発生する可能性があるからです」
「……三つの大問題?」
国王陛下の名が出たことで矛を収め、こちらの話を聞く気になったとみえる。
「はい。何かと言いますと――『庶民の暴動』と『貴族の反乱』、そして『大国との戦争』です」
前日の打ち合わせで侯爵を説得するために語った内容である。
少し話が長くなると前置きし、ひとつずつ説明を始めた――
まず『庶民の暴動』について。
第一王子とその近衛兵たちによる市民への横暴が事実と知られれば、王族は国民の信頼を失うことになる。そしてその事実はすぐに各地に広まることに。
すると国民は今の王族や貴族に国を統治する資格はないと判断し、やがて王政廃止を求めて蜂起するだろう。そうなれば国中が混乱に陥り、今の穏やかな生活が脅かされてしまうと。
静かに話を聞いていた騎士団長は、ふっと一笑する。
「そんなこと起こるはずはないだろッ!」
「んなこたーないです。実際に、フランスという国で『フランス革命』と呼ばれる市民の蜂起が起こり、ブルボン王朝が倒された例があるんですよ」
「……フランス? そんな国は知らん!」
「知らなくて結構! あなたが無知なだけです」
「あ゛あ゛っ!」
あ、いかんいかん!
反射的に小馬鹿にする言い方になってしまった。機嫌を損ねないようにせねば……。
「失礼。……圧政による不満が爆発して現政権が打倒されるという話は珍しいことではないんですよ。うちの国でも大昔から散々繰り返してきてますし……」
「…………うちの国?」
「ああっ! 私、日本という国の出身なんですよ。あなたが他国の事情を知らなくても仕方がないですね。この辺の国ではありませんし」
ご機嫌をなだめようと軽く笑う。まあ布で顔は見えないが口調で察してくれるだろう。
「ともかく、王族による横暴が民に知られるのはよくない……ということは理解いただけるでしょ?」
この話に納得がいかないのか、それとも理解できないのかはわからないが騎士団長がむすっと黙ったままだ。
困ったので領主閣下に同意を求めた。すると侯爵は「そうだな」と相槌を打ってくれた。
次に『貴族の反乱』について。
第一王子の件でコーネリアス侯爵が王城に乗り込んだことは、おそらくすでに多くの貴族の耳には入っているはず。真偽のほどはともかく、マルゼン王家の醜聞としては十分すぎる出来事だ。
となれば、今の王家に政治を任せておくのは問題だと声を上げる貴族も必ずいる。これを好機とみて反乱を企てる輩もいるかもしれない。
少なくとも次代の国王に第一王子を推挙することには反対の声が多数上がるはずであると。
「貴族とて一枚岩ではないのでしょう? 親国王派、反国王派、いろいろいるはずです。少なくともコーネリアス侯爵のお気持ちが反国王派に傾いたとみる向きもでましょう。そういった方面からお誘いがくるのではないでしょうか?」
すぐに騎士団長がコーネリアス侯爵に視線を送る。侯爵の真意が気になったのだろう。
しかしそこは領主、泰然自若としていて気持ちはまったく読めない。
「まあ、伯爵も王都にお帰りになられたら、知り合いの貴族に事情を聞くことをお勧めします」
「……うーむ」
あきらかに頭の中に不安の種が芽吹いたのが見てとれる。これは効いたな。
領主不在時を狙っての王族による横暴、これをよしとする貴族はまずいない。
侯爵のお気持ちが反国王に傾いたとなれば、それだけで反乱の機運を高める動機には十分だろう。
庶民の暴動とは違い、こちらは十分に起こり得る出来事だと思う。
最後に『大国との戦争』について。
大国とはマルゼン王国の北に位置するダイラント帝国のことである。その帝国に戦争を吹っ掛けてくる機会を与えてしまったかもしれないのだ。
これは第一王子が……ではなく、近衛兵が防衛隊に負けたことが問題。軍隊の中でも精鋭であるはずの近衛兵が、王子を守れなかっただけでなく一方的に負けて捕まるという醜態をさらしたのだ。
この事実、はた目には『王国軍の腐敗』を想起させるには十分な出来事だろう。そして軍の腐敗はすなわち、軍が弱いという証左でもある。
「王国軍が弱いと申すか!」
「そうは言ってません。『そう思われても仕方がない』と言っているんです! 実際に連中はすこぶる弱かったと耳にしましたが?」
「あの連中はその……ギュンターの奴が勝手に……」
ふん、騎士団長の口も歯切れが悪いな。
詳しい事情はわからないが、ギュンターのこのやらかしは軍の腐敗を意味していると同義ではないか。
もちろん第一王子の近衛兵だけの話かもしれない。けれども一部の腐敗は、全体もそうだととられても仕方がない。そしてその話は他国に攻め入る隙を与えたことには変わりないのだ。
「とにかく、近衛兵がいち地方組織に無様に負けたなどという事実は、軍としても困る話でしょう?」
「ぐっ……」
ぐうの音も出ないとはこのことか。騎士団長は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「いいですか騎士団長殿――」
ぼちぼち腹を決めてもらわねば……。
「捕らえられた第一王子が本物か偽者かなんて、どうでもいいことなんです! いま、この場で、『連中は本物ではない!』と、認めなければ大変なことになるんです! お分かりになりませんか?」
「…………」
逡巡する騎士団長は苦悩の表情を浮かべ、部屋にいる面々を見渡した。
おそらく……というかまず間違いなくそんな決定権を委ねられてこの地に来ていないはずだ。国王陛下の手紙をババンと見せれば、ハハーと首を垂れて引き渡しに応じると舐めていたのだろう。
んなわけなかろーに!
