210話 久々のアッシュ
四月二十六日、お昼過ぎ。
ギルド正面広場から二頭の馬の蹄の音が聞こえてきた。
わりと急いでやってきた感じがするが、まあ防衛隊からの何かしらの報告だろう。冒険者は馬でやってきたりしないからな。
と思っていたのにその予想を裏切る人物が扉を開けて入ってきた。
「瑞樹はいるか?」
灰色の外套を纏い、背中に大剣を背負っている人物が叫んだ――冒険者のアッシュだ。
慌てた様子で呼吸も荒い。おそらくここで起きた事件のことを知ってやってきたのだろう。王子は彼の持っているドラゴンの鱗も狙っていたわけで、運よく難を逃れたのだ。
アッシュは受付の三人に「大変だったね」と労いの言葉をかけた。
彼に続いてシーラが入店。すぐに俺の所にやってきた。
「瑞樹さん、領主が町にやってきます!」
領主とはこのフランタン領を治めるダスター・コーネリアス侯爵のことだ。俺は二度ほど会っている。
やっとか……! これが率直な感想である。
現代日本と違い、電話もメールもないから連絡が遅い。車もないから移動も遅い。とにかくすべてに時間がかかる。言うてもう五日目だ。その間ずっと王子一行は地下牢に収容されたまま。お引き取り願うまでもう数日かかりそう……。
「いつ?」
「えっと……明日らしいんですが、その話はアッシュさんから聞いてください」
「――なんで?」
「領主から手紙を預かってきたんだ」
「手紙? アッシュが? なんで?」
いろいろと状況がわからない。とにかくギルド長を交えて話を聞こう。
ギルド長室に、主任、俺、アッシュ、シーラの四人が入る。副ギルド長のティナメリルさんも呼びに行っている。
アッシュは外套を脱いでギルド長と握手を交わすと、携えたバッグから手紙を取り出してギルド長に渡した。
「最近どうしてたん?」
「うん? 商隊の護衛の一員として働いていた。副隊長の肩書でな」
「ほぉ~~」
ふんすとドヤるアッシュ。
副隊長まで必要となるとかなりの大規模な商隊だな。いままでボッチ……もといソロ活動だった彼が副隊長を任せられるとは……。
まあアッシュはドラゴン撃退の立役者として一躍有名になったからな。
「ちょうど依頼が完了して領都に戻ったんだが、冒険者ギルドに『領主の館にすぐ来てほしい』という俺宛の通達がきてたんだ」
連絡があったのは二十二日だそうで、四日も待たせていたわけになる。
アッシュは急ぎ領主の館に出向くと、領主代行からティアラが襲われたことを聞かされたという。
で、この手紙は領主が途中の宿から出したもので、アッシュが配達を請け負ったというわけである。
「瑞樹!」
ギルド長が手紙を俺に渡す。
拝見するも、大したことは書いていない。
ただ、今回の件はどうも王都での不手際が原因のようで、詳細はこちらに来てから説明する……とある。それと――
『ユリウス殿下と近衛騎士団は殺してはいけない』
と俺宛に念押ししてあった。
カートン隊長が領主宛に報告書を書いた際、『御手洗瑞樹が激怒している』と追記するようお願いしておいた。まあまあ効いているとみてよいな。
しかしこれだけでは領主がどちら側についているかはわからない。
「アッシュは領主とは会ってないんだな」
「ああ、まだ戻っていなかった」
つまりカートン隊長からの手紙をそのまま王都にいる領主へ転送したのか。
んーと……事件が二十一日。隊長が手紙を書いて出したのがその日の日付が変わる直前。夜中に馬を走らせるとか言っていた。
フランタ市から領都まではたしか、シーラとタンデム騎乗で行ったときが四時間ぐらい……となると馬をぶっ飛ばせば二時間ぐらい……か?
