213話 引き渡し交渉――リュック・ベルマン騎士団長
四月二十八日、フランタ市防衛隊本部の会議室。
王国騎士団団長のリュック・ベルマンは苛立ちを隠せずにいた。
会議室に護衛二人とともに案内されてからすでに三十分は待たされている。領主の到着が遅れているからだという。
ユリウス殿下との面会も断られ、扉には警護の名目で防衛隊員が二名立っている。体のいい監禁状態だ。
ふう……正直、後悔している。
国王陛下の軽口に乗ってしまい、自分が殿下をお迎えに行くと言うのではなかったな。
ユリウス殿下の悪行に人々の怒りがいまだ収まらないのを肌で感じた。通りをゆく我々に対する人々の目は冷たかったし、西門到着時の衛兵の態度はまるで敵がやってきたと言わんばかりの構えであった。
宰相には「くれぐれも揉めるなよ」と釘を刺されているから我慢せざるを得ないが、国を守る王国軍なのに嫌われているようだ。
それもこれも殿下が逮捕されるなどという大失態のせい。近衛兵……いやギュンターは一体何をしていたのだ!
殿下を連れて脱出できずに捕まるとは。近衛騎士団長のくせに情けない。
一対一で負けたのか集団戦で負けたのかはわからぬが、とにかく王国軍が地方都市の警備組織に負けるなど情けないにも程がある。帰る道中に責任を問い詰めねばならぬ。
やはり、あのカートンという隊長にしてやられたということか?
別に……剣を交えたいとか実力を見たいとかはない。強者であれば対面時に大体わかる。ドラゴンと戦った男……はたしてどんな人物なのであろうな?
しばらくして廊下を歩く数人の足音が聞こえてきて、ぶしつけに扉がガチャリと開いた。
「お待たせして申し訳ありません。まもなく領主閣下が参られます」
魔法士のような丈の長い制服を着た隊員が自分の正面に着席する。
続いて精悍な目つきをした体躯のいい人物が彼の隣に着席し、こちらをじっと見つめている。
他に書記官らしき隊員二名が着席すると、数名の隊員たちがその後ろにずらっと立ち並んだ。
我々は三名、彼らは十名……あきらかに不利な立場での交渉を強いられるわけか。
ふん、この程度のことで動じる我々ではない。
数分後、再び扉が開くと、領主であるダスター・コーネリアス侯爵が姿を見せた。
即座に座っていた隊員たちは起立し、侯爵が上座に着席するのを待って再び席に着いた。
私の正面に座っている魔法士の隊員はクールミンと名乗った。
その隣が本部長代理を務めている第一小隊隊長のカートン。彼がドラゴンと戦ったという人物か……たしかに強そうではあるが……。
交渉はどうやらクールミンとやらが仕切るらしい。
「――さっそくだがユリウス殿下と近衛兵たちを解放してほしい」
なるべく声のトーンを抑えて告げ、宰相から預かってきた書類を手渡した。
それは『被害者への謝罪と見舞金の支払い』『再発防止の確約』が書かれており、国王陛下のサインの入った公式な書類である。
その書類をカートンは一読すると侯爵に回し、侯爵は書類を置くと前に押し出した。
なんだその反応は? この内容では不満という意思表示なのか?
「それなんですがねー」
二人の反応に戸惑っていると、クールミンが口を開いた。
「遠路はるばるお越しいただいて申し訳ないんですが…………実はですね、捕らえたのはユリウス殿下ではありませんでした」
「……は!?」
「捕らえた連中は『第一王子とその近衛兵と詐称していた賊』だとわかりましてね、ただの庶民です」
思いもよらぬ答えに唖然とさせられる。
「な……何を言っているんだ!?」
「いえね、私たちは彼らが『第一王子とその近衛兵だ!』と名乗っていたからそれを信じていたわけですよ。ところが昨日、領主閣下に確認いただいたところ、あれは本物ではないとの指摘を受けました」
思わず侯爵に目を向ける。すると侯爵は小さく頷いた。
そんなバカな!?
「というわけで第一王子……ユリウス殿下? は、ここにはおりません。ただの賊でしたのでこちらで処罰いたします」
「あ? ふ……ふざけるなッ!!」
半立ち状態になり、両手でテーブルをバンと叩いた。
「偽者だと? そんなわけあるかッ!! 道中でも殿下がこの町に向かったことは確認している! き、貴様ら……殿下を捕らえた罪をごまかすためにそんな戯言を述べているのだろうがッ!!」
「いえ、そんなつもりは――」
「コーネリアス侯爵! 一体どういうおつもりですか? 殿下を偽者などと……」
「ん? つもりも何も、あれは本物ではないな。よく似てはいるがな」
侯爵の落ち着き払った物言いに不安がよぎる。
まさか…………本当に偽者?