やれやれしょうがない。助け船を出してやるか……。
「えー、私をここに寄越した職員が申していたのですが、領主閣下が手紙をしたためられたと聞きました」
「手紙?」
「はい。ここでの交渉に関することも含めた、いわゆる『後始末』に関することです。そうですよね?」
「ああ。あとで君に渡すので国王陛下に直に届けてもらいたい。おそらくいろいろと事情を聞かれるだろうからな」
「まあそういうことなんで、騎士団長殿に責任が及ぶことはありません。なのでご決断いただきたいのですが……?」
じっと書類を見つめる騎士団長。しばらくして「わかりました」と折れた。
自分に責任が及ばないというのが効いたのだろう、俺の話なんざこれっぽっちも覚えてなさそうだ……。
「彼らの素性については了承いたします。ですが、こちらの……大金貨一二〇〇枚という身代金については呑めません! 第一そんな手持ちは――」
「いまここで払えとは書いてませんでしょう? ちゃんと読まないから……」
「あ゛ぁ!?」
「金額についても問題ないはずです。そもそも国がフランタ市に大金を支払うことになっていますでしょう? 復興資金をね」
連中の引き受け金について説明をする――
元を正せば『領主閣下が国王陛下にドラゴンの牙を献上した』ことが事の発端である。しかしこのことで、国はフランタン領に多額の援助を確約したのだ。
つまり、大金貨一二〇〇枚の原資はとりあえずそこからひねり出せばよいのだ。無論、最終的には援助金の上乗せという形にはしてもらうだろうが。
第一、一二〇〇枚もの大金貨を王都から馬車で運んでくるわけにもいくまい。車列を組んで金貨をえっちらおっちらと運ぶなど、襲ってくれと言っているようなものだ。
なので当然、商業ギルドを介して証書でのやり取りになるだろうし、実際の金を手にするのは一、二ヶ月ぐらい先なのではなかろうか。
別にすぐすぐ金が欲しいわけではないのだ。
んー、なんか騎士団長はあまりわかっていないふうだな。金のことはわからないのかもしれない。
そんなら責任回避の理由を付け加えておくか。
「ぶっちゃけこの大金、国はほとんど払わないんじゃないですかねー?」
「どういう意味だ?」
書類を指さしながら、引き受け金の内訳についての説明をする。
第一王子四〇〇枚、騎士団長五〇枚、残る近衛騎士二〇枚×三八人。合計一二一〇枚。端数は勉強して切りよく一二〇〇枚とした。
ちなみに大金貨一枚は日本円でだいたい二十六万円、つまり第一王子の引き受け金は約一億円……ということだ。実に格安である。
さてこの大金、第一王子以外の金はもちろん各貴族が払う。自分とこの愚息の不始末だからな。
そして王子の引き受け金については、近衛兵の不始末として責任を負わせればよい。一人頭十枚上乗せで支払わせれば済むのだ。つまり国の懐は痛まない。
「私ならこうしますが……どうです? もちろん国王陛下が責任を感じて全額支払うとおっしゃるのなら構いませんがね、ふふっ」
またぞろ軽口が出てしまった。が意に介す様子はなかった。
騎士団長はしばらく考え込んだのち、応じるしかないのだろうと承諾し、二枚の書類にサインした。