到着後、夜中にたたき起こされた領主代行が事態を把握……で、大慌てで手紙を転送っと。
「シーラ、領都から王都までは手紙ってどれくらいで届くの?」
「二十二時間です。フランタ市からは二十四時間ですので」
即答。てかめっちゃ早い! 王都まで普通の馬車だと五日かかる道程って聞いている。さすが緊急時の伝達システムは別物だな。
「で? 領主はいつ来るの?」
「今日の夜には領都の館に戻られると聞いた。一晩休んで明日の朝早くに出立……フランタ市には早くて昼前じゃないか? 先に防衛隊本部に寄るのでティアラには昼だろう」
今日二十六日の夜に領都か……手紙が王都に着いたのが二十三日の深夜。つまり三日で館に戻ってくるというわけか。めっちゃ強行軍だな。これだけでも事の深刻さが窺える。
コンッコンッコンッ
扉のノックに振り向くと、副ギルド長のティナメリルさんが入室してきた。アッシュとシーラが軽く会釈をする。
「どうかしたの?」
「うむ、領主のコーネリアス侯爵が明日来店するそうだ」
「そう」
素っ気ない返事。そういや副ギルド長はエルフ……ずっと昔からいるわけだから領主と面識あるのかな?
「ティナメリルさんは領主に会ったことは?」
「ないわ」
ないのか……なんとなく意外。領主も自領にエルフがいるなら一度ぐらい訪ねてきてもよさそうなのになぁ。
「……ギルド長はたしかあるんでしたよね?」
「ああ。ギルド長の集まりが領都であったときに侯爵がお見えになられて、そのときに軽く挨拶した程度だ」
「そうですか」
つまり親しい人間はいないということか。となるとホントに俺次第か……。
「そういやアッシュ、ドラゴンの鱗はどうしてんの? 売った?」
「ん? いや。領都の商業ギルドに預けてある。ずっと持っているわけにはいかんしな」
「ほー……」
へー、商業ギルドには貸金庫みたいなサービスがあるんだ。
「聞いた? アッシュのドラゴンの鱗も狙われてたって話」
「あーさっき聞いた。カートン隊長のは奪われたって。でもお前が奪い返したって聞いたぞ?」
「うちはドラゴンの牙を奪われたからな。……ていうかあのクソ王子、うちの三美姫攫いやがったからな。救出のついでに取り返した感じだ」
「なるほど」
「そういえば瑞樹さんのお仕置き、相当苛烈だったって聞きましたよ」
「……何をしたんだ?」
「言えな~い。てか俺じゃなくランマルだから知らん」
ツーンとそっぽを向く。皆はやれやれという表情だ。
「で、どうする瑞樹?」
「手紙によると事情説明に来るみたいですので、まあ普通にお出迎えすればよいかと」
ギルド長は腕を組んで不安げな表情を浮かべる。
そらお貴族様の来訪二連荘だしな。今回は事前連絡があるとはいえ、何か粗相をすればすぐ「不敬罪だ! 侮辱罪だ!」と騒ぎ立てる連中だ。会いたくはなかろう。
「大丈夫ですよ。本命は防衛隊本部に収容されている王子との接見でしょう。とにかくうちは被害者なので『二度とティアラには手を出すな』と領主に釘を刺してもらえばいいと思います」
「……そんなことが可能か?」
「領主なんですからそれはしてもらわないと。領民に手を出されて何も言えないようなら『そんな領主はいらん』と私が言いますよ」
少し強めに言ったせいかギルド長は驚いている。まあ言うにしてももう少しマイルドでオブラートに包んだ言い方にはなると思うけど……。
「ところでシーラ、王子はどうしてる? いまだ檻の中?」
「えっ? あ、ハイ。あのまんまです」
「ふむ……じゃあシーラ、ひとつお願いがあるんだが……」
「何でしょう?」
頼られて嬉しそうな表情を見せるシーラ。
「カートン隊長から侯爵に、『王子との接見では何もしゃべらないでほしい』と伝えるようにお願いしてくれる?」
「――何も……ですか?」
「そう、挨拶もなし。なんていうか……あきれてものも言えないな、みたいな態度で接してほしい。王子とは話さない。できれば王子の確認ができたらすぐ切り上げてほしい」
「理由を聞いても?」
「侯爵が王子を敬うような態度を取ってほしくないんだよ。後々困るんで。侯爵にはティアラに来たときに事情を話すから、俺が強くお願いしていたと伝えてほしい」
侯爵の王子との接見はさすがに地下牢で……というわけにはいかないだろう。王子だけ別室に連れ出して行われるはずだ。
シーラが俺のお願いを指折り復唱する。
「侯爵は王子に話しかけない……接見はすぐ切り上げる……隊長から侯爵に伝えてもらう……理由はティアラで瑞樹さんから……了解です!」
「よろしく」
いよいよ明日、侯爵がティアラにやってくる。