いやそんなはずはない! 出立前に小宮殿にて殿下の行き先を確認している。
侯爵は一体どういうおつもりなのか?
「……では貴様らは殿下を引き渡すつもりはないということか?」
「ただの賊ですので必要はありませんでしょう?」
クールミンは毅然と答えた。
たしかにただの賊となれば引き渡す道理はない。王国軍にそのような権限はないからだ。
「ただし――」
さらに言葉が続く。
「そちらがどうしても引き渡しを希望するのであれば応じる用意はあります。例外ではありますがそちらに事情もおありのようですし」
…………ははあ、そういうことか。
偽者だと難癖をつけてタダでは引き渡さないということか。
ふむ……これは侯爵のお考えか。
たかが防衛隊ごときが侯爵に物申すなどありえないからな。つまり侯爵は国に対して何かしらの譲歩を迫りたいわけか。
国に楯突くなど実に腹立たしいが、殿下が捕らえられている以上話を聞かざるを得ないか……。
「ではどうしろと?」
こちらの言葉を待っていたかのように、クールミンは二枚の書類をこちらに差し出した。
一枚は『引き渡す連中は賊である』と認める誓約書。もう一枚は身柄引き受けのための金額が記されてある。
「――は? 大金貨一二〇〇枚!?」
「はい。詳細は明記してありますのでお読みいただければ……」
あまりの金額に目が飛び出すかと思った。
上等な屋敷が数軒建つほどの額ではないか! 国王陛下が提示した見舞金は被害者一人当たり小金貨一枚だぞ!
「ふ……ふざけるのも大概にしろ!!」
怒りでわなわなと身体が震え、思わず机をバンと叩いた。
「貴様ら……貴様らは捕らえた連中は賊だと言い張ったではないか! であればたかが賊にこんな金額を支払う必要はないはずだ。これでは身分を知った上での身代金ではないか!」
クールミンは黙ったままこちらを見据えている。文句など受け付けないといった姿勢だ。
隣に座るカートンも黙ったまま一言も発しない。交渉当初からずっとこちらに睨みを利かせていて、やるなら相手になるぞという態度だ。
書記官は大声に驚いたものの、後ろに立つ隊員たちはこちらの文句に嫌悪感を露わにした。
こ、こいつら……舐めた態度を取りやがって!!
「こんな話、呑めるかぁ――ッ!!」
クールミンに向かって激怒した。
「侯爵、これはれっきとした国に対する反逆行為ですぞ! いますぐ殿下を釈放していただきたい。さもなければ第一王子を不当に監禁し、身代金を要求してきたことを国王陛下にお伝えします。そうなればタダでは済みませんぞ!!」
「――ベルマン伯爵、落ち着きたまえ!」
侯爵のドスの利いた声に思わずビクッとなった。
「なッ!? た……たしかに伯爵の私より侯爵閣下のほうが爵位は上です。ですが私も王国騎士団の団長としての立場があります。このような不当な要求には応じられません!」
「ベルマン伯爵、話を聞いてください!」
クールミンが困った表情でとりなしてきた。
「うるさいッ! 庶民の分際で口を出すな! 貴様らは処罰を免れるために侯爵に泣きついたのであろう。素直に釈放していれば国王陛下も不問に付していたであろうに、このような法外な要求をするとなればそうもいかん。貴様ら全員不敬罪に処してもらうからな!」
もはや話をするだけ無駄なようだ。
一度王都に戻って国王陛下に事情を説明しなければならない。となると今日の解放は無理かもしれない。
そうなればおそらくコーネリアス侯爵の反逆とみなして軍の派遣を容認するであろう。やむを得ないが武力行使で殿下をお救いせねばならない。
はぁ……殿下を連れて帰れないことで私も叱責を受けるなぁ……。
「ベルマン殿、クールミンの話はまだ終わってませんよ!」
「あ゛ぁ?」
カートンがやっと言葉を発した。
もの静かな物言いに、騒ぎ立てるこちらがみっともないと思ってしまった。
むぅ……もはや我慢の限界!
交渉決裂とばかりに席を立ち上がろうとした――
そのとき、両隣にいた護衛二人が膝から崩れ落ちるように床にぶっ倒れた。
「――――ッ!?」
突然の出来事に、その場にいた全員が凍り付いた。
ふと気づく……私の後ろに誰かがいる!
振り向くと、そこには白い聖職者の衣服をまとい、頭巾をかぶり、顔を布で隠していて目しか見えない人物が立っていた。
だ……誰だ? というかどこから来た!?
意表を突かれてその言葉が出ない。驚きのあまり固まってしまった。
そいつに左肩をガッと掴まれ、立ちかけた身体をふたたび椅子に押し戻される。
「――ら、ランマルさん?」
クールミンが驚いたように発した名前…………どうやらランマルという人物のようだ。




